昭和62年/1987年・外為法違反で書類送検され起訴猶予になった、ココムへの密告者、熊谷独。
東芝機械のココム(対共産圏輸出統制委員会)違反事件で、東京地検は十九日、外為法違反で書類送検されていた同社工作機械事業部長(当時)ら幹部四人と、商談を持ちかけたソ連貿易商社「和光交易」(本社・東京)の取締役ソ連部長ら幹部三人の計七人を起訴猶予とした。同地検は理由について「東芝機械は逮捕した主犯の幹部二人をすでに起訴しており、和光交易は不正輸出に直接関与していなかった」としている。
――『毎日新聞』昭和62年/1987年6月20日「ココム違反の東芝機械幹部ら七人を起訴猶予」より
国際情勢を背景にした小説というものがあります。一般的にも注目を浴びるジャンルですが、直木賞のなかでも、明らかに華のひとつです。
「ナリン殿下への回想」「ローマ日本晴」「寛容」など戦前・戦中に発表されたものから、「香港」『ゴメスの名はゴメス』「蒼ざめた馬を見よ」『風塵地帯』、あるいは『喜望峰』『火神を盗め』『プラハからの道化たち』『元首の謀叛』『炎熱商人』『ぼくの小さな祖国』『カディスの赤い星』『脱出のパスポート』『海外特派員 消されたスクープ』『遠い海から来たCOO』『密約幻書』、近年でも『ジェノサイド』『ヨハネスブルグの天使たち』『アンタッチャブル』『暗幕のゲルニカ』などなど、もう枚挙にいとまがない、という手垢のついた常套句で逃げるしかないぐらい、たくさんの作品が候補に選ばれてきました。
こう見ると、直木賞とは国際的な事象にも目を向けてきた賞だ。と表現したくなりますが、あまりに権威とか文壇ゴシップとか、そちらに光が当たりすぎて、ほとんどそういう評判は耳にしません。というか、山周賞も吉川新人賞も、その他エンタメ系文学賞の多くも、だいたい同じ程度に、世界的な政治状況を描いた小説を取り上げています。たしかに直木賞だけの特質ではありません。
しかし、そのなかでも異質中の異質といえる、熊谷独さんのデビュー小説『最後の逃亡者』(平成5年/1993年11月・文藝春秋刊)を候補にしてしまう直木賞の、世間体を気にしない予選のありようは、さすがの大胆さでしょう。世の中、何が直木賞をとるのか気にする人は多くても、直木賞の候補に何が(だれが)選ばれるかに注視するのは、ごく少数です。文藝春秋がとってほしいと思う人を、どんどん候補にすればいいと思います。
さて、熊谷さんですが、どこが異質なのか。いまから30年ほどまえ、国をあげて大騒ぎになった東芝機械のココム(対共産圏輸出統制委員会)違反事件というものがあり、この事件が明るみになるきっかけをつくった告発者として取り調べを受け、結果は起訴猶予とはなりましたが、犯罪行為スレスレどころか、その渦中に身を置いた対ソ貿易にくわしいビジネスマンです。デビューまで文学的履歴は皆無、エンタメ小説界にとっても、その存在そのものが爆弾のような、一種の不気味さ、凄みをもった候補者でした。
熊谷さんは昭和60年/1985年、22年間務めた和光交易に自ら辞表を提出、退社します。妻ひとり息子ひとりの3人家族、49歳のときです。『モスクワよ、さらば ココム違反事件の背景』(昭和63年/1988年1月・文藝春秋刊)によれば、直接の引き金になったのは、この年の人事異動で自分の名前が昇進者リストになかったこと、と言いますが、モスクワ事務所で対ソ貿易に従事するあいだ、KGB(国家保安委員会)とのやりとりで発生する、理不尽な交渉、心理的に追いつめられる間接の脅迫、腹芸などにほとほと辟易して疲れ果て、これ以上、この仕事は続けられない、ということで退社を決意したそうです。
この段階で、取引相手のKGBにも信頼され、まじめに社益を考えながら、しかし一方では、不正な取引を裏づける多くのデータや資料をしっかりと記録していた、というのが熊谷さんの恐ろしいところで、それまでソ連相手の商売をしてきた人なら当然知りながら誰も大っぴらにしなかったその実態を、熊谷が公開しようとしているらしい、と噂が流れ、退社してから元の会社から懐柔の声がかかったり、またソ連側からも引き合いの話が持ち込まれますが、熊谷さんはこれを拒否。次第に、これはやはり明るみにしたほうがいい、するべきだ、という考えを固めていき、通産省に話を持っていこうとしますが、相手にされず、思い切ってパリにあるココム本部宛てに、告発状を送ったのが昭和60年/1985年12月のことです。
ここからの日本政府、官僚たちの対応が、対米関係を含めて混乱と騒動をもたらした最大の要因、とも言われる空白の1年数か月が始まります。
昭和62年/1987年3月に表沙汰になるまで、告発状を受け取ったココム本部からの問い合わせに、通産省は「そんな事実はない」とシラを切り、ちゃんと調べて答えているのか、とアメリカから執拗に追及されても、「不正な取引はどこにもない」とスットボける。通産省でも当然、告発者である熊谷独、本名・熊谷一男の名前は把握していたのに、直接話を聞こうとはせず、熊谷さんの経歴や素行を調べたうえで、会社を馘首になった腹いせに騒ぎ立てているだけで、他にも悪い評判ばかりがつきまとう、信頼性に欠ける人間だ、と完全無視を決め込みます。
最初から通産省も非を認め、自浄で事をおさめる気があればよかったんですが、そんなこと、どだい無理な話かもしれません。アメリカ側は不満を募らせ、熊谷さんも想定していなかったような騒ぎへと転がっていき、日米経済摩擦に油をそそぎ、東芝製品不買運動を巻き起こし、日本の商社は武器商人へとなり下がったと叩かれ、そんななか発端となった熊谷さんも無傷では済まされず、業界の掟をやぶった裏切り者だの、私怨で他のサラリーマンまで巻き添えにした自己中人間だの、さんざんに中傷されます。
そんな熊谷さんに反撃の場をつくったのが『文藝春秋』でした。昭和62年/1987年8月号と9月号、2か月にわたり「東芝機械事件・主役の告白 これがソ連密貿易の手口だ」「東芝事件・主役の告発手記第二弾 西側がつくるソ連空母」を掲載。編集部の担当者は木俣正剛さんだったそうですが、事件は収束に向かっていましたので、普通であればこのまま世間の関心も離れ、これで終わり、となりそうなところ、昭和63年/1988年には加筆修正、より熊谷さんの心境とソ連での商売の深部にまでせまった単行本が文藝春秋から出たのみならず、文春の息が存分にかかったサントリーミステリー大賞に、小説を書いて参加し、そのディテールを細かく積み上げる筆致が選考委員に褒められて受賞。すると文春の息が存分にかかった直木賞で、予選を通過する、というまさかの作家デビューを果たすのですから、才能はどこに眠っているかわかりません。
○
無駄な口をいっさい叩かず、黙々と仕事をこなす勤勉な人。と言われる一方で、熊谷さんについて回ったのが、「女性関係」の話題です。
ココム違反に関する(週刊誌の)報道でも、熊谷さんを誹謗しようとする筆がひんぱんに攻撃のタネにしたのが、女性関係の問題でしくじった男、という話でした。たしかに熊谷さんは当時のソ連、モスクワ周辺の娼婦の事情にやたらとくわしく、『最後の逃亡者』の中心的な人物を娼婦にするぐらいに思い入れも強く、現にKGBへの協力を強いられた事情のひとつに、女性に関するトラブルがあったのかもしれません。
真偽はおおむね闇の中ですが、週刊誌というのは、ワタクシみたいな下品な人間でも、下世話だなあと眉をしかめたくなるぐらい、そちら方面を取り上げるプロ集団です。仮に女性関係に難があったからといって、信頼できないとか、人間としての価値が下がるとかは、まったくないはずですが、そこを突くのが彼らの常套手段であることはたしかです。こういう攻撃に心折れなかった熊谷さんの強さが、いまとなっては光ります。
また当時、熊谷さんには、なぜココムに告発したのか、と各方面から何度も質問が飛びました。そこで、不正を見過ごせなかった自分の正義感によるもの、という胡散くさい理由に逃げなかったのも、熊谷さんのある種の強さでしょう。告発の動機はひとつふたつに集約されるものではなく、何冊本を書いたところでその真意は伝わるものではない……というのは、多分に文学的な考え方かもしれません。しかし熊谷さんがそう感じていたことは、よくうかがえます。
怒濤のマスコミ攻勢も落ち着いた平成2年/1990年に、
「私は前々からソ連のKGBと喧嘩してやろうと思っていました。あいつらに思い知らせてやりたかったんです。個人的な憤怒ですよ。それが告発の唯一の理由でした。KGBに打撃を与えるにはいったい何ができるのか。そう考えてココム本部に手紙を書いたんです」(『月刊Asahi』平成2年/1990年3月号 塩田潮「徹底追跡日本叩き 日米「安保」戦争 東芝機械ココム違反事件の真実(中)」より)
と語ったこれが、最も熊谷さんの心情に近かったのかもしれません。これとて、「唯一の」理由と断定できないでしょうが、しかし社会をよくしようとか、不正を暴くためとか、そういうキレイごとを唯一の理由として選ばないところが、熊谷さんの偉さです。
「偉さ」と言うと語弊がありそうですけど、そこに着地点を求めない割り切れなさとモヤモヤ感が、熊谷さんの小説には確実に息づいていますし、とくにそれが濃厚ににじみ出ているのが『最後の逃亡者』です。もはや顧みられる機会がある作品とは思えませんが、文春の身びいきで候補になった色が多分にあるとはいえ、直木賞というのはそういう賞です。これでいいと思います。
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