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2017年4月 2日 (日)

第120回直木賞『理由』、第121回『柔らかな頬』『王妃の離婚』の受賞作単行本部数

第120回(平成10年/1998年・下半期)直木賞

受賞作●宮部みゆき『理由』(朝日新聞社刊)
22万5,000(受賞前まで)35万(受賞直後)45万(受賞約半年で)→?

第121回(平成11年/1999年・上半期)直木賞

受賞作●桐野夏生『柔らかな頬』(講談社刊)
18万(受賞半月で)39万
受賞作●佐藤賢一『王妃の離婚』(集英社刊)
11万2,000(受賞半月で)18万2,000部部→?

※ちなみに……

第120回(平成10年/1998年・下半期)芥川賞

受賞作●平野啓一郎『日蝕』(新潮社刊)
35万(受賞約1か月で)43万部?

 昭和51年/1976年に起きた『限りなく透明に近いブルー』ショック。売れるといってもたかが知れていた芥川賞の受賞作が、一挙に売れまくった現象として多くの人の記憶に刻まれた出来事です。

 じっさい、売り上げ部数の記録の世界でも、『限りなく~』以前か・以後か、がひとつの分岐点になっています。

 言い換えると、これ以前は、歴代の芥川賞受賞作が何部(何万部)売り上げてきたのか、系統的に調査された形跡がなく、実態がほとんどわかりません。当然、言わずもがなですけど、直木賞の記録はさらに乏しいです。

 ともかく昭和51年/1976年と昭和52年/1977年は、直木賞と芥川賞の受賞作が、1年程度のあいだに軒並み20万部ラインを突破してしまう、というそれ以前にはなかった盛り上がりをみせた2年間だったんですが、その後を見ていっても、1作や2作売れない受賞作が含まれているのがふつうで、受賞作すべてが好調だった期間は、なかなか見当たりません。

 「直木賞・芥川賞といえども話題性がなければ売れない」っていう格言(?)は、何か特定の時代性に依存したものじゃなく、いつだってそうです。まあ、当たり前のことを確認して、年表をたどっていきますと、次に受賞作が全作いい売れ行きを見せた時代は、村上龍さん以来の現役学生の受賞……をきっかけとした、平成11年/1999年の、第120回(平成10年/1998年・下半期)第121回(平成11年/1999年・上半期)かもしれません。

(そんなはずはない! という意見もあるでしょう、ぜひデータをもとにした反論を待っています)

 第119回の大衆文学←→純文学の文芸ビックバンが、騒ぎだけは威勢がよくてそれが売り上げには結びつかなかった。と以前、触れました。しかし、その興奮が残っていたおかげか、いちおう次の第120回は、話題性抜群の芥川賞受賞者が出たおかげで、売り上げへと跳ね返った様子です。

 茶髪にピアスの現役京大生、平野啓一郎さんの『日蝕』が、とにかく煽りに煽られて、調子にのった新潮社が、受賞から半月足らずで約17万部を増刷。そこから続伸して2月の段階で早くも35万部を超えたと言われましたが、残念ながら伸びを欠き、上半期のうちに40万部(平成12年/2000年4月の『出版指標・年報2000年版』では35万部のまま)。3年後の『スポーツ報知』では、

「99年の受賞作で、当時、現役京大生だった平野啓一郎の「日蝕」は43万部のベストセラーに。他の受賞者も受賞前に比べ「本の売り上げが1けた伸びる」(同(引用者注:純文学)関係者)とされる。」(『スポーツ報知』平成15年/2003年8月10日「文学賞からみる本の選び方」より ―署名:勝田成紀)

 と、昭和51年/1976年に起きた伝説の『限りなく~』130万部超えには、遠く及びませんでした。ただ、30万だか40万だかというのは、芥川賞にとっては相当売れた部類に入り、これはこれで、インパクトがあったというしかありません。

 いっぽうこの回の直木賞のほうも、単行本では『日蝕』と同じくらいの部数を叩き出します。この辺が、20数年前との違いかもしれません。

 宮部みゆきさんの『理由』は、平成10年/1998年6月に発行され、翌年の1月に直木賞受賞。のちに朝日文庫に入り、また新潮文庫になって相当部数を増やしたようで、単行本としてどのくらいまで行っていたのか、確実なことはわかりませんが、平成11年/1999年7月の段階で、『朝日新聞』が45万部だと紹介しています(平成11年/1999年7月10日「一からわかる芥川賞・直木賞」)。

 ほぼ『日蝕』と同格のヒット、という感じですけど、これを直木賞の力と見るのは、ちょっと躊躇してしまいます。

 というのも『理由』は、直木賞をとる前にすでにベストセラーになっていて、平成11年/1999年4月刊行の『出版指標・年報1999年版』が、受賞前の数字として挙げたのが「累計22.5万部」。直木賞受賞作でもそうは叩き出せないレベルの部数です。

 こんな売れ筋商品を、2倍にしか伸ばせなかったのが、直木賞のもつインパクト力の限界か。……という感じですけど、20万部も売れている作品に賞を与えるなんて、70年代の直木賞では考えられないことですから、そこにもまた、時代の変化が現われているんだろうな、と思います。

           ○

 平成11年/1999年、夏の第121回(平成11年/1999年・上半期)は、直木賞から受賞作が二つ出ました。

 より売れたのは桐野夏生さんの『柔らかな頬』のほうです。

 一年半前に落選した『OUT』が、選考会のまえまでに約10万部というベストセラーで、落ちてもなお売れ足はつづき、

「最終的には三〇万部をうかがう部数となった。」(平成22年/2010年1月・講談社刊『物語 講談社の100年 第七巻 展開(昭和50年代~平成)』より)

 だそうで、20万部台まで売れました。『柔らかな頬』も、発売直後からベストセラー入りを果たします。

 もう売れちゃった人だけど、そんなことはあまり関係ない、というふうに変貌を遂げた直木賞ですから、『柔らかな頬』にも臆せず賞を与えまして、受賞した7月で計18万部、8月で33万部、10月で39万部と『出版月報』に記録されるほどに、よく売れました。

 前掲の『物語 講談社の100年』では「三〇万部を突破する」と表現されていますので、40万部には届かなかったのかもしれません。しかし半年前の『理由』40万台につづいての、30万台となれば、直木賞もずいぶん様変わりしたものよ、と思います。

 売り上げでは後塵を拝することになった、もうひとつの受賞作、佐藤賢一さんの『王妃の離婚』も、10万部がひとつの目安、とか言われる直木賞受賞作のなかでは、健闘したほうです。

 受賞前にどのくらい売れていたのか、その動向はわかりませんけど、

「直木賞候補作と相前後して出した大作「双頭の鷲」も中世フランスを舞台にした歴史小説だ。これは半年足らずで二万部が売れてベストセラーに。」(『朝日新聞』山形版 平成11年/1999年7月11日「鶴岡の佐藤賢一さん、直木賞候補に」より ―下線太字は引用者によるもの)

 と言われていて、桐野さんに比べればはるかにカワユい部数のなかに生きていたことは間違いありません。

 こちらもまた『出版月報』での数字を見ると、受賞後を含めた7月で11万2,000部、8月には18万2,000部、となっていて20万部にせまる動きを見せました。

 このときは、芥川賞の該当作はなし。次の第122回で『夏の約束』『蔭の棲みか』と、「大して売れなかった受賞作」グループがドドーンとやってきて、「直木賞・芥川賞と帯が付けばみな売れる」の流れを、生み出すことはできなかったわけですけど、やはり、そもそも、そんな流れのあった時代など過去にあったんだろうか、と言う他ありません。

 って、いつもこんな似たようなまとめ方ですみません。直木賞・芥川賞といえばかならず何十万部も売れた、とかいう、そんな時代などなかった。まったく当たり前のことすぎました。

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