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2017年3月12日 (日)

第81回直木賞『ナポレオン狂』の受賞作単行本部数

第81回(昭和54年/1979年・上半期)直木賞

受賞作●阿刀田高『ナポレオン狂』(講談社刊)
10万9,000

※ちなみに……

第81回(昭和54年/1979年・上半期)芥川賞

受賞作●重兼芳子「やまあいの煙」収録『やまあいの煙』(文藝春秋刊)
約5万部→?
受賞作●青野聰「愚者の夜」収録『愚者の夜』(文藝春秋刊)
約5万部→?

 直木賞とか芥川賞に「売れ筋のベストセラー!」っていうイメージが染みついたのは、いったいいつからなんでしょう。少なくとも、これは最近のことではなく、昭和50年代にはすでに一般的な認識だった、と伝えられています。

 そして、直木賞・芥川賞といえば、「まわりの期待はいつも過剰。実態は、そうでもない」っていう、あるあるがあります。これも当時から健在だったようで、じっさいのところは、一般に思われているほどベストセラーが連発していたわけじゃありません。

 ここでいつもどおり、当時の人の発言に耳を傾けてみます。第81回(昭和54年/1979年・上半期)の直後に、芥川賞受賞作を二冊、抱えることになった文藝春秋の営業部長が、さらりと言いのけたコメントです。

「「(引用者注:受賞作の『やまあいの煙』『愚者の夜』の動きは)両方とも地味なもんですよ。第一、芥川賞受賞作だからといって爆発的な売れ方をすると思ったら大間違い。今は各点約五万部発行」と言うのは文芸春秋住営業部長。同氏は続けて、「(引用者中略)芥川賞といっても、もう文学的内容よりも話題性など商品的な力で売れるのだから、そこをシビアにみた売り方をしていかなければならない。その意味では、普通の文芸書の販売方法と大差ないのではないか」と冷静な受けとめ方。」(『新文化』昭和54年/1979年9月13日号「芥川受賞の二作品 店頭の“戦略商品”にも 理想と現実のギャップ」より)

 そりゃそうだろうな、と言うしかありません。

 記事のタイトルに「理想と現実のギャップ」とあります。「理想」って何なのか、だれにとって何を根拠にした「理想」のことを想定しているのか、よくわかりませんが、文意から解釈すれば、「芥川賞の販売力に関して、おおかたの人が持っているイメージ」と、現実とにギャップがある、っていうことです。

 先の『しんせかい』の部数も、とりあえずは5万部余。と考えれば、芥川賞作品のなかでも、地味に動く部類の発行ボリュームは、そんなに変わっていないんだなあ、と思うんですが、38年前だっていまだって、地味な文芸書が5万部も出たなら大したもんであることに違いはなく、そこにとくに文句はありません。

 文句があるとすれば、やはりこの『新文化』の記事が、芥川賞のことしか取材していないところです。

 直木賞はどうなのか、賞の名で売る「戦略商品」じゃなかったのか、まるでわからず、ほんとに困ってしまいます。都合のいいときだけ直木賞を、芥川賞の仲間に含めるくせに、こういうときにはガン無視しやがって、ブツブツ……。

 この年は、田中小実昌という、直木賞を受賞してわずか2か月足らずで今度は谷崎潤一郎賞を受賞してしまう、前代未聞、空前絶後の離れ業をやってのけた人物が登場。谷崎賞の『ポロポロ』はこの年の、文芸界の収穫に挙げるような人も続出し、文芸書としてはけっこう売れた、とも言われます。

 たとえば、中島梓さんなどは、昭和50年代前半の、十代・二十代作家たちによるベストセラーのリストを挙げた段で、小実昌さんのことにも触れながら、こう解説していたりします。

「ともかく、このリストの異常さは、そんなわけで、この人びとの「若さ」や「ベストセラー」の部数にある、というよりは、むしろ、たとえこれが××賞、××新人賞、というかたちであるていどプロデュースされたものであるにせよ、それを真正直につぎつぎミリオンセラーの軌道にのせたわれわれ読者の「意識」にあるのだ、と云えるであろう。この間にも、むろん、もっと年長の芥川賞受賞者、直木賞、賞とはかかわりのないミリオンセラー(たとえば「天中殺入門」や「かもめのジョナサン」や、「にんにく健康法」(!)といったような)が次々とたゆみなく生まれてはいるのだが、それは、じっさい、この「現象」とはあまりかかわりのないところで出版状況の一方に存在しているかにみえる。(引用者中略)五十代の受賞者田中小実昌の「ポロポロ」が三万部売ったという事実もある。」(昭和58年/1983年12月・講談社刊 中島梓・著『ベストセラーの構造』「第五章 下部構造の成立」より)

 どうですか。芥川賞だ直木賞だ、と賞の名前を挙げながら、その受賞者の田中小実昌さんの、売れた本が紹介されるときに、『香具師の旅』ではなく『ポロポロ』が選択されている、この不自然さ。よっぽど『香具師~』のほうは売れなかったのかもしれない、と想像させます。

 泰流社で『香具師~』を担当したのが高橋徹さんです。いわく、自身の編集経験については「たかだか二千から五千部ぐらいの初版部数の本がほとんどで、文芸出版も地味なものしか扱ったことがない」(『早稲田文学』昭和57年/1982年10月号「文芸出版というコンセプトの揚葉」)と表現していて、むろん、これだけじゃ小実昌さんの受賞作がどれほどの部数に行ったかはわかりません。

 ただ、『香具師~』は当時もほとんど、ベストセラーリストに顔を出しませんでした。初版数千から、多少の増刷があって、『ポロポロ』の3万部と同程度ないし5万部前後、ぐらいではなかったか、と推測できます。

           ○

 この回、『出版月報』では、こう観測されていました。

「Q 芥川賞・直木賞の受賞作品の動きはどうですか。」「A 両賞とも2点づつ受賞した時は振わないと言われてきましたが 今回も平均より下回っている状況です。その中で直木賞の「ナポレオン狂」(阿刀田高)の動きが良く 息長く続きそうです。最近は賞が多くなって 受賞作品でも動きが鈍く 注目されるものとしては大宅ノンフィクション賞や群像新人賞等少くなっています。」(『出版月報』昭和54年/1979年9月号付録「出版傾向Q&A」より)

 直木賞と芥川賞がそれぞれ2作受賞だったときは、売れ行きが振るわない。と、すでに言われていたというのは、貴重な証言です。

 ちなみにそれ以前では、第79回(「深重の海」「離婚」「九月の空」「伸予」)や、第72回(「手鎖心中」『斬』「誰かが触った」「いつか汽笛を鳴らして」)、第67回(「雨やどり」『アトラス伝説』「土の器」「あの夕陽」)などが、受賞4作の例です。ほんとに、いずれも振るわなかったのかどうかは、かなり疑問が残ります。

 しかしともかく、阿刀田さんのやつ以外は、平均以下の動きだった、という観測からして、『香具師の旅』『やまあいの煙』『愚者の夜』はやはり、5万部プラスアルファ、程度だったと見て、よさそうです。

 唯一、動きがいいと言われた『ナポレオン狂』も、じっさい、くわしい部数はよくわからなかったんですが、ぐっと時代がくだって平成26年/2014年、『読売新聞』の「ロングセラーの周辺」がこれを明らかにしました。

「1979年に講談社から刊行された単行本は累計10万9000部。82年に講談社文庫に入り、41刷累計45万7000部。」(『読売新聞』平成26年/2014年12月1日夕刊「ロングセラーの周辺 「ナポレオン狂」阿刀田高著」より)

 ぎりぎり10万部超え、というのはいまの直木賞の水準からすれば、さほどの数字じゃない気もします。

 しかし、少しずつ時間をさかのぼっていったところ、どうやら直木賞の標準が10万部、と言われはじめるのは、これより後らしいんですよね。それを考えれば、昭和54年/1979年の『ナポレオン狂』は、直木賞の部数のランクがひとつ上がる、ちょうど端境期にあった作品、と言えると思います。

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コメント

『香具師の旅』が売れずに、『ポロポロ』が売れたというのは、なんとくなくわかりますね。

『香具師の旅』という本は、田中小実昌の既存のキャラクターから想像できる世界が描かれるので、読んでも驚きがないのです。

『ポロポロ』のほうは、あのおじさんにこういう「文学的な背景」があったのかと驚かせる本でした。

投稿: kokada_jnet | 2017年3月18日 (土) 18時15分

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