第61回直木賞『戦いすんで日が暮れて』の受賞作単行本部数
第61回(昭和44年/1969年・上半期)直木賞
※ちなみに……
第61回(昭和44年/1969年・上半期)芥川賞
直木賞の、文学賞としての面白さは、数えきれないほどにあります。「昔と比べてモノが言えること」なんかも、そのひとつでしょう。
「昔はよかった、でも今では……」とか、「昔は話題にもならなかった、でも今では……」とか。昔のことを引き合いに出したくなる欲求が人間に備わっていることは、私も実体験としてよくわかります。なにしろ、こういう場面では、とくに正確さは求められません。それっぽければ、「何かいいこと言った」感に包まれ、満足できてしまいます。こんなに面白いことはないし、直木賞のまわりには、こういうものが大量に渦巻いています。ハッピー・スポットです。
……といって、いまから紹介するハナシが芥川賞のこと、というのがまた、直木賞の悲しいところなんですが、芥川賞も、昔と比べて言及されることの多い代表選手です。とくに部数に関しては、芥川賞のほうこそ、ポツリポツリと文献に残されてきました。
江崎誠致さんは、もと小山書店に勤務していた経緯もあり、「小説芥川賞」(『別冊文藝春秋』50号[昭和34年/1959年12月])のなかで、火野葦平さんの『糞尿譚』の部数を記しています。
「今から考えれば嘘のような話であるが、その火野葦平の「糞尿譚」が初版はわずか三千部である。しかもはじめは返品さえあった。まもなく従軍中に書かれた名著「麦と兵隊」が改造社から出版され、空前の売行きを見せてから、「糞尿譚」も何度か版を重ねた。といっても、たしか四版までだったと記憶している。
(引用者中略)
「太陽の季節」は別としても、今日芥川賞になりさえすれば、どんな地味なものでも一万部は下らないという。芥川賞に対する一般の関心が高まったことが、こんなところにもはっきりあらわれている。」(『別冊文藝春秋』50号[昭和34年/1959年12月]「小説芥川賞」より ―下線・太字の強調は引用者によるもの)
これが、昭和34年/1959年上半期……第41回ごろの、江崎さんの観測です。第41回の芥川賞は斯波四郎さんの「山塔」で、文藝春秋新社が単行本にしましたが、まさに「地味」そのものと言っていい受賞作で、おそらくこれも初版1万部ぐらいは刷られたんじゃないかと思います。
それから約10年後。今度は、夏堀正元さんが芥川賞の歴史を書かされる羽目になりまして、たぶん江崎さんの文章も参考にしたことでしょう。こんなふうに記録しました。
「この型破りの評判作「糞尿譚」も、初版はわずかに三千部だったということだ。そのうち、従軍中に火野が書いた「麦と兵隊」が改造社から出版されて、空前のベストセラーになってから、それにひきずられるようにして「糞尿譚」も売れたが、四版をかさねたにすぎなかった。その点、芥川賞作品は二万部はかたいといわれる現在とは、比較にならない。」(『文藝春秋臨時増刊 明治・大正・昭和 日本の作家100人』[昭和46年/1971年12月]「ドキュメント芥川賞」より ―下線・太字の強調は引用者によるもの)
江崎さんのころより増えて、2万部になっています。
昭和45年/1970年下半期……ちょうど前週のエントリーで触れた古井由吉さん(第64回)や古山高麗雄・吉田知子(第63回)ごろのハナシです。そこから40年~50年たって、いまでは芥川賞受賞作の初版が5万部平均になったのは、増えたといえるのかどうなのか、よくわかりませんが、江崎さんや夏堀さんには、直木賞作品の部数状況も書き残しておいてほしかったなあ、と心から悔やまれます。
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