『小説会議』…直木賞はなかなかとれず、でも賞を目標にはしないと言い切る大衆文芸グループ。
『小説会議』
●刊行期間:昭和31年/1956年11月~昭和56年/1981年11月(25年)
●直木賞との主な関わり:
今週の主役『小説会議』は、これまで取り上げてきた同人雑誌とは、画然たる違いがあります。「大衆文芸」の同人誌であることを、声高らかに標榜していたからです。
いまとなっては、「もうそんなのどっちでもいいじゃん」とツッコみたくなる案件ですけど、しかし出版事情も、人間の心理も、この何十年かで大きく変わったはずなのに、いまだに「純文学と大衆文学の区分けなど、何の意味もない!」と、どこか不愉快そうに言い募る人が、けっこう居残っています。こう発言したがる、ということは、「現実に、純文学と大衆文学は区分けされている」と、認識している人がいまでもいるんですね。当然、こういう議論は、ただボーッと80ン年の直木賞史を眺めているだけでも、気持ちわるくなるほど数多く目に入ってきますので、よっぽど、みんな口を出したくなるテーマなのでしょう。
まあ、ワタクシもそのひとりなので、人サマのことを言えた義理じゃないんですが、とりあえず、大衆文芸というものの立ち位置の歴史は、たしかに、見ているだけでエキサイティングです。無数にある直木賞の魅力のなかでも、この「大衆文芸が負ってきた歴史」からくる面白さは、相当な量を占めていると思います。「文学といえば別に本道がある、大衆ナンチャラなんか傍流中の傍流じゃないか」と、意識裡に、無意識裡に思われていたさなか、文学のほうの芥川賞に比べて何百分の一、何千分の一程度しか注目されずに誕生した、という経緯からして、バツグンの魅力を放っています。
そして、昭和30年代から昭和40年代、直木賞は同人雑誌に積極的に手を伸ばそうとします。この時期、同人雑誌界の充実ぶりは右肩あがりで、数も種類も増えつづけていました。なかで、ひとつの特徴と言っていいのが、大衆文芸の世界にも有力、有望視される同人誌が生まれたことでしょう。双璧をなすのが、『近代説話』(昭和32年/1957年創刊)と、『小説会議』(昭和31年/1956年創刊)です。
『近代説話』については、いずれ触れる機会もあるので、ここでは深く立ち入りませんが、どちらの雑誌も、「すでに懸賞小説で選ばれた実績のある、新人の若手たちが集まってできた」という共通項があり、また、直木賞に何度も何人も候補に挙げられた、という点でも肩を並べました。両方を掛け持ちした同人もいます。
しかし、両者のその後の道のりは、大きく変わっていきます。『近代説話』からは、そこに掲載された作品で直木賞を受賞する人が続出、直木賞史上もっとも愛された同人雑誌の地位を確立し、いまも語り継がれる存在にまでなりました。
当時の、同誌の勢いはすさまじいものがあり、同人だった尾崎秀樹さんなどは、大衆文芸や直木賞受賞者の素顔を語れる稀有な人材としてフル回転。ライバル誌、というか類似の雑誌として、こちらも何度か直木賞の候補を出していた『小説会議』も、メディアの注目を集めるほどの『近代説話』の活躍に脱帽、改めてお礼を語っているほどです。
「それにしても、志を同じくしている「近代説話」の躍進程心強いものはない。われわれの前途に、大きな光明と自信とを植えつけてくれる結果になったことに対し、ここにお礼を申述べたい。われわれも似た山道を、営営として死ぬまで登り続けてゆきたい。」(『小説会議』13号[昭和36年/1961年5月]「編集後記」より ―署名:谷中初四郎)
しかし、こちらの『小説会議』は、候補になれどもなれども賞を贈られることはなく、創刊時の同人20人のうち、直木賞候補になった人は7人、うち2人しか受賞しませんでした。賞の面では大きな差がつき、それが影響してか、いまにいたっても『近代説話』に比べて顧みられる機会のかなり少ない雑誌となっています。
せっかくなので、ここに創刊時の同人名を挙げておくことにします。生田直親、井口朝生、伊藤桂一、池上信一、氏家暁子、太田久行(童門冬二)、小橋博、阪本佐多生、早乙女貢、高村暢児、田島啓二郎、豊永寿人、畷文兵、中川童二、福島郁男(赤江行夫)、福本和也、松浦幸男、村上尋、森山俊平(川上直衛)、輪田加寿子。
……読んだことのない作家ばっかり、といえば、ばっかりです。
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