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2018年6月10日 (日)

第12期のテーマは「犯罪」。法をめぐる雑多なエピソードから直木賞の歴史をたどってみます。

 直木賞とは何でしょう。文学賞の一種です。当たり前ですね。すみません。

 ところで、文学賞とは何なのでしょう。言うまでもなく「賞」のひとつなんですが、これまで人類が何千年、何万年と歩みながら、おのずと築いてきた社会組織という枠組みのなかで、時代や環境に応じてさまざまにルールをつくり、または破壊したりと、紆余曲折、試行錯誤するところに「賞」という様式が発生、そこから分かれ分かれて発展した枝葉のうちの、ささやかな一形態だと言うことができます。

 と、そんな大昔のハナシは置いておきましょう。20世紀から21世紀にかけての文学賞が、人が人を褒める、という単純な構図から大きく飛躍し、一定の集団・文化圏・社会のなかで別種の性格を担うものに変容してきたことは、多くの人が実感していると思います。「直木賞」といえば、小説や出版とは関係のない分野でも、「小説界における代表的な輝かしい功績」として、当然のように扱われているのが現実です。いったい直木賞とは、そんなにスゴくてエラいものなのか。……いや、スゴくてエラいのかもしれません。ただじっさいは、社会的にそう位置づけているだけで、一人の構成員である自分は、その前提を無意識に受け入れているだけ、という面も否定できません。

 まあ、いろいろ考えたところで、こんなものに結論はなく、だからこそ直木賞に接するのはいつだって面白いのだ、とも言えるんですが、そういう面白さに寄りかかり、身をゆだねつづけて、このブログも12年目。今年は、そんな直木賞と、もうひとつ別の社会現象を組み合わせることで、多種多様な姿をもつ直木賞の一面を、つらつら見てみようと思います。別の社会現象……いわゆる「犯罪」と呼ばれるものです。

 日本語に「賞罰」という単語があります。賞と罰とは、どうやらワンセット、対義の存在と見て差し支えなさそうです。「罰」がイコール「犯罪」とは限りませんけど、しかし見渡してみれば、文学賞のなかでもとくに直木賞(ともうひとつの兄弟賞)のこれまでの扱われぶりは、案外と犯罪報道とか犯罪記事を連想させるものがあります。個々の事例や、ひとりひとりの受け取り方は幅広く、だからこそ批判や賞賛や野次やクソリプが大量に飛び交っているのに、一般的な通念ということでまとまると、どちらも無条件のままに善(もしくは悪)だと認識されてしまっているからです。少なくとも、そのように見えます。

 あるいは、直木賞も犯罪も、だれかが決めた規範や基準がもとになっている、そこにニュース価値があると認める人たちがいて大っぴらにさらされる、という類似性は、たしかにあるでしょう。そんなこんなを踏まえたうえで、これから一年間は、直木賞に何らかつながりのあった犯罪事件を取り上げていくことに決めました。いうまでもなく、直木賞だからといって一様に褒め称える気はありませんし、犯罪と言われたものをひとまとめに糾弾するつもりもなく、現象を現象として並べていくことを、まずは重要視したいと思っています。

 だけども一年は約50週。一週に一エピソードとして、そんなにたくさん事例があるんだろうか。正直、不安ばかりが募りますが、一度決めたことをやめるのも面倒です。直木賞そのものにつながりはなくても、この賞の受賞者、候補者、選考委員などの個人のことに対象を広げて、微罪、冤罪、そのほかもろもろ含めて、昭和9年/1934年から始まった直木賞80余年の歴史を、犯罪というものを軸にたどってみます。例年どおり、なかなか時系列どおりには書けないと思いますが、とりあえず最初は、直木賞と直結した、この賞の兄弟的な事象だと断言してもいいくらいの、たしかに犯罪だと当時の人たちが考えたことがわかっている、一つの事件からスタートです。

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