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2018年7月22日 (日)

昭和62年/1987年・婦女暴行致傷罪で起訴された同棲相手のことを、記者会見で聞かれた山田詠美。

作家山田詠美さんの小説「ベッドタイムアイズ」のモデルとされる在日米空軍横田基地の技術軍曹A(35)が7日、東京地検八王子支部から東京地裁八王子支部に婦女暴行致傷罪で起訴された。

起訴状によると、Aは3月1日午前4時半ごろ、東京都福生市福生の公園で、帰宅途中の女性(46)に背後から抱きつき、約100メートル離れた自宅に引きずり込んで暴行し、顔などに2週間のけがをさせた、とされる。

――『朝日新聞』昭和62年/1987年7月8日夕刊「小説「ベッドタイムアイズ」のモデル黒人兵、女性暴行で起訴」より

 直木賞の受賞記者会見というのは、直木賞全体から見るとかなり局所的なイベントですが、それでも毎回、確実に関心をそそられます。

 その会見のなかで、直木賞史上最大の盛り上がりを見せた、と語り継がれているのが、第97回(昭和62年/1987年上半期)。いまから30年余りまえの、夏の出来事です。

 いつもは冴えない文芸記者しか集まらない会見場に、テレビから週刊誌からゴシップ誌から、カメラとフラッシュを抱えた取材陣が群れをなして押し寄せ、まるで芸能人の会見かと思わせた、と形容されるほどの千客万来ぶり。少なくとも文芸関連の行事という穏やかな様子は一変し、直木賞・芥川賞は完全にショー化した、というおなじみの論評がこのときも現われ、しかし以来30年、だれもそれを変えようとせず、いまだに「直木賞・芥川賞は完全にショーだ」と批判する人が後を絶たない、という記念すべき第97回直木賞。

 主役となったのは、山田詠美さんです。

 いや、山田さんの華やかさや話題性も相当でしたが、それだけが大勢の取材陣を動かしたわけではありません。直木賞の会見風景を一気に変貌させたその最大の要因は、明らかにひとつの犯罪事件でした。否定する人はいないと思います。

 報道によると、昭和62年/1987年3月1日明け方5時半ごろ。東京都福生市に住む会社員、46歳の女性が徒歩で帰宅中、ちょうど「わらつけ公園」を歩いていたところ、何者かに突然抱きつかれ、100メートルほど離れたマンション3階の一室に、強引に連れ込まれる事件が発生します。加害者は抵抗する女性を殴りつけ、レイプに及んだとのこと。被害を受けた女性はそのマンションの住人でもあったため、加害者の人体は把握しており、3月4日に被害届を警察に提出。その加害者とはアメリカ国籍をもつ氏名カールビン・ウィルソン35歳(ケルビン、カルビンと表記する文献もあり)、米軍横田基地の航空貨物補給部で働く技術軍曹で、福生署の捜査員は性犯罪ということもあって慎重に裏づけ捜査を進めますが、事実関係の捜査がかたまり、6月17日に逮捕。7月7日、東京地裁八王子支部に起訴されました。続報によれば、同年12月23日に同支部にて、求刑懲役四年に対し、懲役三年六か月の実刑判決が言い渡され、刑に服すことになった、ということです。

 そのウィルソンさんは、山田詠美さんの当時の同棲相手。処女作『ベッドタイムアイズ』のモデルのひとりとも言われて、デビュー直後から数々のメディアに取り上げられた山田さんとともに、マスコミに幾度となく登場していた人ですが、犯行のあった当日、山田さんはバリ島に取材旅行に出かけていて不在、その留守宅が犯行現場になった、という話から、二人の仲は最近ギクシャクしていたとか、山田さんの浮気に心痛めたウィルソンさんがそのフラストレーションを爆発させたのではないかとか、どうでもいいといえばどうでもいい事情が、週刊誌を中心に報じられます。

 ここで、いつもなら世の注目を浴びるのは芥川賞です。しかし、このときばかりは偶然にも直木賞に風が吹きました。7月7日起訴のニュースが新聞に載った翌8日、同じ日に日本文学振興会から直木賞・芥川賞の候補作の情報が解禁され、山田さんの名前が、それまで3度候補になった芥川賞ではなく、はじめて直木賞のほうの候補に入っていたからです。選考会は一週間後の7月16日。直木賞で山田さんの候補作はどう扱われるんだ、権威ある偉い人たちはまさか犯罪者の同棲相手を許したりしないだろうな、落ちろ、いや受賞して叩かれろ……などと、多くの記者やライターたちがウキウキと心を弾ませた、といいます。

 つまり「権威ある文学賞」と「犯罪事件」というイメージの落差に、多数の人間が魅了された、と言っても間違いではないでしょう。

 ひょっとすると第85回(昭和56年/1981年・上半期)ホンモノ芸能人・青島幸男さんが受賞したときや、第94回(昭和60年/1985年・下半期)テレビでおなじみ林真理子さん受賞のときを、しのいだのではないかと言われるほどの大量の取材陣が、直木賞という小さな行事のために予定を調整し、暑いなか都内ホテルの会見場に足を運ぶことになった、というわけです。

 景気のいい時代の日本人は、なかなかの浮かれ調子で、馬鹿なことをやっていたもんだな。あはははは。……と素直に笑えないのが、またつらいところです。

          ○

 山田さんの『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』は、最終選考会でもかなりの高評価を獲得して受賞が決まります。もうひとりの直木賞受賞者、白石一郎さんと芥川賞の村田喜代子さんは、ともに福岡在住であって地元で待機。当日夜、東京會舘での受賞会見に現われた山田さんひとりに、すべての報道陣の注目は集中しました。

 新喜楽のほうで行われた、田辺聖子さんによる選考経過会見でも、「逮捕された恋人」に関する質問が飛んだと言いますし、山田さんの会見も、それに関する質問でずいぶんと時間が使われたようです。

 直木賞の受賞と、同棲相手の逮捕。この二つのまるで関係ないことを、いったいどうやって組み合わせて質問したのでしょう。どう考えても無理があると思います。

 しかし、無理がある、と感じるのは、こちらが直木賞に興味があってそればかり観察している、世間一般でいうところの変人だから、なのかもしれません。

 普通一般の感覚では、『ソウル・ミュージック・~』のことよりも、恋人が逮捕されたいまの気持ちを、受賞会見の華々しい場でどんなふうに話すのか見てみたい、ということなんでしょうか。ちなみに当日のマスコミの様子を、山田さんはこんなふうに書き残しています。

(引用者注:受賞の報せが入ると)私を罪人扱いしてた新聞記者たちも、突然、味方になって、本当に人間て不思議。昼間、編集部に電話をかけて来て「今日はいよいよ、山田さんに審判がくだる訳ですが」と、ほざいたサンスポの女記者は、いったい、どうゆう気持だったでしょーね。私、あんた達が私に対してやった事、絶対に忘れないよ。

(引用者中略)会見で、馬鹿なレポーターの質問にまた腹を立てたけど、今日は、みいんな許しちゃう。」(昭和63年/1988年3月・講談社刊 山田詠美・著『私は変温動物』所収「酒中日記」より ―初出:『小説現代』昭和62年/1987年10月号)

 「審判がくだる」……直木賞のことを何と勘違いしているのか、よくわかりませんが、ともかく恋人の逮捕と直木賞の選考について、何かこちらには解き明かせない不思議な思考回路で、両者を緊密に結びつけることができる脳をもった人が、一人二人ではなく、けっこうたくさんいたらしい、ということは想像できます。

 過去にかぎりません。どうやらいまもいるらしい、ということは、リアルタイムの受賞会見を見ていると容易に推測できます。どうしてあそこで、そんな質問をするのだろうと不思議に思う感覚と、それを聞くことの何が悪いのか、みんな罪人の恋人について知りたがっているんじゃないか、と堂々と質問する感覚。……交わりそうで交わらない並立した認識の違いが、たしかにこの世には存在し、それが直木賞のまわりにも厳然としてあります。

 そんな質問やめればいいじゃないか。もっと作品のことを聞いたらいい。などなど、キレイごとなら何とでも言えます。だけど解決策は見えません。30年間、いやもっと以前からずっと、解決できていません。このモヤモヤを目に焼きつけるのが、半年に一度の直木賞受賞会見という場なんでしょうか。それも、直木賞の楽しさを生み出すひとつじゃないかと覚悟して接する以外、いまのところ、現実に採用できそうな策は思い浮かびません。

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