第114回直木賞『恋』『テロリストのパラソル』の単行本部数
第114回(平成7年/1995年・下半期)直木賞
※ちなみに……
第114回(平成7年/1995年・下半期)芥川賞
芥川賞の特徴のひとつに、「こいつさえ叩いておけば、当座すっきりする」という性質があります。「昔はよかったなあ」式のことを言っておけば、だいたい気も晴れるし、うまくやれば「権威に縛られないカッコいいオレ」も演出できちゃう。ほんとに手頃なサンドバッグです。ということで(どういうことだ)、第113回(平成7年/1995年・上半期)が終わった頃にも、深刻がっている人がたくさんいました。
それで、第114回(平成7年/1995年・下半期)の選考会がもうじき開かれるという直前のタイミングで出たのが、『AERA』が放った最強の煽り記事「芥川賞がつまらない」(目次では「特集3純文学 芥川賞の落日」、平成8年/1996年1月1日・8日号)です。
この特集は4つのパートで構成され、「純文学の落日」「芥川賞改造計画 選考委員にも問題がある」「今様作家養成マニュアル 家事も育児も格闘技もやる」「欧米の文学賞 「純」と「大衆」区別しない」と、いずれも速水由紀子さんの署名記事ですけど、どこを読んでも直木賞が果たしてきた・果たしている機能はガン無視され、とにかく芥川賞は芥川賞はと、芥川賞愛の強すぎる論調ばかり。読み進むにつれて気分が悪くなってしまったのは、こちらが直木賞ファンだからでしょう。おそらく。
それはともかく、この記事の煽り具合が際立っているのは、何といっても冒頭にあります。芥川賞の落日を表現するのに、本の部数のハナシから始めているんです。「歴代芥川賞作品売り上げランキング」という、当時21位までの受賞作と部数のリストを載せたうえで、こう解説しています。
「歴代の部数上位ランキングを見ると、現在の停滞状況がよく分かる(次ページの表)。
ベスト4は村上龍『限りなく透明に近いブルー』、柴田翔『されどわれらが日々――』、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』、石原慎太郎『太陽の季節』。
四作は五~十年の間隔で登場、どれも時代の空気を凝縮させ幅広く関心を集め、文学の活性化に大きな貢献を果たした。
が、一九八〇年あたりから、こうした時代性、話題性を兼ね備えて売れ行きも抜群、というビッグな作品が見当たらなくなった。代わって村上春樹、吉本ばななといった芥川賞には選ばれなかった「無冠の帝王」が、その位置にいる。」(『AERA』平成7年/1995年1月1日・8日号「純文学の落日」より)
おー、芥川賞をとらなかったら即「無冠」認定かよ、思い切った煽りするねー。というのはいいとしても、やっぱりこの切り口には無理があると思います。まず、他はすべて単行本のみの部数なのに、『太陽の季節』だけ文庫本部数(85万6000部)を使っているので、フェアじゃない。それと『されどわれらが日々――』の107万部は、発売以来、コツコツと20~30年にわたって達成したもので、他の二作とは大部数の意味合いが、けっこう違います。
いや、そもそも、受賞作の売れた部数がそんなに重要か? 石川達三とか井上靖とか五味康祐とか松本清張とか開高健とか、第三の新人グループとか、昔の受賞者は、まるまるまとめて無視して。「芥川賞を叩きたい」という、もわっとした結論が先にあって、どうにかそこに結びつけるためにデータを都合よく並べただけじゃないの? と思う人がいても不思議じゃありません。
……不思議じゃない、と言いますか、じっさいにこれにケチをつけた人がいます。『エーゲ海に捧ぐ』の単行本を47万5千部売ったというツワモノ、池田満寿夫さんです。えーっ、やだー、あたしの受賞作がリストから抜けているじゃないのー、という可愛らしい(?)入りから、徐々に喉元を締め上げています。
「AERAの特集記事のなかには「エーゲ海に捧ぐ」の一行も出て来ない。レポーターの速水氏がいかにこの作品に対して無関心だったかは個人の評価の自由だが、統計リストとなると違う。何よりも統計は筆者の文学的評価とは無関係に客観的、かつ正確でなければならない。(引用者中略)しかもこのリストは公平ではないのだ。(引用者中略)何故か石原慎太郎の「太陽の季節」だけは文庫本部数になっているのである。当時「太陽族」なる流行語まで生んだ原作だったが、今日の基準から見ると単行本の発行部数が意外に少なかったのかもしれない。
当時大物新人として評価の高かった大江健三郎や、中上健次にしても、ランキングの二十一位内にも入っていないのである。純文学は文学的評価とは違って、芥川賞作家とはいえ本来何十万部も売れるものではないのだ。」(『文學界』平成8年/1996年4月号 池田満寿夫「芥川賞売り上げランキング」より)
それでもまあ、芥川賞受賞作の売り上げ、っつうのはwikipediaにも載っているくらいですから、たぶん重要なんでしょう。直木賞の売り上げと違って。
とりあえず、直木賞のことを取り上げる姿勢のない記事に、これ以上かかずらっても仕方がありません。盛り上がっていてうらやましいなあ、と思いながらスゴスゴと退散しますが、『AERA』のなかでこの部分だけは、紹介しておきたいと思います。
「集英社の加藤康男氏は、(引用者注:芥川賞の)改善策として『スキップ』(北村薫)や、江戸川乱歩賞『テロリストのパラソル』(藤原伊織)のようにエンターテインメント性のあるものまで文学のカテゴリーを広めて芥川賞候補にすべきだ、と提案する。」(『AERA』「芥川賞改造計画 選考委員にも問題がある」より)
文学性と大衆性の融合体(をめざしている)直木賞の、長年やってきた悪戦苦闘を、コケにしているとしか思えない提案です。どんだけ愛されているんだ芥川賞。そして、どんだけ無視されているんだ直木賞。と、哀しくなるところではあるんですが、その『テロリストのパラソル』、このあと直木賞の受賞作になりまして、やっぱり当然のように売れました。
○
ちょっと言い方を間違えました。訂正します。『テロパラ』の好調なセールスは、直木賞のおかげというより乱歩賞+作品の力でした。直木賞も大してデカい顔はできません。すみません。
乱歩賞のほうで、選考委員たちが大絶賛して受賞が決まり、平成7年/1995年9月、初版5万部を刷って売り出したところ、たった1週間でさらに5万部の増刷が決まった。という〈ミステリー天下〉時代の申し子のような動きを見せて、10月には18万部を突破。11月には25万部まで行った、と報道されます。年末のミステリー投票ランキングでも、当然のように上位にあがって、〈週刊文春〉では第1位、〈このミス〉では第6位。
翌年1月、直木賞候補に選ばれたなかでも、北村薫『スキップ』(このミス7位)、服部真澄『龍の契り』(週刊文春6位・このミス16位)、小池真理子『恋』(このミス21位)あたりの、世評の高い作品群を上まわるほどに、随一の注目株として存在感をみせ、このベストセラーがそのまま直木賞も受賞してしまいました。
さあ、いったい25万部からどれほど伸びるのだろう、何しろ腐っても直木賞だもんな。と期待した人も多分いたんでしょうが、のびしろは、意外と大きくなかったようです。『出版月報』の記録を追うと、受賞した1月に、直木賞受賞作としては少なめの2万部増刷、2月に5万部、3月に2万部……という感じで30万部を超えたあたりでだいたい打ち止めになり、『物語 講談社の100年 第七巻 展開』(平成22年/2010年1月)では、35万部を超えた、という表現にとどまっています。
のびしろということでは、もうひとつの受賞作『恋』のほうに分がありました。受賞前までで2万~3万部という、まあまあの部数だったところから、1月に8万部の増刷、2月に6万5千部、3月に8万部と、がっさがっさと増刷を重ねて、年末までに29万部まで増やした、といいます。〈賞をとって一気に売れる!〉という一般的なイメージでいえば、『恋』のほうが、それにぴったりな動きをした、ってわけです。
さらに受賞から2年半後、平成10年/1998年8月20日調べの『日経エンタテインメント!』(平成10年/1998年10月号)の記事によると、『テロパラ』35万部に対して『恋』32万部。と、どっこいどっこいの線まで行ったそうで、そうなのか、乱歩賞と直木賞、ふたつ受賞したからって別に売り上げが二倍増しになるわけじゃないんですね、という当然といえば当然の状況のなかで、『恋』の大健闘が華を添えてくれました。まあいずれにしても、受賞2作がともに30万部以上ですから、直木賞の売り上げ史のなかでも、かなりの高水準の争いだったことは確かです。
こうなると、売れ行きの面で寂しい結果のつづく芥川賞は、完全においてけぼり。又吉栄喜さんの「豚の報い」という、「アノ石原慎太郎が、沖縄の小説を絶賛した!」ぐらいしか話題性のない(……っていうのは冗談ですよ)、売れっ子ミステリーとはまるでかけ離れた受賞作が選ばれます。
それでも初速はけっこう手ごたえあったらしく、『妊娠カレンダー』以来の好ペースだ、と言われたらしいんですけど、なにしろ『妊娠カレンダー』31万部どころか、10万部を超える受賞作すら、第105回(平成3年/1991年・下半期)の『背負い水』を最後に、4年・8期出ていない状況だったので、久しぶりのスマッシュヒット、という感じだったんでしょう。6月までで12万部、最終的には13万部で終わりました。
ケケッ、芥川賞、全然だめだな、ざまあだぜ。……などと、当時ほくそ笑んでいたのは、ワタクシだけだったのかどうなのか、他の人に聞いたことがないのでわかりませんが、よくよく考えてみれば(いや、考えなくとも)直木賞の受賞作がこれほど売れたのは、直木賞の力なのか。世の〈ミステリーバブル〉に乗っかっただけじゃないのか。ということに、あとになって気づき、ああ、あのとき芥川賞を馬鹿にしていたなんて何と浅はかだったんだ、と心から反省しています。
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