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2016年11月の4件の記事

2016年11月27日 (日)

第40回直木賞『落ちる』と第38回芥川賞「裸の王様」、第39回「飼育」の単行本部数

第40回(昭和33年/1958年・下半期)直木賞

受賞作●多岐川恭『落ちる』(河出書房新社刊)
3万

※ちなみに……

第38回(昭和32年/1957年・下半期)芥川賞

受賞作●開高健「裸の王様」収録『裸の王様』(文藝春秋新社刊)
6万5,000

第38回(昭和32年/1957年・下半期)、第39回(昭和33年/1958年・上半期)芥川賞

候補作・受賞作●大江健三郎「死者の奢り」「飼育」収録『死者の奢り』(文藝春秋新社刊)
5万(受賞前まで)7万

 直木賞の(いや、芥川賞の)部数の世界で、『太陽の季節』22万5千部が強烈な存在感を示したことは、これはもう動かしがたいと思います。

 じゃあ、同じ回(第34回 昭和30年/1955年・下半期)に受賞した新田次郎『強力伝』とか邱永漢『香港』は、どのくらい部数が出たのか。知りたくてしかたないんですが、よくわかりません。……わからないので、『太陽の季節』のすぐあと、部数の件で(も)大いに世間をにぎわした、と思われる芥川賞のハナシでお茶を濁すことにします。

 石原慎太郎さんの場合は、受賞の瞬間はそれほどでもなく、それから後に一気に騒がれたっていう代表的な受賞例ですが、いまワタクシたちの目の前にあるような、選考前から多くのひとに注目されて受賞と同時にどっと騒がれる、っていう芥川賞の姿は、おそらく石原さんから2年後、昭和32年/1957年・下半期から始まったようです。開高健 VS 大江健三郎の世紀の大決戦、ってやつです。

 世紀の、というほど大げさなもんじゃありませんが、とりあえず選考前からわんわん報道陣がやってきて大変なもんだったよ、と開高さんがいろんなところで証言しているので、大変なもんだったのだと思います。

 そんなマスコミの盛り上がりのなか、昭和33年/1958年1月20日に受賞が決定。すると2月下旬から3月上旬にかけて、開高さんの『裸の王様』(受賞作収録)と、大江さんの『死者の奢り』(落選作収録)が、同じ文藝春秋新社から相次いで発売されるという、〈ライバル対決〉を単行本のほうでも実現させる文春の、なかなかの宣伝戦略が繰り出されました。

 まず『裸の王様』ですけど、これがかなり売れたのはたしからしいです。

「私の最初の本は文藝春秋新社からでた『裸の王様』である。昭和三十三年だった。これはたまたま芥川賞について大江君と競争することとなり、マス・コミが宣伝してくれたので、よく売れた。」(平成5年/1993年9月・新潮社刊『開高健全集 第22巻』所収「『裸の王様』」より ―初出:『本の手帖』昭和36年/1963年11月号)

 『出版年鑑1959年版』(昭和34年/1959年5月)を見ると、昭和33年/1958年のベストセラーランキングで第14位。松本清張さんの『点と線』(第19位)とか、山崎豊子さんの『花のれん』(第20位)よりも上です。

 具体的には何万部だったのか。と探していたところ、当時の『週刊読書人』や『日本読書新聞』に、それぞれの書評紙調べで部数が報道されていることがわかりました。

「こんどの芥川賞を最後まで競った開高健「裸の王様」と大江健三郎「死者の奢り」は二月下旬、三月上旬と相前後して発売(ともに文芸春秋新社)売行きの面でも競り合い、前者が五万、後者が三万五千というところだが一週間早くでた「裸の王様」がスタートのよさもあろうが受賞作の貫禄を示した。(引用者中略)しかし両書とも前宣伝は相当なものだったがその割に伸びなかったようだ。」(『日本読書新聞』944号[昭和33年/1958年3月31日号]「出版界レポート」より)

 発売1か月足らずで5万部とか3万5000部も行っているのに、「その割に伸びなかったようだ」と言ってしまう感覚がよくわかりません。やはり発売後一気に10万部とか15万部まで売れたとかいう『太陽の季節』の記憶が、まだ生々しく残っていたんでしょうか。

 両書はその後も、順調に部数を伸ばして、4月半ばで『裸の王様』5万8000部、『死者の奢り』4万7000部(『日本読書新聞』948号[4月28日号])、6月までで前者6万5000部、後者5万部(『週刊読書人』232号[7月7日号])ということになっています。

 しかし年末の年間回顧では、もう書名は挙がっていないので、おそらくどちらも10万部を超えることはなかった模様です。『裸の王様』6万5000部前後だった、と見るのが妥当なんでしょう。

 ちなみに直木賞のほうでは、山崎さんの『花のれん』が、『週刊読書人』254号[12月15日号]「今年の出版界」の記事で、「一〇万部のラインには達しなかったが、(引用者中略)目立った」文芸書のひとつとして挙げられていました。『出版年鑑』の順位では、『裸の王様』のほうが上でしたけれど、部数としてはたぶん、こちらのほうが多かったんじゃないかと思われます。

 で、ここまで引き立て役にまわってきた大江さんの『死者の奢り』。上半期は〈受賞作の貫禄〉ってやつに負けて、ずっと後塵を拝しましたが、7月の芥川賞で、同書収録の「飼育」が受賞することになってしまいます。

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2016年11月20日 (日)

第115回直木賞『凍える牙』、第116回『山妣』、第117回『女たちのジハード』『鉄道員』の単行本部数

第115回(平成8年/1996年・上半期)直木賞

受賞作●乃南アサ『凍える牙』(新潮社刊)
16万(受賞半年で)17万

第116回(平成8年/1996年・下半期)直木賞

受賞作●坂東眞砂子『山妣』(新潮社刊)
約2万(受賞前まで)+7万(受賞した月)10万8,000

第117回(平成9年/1997年・上半期)直木賞

受賞作●篠田節子『女たちのジハード』(集英社刊)
約2万(受賞前まで)+5万(受賞した月)23万7,000(受賞半年で)25万
受賞作●浅田次郎『鉄道員』(集英社刊)
約8万(受賞前まで)+10万(受賞した月)69万(受賞半年で)101万(受賞1年半で)155万

※ちなみに……

第115回(平成8年/1996年・上半期)芥川賞

受賞作●川上弘美「蛇を踏む」収録『蛇を踏む』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)5万部→11万

第116回(平成8年/1996年・下半期)芥川賞

受賞作●柳美里「家族シネマ」収録『家族シネマ』(講談社刊)
27万
受賞作●辻仁成『海峡の光』(新潮社刊)
22万

第117回(平成9年/1997年・上半期)芥川賞

受賞作●目取真俊「水滴」収録『水滴』(文藝春秋刊)
8万

 直木賞の部数をテーマにしてから、だいたい半年。いちおう折り返し地点なんですが、うーん、なかなか難しいです。

161120

 調べやすい1990年代あたりを、小出しに取り上げながら、そのあいだにもっと昔のハナシも調べていこう。と思っているんですけど、どうもうまく行きません。

 歴代受賞作が190冊ちょっとあるうち、これまで触れることのできたのは、60冊弱。まだ3分の1も達成できていません。この分だと、だいたい1年が終わるときには、半分も超えていれば御の字、という感じです。

 来週からは(かなり心が痛いですけど)「芥川賞だけを取り上げる週」っていうのも交えながら、少しずつ直木賞のほうも埋めていこうかと思っています。

 それで今週は、前半のしめくくりとして、「直木賞のほうが芥川賞よりも売れるようになった」時期に当たる、第99回(昭和63年/1988年・上半期)からの分を並べてみました。

 ちなみにこのあと、直木賞は、第115回乃南アサ『凍える牙』が17万部、第116回坂東眞砂子『山妣』が10万8,000部、とつづき、そして第117回には、直木賞史上最大の単行本売り上げを記録する浅田次郎『鉄道員』の155万部、篠田節子『女たちのジハード』の25万部、という流れになります。

 ……なります、といいますか、流れなんかないかもしれません。部数はけっこうデコボコしています。

 受賞作の40%程度は10万部までいったかどうか疑わしく、地味めの作品であれば、そのぐらいが当たり前だった、というのはたしかだと思います。それでも過半数が10万部を超えてしまうのが「腐っても直木賞」と言われるゆえんかもしれませんが、20万部、30万部まで伸びる作品は、かなり限られています。

 こういったなかで、いきなり100万部以上の世界にまで飛び出した『鉄道員』のスゴさが光りますけど、アレはほんとに特例中の特例。とうてい基準にはならないので、今回のグラフにも入れませんでした。『鉄道員』抜きでも、直木賞の部数はほんとうに順調で、そのあとも、ほとんど不調の影は見られません。

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2016年11月13日 (日)

第114回直木賞『恋』『テロリストのパラソル』の単行本部数

第114回(平成7年/1995年・下半期)直木賞

受賞作●小池真理子『恋』(早川書房刊)
2万~3万(受賞前まで)+8万(受賞した月)29万(受賞約1年で)32万
受賞作●藤原伊織『テロリストのパラソル』(講談社刊)
初版5万部→25万(受賞前まで)+2万(受賞した月)35万

※ちなみに……

第114回(平成7年/1995年・下半期)芥川賞

受賞作●又吉栄喜「豚の報い」収録『豚の報い』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)4万部→13万

 芥川賞の特徴のひとつに、「こいつさえ叩いておけば、当座すっきりする」という性質があります。「昔はよかったなあ」式のことを言っておけば、だいたい気も晴れるし、うまくやれば「権威に縛られないカッコいいオレ」も演出できちゃう。ほんとに手頃なサンドバッグです。ということで(どういうことだ)、第113回(平成7年/1995年・上半期)が終わった頃にも、深刻がっている人がたくさんいました。

 それで、第114回(平成7年/1995年・下半期)の選考会がもうじき開かれるという直前のタイミングで出たのが、『AERA』が放った最強の煽り記事「芥川賞がつまらない」(目次では「特集3純文学 芥川賞の落日」、平成8年/1996年1月1日・8日号)です。

 この特集は4つのパートで構成され、「純文学の落日」「芥川賞改造計画 選考委員にも問題がある」「今様作家養成マニュアル 家事も育児も格闘技もやる」「欧米の文学賞 「純」と「大衆」区別しない」と、いずれも速水由紀子さんの署名記事ですけど、どこを読んでも直木賞が果たしてきた・果たしている機能はガン無視され、とにかく芥川賞は芥川賞はと、芥川賞愛の強すぎる論調ばかり。読み進むにつれて気分が悪くなってしまったのは、こちらが直木賞ファンだからでしょう。おそらく。

 それはともかく、この記事の煽り具合が際立っているのは、何といっても冒頭にあります。芥川賞の落日を表現するのに、本の部数のハナシから始めているんです。「歴代芥川賞作品売り上げランキング」という、当時21位までの受賞作と部数のリストを載せたうえで、こう解説しています。

「歴代の部数上位ランキングを見ると、現在の停滞状況がよく分かる(次ページの表)。

ベスト4は村上龍『限りなく透明に近いブルー』、柴田翔『されどわれらが日々――』、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』、石原慎太郎『太陽の季節』。

四作は五~十年の間隔で登場、どれも時代の空気を凝縮させ幅広く関心を集め、文学の活性化に大きな貢献を果たした。

が、一九八〇年あたりから、こうした時代性、話題性を兼ね備えて売れ行きも抜群、というビッグな作品が見当たらなくなった。代わって村上春樹、吉本ばななといった芥川賞には選ばれなかった「無冠の帝王」が、その位置にいる。」(『AERA』平成7年/1995年1月1日・8日号「純文学の落日」より)

 おー、芥川賞をとらなかったら即「無冠」認定かよ、思い切った煽りするねー。というのはいいとしても、やっぱりこの切り口には無理があると思います。まず、他はすべて単行本のみの部数なのに、『太陽の季節』だけ文庫本部数(85万6000部)を使っているので、フェアじゃない。それと『されどわれらが日々――』の107万部は、発売以来、コツコツと20~30年にわたって達成したもので、他の二作とは大部数の意味合いが、けっこう違います。

 いや、そもそも、受賞作の売れた部数がそんなに重要か? 石川達三とか井上靖とか五味康祐とか松本清張とか開高健とか、第三の新人グループとか、昔の受賞者は、まるまるまとめて無視して。「芥川賞を叩きたい」という、もわっとした結論が先にあって、どうにかそこに結びつけるためにデータを都合よく並べただけじゃないの? と思う人がいても不思議じゃありません。

 ……不思議じゃない、と言いますか、じっさいにこれにケチをつけた人がいます。『エーゲ海に捧ぐ』の単行本を47万5千部売ったというツワモノ、池田満寿夫さんです。えーっ、やだー、あたしの受賞作がリストから抜けているじゃないのー、という可愛らしい(?)入りから、徐々に喉元を締め上げています。

「AERAの特集記事のなかには「エーゲ海に捧ぐ」の一行も出て来ない。レポーターの速水氏がいかにこの作品に対して無関心だったかは個人の評価の自由だが、統計リストとなると違う。何よりも統計は筆者の文学的評価とは無関係に客観的、かつ正確でなければならない。(引用者中略)しかもこのリストは公平ではないのだ。(引用者中略)何故か石原慎太郎の「太陽の季節」だけは文庫本部数になっているのである。当時「太陽族」なる流行語まで生んだ原作だったが、今日の基準から見ると単行本の発行部数が意外に少なかったのかもしれない。

当時大物新人として評価の高かった大江健三郎や、中上健次にしても、ランキングの二十一位内にも入っていないのである。純文学は文学的評価とは違って、芥川賞作家とはいえ本来何十万部も売れるものではないのだ。」(『文學界』平成8年/1996年4月号 池田満寿夫「芥川賞売り上げランキング」より)

 それでもまあ、芥川賞受賞作の売り上げ、っつうのはwikipediaにも載っているくらいですから、たぶん重要なんでしょう。直木賞の売り上げと違って。

 とりあえず、直木賞のことを取り上げる姿勢のない記事に、これ以上かかずらっても仕方がありません。盛り上がっていてうらやましいなあ、と思いながらスゴスゴと退散しますが、『AERA』のなかでこの部分だけは、紹介しておきたいと思います。

「集英社の加藤康男氏は、(引用者注:芥川賞の)改善策として『スキップ』(北村薫)や、江戸川乱歩賞『テロリストのパラソル』(藤原伊織)のようにエンターテインメント性のあるものまで文学のカテゴリーを広めて芥川賞候補にすべきだ、と提案する。」(『AERA』「芥川賞改造計画 選考委員にも問題がある」より)

 文学性と大衆性の融合体(をめざしている)直木賞の、長年やってきた悪戦苦闘を、コケにしているとしか思えない提案です。どんだけ愛されているんだ芥川賞。そして、どんだけ無視されているんだ直木賞。と、哀しくなるところではあるんですが、その『テロリストのパラソル』、このあと直木賞の受賞作になりまして、やっぱり当然のように売れました。

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2016年11月 6日 (日)

第113回直木賞『白球残映』の単行本部数

第113回(平成7年/1995年・上半期)直木賞

受賞作●赤瀬川隼『白球残映』(文藝春秋刊)
初版7,000部→(受賞後)+4万部→7万

※ちなみに……

第111回(平成6年/1994年・上半期)芥川賞

受賞作●室井光広『おどるでく』(講談社刊)
初版(受賞後)4万部→?

第113回(平成7年/1995年・上半期)芥川賞

受賞作●保坂和志『この人の閾』(新潮社刊)
3万

 もう一回ハナシを戻して、今週はまた、平成初期の「直木賞、売れねー」大合唱のころのことです。……あっと、まちがえました、「芥川賞、売れねー」大合唱のころですね。

 平成6年/1994年7月の、第111回(平成6年/1994年・上半期)は、直木賞と芥川賞を合わせて受賞者4人。受賞作も4つあって、さあみなさん、よりどりみどりだ好きなの選んでちょうだい、という感じだったんですが、どれひとつベストセラー上位をうかがうような売れ行きは出ませんでした。

 直木賞は、既刊の海老沢泰久さん『帰郷』と、受賞後に単行本された中村彰彦さん『二つの山河』。2冊とも文藝春秋です。たしかに歴代受賞作のなかでもかなりシブめの、しっとりとした大人向けの小説で、何しろ売れれば「○○万部」というニュースも出てくるはずですが、この2冊はいったいどれだけ売れたものか、よくわからない、というくらいに地味な動きをして終わりました。まず、直木賞平均水準の10万部には届かなかったと思われます。

 いっぽう芥川賞のほうは、室井光広さんの『おどるでく』と、笙野頼子さんの『タイムスリップ・コンビナート』です。前者は、『出版月報』によれば、受賞決定後に初版4万部で緊急発売、その後、2刷目までは行ったようですけど、おそらく5万部前後といったところ。後者は、「売れないから純文芸はダメ、だとか、おいおい馬鹿も休み休み言えよ!」というテーマで本を出してしまう笙野さんの、「難解な芥川賞」の代名詞のような作品で、これもまず、ほかの3冊と同様、ベストセラーまとめ記事には登場しません。

 まあ、売れない、って言ったって、たとえば2000部と2万部じゃ10倍も違いがあり、直木賞や芥川賞の受賞作はすくなくとも、「万部」のほうの世界です。そこまで「売れない、売れない」と言われる筋合いはないんですが、とりあえず賞モノというより文芸書そのものが売れない、とやたら危機感を煽りたい人たちがいたせいで、この両賞は、かっこうの獲物となってしまいます。

 次の第112回(平成6年/1994年・下半期)には偶然、両賞とも授賞作なし、と決まったものですから、小説全般が売れないこととからめて、前期に4人も授賞させたことが皮肉られたりする始末です。

「小説が売れないと言われる今、受賞作が即ベストセラーとなり、時には何十万部も売れるきっかけになる両賞に出版社側の期待が高いのは当然。そのため、賞がやや「バブル気味」になり、それが前回の四人受賞に象徴された。」(『読売新聞』平成7年/1995年1月13日「芥川・直木賞該当作なし “バブル的受賞”に反省も 育たない大物新人」より ―署名:文化部 尾崎真理子、石田汗太)

 この記事の冒頭には、「これは現代文学の停滞を意味するのだろうか。」という文章もあります。いやあ、文芸記者の反応っつうのは、ほんと期待を裏切らないっすねえ、と感心しますけど、1期に1人ずつの授賞、というルールのなかでやっている行事で、4人授賞の次が0人なら、ちょうどいいじゃん、正常ですよね、と思うのが普通の感覚でしょう。それを、盛況の陰でやせ細ってきただの、停滞だの、よくもまあ人を不安に陥れる表現を、上手に使うもんだと思います。

 しかも最後には、しれっと、

「両賞を主催する日本文学振興会の田中健五理事長(文芸春秋社長)は、「こういうこともある。むしろ両賞の権威を高めるとしたら結構なこと」と語ったが、読者のためにも、本当にそうなることを願いたい。」(同)

 と書いてある。思わず、ウソつけ! と笑ってしまいました。どっちに転んだってどうせ、最近のこの賞には問題がある、と指をさしながら楽しむくせに。そもそも、なんで両賞の権威が高まることが、読者のためになるんですか。読者にとってはべつに、直木賞や芥川賞の授賞の有り無しなんて、喜びでも悲しみでもありませんよ。当たり前じゃないですか。

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