第122回直木賞『長崎ぶらぶら節』~第125回『愛の領分』までの受賞作単行本部数と、全体のまとめ
第122回(平成11年/1999年・下半期)直木賞
第123回(平成12年/2000年・上半期)直木賞
第124回(平成12年/2000年・下半期)直木賞
第125回(平成13年/2001年・上半期)直木賞
部数のテーマも一年がたったので、とりあえず最後にまとめておきます。
直木賞受賞作の、単行本(あくまで単行本です)での歴代売上げランキングをつくるとしたら、おそらくこんな感じです。
- 1. 155万部 浅田次郎『鉄道員』(集英社)第117回・平成9年/1997年上半期
- 2. 117万部 青島幸男『人間万事塞翁が丙午』(新潮社)第85回・昭和56年/1981年上半期
- 3. 66万部 東野圭吾『容疑者Xの献身』(文藝春秋)第134回・平成17年/2005年下半期
- 4. 57万部 高村薫『マークスの山』(早川書房)第109回・平成5年/1993年上半期
- 5. 50万3500部 桜木紫乃『ホテルローヤル』(集英社)第149回・平成25年/2013年上半期
- 6. 50万部 恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)第156回・平成28年/2016年下半期
- 7. 47万部 西加奈子『サラバ!』(上・下)(小学館)第152回・平成26年/2014年下半期
- 8. 46万2000部 向田邦子『思い出トランプ』(新潮社)第83回・昭和55年/1980年上半期
- 9. 45万部 宮部みゆき『理由』(朝日新聞社)第120回・平成10年/1998年下半期
- 10. 43万7000部 佐木隆三『復讐するは我にあり』(上・下)(講談社)第74回・昭和50年/1975年下半期
- 11. 40万部 景山民夫『遠い海から来たCOO』(角川書店)第99回・昭和63年/1988年上半期
- 12. 39万部 桐野夏生『柔らかな頬』(講談社)第121回・平成11年/1999年上半期
- 13. 37万部 奥田英朗『空中ブランコ』(文藝春秋)第131回・平成16年/2004年上半期
- 14. 35万部 原尞『私が殺した少女』(早川書房)第102回・平成1年/1989年下半期
- 14. 35万部 藤原伊織『テロリストのパラソル』(講談社)第114回・平成7年/1996年下半期
- 14. 35万部 池井戸潤『下町ロケット』(小学館)第145回・平成22年/2010年下半期
- 17. 32万部 宮尾登美子『一絃の琴』(講談社)第80回・昭和53年/1978年下半期
- 17. 32万部 小池真理子『恋』(早川書房)第114回・平成7年/1995年下半期
- 17. 32万部 江國香織『号泣する準備はできていた』(新潮社)第130回・平成15年/2003年下半期
- 20. 31万3500部 連城三紀彦『恋文』(新潮社)第91回・昭和59年/1984年上半期
- 21. 30万部 宮城谷昌光『夏姫春秋』(上・下)(海越出版社)第105回・平成3年/1991年上半期
- 21. 30万部 天童荒太『悼む人』(文藝春秋)第140回・平成20年/1998年下半期
上下巻のものは両巻合計、またすべて公称部数として報道・宣伝・発表されたもので、じっさいは多少の誤差もあるでしょうけど、おおよそはこういう並びです。30万部まで行ったものが22作あり、芥川賞の受賞作で、同じように調べると、30万部以上は13作ですから、全体的に直木賞のほうが売上げ好調で、とくにこれは平成(1990年代)以降に顕著です。
……ふふん、そんなことは数字なんか調べなくたって知っているよ。と、モノ知り博士は笑うかもしれませんが、187冊、直木賞受賞単行本と呼ばれるすべてについて調べたかったのに、それはかないませんでした。笑われることより、そっちのほうが悲しいです。
「よく売れた」部類だけを挙げれば、直木賞をとればそんなに売れるのか、と思いたくもなりますが、判明している分だけでも、20万部~30万部のものが21作、10万部~20万部が44作、と比率で見ればそっちのほうが断然、直木賞の中心です。さらにいうと、10万部未満もやはり40、50作はあると推測されます。芥川賞より売れることを誇っている場合ではなく、安定して10万部以上売れる賞でありながら、「最近の直木賞は、昔より売れないんだってよ」と、なぜか馬鹿にされてしまう、直木賞の体質に、私は関心があります。
ということで、まだ取り上げていなかった第122回(平成11年/1999年・下半期)~第125回(平成13年/2001年・上半期)の6つの作品『長崎ぶらぶら節』『GO』『虹の谷の五月』『プラナリア』『ビタミンF』『愛の領分』のことですけど、伝えられている部数は、20万部以上が1作と、10万部台が5作。何ひとつ文句を言える筋合いの部数ではありません。立派そのものです。
ところが、当時の『出版月報』『出版指標 年報』などを当たってみると、まあけっこう、ずいぶんなことを言われています。
「毎回注目度が高い両賞(引用者注:直木賞と芥川賞)だが、文芸書全般が落ち込んでいる中、こういった受賞作関連も今ひとつ振るわなかった。」(『2001出版指標 年報』平成13年/2001年4月「書籍の出版傾向―文学」より)
「直木賞や芥川賞等の受賞作品は、最近今ひとつ元気がない。文藝春秋『プラナリア』などが期待されたが、読者の反応はもうひとつ。」(『出版月報』平成13年/2001年7月号「特集 2001年上半期出版動向」より)
「直木賞、芥川賞受賞作の部数の伸びは今ひとつだった」(『出版月報』平成13年/2001年12月号「特集 2001年出版動向」より)
直木賞をみると、どんな場面でもいつも「いまひとつ」と言いたくなる、人間本来の(?)素直な感覚が、こういうところにも現われているのかもしれません。
○
戦前では、だいたい初版2,000部~5,000部ぐらい。そのうち重版がかかるのは、半分にも満たず、いちばん売れたと思われる堤千代『小指』でも5万部を超えるぐらいだったものが、この水準は戦後に復活したあとも持ち越され、芥川賞作品の売れ行きに注目する人はいても、直木賞のそれを気にする人はほとんど見られず、おそらくはじめて10万部を突破したと認められるのが、昭和27年/1952年下半期の立野信之『叛乱』だったが、しかしその後も、およそ平均的に1万部~3万部程度だった模様。
この状況が変わりはじめるのが、昭和50年代に入ったころで、昭和50年/1975年下半期の佐木隆三『復讐するは我にあり』がベストセラーになり、また芥川賞に村上龍『限りなく透明に近いブルー』が選ばれて、大きな騒ぎに売れ行きがリンクした効果も大きく、直木賞のほうの平均部数もぐんと伸びて、「直木賞は10万部、芥川賞は7万部」と言われる状況に。
以来30~40年ほど、この標準ラインそのものに変化はないけれど、直木賞では20万部、30万部を超える作品も珍しいことではなくなり、従来からの「文芸」グループに含まれる純文芸、中間小説系、いずれも売上げは全体的に凋落傾向にあるので、標準ラインを維持する直木賞と芥川賞は相対的に、売上げに関する期待の目を集めることになって、いまにいたる。
ざっくり見ると、そういうことだろうとは思うんですが、ざっくり見るとだいたいの話はつまらなくなるので、もうちょっと細部を詰めていったほうが、明らかに楽しいと思います。
しかし、けっきょくこれも果ての見えないテーマです。部数に関しては、近いうちに本サイトのほうにも情報を反映させて、更新対象に含めていきたいと思いますが、こっちのブログは、来週からはまた違うテーマで、こそこそやっていくつもりです。
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