『日輪』…将棋の世界を描いた吉井栄治、何の奇跡か直木賞候補になる。
昔の直木賞のことなど調べて何の意味があるんだ。と、よく言われます。
いちいち意味を考えて、そこに価値があると判断してから動くような、スマートな生きかたがどうしてもできません。何の意味があるのか、自分でもいまだに不明です。
……ということを改めて思い返したのは、春日井ひとしさんが平成25年/2013年から作成されている冊子《昭和八年 文学者のいる風景》シリーズというものがあり、少し前に、その8編目に当たる『昭和八年の織田作之助・上 三高の青春』(平成30年/2018年1月)を頂戴したんですが、うはあ、細かいところまで調べ上げているぞ、さすがだなあ、と感嘆しながら読んでいたところ、織田作之助さんの高津中学時代の親友、吉井栄治さんのハナシがそこに出てきたからです。
吉井さんという人は、直木賞の候補一覧の、第23回(昭和25年/1950年・上半期)のところに登場する人物ですけど、ふつうに暮らしていて、まず目にする名前ではありません。いったいこの人は何者なのか。候補作はどんな作品なのか。どうしても知りたくなって、やむにやまれず調べたことがあります。
いまだったら、このブログに書くところですが、当時はまだ本体のサイトしかなかったので、「小研究」コーナーに「将棋・オダサク・直木賞~吉井栄治メモリアル」という調査ページをつくりました。かれこれ10数年前のことで、まだ『文学雑誌』に杉山平一さんが存命だったころです。問い合わせの手紙を送ってみたら、ご返信があったんですが、そこに杉山さんがこんなふうに書かれていたことを思い出します。どうして、いま吉井栄治などに興味をもったんですか――と。
どうしてなんでしょう。答えは見つかっていません。だけど、いつの時代の直木賞でも、それに関わるあれこれを知るのは無上に楽しい、というたしかな実感だけはあります。それで十分といえば十分です。
と、10数年前にやっていたレベルから、いまも全然成長していなくて、まあこれが自分の限界だから仕方ないんですが、吉井さんの候補作が載った同人誌『日輪』を、いま一度「同人誌と直木賞」のテーマのなかに置いてみると、他とは明らかに違う様相、性格、歴史的背景をもった一誌だと、これは断言することができます。
直木賞が同人誌の、とくに東京以外で発行されている同人誌の掲載作を当たり前のように候補に挙げはじめるのは、昭和30年/1955年前後からです。ちなみに『文學界』で同人雑誌評がスタートしたのが昭和26年/1951年、『新潮』で全国同人雑誌推薦小説特集をやり出したのが昭和25年/1950年で、文芸出版社の同人誌に対する注目度が勢いよく増していた状況が、なぜか大衆文芸を標榜していたはずの直木賞にも波及したという、なかなか震える展開を見せた一現象ではあるんですが、『日輪』から候補が選ばれたのは、それよりもっと前の時代です。
関西方面でこっそり出された、有名でも何でもないこの同人誌が、日本文学振興会の予選の人たちの知るところとなったのは、何の風が吹いたのでしょう。たまたまだとしたら奇跡に近く、やはりこれは当時、候補作選びの参考アンケートを依頼される立場だった藤沢桓夫さんが、推薦したのに違いない。可能性としては、それぐらいしか思い浮かびません。
『日輪』は、そのころ芦屋市に住んでいた中野繁雄さんと吉井さんが、おそらく戦後に湧き上がったお互いの創作欲をぶつける場として創刊したものと思われる、ほんとうに小規模な雑誌です。じっさい創刊経緯は不明なんですけど、編集兼発行人は最初から最後まで中野さん、ただし創刊号のみ、編集部は吉井さんの自宅に置かれたようです。
中野さんのほうはともかく、吉井さんは昭和14年/1939年に織田さんに誘われて『海風』に加わると、『大阪文学』(昭和16年/1941年~昭和18年/1943年)へと移り、戦後には、藤沢桓夫さんが中心となった『文学雑誌』(昭和22年/1947年~)に同人として参加、『文学雑誌』が休刊していた昭和24年/1949年から昭和25年/1950年のほんのいっとき、『日輪』を興して作品を発表しました。『文学雑誌』はまもなく復刊して、のちにまで残りましたが、『日輪』のほうはすぐにつぶれてしまった、と見られます。
かたや、戦後ぐずぐずしながら昭和24年/1949年にようやく復活した直木賞ですが、復活の第1回(通算第21回)が富田常雄、第2回が山田克郎と、選考委員のお仲間か、ちょっと後輩ぐらいの、作家歴の古い人に贈られ、第23回(昭和25年/1950年・上半期)にいたってその路線がくっきり明瞭になってしまいます。「今さらか、みたいな人ばかりが受賞して、つまらないな」という感情は、いまの直木賞をリアルタイムで見ている人たちには共感できるものかと思いますが、当時もそういう批判が直木賞に対して結構飛びました。
だけども、そういうなかで、吉井栄治という、世間でおなじみじゃない人を、しれっと候補に選ぶこの心意気。単に藤沢桓夫さんの(文藝春秋周辺における)存在感が、当時は尋常じゃないぐらい重かった、ということかもしれませんが、大衆文芸の新人を同人誌から発掘しようという風潮のまだ薄かった昭和25年/1950年に、それをやってのけた直木賞の姿を見て、ワクワクと心弾まない人がいるのだとしたら、そういう人はどうかしていると思います。
○
それで、どうして、いま吉井栄治なのか。かなりの難問です。
……ひとつ可能性の光明を探すとすれば、最近の将棋界の盛り上がりに便乗する手があるかもしれません。
便乗と言うとウサン臭いですけど、80余年を数える直木賞の長い歴史のなかで、将棋の棋士がメインで描かれた候補作は、まったく皆無だったわけではありません。角田喜久雄さんの『妖棋伝』を加えるとすれば3つ、しかし確実にそうだと言えるのは、宮内悠介さんの『盤上の夜』(に収録された「千年の虚空」)と、吉井栄治さんの「北風」です。
「北風」は『日輪』の第2号に掲載された、ものの40枚にも満たない短篇ですが、主人公の〈彦沢銀六〉は大工の家に生まれながら、賭将棋にハマっていた父の影響もあって、子供のころから将棋を差し、やがて棋士になるぞと大望を抱くと、大阪でも有数の棋士だった辻八段の内弟子に。街場の倶楽部では、だいたい勝つことができていたのに、道場に入ってみれば、みんな自分より強い奴ばかりで、自信をなくす日々が続きますが、そんな折りに心の支えになったのが、道場の近くにある煙草屋の看板娘〈初枝〉です。年上で、どことなくイヤらしい媚態をみせる初枝に対する憧れ、あるいは悶々とした気持ちが、対局中の銀六の心をかき乱し、期待の新人として頭角を現わしはじめた銀六の、勝負のうえでの障害となりますが、それを心配した師匠の辻は、いっそのこと初枝と結婚してしまえ、とアドバイスし、辻が仲人となって結婚の話はトントンと進むことになって、いよいよ銀六も、これで将棋の世界に身を入れようと将来への展望が見えかけたところで、やってきたのが召集令状でした。……
そして戦後、故郷と実戦から6年も離れていた銀六が復員して以後の、せつないその後が語られる、大阪の将棋界を舞台にした悲話のひとつです。直木賞の予選通過作として選考委員会にまで上げられ、しかし選考会では有力な候補5つのなかに残れずに落選。選評で触れる委員もほとんどいませんでしたが、だいたいいつもスッとぼけた選評を書くことでおなじみ感のある木々高太郎さんが、
「僕はこの人(どんな人か全然知らない。)は書けると思ふ。もう一歩と言ふところだが、本人が私小説が文学の一層いゝものだと考へるのをやめると、大衆文学の書ける人であるが、仲々これはやめまいと言ふ感じだ。とに角、僕は注目してゐることを特に附言して置き度い。」(『オール讀物』昭和25年/1950年11月号より)
などと、珍しくイイことを言っています(いや、すでにこれがもう、スッとぼけた評だ、という説はあり得ますけど)。
しかし、木々さんの発言に耳を傾ける人が少なかったか、吉井さんが〈大衆文芸〉に抵抗したか、そこは不明ですが、吉井さんの小説が商業出版の上に乗ることはありませんでした。『朝日新聞』きっての(?)将棋観戦記者として、将棋に関する観戦記、読み物の類は数多く残されたものの、将棋界を舞台にした吉井作品は、ワタクシ自身、「北風」以外に目にしたことがありません。
果たして〈彦沢銀六〉にモデルはいるのか。あるいは大阪の将棋界と文芸界はいかなる関係性があったのか。きっとそのあたりに詳しい人がいると思うので、将棋小説のアンソロジーが編まれる折りには、ぜひとも解説などを付けてもらうことにして、直木賞は決して売れている人や、商業出版界に席のある人だけを相手にしていたわけではないという、「受賞作」一覧を眺めているだけではわからない、昭和25年/1950年当時の直木賞のけなげな一面を、この吉井栄治「北風」を復活させることで、世に伝えるかたちになっていってほしいな、と願っています。
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