昭和58年/1983年・自分の名前や作品のことが詐欺行為に使われた向田邦子。
作家の故向田邦子さんと同姓であることを悪用して「オイ」だと名乗り、国際線スチュワーデスら八人から約三千万円を巻き上げ、指名手配されていた鹿児島県生まれ、住所不定、無職向田新作(三四)=写真=が九日、東京・高輪署に詐欺容疑で逮捕された。
向田の直接の逮捕容疑は、一昨年二月、東京都港区の一流ホテル内にある洋品店の店長A子さん(三二)に「結婚しよう」などと持ちかけ、二回にわたり計五十五万円をだまし取った疑い。
――『読売新聞』昭和60年/1985年2月10日「自称“向田邦子さんのオイ” 手配に観念、自首」より
稀代のシナリオライター、向田邦子さんの名前は、仮に直木賞の受賞がなかったとしても、自然に伝説化したとは思いますが、直木賞という文学賞も、意外と大勢に知れ渡っています。直木賞きっかけで向田さんを知った人もいたはずですし、もとからドラマを観ていた視聴者にも、直木賞をとるなんてスゴい人だったんだ、と改めて見直した人はいたでしょう。
まもなく向田さんが飛行機事故に巻き込まれたとき、彼女は直木賞に殺されたんだ、と嘆いた人がいたそうです。もちろんそんなことはありません。百歩譲って直木賞の影響があったとしても、直木賞をとったことで、それを見た人たちが向田さんに大量の仕事を依頼、忙殺されるなかで、台湾への取材旅行が組まれ、事故に遭った……要するに「直木賞のことをやたら特別視して、祀り上げようと駆け寄った人間たち」に殺された、ということになります。いつも非道なことをするのは人間であって、直木賞に責任を押しつけるのはまったく筋違いです。
さて、それに比べればショボい犯罪かもしれませんが、ここに向田さんと同じ姓をもつ、とくに血縁関係のない一人の男性がいました。生まれは鹿児島ですが、大阪で育ち、市内の工業高校を卒業。宝石店などで働くうち、一つ年上のスチュワーデスと出会って妊娠させると、昭和47年/1972年に籍を入れることになります。21、22歳ごろのときです。
仕事は貿易商と言っていたらしいですが、じっさいはほとんどカネがなく、持ち前の巧みな会話術でさまざまな女性に手を出しては、偽名や嘘の職業を騙ってお金をせしめるようなことを繰り返していたといい、そのことを知った妻はさすがにブチ切れて、家を飛び出すと、秋田の実家で子供を出産しました。
ひとりになった男でしたが、まるで懲りることなく10人を超える女性に対し詐欺行為を重ねたそうで、ついには寸借詐欺2件、結婚詐欺1件、という内容で警察に捕まり、昭和49年/1974年に懲役6年の実刑判決をくらいます。その一年後に、正式に離婚が成立。
満期でお務めを果たしたとすると、男が出所したのは昭和55年/1980年です。この年7月、向田邦子さんが直木賞を受賞したニュースも、娑婆のどこかで目にしたかもしれません。20代後半のほとんどを刑務所のなかで暮らし、多少は反省したものとは思うんですが、そこら辺の心境はまったく不明なので飛ばしまして、昭和56年/1981年から福岡市にマンションを借ると、近くのスーパーのなかに小さなブティック店を開店。いったいその資金はどこで調達したのか。それも不明です。いつもブランド品に身を包んで、店にはほとんど行かず、別れた妻から見聞していたスチュワーデスの生態を参考に、日航、全日空、外国航空、そこら辺りのスチュワーデスに次から次へ近づくと、事実と異なる自分の属性を語って相手を信用させ、ン万円からン百万円のお金を拝借しつづけます。相変らずの詐欺師生活です。
ここで向田邦子さんが昭和56年/1981年に飛行機の事故で命を落としたのは、もちろんまったくの偶然でしかないんですが、そのころから男の手口が少し変わります。初対面の相手には、私は向田邦子の甥なんです、中央大の法科出身で、兄は検事、父は警察署長をしているんです、と自己紹介するようになり、一部のスチュワーデスのあいだでも男の存在はよく知られていた……ということを含めて、上記に挙げた男の来歴はほぼ『週刊新潮』昭和60年/1985年2月7日号「非公開捜査「向田邦子の甥」に結婚詐欺された女たちの「高いレベル」」から引き写しました。誰が書いた記事かわかりませんが、ありがとうございます。
作家の名前が世間にひとり歩きすると、それを騙って悪さを企む人間が出てくる、といえば、海音寺潮五郎さんや村上元三さんも、知らないあいだに自分の名前を使われたことがありました。しかしそれは昔の話、こと直木賞に関していうと、時代が現在に近くなればなるほど、「有名になる」イコール「顔がマスコミでさらされる」というのが基本になるので、さすがに自分は受賞者本人だと嘘をつくのは難しくなります。そこで「親戚を騙る詐欺手口」が発生するわけですが、この男の場合、「向田邦子」の活用のしかたが絶妙というか悪質というか、単に信用度を上げるためだけでなく、会話を盛り上げる手段にもしていた、というのですから、なかなか罪深いです。
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多くの被害者はスチュワーデスだったようですが、昭和60年/1985年にその逮捕が報道されるきっかけになったのは、昭和58年/1983年2月6日、高級ホテルの地下にあった輸入ブランド品を多く扱う洋品店に男が訪れ、そこの雇われ店長だった32歳の女性をターゲットにした事件です。
自分は上顧客だということを匂わせるために、ブランド品についての会話を交わすなか、ポロっと口にしたのが、自分は向田邦子の甥なんですよ、という話題。
「Y子(引用者注:ブティックの女店長)くらいの年代の女性に、どの程度の確率であてはまるのかは知りようもないが、向田の作品や人に同性としての思い入れ厚いファンは多いという。Y子はといえばまさにかねてから向田作品にファンの域を超えて傾倒していた。
なかんずく向田の『父の詫び状』という作品中の「子どもにとって、自分の親にお辞儀されることぐらい、つらいことはない」という一節が頭のどこかに終始こびりついていた。彼女自身、東北の田舎に言葉の不自由な父親を残して上京するとき、同じような体験をしていたのである。
Y子がそれをいうとM・Sは「実は自分も大阪に、体ぐあいの悪い母親をおいて、東京暮らしなんです。(引用者中略)」と、早々にY子の泣きどころをつきとめ、それにみあった作り話で、二人の心理的距離を一挙にせばめてしまった。」(『朝日ジャーナル』昭和60年/1985年2月22日号 朝倉喬司「メガロポリス犯罪地図 (18)“ブランド”利用詐欺事件」より)
その日の晩、二人はホテルのレストランで夕食を共にし、その足でホテルの一室に……。早くもそこで、結婚を前提にフランスに同行してほしい云々と真っ赤なウソを発展させて、お金を巻き上げる段階に突入するわけですが、明らかに親子のあいだの情愛と葛藤を描いた向田さんの作品を犯罪行為の土台に使っています。
犯罪者の側からすれば、いかにも自分が恥かしくない家柄の人間だと示し、相手の心を引きつけるためには、「向田邦子」の名を使うのが適切、と判断したんでしょう。現にそれで金の奪取に成功しているので、適切は適切だったのかもしれません。しかし「たくさんの人気ドラマをつくり、エッセイを書き、飛行機事故死がニュースになった」という向田さんの特徴のなかで、「直木賞を受賞した」ということが、話題になったり本が売れたりしていた大きな要因だったのはたしかなことです。となると、これも「女性たちは直木賞に騙された」と言えるのでしょうか。……いや、言えるわけがありません。
ブティック店長は数日後に、友人からの助言で男の話を怪しみ、ついには連絡がとれなくなったところで警察に被害届を提出。昭和58年/1983年3月19日、指名手配が出されますが、男は都内、名古屋、福岡などを転々としながら、他の女性たちに詐欺を働いて暮らし、2年近くたった昭和60年/1985年1月21日に至って、全国に指名手配されたとしてようやくマスコミに情報が公開されます。結果、77歳になる大阪在住の母親に説得されたのが決め手となったのか、弁護士に付き添われて2月9日に東京高輪署に出頭。7月11日、東京地裁で懲役3年6か月の実刑判決が下されました。
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