第63回直木賞『軍旗はためく下に』の受賞作単行本部数
第63回(昭和45年/1970年・上半期)直木賞
※ちなみに……
第62回(昭和44年/1969年・下半期)芥川賞
第64回(昭和45年/1970年・下半期)芥川賞
第66回(昭和46年/1971年・下半期)芥川賞
なかなか部数にまつわるネタもなくなってきました。今日は、昭和40年代後半ごろ、1970年前後の受賞作を、サラッとさらってみたいと思います。
いまからだいたい50年ぐらい前に当たりますが、このあたりはもう、荒涼・閑散としていると言いますか、部数の不明な受賞作ばかりです。
ベストセラー作家として(も)知られるようになった渡辺淳一さんは、そのころ(第63回 昭和45年/1970年・上半期)の受賞者です。本が売れ出したのは直木賞をとってしばらくしてからなのかと思っていましたが、意外にすぐに売れっ子になったらしく、直木賞をとった昭和45年/1970年には、早くもベストセラーリストに名前が挙がっています。
しかし、売れたのは受賞前から準備していたという書き下ろし『花埋み』(昭和45年/1970年8月・河出書房新社刊)。受賞作(を収録した)『光と影』(昭和45年/1970年10月・文藝春秋刊)も、さすがに売れなかったわけじゃないと思いますが、どの程度の好調ぶりだったのかはわかりません。
『出版年鑑』に書かれた『花埋み』についての解説を見ますと、
「直木賞受賞作品の出版である。9月期からベストメンバーとなり、下半期から'71年はじめにかけて好調な成績である。芥川賞とともに直木賞もまた受賞によって作品の価値を一挙に高め、その出版は売れるというところにも権威があるようだ。」(昭和46年/1971年5月・出版ニュース社刊『出版年鑑1971年版』より ―下線太字は引用者によるもの)
と、かなりのウソッパチが書いてあって、ついズッコケてしまいますけど、このぐらいのゆるい見方が、直木賞には合っているのかもしれません。「直木賞をとったその小説じゃなきゃ、絶対買いたくない」という感覚のほうがズレている、と言われれば、そうかもなあと思ってしまいます。
ところで「芥川賞ととも直木賞もまた」という表現が出てきました。このころは、売れる文学賞といえば筆頭は芥川賞、みたいなイメージがあったことは、どうやら言わずもがなで、この年も清岡卓行さんの『アカシヤの大連』がよく売れたそうです。おそらく年内だけでも10万部近くは記録したんじゃないかと推定され、最終的に17万5,000部まで行ったと伝えられています。
じっさい、直木賞の渡辺さんは、『出版年鑑』と同じところが発行している『出版ニュース』のほうでも、芥川賞の清岡さんとセットでのくくり。
「相変らず芥川、直木受賞作品は売れる。『アカシヤの大連』『花埋み』がそれである。」(『出版ニュース』昭和46年/1971年1月中・下旬号「1970年度全国ベスト・セラーズ調査」より)
ううむ、ここで(おそらく)誰もツッコまなかったところが、直木賞のもつフトコロの深さ、もしくはゆるい部分なのかもしれません。『光と影』の細かい数字は、残念ながら不明です。
何だかんだで芥川賞作品はよく売れる。というのは、昭和43年/1968年の『三匹の蟹』、昭和44年/1969年『赤頭巾ちゃん気をつけて』、昭和45年/1970年『アカシヤの大連』ときての、昭和46年/1971年『杳子・妻隠』。……と、ここらあたりの良好なセールスが培った風評だと思われます。しかし、やはりすべてがそんなに売れたわけじゃありません。
ベストセラーに対する「売れなかったほう受賞作」もいくつもあり、そのことをずっと持ちネタにしているのが、おそらく吉田知子さんです。
「持ちネタ」というほど、たくさん披露されているわけじゃありませんでしたね、すみません。ほんとうに吉田さんの本は売れたことがないのだと思いますけど、第63回(昭和45年/1970年・上半期)の『無明長夜』(新潮社刊)は、史上二番目に売れなかった芥川賞受賞作だと編集者から聞かされた、とのことです。
さすがに戦前には、何千(もしくは何百)といった単位の受賞作はあったはずですし、よほどの少部数でないかぎり史上二番目に食い込むのは難しいと思いますが、ひょっとしてすべての受賞作の部数を調べあげた編集者が、吉田さんのまわりに、いなかったともかぎりません。そういった調査結果が、内輪のおしゃべりに使われるだけでなく、少しでも公になることを、ただ願うばかりです。
○
オモテに出ることの少なかった、当時の部数情報のなかでも、明らかになっている稀少な作品が『オキナワの少年』です。
ほんとに東峰夫さんって人は、芥川賞まわりの(ゴシップを含めた)記事界隈での有名人なんだなあ、と思わされるのは、こういう場面です。そうとう売れなければ部数が公表されることもなかった昭和40年代にあって、「そうとう売れた」わけでもない作品の部数が、ポロッと紹介される機会があるのは、東さんの有名人ぶりのゆえんでしょう。
平成4年/1992年の『朝日新聞』に、芥川賞を受賞したのにその後、発表が途絶えた人うんぬんという、例のテイストの記事が載っています。
「執筆依頼はたくさんあった。すべて断った。決まって「沖縄をテーマに」といわれたからだ。
2つの賞(引用者注:文學界新人賞と芥川賞)の賞金は合わせて35万円になった。東には1年近く暮らせる額だった。本は7万部以上売れ、印税も入るようになった。じっくり次の構想を練ろうと考えていた。」(『朝日新聞』平成4年/1992年2月13日より)
7万部ぐらいだった、ということです。
いつまでも芥川賞のハナシをしていても仕方ないので、直木賞に目を向けたいんですが、このころは直木賞も授賞作なしが頻発しています。そもそも目を向ける対象が少ないうえに、『花埋み』を受賞作だと言われては、立ち上がる気力すら失われてしまいます。
と、そんなときに温かい手を差し伸べてくれたのが、渡辺さんと同時に受賞した結城昌治さんの『軍旗はためく下に』。「相変らず芥川、直木受賞作品は売れる」と書いた出版ニュース社のライターが、ウソつきなどではないことを、身をもって示してくれた受賞作です。
「雑誌連載中(中央公論44年11月―45年4月)から反響があった結城昌治著『軍旗はためく下に』(中央公論社・五八〇円)が、七月初めに発売してすぐ、直木賞を受賞して、人気があおられ、軽く五万部を売りつくしたという。」(『毎日新聞』昭和45年/1970年9月27日「読まれてます」より)
7月の受賞から9月ごろまでには、五、六刷ぐらいまで増刷が進んでいたらしいです。その後もこの本は、長く版を重ねたと見られる優良セールス本ですが、現在の直木賞では「受賞直後に5万部増刷」というのが基本ラインと思われますので、ただごとでない感じで「軽く五万部を売りつくした」と表現されてしまうところが、半世紀近い時の流れ、なんでしょうか、おそらくは。
| 固定リンク
「直木賞の発行・売上部数」カテゴリの記事
- 第122回直木賞『長崎ぶらぶら節』~第125回『愛の領分』までの受賞作単行本部数と、全体のまとめ(2017.06.04)
- 第129回直木賞『4TEEN』『星々の舟』の受賞作単行本部数(2017.05.28)
- 第48回直木賞「江分利満氏の優雅な生活」の受賞作単行本部数(2017.05.21)
- 第16回直木賞「強情いちご」「寛容」の受賞作単行本部数(2017.05.14)
- 第56回直木賞『蒼ざめた馬を見よ』の受賞作単行本部数(2017.05.07)
コメント