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2018年9月16日 (日)

昭和43年/1968年・公職選挙法違反に問われ、起訴猶予になった今東光。

【大阪】去年四月に行われた大阪市議選に同市此花区から自民党公認で立候補して落選した大谷保一(三五)派(引用者中略)の選挙違反を捜査していた大阪地検特捜部は、作家の今東光(六九)(引用者中略)と、今の秘書の千葉たみ子(三七)(引用者中略)が、大谷から現金をもらった事実をつかみ、公選法違反(被買収)の疑いで調べていたが、三日午後「犯罪は構成するが、反省の色が濃い」として、二人を起訴猶予処分にした。今は佐藤首相から要請され、ことしの参院選全国区に自民党公認候補として立候補する予定で、その処分が注目されていた。

――『朝日新聞』昭和43年/1968年2月4日「今東光を起訴猶予 大阪地検市議選応援で違反」より

 第36回(昭和31年/1956年・下半期)の直木賞は、今東光さんと穂積驚さんの二人に贈られました。穂積さん44歳に対して、今さん58歳。……いまとなっては、とくに珍しくない受賞年齢ですが、それまで50代で受賞した人すらひとりもいなかったのに、いきなり最年長記録を60歳近くまで伸ばしたのですから、とくに今さんの受賞は、一部に大きな驚きを与えた、と伝えられています。

 いや、年齢など些末な話題にすぎません。今さんが直木賞史のなかに残した爪痕といえば、受賞した後の圧倒的なマスコミ露出。これに尽きるでしょう。

 芥川賞に石原慎太郎(第34回 昭和30年/1955年・下半期)あれば、直木賞に今東光(第36回)あり。……と表現したのは、誰だったでしょうか。スター性の面では、たしかに石原さんには勝てないでしょうけど、「かしこまって偉ぶるのではなく、少し崩した口調・文体で、場所柄わきまえず放言する」というスタイルが多くの人にウケたおかげで、小説の出来うんぬんはさておき、作家であり僧侶であり毒舌家、という方向で世間に知れ渡るようになります。直木賞では珍しいことです。

 そういうなかで実施されたのが昭和43年/1968年の参議院選挙です。著名人やタレントが続々と候補者に名乗りを挙げたことから、政治もここまで落ちぶれたかと言われ、いつもいつも、ついに落ちぶれたかと言われている文学賞の姿を、どことなく思い起こさせる様相がありましたが、石原さんと並んで自民党公認で出馬した今さんも、事前から「タレント候補者」の有力者だ、と見られていたといいます。そのことでもわかるとおり、直木賞・芥川賞の受賞者のなかではタレントに分類して違和感のないくらい、とくに顔も名前も売れていたひとりです。

 と、ここで今さんがぶち当たった法律があります。公職選挙法です。

 以前より今さんは、公選法に対して文句があったらしく、ずいぶん悪口を叩いていました。たとえば昭和42年/1967年には、現行の公選法は結局ダメな政治家しか選べないダメ法律だと、お得意の鋭い舌鋒を披露。なぜ戸別訪問やビラに禁止条項があるんだ、そんなどうでもいいことをいちいち条文に示しているから、おれはこの法律が嫌いなんだ、と言い張っています。

 そしてこう書きます。

「買収や供応が悪いことは言うまでもなく、それをする奴や、それに応ずる奴は下等至極な奴で、そんな者を罰するために吾々まで罰則の適応を受ける理由はないのだ。いかなる罰則を制定しても、罪人はこの世の中から無くなるものではないのだ。買収や供応をする候補者には投票しないことが即ち罰則なのだ。

何もそれを法律で規正する必要はあるまい。」(『週刊サンケイ』昭和42年/1967年5月22日号 今東光「東光毒舌説法(21) 選挙法という悪法」より)

 何でも罰則で縛ろうとする法の存在と、今さんの考え方もしくは生きざまは、しょせん相容れないもの同士、ということかもしれません。買収・供応をする奴、応ずる奴、どちらも下等だとかました今さん自身が、実際そのルールにひっかかり、選挙前から後まで、とにかく「今東光といえば選挙違反」という妙な展開へと転がっていってしまうのです。

 この年の春、大阪市議選に応援演説に狩り出された今さんは、候補者だった大谷保一さん派の運動員から10万円を受け取ります。日頃から講演を依頼されること数限りなく、しかも今さんは、たいてい相場より高い講演料を要求することで知られていたそうで、人前に立ってしゃべる、お金が発生する、これ当然、という世界で生きていたものですから、深い考えもなく謝礼を受け取ったところ、法的にはアウト。7月末から2回にわたって取り調べを受け、事実関係を全面的に認めたうえで、「自民党の公認を受けながら、自分が違反をおかしたことをはずかしく思う」(『朝日新聞』昭和43年/1968年2月4日「今東光を起訴猶予 大阪地検市議選応援で違反」より)と反省の姿勢を見せたことが効いて、法律違反ではあるが起訴猶予、という結果に落ち着きました。

 何が選挙法違反だ。何の悪気もなくやったことなんだから、いいじゃないか。と、いつものように開き直ればよかったと思うんですけど、ここで反省してみせるところが、今さんの正直さかもしれません。あるいは、なんだかんだ言っても法の下にある社会集団の一員として、多少は折り合いをつけないと生きてはいけない俗世のつらさを垣間見せ、何だこのクソ坊主は、と批判する人たちを生んでなお、自身の参議院選挙に影響するところは、ほとんどなかったようです。

 天台宗務庁からは昭和43年/1968年4月、大僧正の呼称が贈られ、選挙戦が始まれば、若いころからの友人、川端康成さんが応援演説に立ったと言っては話題となり、自分でも行く先々で、何が佐藤内閣だ、これをぶっ壊せるのはおれだ、と自民党公認でありながら自民党を批判して喝采を浴びる、いまでもよく見かける戦法をとって有権者の心をつかみ、きっちりとこの戦いを乗り切って、100万票以上を獲得して全国区4位当選。直木賞受賞者にして国会議員、という前代未聞の道をきりひらきます。……いやいや、芥川賞のほうはその3倍近い票が石原慎太郎に入ったじゃないか、やっぱり芥と比べたら直っていつもパッとしないんだな、というボヤキは、このさい封印しておきましょう。

          ○

 昭和43年/1968年7月7日が投票日、明けて開票が進んだ7月8日、当選の報と合わせて今さんには、また別の件でマスコミの関心の目が向けられます。今さんの支援者が選挙中、酒席を設けて供応していた、ということで警察の捜索が始まったからです。今度もまた、公職選挙法違反です。

 しかも今回は、当時今さんが貫主を務めていた岩手県平泉の中尊寺が舞台。全国的に名の知られた有名寺院で、観光資源ももりだくさん。ということは大きなお金が動いたり権力が渦巻いたりする、醜悪と表現してもいいかもしれない人間模様が根を張る場所と見るのが妥当なところで、現に今さん派の選挙違反に関しても、そんな側面からの記事が書かれたりしました。

 今さんの選挙運動員も兼ねていたという中尊寺の佐々木亮徳執事長、佐々木賢宥執事兼経理部長、佐々木高円執事兼総務部長など幹部たちが、平泉町議会議長を務めていた小松代幹太郎、副議長の吉田昌治らを料理店に招き、酒や食事を提供、その席で今さんへの票集めを頼んだ、というのが嫌疑の内容でしたが、とりあえず小松代さんも吉田さんも、そもそも今さんを支援していた仲間であり、いつもどおり「選挙」をサカナに顔なじみが集まって酒を飲んだだけ、というのが実情だったようです。

 しかし、一般企業や官庁ならともかく、その実情が日常化してしまっている中尊寺、いくら何でも俗っ気がひどすぎやしないか。ということで報道各社、取材陣が乗り込んでいったんですが、町の人たちの多くは、そりゃ酒ぐらい飲むべよ、と検挙者に同情的でもあり、今さん自身はどうかといえば、中尊寺に家宅捜索が入ったうんぬんと各所で報じられても寺に連絡ひとつ入れるわけでもなく、どこかヒトゴトのように、新聞にコメントを寄せました。

今東光議員の話 おれのとこの寺の人は、いい人なんだが酒くらいが多い。おれが飲まないだけに、飲むなと、あまり強いこともいえないし……。いつも番茶のつもりで飲んでいるのだから、警察のいうように供応のつもりで飲ませたのか、自分で飲みたくて飲んだのかはわからん。そこのところは水かけ論になってしまうだろう。困ったこったとは思うが、悪意があってやったとは思えない。」(『朝日新聞』昭和43年/1968年7月10日「選挙で汚れた法衣 今議員派の中尊寺 執事長もつかまる 観光客に働きかけ図る」より)

 公選法を馬鹿にしている今さんの感覚は、ここにおいてもブレがなく、落ち着き払って、あしらっています。

 結果、罪に問われた寺の幹部たちは、おおむね罰金と公民権停止の略式命令で済まされることになり、べつに再起不能になるほどの断罪は受けず、以降も中尊寺は、なあなあの社会のなかで灯をともしつづけるわけですが、今さんのその後もまた、杓子定規の法律から逸脱しそうで、踏み越えはしない、この危うさが本領だった、と言っていいかもしれません。暴言を吐いては問題視され、そして一般にはムチャクチャなおじさんとして愛され、直木賞をきっかけに作家業の枠を超えて売り出した人物として、この賞にいくばくかの可能性をもたらしてくれました。

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