« 昭和42年/1967年・いさかいにも構わず、日本翻訳家協会の新会長を引き受けた木々高太郎。 | トップページ | 昭和50年/1975年・『落日燃ゆ』が死者の名誉を毀損していると訴えられた城山三郎。 »

2018年12月16日 (日)

平成23年/2011年・自炊代行業者を相手に訴訟を起こした浅田次郎たち。

ベストセラー作家の東野圭吾さん(53)や「島耕作」シリーズで知られる漫画家弘兼憲史さん(64)ら7人が20日、本や漫画を私的に電子化する「自炊」の代行業は著作権を侵害しているとして、代行業者「愛宕」(川崎市)「スキャン×BANK」(東京都)に自炊行為の差し止めを求める訴訟を東京地裁に起こした。原告側によると、自炊行為をめぐる提訴は初めて。

(引用者中略)

著作権法では個人の私的使用による複製は認められているが、原告側は「大規模にユーザーの発注を募ってスキャンを行う事業は、著作権法上の複製権侵害に当たる」と主張。「海賊版がネットなどに大量に拡散する危険性があり、電子書籍の市場形成を大きく阻害しかねない」としている。

――『日刊スポーツ』平成23年/2011年12月21日「代行スキャン スカン!!」より

 えっ、もう半年経ったのか。すぐにまた次の直木賞候補が発表されるけど、一年に二回とか多すぎでしょ。……などと嘆いていても始まりません。こんなときは、昔の直木賞にまつわる話をゆっくり振り返ってみるのもいいと思います。なにより精神的に落ち着きます。材料はあさり切れないほどにありますし、一生困ることもありません。

 そうはいっても、あまりに昔の話題だと、調べるだけで疲れ果てます。今週はもう少し現実に、実感の持てる犯罪事件のことに触れることにしました。自炊代行という違法行為についてです。

 紙の媒体ならともかく、簡単に情報にアクセスできるネットのなかで、この話についてわざわざ説明するのは、ほとんど無意味のような気がしますが、だらだら言い訳せず、少し追ってみることにします。

 いまから8年前の平成22年/2010年5月、Appleのタブレット端末iPadの、日本での発売が開始されました。紙に印刷されて製本されたいわゆる「書籍」を、こういった端末で閲覧・読書するために、デジタル画像データとしてスキャンする「自炊」と呼ばれる行為は、それまでも一部のあいだでは行われ、また現在でも私的利用の範囲内であれば違法ではありませんが、iPadの普及によってニーズが一気に広がります。だけど、一般の家庭でやろうと思うと手間もかかるし時間もかかる。ということで、自炊代行サービスなるものを始める業者が数多く生まれます。顧客から紙の本を受け取り、それをバラして一ページずつスキャンして、デジタル画像データに変換して顧客に納品する、というサービスです。

 しかし、著作権者である作家のなかには、こういう状況を問題視、もしくは不快に思う人たちがいるそうです。122名の作家たちが連名で、自分の作品がスキャンされることは許諾しないむねを、主な業者に宛てて書面で通知したのが平成23年/2011年9月のこと。このとき、2つの会社が、今後顧客から依頼があればこれら許諾しない作家の作品もスキャンに応じる、という姿勢を示したため、この2社を相手取って、同年12月20日、浅田次郎大沢在昌、永井豪、林真理子、東野圭吾、弘兼憲史、武論尊、以上7人の小説家・漫画家が、スキャン行為の差し止めを求めて東京地裁に提訴しました。

 この裁判はまもなく、被告の業者が解散または請求を認諾したために、原告側が訴えを取り下げていったん終わりますが、それでも他の代行サービスは衰えを見せず、しかも原告たちの作品を受注スキャンしていた例も発覚し、平成24年/2012年11月27日、改めて同じ7人が、別の業者7社に対して差し止めを求めて提訴。翌平成25年/2013年9月30日と10月30日、東京地裁は被告となった業者に対し、自炊代行は違法であるとして、損害賠償金の支払いと業務停止を命じます。

 この判決を不服とした被告のうちの1社が控訴したのですが、平成26年/2014年10月22日に、知的財産高裁も第一審を支持し、さらには最高裁が平成28年/2016年3月16日付で上告を受理しない判断を示したことで、書籍を裁断してスキャンするという商売は、著作権法が保護する複製権の侵害に当たるという二審判決が確定。作家たちが具体的な行動を起こしてから、だいたい4年半で、ひとつの決着を見ることになりました。

 裁判のなりゆき、争点などは、ともかくとしましょう。やはりここで注目したいのは、原告7人のうち小説家が4人いて、そのいずれもが直木賞の受賞者だったことです。

 最初の提訴の段階では、そのうち2人が直木賞の選考委員。さらに、平成23年/2011年9月の「受注スキャン拒否リスト」に名前を連ねた122名の著作権者を見てみれば、直木賞受賞者が26名、候補経験者8名に対し、芥川賞の受賞者はたった4名、候補経験者も2名。……ということで、いつも文学だ何だと偉そうにしている芥川賞方面の人たちはまるで脇役に追いやられ、ほぼ直木賞が独占して矢面に立った話題だったと言ってもよく、そこに思わず心うち震えた直木賞ファンは多かったと思います。ワタクシもそのひとりです。

 直木賞というのは、文芸の辛気くさい話題に収まらず、こういう商業出版、出版ビジネスの火ダネとも密接に結びついているところが、芥川賞に比べて段違いに面白い点なんですが、この平成22年/2010年という年は、電子書籍の時代がいよいよ来るぞ来るぞと盛り上がっていた時期に当たります。新刊で出る本とか、書店に出まわっている既刊書が電子化されていけば、はじめから電子版を買う割合が増え、自炊代行なんて利用する一般読者は減るに違いない、とも言われていました。要するに過渡期です。

 ちなみに直木賞で見てみると、8年前、平成22年/2010年下半期を対象にした第144回、候補作に挙げられたのは5作品です。当時、電子化されていた作品はひとつもありません。『砂の王国』とか『悪の教典』とか、あんな重ったるい物体、持ち歩くのに辟易した人もいたことでしょう。スタイリッシュに端末に入れるために、自炊代行サービスを利用して、直木賞候補読書ライフを楽しみたい。その気持ちはよくわかります。

 それが半年前の第159回(平成30年/2018年上半期)になると、〈紙派〉作家の代表的なひとり湊かなえさんの『未来』を除いて、他の5つの候補作はすべて電子版も有り、というところにまで来ています。それを考えると、本は紙で買ってほしい、デジタル化はイヤだ、自炊するのもやめてほしい、というのは、もはや遅れた発想かもしれません。犯罪の案件としては、デジタル化への移行期にパッと咲いてすぐにしぼんだ、そこまで普遍的なものではなかった、と言っていいと思います。

          ○

 なんだか沈みゆく船の上で豪華な客室を満喫しているセレブたちが、自分たちの権益を守るために声を上げていただけ、という感じは否めませんが、それを言い始めると直木賞だって同じ沈没船に乗っているようなものです。たかだか数十年から百数十年という、もろくも短い歴史の上に立っている商業小説界の脆弱さ。伝統だ文化だと威張っている場合じゃなく、まだまだこの世界も発展途上、いつ終息に向かってもおかしくない、にわかなブームと見てもおかしくありません。

 しかし、そこに生きている人間にとっては、近代出版文化をブームと言われるのは心外でしょう。裁判が進んで、まもなく第一審の判決が出るかという平成25年/2013年夏、原告のひとり浅田次郎さんが、変貌する出版、図書館、電子化などについて自身の見解を語っています。作家団体の要職に就いたり、自炊代行撲滅に立ち上がったり、そうするなかで当時の出版界をめぐるさまざまな事情や問題を勉強したという浅田さんが、正直な思いを吐露しているのが、次の段落です。

「私たち作家というものは、今ある出版社に仕事を依存しているわけだけれども、「電子出版権」が出来ればそれ以外の道がひらけてしまう。出版社を経由しないで、IT企業と仕事をするようなケースというのも出てくるかもしれない。これはもう大変革ですよ。こういう急激な変革というのは避けるべきだと私は思う。それがいいという人も中には居るかもしれないけれど、私みたいにパソコンも自分で使えないような作家は、もう何が何だかわからなくなります。私の立場から言うと、今の形で全く変わってほしくない。これは多くの作家がそう思っているのではないでしょうか。」(『新潮45』平成25年/2013年9月号 浅田次郎「経済栄えて文化滅ぶ」より)

 どうでしょうか。たしかに浅田さんは、つねづね「昔ながらの作家像」というものに並々ならぬ憧れと執着をもってきた人だと思います。せっかく職業作家になって、筆一本で食べていけるようになったのに、自分の憧れていた文壇的な小説界は先細り。何も変える必要はない、いまのままがいい、あるいはちょっと昔が一番いい、と本気で考えるのは、年を重ねた人が抱くステレオタイプな保守性と言うしかありませんが、ある意味、人間味あふれる普遍的な感情のひとつ、と見ることもできます。

 そんななか、直木賞も、悠久の人類が築いてきた文化のなかで見れば、あってもなくてもそこまで変わらないような、しがないブーム的な催しです。絶対的に存在する保守的な感情と、それだけでは揺れ動く社会のなかで生活を維持できず、変革を受け入れざるを得ない事情とが、混然としながらこの世にあるかぎり、直木賞はやはり面白い人間的な営みとして営々とつづいていくことでしょう。どうか元気に継続していってほしいと願います。

|

« 昭和42年/1967年・いさかいにも構わず、日本翻訳家協会の新会長を引き受けた木々高太郎。 | トップページ | 昭和50年/1975年・『落日燃ゆ』が死者の名誉を毀損していると訴えられた城山三郎。 »

犯罪でたどる直木賞史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 平成23年/2011年・自炊代行業者を相手に訴訟を起こした浅田次郎たち。:

« 昭和42年/1967年・いさかいにも構わず、日本翻訳家協会の新会長を引き受けた木々高太郎。 | トップページ | 昭和50年/1975年・『落日燃ゆ』が死者の名誉を毀損していると訴えられた城山三郎。 »