『文学草紙』…気合をこめて書かれた長ーい作品を、放っておけなかった直木賞。
『文学草紙』
●刊行期間:昭和14年/1939年7月~平成20年/2008年9月?(69年)~
●直木賞との主な関わり:
- 鬼頭恭而(候補2回 第33回:昭和30年/1955年上半期~第57回:昭和42年/1967年上半期)
※ただし第33回は別の同人誌に発表した作品
『文学草紙』といえば鎌原正巳、鎌原正巳といえば『文学草紙』……というのが、やはり最初に頭に浮かびます。戦前からコツコツとモノを書きつづけて戦後には芥川賞候補にも二度挙がりながら、その候補作のひとつ「土左日記」が、『芥川賞・直木賞150回全記録』(平成26年/2014年3月・文藝春秋刊)でもいまだに「土佐日記」と誤植って紹介されてしまっているという、哀しき鎌原さんのホームグラウンドが、『文学草紙』です。
(まあ、うちのサイトもずっと「土佐日記」と間違っていた表記していたので、ヒト様のことは言えません)
同人誌のひとつの理想形、と言いましょうか、好ましい誌歴と言いましょうか。とにかく長い年月この看板を掲げつづけ、途中、自然と休刊に入り、他の同人誌と合体して出したりしたものの、まもなくソリが合わずに離反したりして、「伝統の同人誌」の地位を守りながら、同人たちの高齢化で徐々に「追悼号」ばかりを出す羽目になり、そして誰にも知られずひっそりと静かにその命を終える、まさしく同人誌の鑑のような雑誌です。
当然、そういう空気のなかで起こるいざこざや仲たがい、なんてものはたくさんあったでしょう。現に有力同人でありながら途中で脱退した(そしてのちに復帰した)谷田達彌さんも、「純粋一途を目ざす同人雑誌の仲間のつきあいもなかなか理想的にはいかないようである。」(『新潮』昭和40年/1965年10月号「生きる」より)と書いていますが、その谷田さんによると、『文学草紙』の様子は、こんな感じだったそうです。
「いわば老舗の風格みたいなものがあって、(引用者中略)小説勉強の道場的空気は一寸見ると薄いように思われる。なにがなしトボケているような、また悠揚迫らぬといった雰囲気が漂っているのである。月例の同人会に出て顔を合せるだけでなんとなく小説を書いているような気がしてしまうから妙である。こういう同人誌に入っていると、ガツガツ毎月作品を書いて同人会で朗読するのがなんだか気がひけるような気さえするから妙である。そのかわり五年も六年も一篇も作品を提出しなくても、安心して同人仲間のつきあいができるという温かい友情的雰囲気がたっぷり漂ってもいるというわけだ。」(『新潮』昭和39年/1964年2月号 谷田達彌「忌憚ない批評の結末」より)
ガツガツ派の谷田さんには、何か物足りない環境だったのかもしれません。
古くからいる同人も、やはりその辺の意識は似通っていたらしく、50号記念の座談会で古谷綱武さんと富永次郎さんがこの雑誌の性格について語り合っています。
「富永 それはやはり白刃の上を渡るような精神が欠けているんだよ、文学草紙には。
古谷 昔からあるね、それは。
富永 なんというか文壇に一つの旗風をなびかすということになり得ない弱点があるンだね。と同時に続くという点がある。
古谷 昔からそういう性格をもった同人雑誌だったということはあるね。
富永 とにかくいい悪いは別として、そういう性格でも無理しないでもいいんだ。」(『文学草紙』50号[昭和30年/1955年10月]「文学草紙の歩いて来た道―座談会―」より)
出版界にすでに縁のある出版人、編集者、評論家、そして戦前に作家と認められていた人も含めて、「同人誌で勉強する・勉強し直す」というのは、敬服する姿勢ですけど、その分ガツガツ感が弱まってしまう、ということはたしかに想像できる展開でもあります。
じゃあ何でそんなことを、飽きもせずダラダラ続けるのか。……という自分への問いは、おそらく同人誌をやる人にとっての基本的な「あるある」なんでしょう。外から見れば大半は無益に近いその営みを、しかし自分のなかで消化して、いや消化しきれないままで、えんえんとやりつづけることに、つい親近感が沸いてきてしまうゆえんです。
さて、「これで文壇に出てやろう!」と意気込んでいたか、「文壇なんて関係ないさ」と達観していたか、そんなことは外から見ていても何もわかりゃしませんが、芥川賞ならともかくも、こういうところから直木賞が、なかば積極的に候補作を採ろうとしている姿が、やはり面白くて(……って毎週のように言っていますが、ほんとに面白いので、毎週のように言います)、芥川賞であれば心も浮き立つんでしょうが、ナ、ナ、直木賞ですからね、候補に選ばれた同人誌作家の方も、微妙に困惑したものと思います。
当然、ほとんど直木賞とは縁もない『文学草紙』から、史上ただ一作、候補に選出されたのが、第57回(昭和42年/1967年・上半期)の鬼頭恭而さんによる「回向文」(ルビ:えこうぶみ)です。
同じ回に並んだ候補は、たとえば、生島治郎さんの『追いつめる』、野坂昭如さんの「受胎旅行」、三好徹さんの『閃光の遺産』などなど……。いくら何でも、発表された背景も知名度も流通量も、何もかも違うこの場所に、アノ重厚といおうか、文学の外壁を文学で塗ったかのような小説が、どうして選び出されたのか。困惑の度合いは、「微妙」じゃなくて「かなり」のものがあります。
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