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2017年11月19日 (日)

『早稲田文学』…直木賞作品とは思えないものを候補にする、不思議な直木賞。

『早稲田文学』(第三次)

●刊行期間:昭和9年/1934年~昭和24年/1949年(15年)

●直木賞との主な関わり

  • 佐藤善一(候補1回 第20回:昭和19年/1944年下半期)

●参考リンク『文學界』同人雑誌評で取り上げられた『早稲田文学』掲載作一覧

 まだ出たばかりの新刊、小谷野敦さんの『純文学とは何か』(平成29年/2017年11月・中央公論新社/中公新書ラクレ)を読んでいて、思わずひざを打つ思い、と言いますか、こういうかたちで直木賞のことを、折りに触れて書けてしまう小谷野さんの、貴重な仕事ぶりに改めて感嘆しています。

 と言うのも、純文学/大衆文学の差や違いを語るときに、数多くの評論家、作家、文筆家、ライター、文芸記者などなどが、さらっと「芥川賞/直木賞」の枠組みを持ち出してくる場面を、気絶するほど数多く目にしてきました。だけど、じっさいに芥川賞の受賞作や候補作だけじゃなく、直木賞の受賞作・候補作、あるいは通俗的だと言われるユーモア小説の類や、倶楽部雑誌に載っている時代ものや情愛もの、はたまたノベルスを読んだりしているうち、直木賞が大衆文学を代表しているとは、とうてい思えなくなってきます。純文学=芥川賞はいいとして、大衆文学=直木賞、という切り取りかたに、強い違和感をおぼえるのです。

 じゃあ、いったい直木賞は何なのか。……というところで、『純文学とは何か』では「第五章 謎の直木賞」として、直木賞みたいなもののために一章分もページを割き、はっきりこうだと定義できない直木賞の不思議さと特異さを説明してくれています。

 くわしくは、じっさいにこの本を読んで堪能していただくとして、今週とりあげる雑誌『早稲田文学』は、とくに小谷野さんの本とは関係がないんですが、しかし『早稲田文学』に載った小説を候補に挙げちゃう直木賞って、やっぱり謎だよな、と思うしかありません。

 『早稲田文学』はいまも頑張って第十次のものが出ていて、ここから芥川賞の受賞作も生まれているので、基本的には大衆文学のための雑誌とは言えません(いや、基本的もクソもないぐらいです)。第九次以前だって、やはりその性質はさほど変わらず、最も直木賞との関連が深いのは、おそらく第七次に立原正秋さんや有馬頼義さんが編集長をした時代かと思いますが、これとて、こういう人たちがいかに純文学への関心が高かったか、を示すものでしかなく、この雑誌と直木賞とが直結している、と見た人はまずいないでしょう。

 歴史全体を通して、まず直木賞とは世界が違う、としか見えない『早稲田文学』から、唯一、直木賞の候補が選ばれたのは、谷崎精二さんが編集のトップに立った第三次のころ。昭和19年/1944年の下半期です。

 一次・二次と違って第三次は、同人が編集だけじゃなくて販売から何から雑誌経営(お金のやりくり)全般を一手に担う、ということで始めたそうで、当時の編集後記や、谷崎さんの回想、あるいは浅見淵さんの文壇回顧ものを見ても、その苦心惨憺のさまがいろいろ描かれています。同人雑誌でもあり営利雑誌でもある、というのは相反した性質なのかどうなのか、たしかにお金を出して書店で買える同人雑誌は、とくに『早稲田文学』の専売特許でもなかったはずですが、しかし、売れないと続けて出しつづけることができない経済社会のなかの一誌として、何次になっても苦労が絶えないようです。

 そのなかでも『早稲田文学』が、常に持ちつづけたのが、新人作家を積極的に起用する心でした。この雑誌の公募の新人賞は、いままた、続いているのかどうかわからない段階に入ってしまいましたが、第三次の終盤ごろからこの手の企画を繰り返しています。おそらくは、この雑誌の「新しい作家よ出でよ」の精神が、公募賞の開催というかたちで現われているものでしょう。

 谷崎さんの書くところによれば、こうなります。

「営利雑誌となるためには資本が足りないし、と云って純然たる同人雑誌になるためには新人の発見育成と云う、半ば公式に托された任務を捨てなければならない。勿論現在どの文藝雑誌でも新人の発見には努めているが、『早稲田文学』同人の眼ざすところは我々の後継者として新人の育成である。」(『早稲田文学』昭和24年/1949年5月号 谷崎精二「雑誌経営十五年」より)

 ということで、既成の同人だけじゃなく、門戸をひらいて誌面を提供し、新しい人たちにうちの雑誌から巣立っていってもらおう! とこれは、昭和9年/1934年に第三次として復刊して以来、『早稲田文学』のひとつの核ともなり、尾崎一雄、浅見淵、野村尚吾逸見広と、中心の編集担当が変わっても受け継がれていきます。他の商業文芸誌とまざって、新人が作品を持ち込む先に、並の同人雑誌とは違う一種の格のあるメディアとして、どうやら認識されるようにもなったらしく、岩手師範を出て教員をしていた佐藤善一さんの小説が、この雑誌に採用されることになったのも、(おそらく)『早稲田文学』の新人待望熱が強かったおかげでした。

           ○

 佐藤善一さんは、それこそ大衆文学とは縁遠く、もとから純文学の方面に関心が高かった人で、岩手で教員をしながら小説も書き、上京した折りに武田麟太郎さんと知り合って、『人民文庫』周辺の人たちと親しくなります。なかでも、とくに気の合ったのが本庄陸男さん。『人民文庫』のお金の工面に、相当苦労していた本庄さんのために、佐藤さんがいくらか都合してあげたこともあったと言います。

 『早稲田文学』は早稲田の関係者じゃなくてもお構いなく、いいものであれば採用してくれるらしいぞ、と佐藤さんに吹き込んだのが、その本庄さんだったそうです。

 えっ、おれの小説、『早稲田』で見てもらえるの? と一気にテンションの上がった佐藤さんが、小学校に勤めながらコツコツ書いたのが「龍の鬚」。当時、佐藤さんの目に『早稲田文学』という雑誌がどのように映っていたのか、後年のインタビューで語られています。

「もともと『早稲田文学』というのは私のひとつの目標だったんです。(引用者中略)そうしたところが意外にも採用されて、実はびっくりしたわけです。そしてそのあと、主宰者の谷崎精二さんからね、非常にまあ、ほめられたんで、いい気になったんです。(引用者中略)『早稲田文学』といえば、その当時、大きな文学雑誌だったから、どうのこうのといっても、やはり賭けてみようか、という気持ちはたしかにあったわけだなあ。それが、うまくとり上げられたものだから、非常に愉快だったわけですね。」(昭和63年/1988年6月・山口北州印刷刊『対談集 岩手の昭和史』所収「佐藤善一(作家)――文学六十年、作家そして政治家」より ―聞き手:七宮涬三)

 そしてこれが、大衆文壇のほうで注目されることなく、きちんと純文壇で評価されたんですから、筋が通っていて、ほんとよかったです。佐藤さんも大喜び。

 と、このまま行けば、どこにも波風が立たず、せまい純文壇の切った張ったのモメゴトが、外の平和な世の中に漏れることもなかった……かどうかは、よくわかりませんが、しかし文学のために貴重な時間を費やしていた佐藤さんが、怒りや不愉快を感じることはなかったかもしれません。

 昭和19年/1944年下半期。と言いますから、候補作が決まって選考会が行われたのは昭和20年/1945年はじめ、という第20回の直木賞・芥川賞。どう見たって、こんな状況で文学賞とかやりますか、純文学とか大衆文学とか言っている場合ですか、というツッコみが入りそうな昭和20年/1945年。無理して、かたちだけでも候補作を揃えたんだろうな、と思えるラインナップが、直木賞のほうで展開されてしまいます。

 『早稲田文学』に掲載された佐藤さんの「とりつばさ」を、谷崎精二さん、宇野浩二さんなどは芥川賞の候補に推したのに、これが直木賞の候補に決まったものですから、とくに宇野さんなどは憤慨した。と、これは以前、うちのブログでも紹介したことがあります。

 佐藤さんもまた、自分の作品が直木賞候補!? ということで、ずいぶんスネちゃったようです。

「宇野先生(引用者注:宇野浩二)から直木賞ではどうだ、ということで連絡があったんだが、私はもう、「なに直木賞ならいりません」、っていった。もっともね私はもともとこの作品が直木賞の対象になるとは考えたこともないから。そしてもしも、貰えるんなら芥川賞の方が欲しいと思ったんで、自分が書く時はそのつもりで書いているし、それがなんとなく直木賞というならば、何たいしたことない、いりませんと、宇野先生に私、いったわけだ。

七宮(引用者注:七宮涬三) そうです。やっぱしいま読んでも直木賞作品では、ちょっとないような気がしますね。」(同)

 そうなのかもしれません。「いかにも直木賞」と言える作品では、たしかにないでしょう。

 だけど、それを候補にしてしまう直木賞の、とても大衆文学代表とは言えないネジくれ曲がった姿こそ、むちゃくちゃ面白くないですか? 本人が「もらえるなら芥川賞のほうだ」というつもりで書いたものを、こっちに取り込んでやろうとする、いったい何の文学賞なのかわからない、不思議で謎な直木賞、ここにこの賞らしさが、あるんじゃないですか?

 『早稲田文学』から候補作を持ってくるような、無理くりの選定にしか見えないこういうところに、「芥川賞が純文学で直木賞は大衆文学」と分けることのできない、直木賞の特性がよく出ていると思います。

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