第57回直木賞『追いつめる』の単行本(ノベルス)部数
第57回(昭和42年/1967年・上半期)直木賞
※ちなみに……
第54回(昭和40年/1965年・下半期)直木賞
先週、第110回(平成5年/1993年・下半期)のハナシに『新宿鮫 無間人形』が出てきたので、ちょっと時間をさかのぼって、今日は『追いつめる』のことにします。
創業70年を超える、いちおうエンタメ小説界では有力どころの出版社、光文社の歴史のなかで、いまだにたったひとつの直木賞受賞作。〈光文社のベストセラー〉といえば、まず話題に挙がるのは、〈カッパ・ブックス以下その軍団〉のことだと思いますけど、たった一作の直木賞が、その軍団のなかから選ばれたもの、というのは、きっと光文社にとっても本望でしょう(なのか?)。
本望かどうかは別として、とりあえず〈カッパ〉の話題では、刊行部数の件がメインなディッシュです。新海均さんに『カッパ・ブックスの時代』(平成25年/2013年7月・河出書房新社/河出ブックス)という、読んでいるだけでテンションの上がる超絶な良書がありますが、そこでも主要なタイトルには、だいたい部数が併記されています。
ここに、90年代カッパ・ノベルスのベストセラーとして出てくるのが、大沢さんの〈新宿鮫〉シリーズです。第1弾から『氷舞 新宿鮫VI』までのことが、部数とともに紹介されています。最も多いのが、第1弾『新宿鮫』の46万2,000部で、他もおおむね40万部前後、ということらしいのに、6作中唯一、他社の単行本をノベルスにした直木賞受賞作『無間人形』だけ、ガクッと下がって27万9,000部。……それでも、読売版と同じレベルで売れているのは、さすが新宿鮫ブランド、というかカッパ・ノベルスブランドの底力でしょう。
ひょっとして直木賞の『追いつめる』のことも、部数を挙げながら触れてくれているのではないか、と期待してページをめくったんですが、そう甘くはありませんでした。ええ、ええ、そりゃあ直木賞なんて、〈カッパ〉に比べたら売れないコンテンツの一種ですからね。仕方ないですよ。生島治郎さんは、こんなかたちで取り上げられているだけです。
「「カッパ・ノベルス」の分野では(引用者注:松本)清張が看板だった六〇年代だが、人気作家の作品も次々出版された。(引用者中略)さらには大岡昇平、水上勉、石原慎太郎、司馬遼太郎、立原正秋、大藪春彦、山田風太郎、五木寛之、梶山季之、生島治郎などなど多彩な顔ぶれで名品が次々と生まれていった。」(『カッパ・ブックスの時代』「第4章 一九六〇年代後半の絶頂期へ」より)
他の資料を当たってみることにします。
生島さんの単行本デビューは、講談社の『傷痕の街』(昭和39年/1964年3月)です。生島さんの『星になれる 浪漫疾風録第二部』(平成6年/1994年9月・講談社刊)は、その処女作刊行の頃から始まる自伝的な小説で、主人公の名前は〈越路玄一郎〉ですが、だいたいディテールは当時そのままを映しているものと思われます。
『死者だけが血を流す』(昭和40年/1965年・講談社刊)につづいて3作目の書下ろしを、カッパ・ノベルスから出すことになった場面も、冒頭まもなく、描かれています。
「(引用者注:光文社のカッパ・ノベルスは)新書判ではあるが、ベストセラーが次々と出ていて、出版界の注目の的であった。越路はこの光文社から、はじめて、三万五千という初版部数を約束されていた。
それは越路にとって、眼もくらむような大部数であった。自分の読者が三万以上もいるなどと、とても想像できなかったが、光文社は売ってくれると約束している。
(引用者中略)
『黄土の奔流』も日活が買ってくれ、裕次郎の主演でという話になった。それだけで大いに話題になり、『黄土の奔流』はベストセラー入りを果した。」(『星になれる 浪漫疾風録第二部』「星になれるか」より)
『黄土の奔流』は名作です。どんどん売れても不思議じゃありません。いったいどこまで部数が増えたんでしょう。当時の新聞広告を見てみますと、カッパの場合、売れているものは「○○万部」と併記のうえ、ちょくちょく宣伝されるのが特徴らしいんですが、『黄土の奔流』はあまり、そういうところに出てきません。
昭和40年/1965年9月の初版から約9か月後、昭和41年/1966年6月8日付の『朝日新聞』に、カッパの広告があり、ずらずらと大衆文学系の小説が載っているところに、『黄土の奔流』も入っていました。他には10万部超えのタイトルもあるなかで、『黄土の奔流』のわきに記された部数は、4万部。……掲載された28冊中、最も下のビリッケツな部数でした。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)





最近のコメント