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2017年4月30日 (日)

第61回直木賞『戦いすんで日が暮れて』の受賞作単行本部数

第61回(昭和44年/1969年・上半期)直木賞

受賞作●佐藤愛子『戦いすんで日が暮れて』(講談社刊)
3万部弱(受賞後2か月で)→?

※ちなみに……

第61回(昭和44年/1969年・上半期)芥川賞

受賞作●庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(中央公論社刊)
30万(受賞後半年で)45万(受賞後1年で)64万(受賞後2年で)90万

 直木賞の、文学賞としての面白さは、数えきれないほどにあります。「昔と比べてモノが言えること」なんかも、そのひとつでしょう。

 「昔はよかった、でも今では……」とか、「昔は話題にもならなかった、でも今では……」とか。昔のことを引き合いに出したくなる欲求が人間に備わっていることは、私も実体験としてよくわかります。なにしろ、こういう場面では、とくに正確さは求められません。それっぽければ、「何かいいこと言った」感に包まれ、満足できてしまいます。こんなに面白いことはないし、直木賞のまわりには、こういうものが大量に渦巻いています。ハッピー・スポットです。

 ……といって、いまから紹介するハナシが芥川賞のこと、というのがまた、直木賞の悲しいところなんですが、芥川賞も、昔と比べて言及されることの多い代表選手です。とくに部数に関しては、芥川賞のほうこそ、ポツリポツリと文献に残されてきました。

 江崎誠致さんは、もと小山書店に勤務していた経緯もあり、「小説芥川賞」(『別冊文藝春秋』50号[昭和34年/1959年12月])のなかで、火野葦平さんの『糞尿譚』の部数を記しています。

「今から考えれば嘘のような話であるが、その火野葦平の「糞尿譚」が初版はわずか三千部である。しかもはじめは返品さえあった。まもなく従軍中に書かれた名著「麦と兵隊」が改造社から出版され、空前の売行きを見せてから、「糞尿譚」も何度か版を重ねた。といっても、たしか四版までだったと記憶している。

(引用者中略)

「太陽の季節」は別としても、今日芥川賞になりさえすれば、どんな地味なものでも一万部は下らないという。芥川賞に対する一般の関心が高まったことが、こんなところにもはっきりあらわれている。」(『別冊文藝春秋』50号[昭和34年/1959年12月]「小説芥川賞」より ―下線・太字の強調は引用者によるもの)

 これが、昭和34年/1959年上半期……第41回ごろの、江崎さんの観測です。第41回の芥川賞は斯波四郎さんの「山塔」で、文藝春秋新社が単行本にしましたが、まさに「地味」そのものと言っていい受賞作で、おそらくこれも初版1万部ぐらいは刷られたんじゃないかと思います。

 それから約10年後。今度は、夏堀正元さんが芥川賞の歴史を書かされる羽目になりまして、たぶん江崎さんの文章も参考にしたことでしょう。こんなふうに記録しました。

「この型破りの評判作「糞尿譚」も、初版はわずかに三千部だったということだ。そのうち、従軍中に火野が書いた「麦と兵隊」が改造社から出版されて、空前のベストセラーになってから、それにひきずられるようにして「糞尿譚」も売れたが、四版をかさねたにすぎなかった。その点、芥川賞作品は二万部はかたいといわれる現在とは、比較にならない。」(『文藝春秋臨時増刊 明治・大正・昭和 日本の作家100人』[昭和46年/1971年12月]「ドキュメント芥川賞」より ―下線・太字の強調は引用者によるもの)

 江崎さんのころより増えて、2万部になっています。

 昭和45年/1970年下半期……ちょうど前週のエントリーで触れた古井由吉さん(第64回)や古山高麗雄・吉田知子(第63回)ごろのハナシです。そこから40年~50年たって、いまでは芥川賞受賞作の初版が5万部平均になったのは、増えたといえるのかどうなのか、よくわかりませんが、江崎さんや夏堀さんには、直木賞作品の部数状況も書き残しておいてほしかったなあ、と心から悔やまれます。

           ○

 まあ、売れた・売れないのハナシでも、直木賞よりも芥川賞が先行して注目されていた現実は、日本の恥ずべき黒歴史です。突っつき返すのも野暮なことです。

 第61回(昭和44年/1969年・上半期)、直木賞としては珍しくベストセラーに上がる受賞作が出ましたが、このときも芥川賞のほうの一作が、異常に売れてしまったおかげで、当時の直木賞がどのくらい売れるものだったのか、その話題は影に隠れる結果となってしまっています。

 『赤頭巾ちゃん気をつけて』の売れ行きは、かの『太陽の季節』すら軽ーく抜いてしまうほどの勢いがありました。「“異変”に近い」と言われています。

「三十五万部を越えたようだ。さらに第二作『さよなら快傑黒頭巾』の人気にあおられて、年内に四十万部ラインに達するのも不可能ではないという。芥川賞受賞作は、いままで爆発的に売れた例はきわめてまれ。まず“異変”に近いよまれようといえる。」(『毎日新聞』昭和44年/1969年12月14日「読まれてます」より)

 部数に関しては、30万部を超えたころから、中央公論社の広告などでも謳われることになり、『中央公論』誌の出版案内での変遷を見てみますと、

 「爆発的ベストセラー」(昭和44年/1969年12月号)→「30万部突破」(昭和45年/1970年1月号)→「33万部突破」(2月号)→「36万部突破」(3月号)→「38万部突破」(4月号、5月号)→「43万部突破」(6月号)→「45万部突破」(7月号)→「46万部突破」(8月号)→「54万部突破」(11月号)→「64万部突破」(昭和46年/1971年5月号)→……

 その後もさらに伸ばして、最終的な公称部数は90万部。ということで、いまも芥川賞作品の単行本売り上げ歴代5位に踏みとどまっています。

 これと同じときに直木賞を受賞したのが、最近もまたまたベストセラー本を出してしまった佐藤愛子さんです。『戦いすんで日が暮れて』も、直木賞作品としてはかなり売れた部類だ、といっていいと思います。

 しかし、その数は『赤頭巾ちゃん~』とは比較にならなかったらしく、どこまで増やしたかは不明です。

 『毎日新聞』日曜版「読まれてます」コーナーで紹介されたときには、こう書かれました。

「初版が発売されたのは受賞前の四月八日。七月末の受賞と同時に、書店の店頭は品切れになり、注文が殺到、売れぐあいとにらみ合わせて、地道に少部数ずつ版を重ね、じりじりと三万部に近づいた。文芸ものの短編集はふつう一万部どまり。これは短編集としては異例のことといえる。」(『毎日新聞』昭和44年/1969年9月28日「読まれてます」より)

 異例だったんだと思います。

 このあとも『戦いすんで~』は、おそらく少部数ずつ増刷を重ねて、じわじわと売れ行きを伸ばした様子です。日販年間ベストセラーリスト・フィクション部門では、昭和44年/1969年度の第13位、昭和45年/1970年度の第17位と、じわじわ感を見せつけ、同じ期間の『赤頭巾ちゃん~』が第4位→第2位と爆発的だったことに比べると、部数の多さで話題にはならなかったんですが、しかし、直木賞作品のすべてが低調だったわけじゃないんだな、とデータの上からもうかがわせてくれる貴重な一作になっています。

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