『炎』…10年つづいて、それぞれの思い出を後に残した、女性だけの同人誌。
『炎』
●刊行期間:昭和35年/1960年~昭和45年/1970年(10年)
●直木賞との主な関わり:
- 村山明子(候補1回 第51回:昭和39年/1964年上半期)
●参考リンク:『文學界』同人雑誌評で取り上げられた『炎』掲載作一覧
どこの同人誌にいた誰それが、よそに移ったり新たな雑誌をつくった……とか、同人同士が糾合したり、仲たがいしたりして、別の同人誌が生まれた、またはつぶれた……とか、同人誌の世界っていうのは、古代中国やら戦国時代をほうふつさせるその、集合体同士の離合集散を含めた興亡史が、なにより面白いことは確実です(なのか?)。
大所帯の有名誌ならともかく、ほんの数年しか活動しなかった、いまはもうなくなってしまった雑誌のことは、ほんとよくわからないので、歴史のかげにうずもれてしまうんですが、そのなかでも、東京で出ていたという『炎』は、多少は語られる機会の多かった雑誌かもしれません。これも、紆余曲折のすえに生まれた雑誌だったそうです。
もとは丹羽文雄さん傘下の『文学者』というチョー有名な同人誌があり、昭和25年/1950年から、十五日会が出していました。これが昭和30年/1955年、惜しまれつつもいったん休刊。それじゃあ私だけで集まって新雑誌をつくりましょうかと、『文学者』同人のなかの女性たち……瀬戸内晴美さんや河野多恵子さんなどが音頭をとって出発を切ったのが同人誌『女流』です。昭和31年/1956年~昭和34年/1959年までつづきます。
ところが昭和33年/1958年、早くも『文学者』が再刊されることになって、『女流』に参加した人たちのほとんどは、『文学者』へ戻っていってしまった、といいます。残されたのは、『文学者』とは、とくに縁のない旧同人たち。んもう、こうなったら自分たちだけで新しいものをつくりますか、と言って立ち上がったのが、『炎』だ、とのことです。
『女流』には第二号から参加した人で、のちに『炎』の生んだ最大の職業作家ともいうべき存在となる、中山あい子さんが書いています。
「私は女流に二度か三度作品が載って、当時の文学界の同人誌批評と云うのに取りあげられ面白いと云われた。云われたがストーリーテラーで、むしろ中間小説だと書かれた。私には中間小説も純文学も分らなかった。
モナミで散々会合を重ね、結局、自分たちで別の新しい本を作ろうと云うことになり、七、八人が残った。勿論そんな頼りない集まりに後援を云い出す会員はなかった。
本の名前を炎と決め、発行所を私の住む英国大使館にし、編集責任者は私になった。校正も印刷も、前の女流の頃に覚えたので、印刷所も暫くは同じ処だった。」(昭和63年/1988年5月・海竜社刊 中山あい子・著『私の東京物語』「同人仲間と東中野」より ―太字下線は原文では傍点)
『文學界』の同人雑誌評で、『女流』掲載作として名が挙がったのは、小滝和子、中野雅子、片野純恵、中山あい子、岸田和子、山村錦子、森志斐子、および〈岡本かの子論〉を連載した西岡久子、といった面々でしたが、これが『炎』に移ってからは、中山あい子、森志斐子、山村錦子という3人の作品が、ひきつづき同コーナーでは数多く取り上げられるようになります。
そこから中山さんは、昭和38年/1963年終盤に、創設されたばかりの第1回小説現代新人賞を受賞、以来中間読物誌を主戦場としながら、エッセイ、対談、テレビ出演で顔と名前がバンバン売れるいっぽう、文学賞という文学賞には何ひとつカスりもしなかったという、身ぎれい極まりない作家人生を歩みました。なので、直木賞とはほとんど関係がありません。
関係があるのは、『炎』で書いてただひとり直木賞の候補に挙げられた村山明子さんです。
この村山さんという方が、まあ謎に満ちた、と言いますか、何がどうなって『炎』に参加し、その後、何がどうなったのか、皆目つかめない人なんですが、『炎』に載せた何気ない一作「指のメルヘン」が第51回(昭和39年/1964年・上半期)直木賞の候補になったり、昭和44年/1969年には「蛙」が、『文學界』同人雑誌評のベスト5に選ばれたりし、昭和45年/1970年に『炎』に終止符が打たれて以降、もはや消えてしまった伝説の直木賞候補者になりかけたところ、昭和57年/1982年になっていきなり、福沢英敏さんの近代文藝社から旧作を集めた『指のメルヘン』を、今沢明子名義で刊行。
昔の自作を同人誌に埋もれさせておかず、とりあえず単行本にして、同時代、あるいは後世の読者にその刻印を伝え残す、という意味では、かなりありがたい出版です。だけど、ひょっとして本人にとっては単なる思い出づくり? ……と心配に思うのは、べつにワタクシだけじゃなかったらしく、この本に寄せた宣伝文で、中山さんも書いています。
「20年経ったいまも、彼女の作品が新しいことに改めておどろいている。
これを機会に今沢さん自身も、もう一度、書く姿勢を取り戻してくれたらと、私は本気で考えているのだ。これをただ思い出の作品集で終らせたくない。」(『群像』昭和57年/1982年12月号「近代文藝社の本」広告より)
しかし、どうやら中山さんの願い空しく、村山=今沢さんが、書く姿勢を取り戻した気配はなかったものですから、ここに一点の曇りもない、消えてしまった伝説の直木賞候補者が完成してしまいました。ああ、どうなったんでしょうかね、今沢さん。
と、ここからは「ちなみに」のハナシなんですけど、『炎』からは一人の直木賞候補者が生まれたあと、3年後に今度は、芥川賞候補者が出ることになります。北條文緒さんです。こちらは、どうなったか不明なんてことはなく、とりあえず、「のちに自分の候補入りをどう感じたか」などの回想文も残っています。賞違いではありますが、後半はそっちのほうで。
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