第84回直木賞『元首の謀叛』の受賞作単行本部数
第84回(昭和55年/1980年・下半期)直木賞
第85回(昭和56年/1981年・上半期)、青島幸男さんの例が、芸能人・タレントによる文学賞受賞の象徴的事件だった、っていうのは疑いないと思います。
当然、これは突然起きたことじゃなくて、前ふりというか、前史があるわけですけど、大きな流れをひとつ言うなら、「文学専門じゃない人たちが、文学の世界に入り込んできた!」みたいな、いかにもマスコミ人種の好みそうな解釈が、1970年代には、流行っていました。「芸能人による文学賞受賞」もその一種、と見ていいんでしょう。
第84回(昭和55年/1980年・下半期)は、直木賞と芥川賞で受賞者がひとりずつ。ともに、作家専業でもなければ、ずっと文学をやってきた人でもありません。
……ってことで、「文学賞をとるのは、そこに人生を賭けて生きてきたような、怨念まみれの暗いブンガク青年」といった、その当時ですら「いったい何十年前のイメージだよ!」とわんさかツッコみが入っていたであろうステレオタイプな感覚が、まだ生きていて、
「(引用者注:授賞パーティーでは)「作家いちずに刻苦勉励の時代はもう終わった」との声も会場には流れていた。」(『読売新聞』昭和56年/1981年2月16日夕刊「第八十四回芥川、直木賞 家族連れ、にぎやかな贈呈式」より)
という微笑ましい(?)記事が、堂々と発表されていた、そんな時代です。
直木賞のほうは、日本航空調達部長の中村正䡄さん。文学的経歴は大学時代の同人誌活動ぐらいまでしかなく、以降はそれとは無縁の社会生活を送り、ほんのひまつぶしに書いた長篇小説が、運よくコネをたどって文春から刊行されると、無名の新人の小説としては、かなり評判がよくて増刷をかさね、直木賞を受賞するまでに、すでに5刷か6刷か、そのあたりまで行っていたらしいです。
具体的な部数については、言及している文献があんまりないんですが、『出版月報』昭和56年/1981年2月号に、こうありました。
「直木賞の「元首の謀叛」も受賞後9万部発行され この賞では最近にない良い売れ行きです。」(『出版月報』昭和56年/1981年2月号「出版傾向Q&A」より)
「良い売れ行き」だったことで知られている宮尾登美子『一絃の琴』が第80回、ちょうど2年前です。第83回の向田邦子さんの『思い出トランプ』は、受賞時に単行本になってなかったので除くとして、この間の受賞作が、そこまで良い売れ行きでなかったことがわかります。
それはそれとしても、『元首の謀叛』は、昭和56年/1981年年間ベストセラーのフィクション部門で、東販調べ15位、日販調べ17位。とけっこうな健闘をみせました。
決してベストセラー作家、売れっ子作家にならず、それどころか職業作家にもなり切らなかった中村さんの、おそらく唯一のベストセラー、という大変正統派な直木賞受賞作となったわけですが、最終的に年間売れ行きランキングでは、吉行理恵『小さな貴婦人』の後塵を拝しているところから見て、部数は12、13万部~15万部ぐらいだっただろうと、推測します。
○
芥川賞のほうこそ、この回は、ある種の有名人が受賞しました。たとえば4年前に池田満寿夫さんの受賞作が、30万だ40万だ売れたことを考えれば、そのくらい伸ばしておかしくなかったんですけど、売れ行きは、さんざんだったらしいです。
芸能界隈をひっぱり込んで直木賞が盛り上がっているぞ、何かムカツくな、っていう世間の風の尻馬にのった『週刊プレイボーイ』が、昭和59年/1984年8月7日号に「落合恵子・林真理子が候補になって… くたばれ!!芥川賞・直木賞」という記事を載せたことがあります。
要するに、「権威にたてつくオレたち、カッコいい」式の、どうやってこの二つの賞をケチョンケチョンに馬鹿にするか、ということだけに身骨をくだいた、おなじみ感にあふれたテイストのもので、こんな記事でだれがどれだけ吠えようが、けっきょく直木賞も芥川賞もくたばらなかったんですが、ここに受賞者のひとりとして、尾辻克彦さんがコメントを寄せました。
「(引用者注:賞金として)50万円もらえて単行本も出してくれるんだから、受賞作家はガッポガッポウッハウハではないのかなあ。第84回(55年)で受賞した尾辻克彦(赤瀬川原平)氏に聞いてみよう。
「ぼくの場合は、本の売れゆきは変わらなかったね。ぼくの本は売れないんだよね。どうしてかな。分かるような気もするけど、ハッキリした理由は分からないな。そのかわりある程度、注文はくるから、最低の生活は保証されるね。(引用者後略)」」(『週刊プレイボーイ』昭和59年/1984年8月7日号「くたばれ!!芥川賞・直木賞」より)
たしかに尾辻さんの言うとおり、『父が消えた』がそんなにバカ売れした形跡はありません。
この年上半期の、取次調べのベストセラーランキングでは、東販が『元首の謀叛』6位に対して『父が消えた』16位、日販が『元首の謀叛』7位のところ『父が消えた』19位。と、受賞の二作は、大きく差がつきました。
売れ行きの芳しくない小説の部数が、公になる機会は、当時はまだほとんどなく、具体的な数字はわかりません。ただ、10万部のラインを突破したとは考えづらく、5万部前後だった、とみるのが妥当なところではないでしょうか。
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