第105回直木賞『青春デンデケデケデケ』、第106回直木賞「狼奉行」『緋い記憶』の単行本部数
第105回(平成3年/1991年・上半期)直木賞
第106回(平成3年/1991年・下半期)直木賞
※ちなみに……
第105回(平成3年/1991年・上半期)芥川賞
第106回(平成3年/1991年・下半期)芥川賞
平成3年/1991年、『妊娠カレンダー』が意外にヒットしたことで、「文学賞は売れ行きをもとに語れ!」という風潮に火がついたことは、否定できません。いや、否定できるかもしれません。ともかくも、そこから先しばらくは、「あれれ、今度の芥川賞も売れないなあ」と、10万部以下受賞が何度も繰り返されるうちに、昔からおなじみの「どうにかして芥川賞を批判したいぜ」欲求の新形態として、純文学といえども売れなきゃ駄目だ、みたいなことがギャンギャン言われるようになり、やがて笙野頼子さんブチ切れる……という展開をみせる1990年代です。
売れない、と言ったって受賞作は5万も7万も刷られます。芥川賞やらが文句を言われる筋合いはありません。その面で直木賞のほうは、まあ、基本的にコイツをネタにしても盛り上がらないと知れ渡っていたらしく、売り上げが好調だとか低調だとか、特別に指摘されることは多くありませんでしたが、およそ芥川賞の2倍から3倍の売れ行き、というところで推移します。
そのなかで、第105回(平成3年/1991年・上半期)は、芥川賞が「自動起床装置」「背負い水」の文春2作に対して、直木賞『夏姫春秋』『青春デンデケデケデケ』と、直木賞では珍しい版元の作品に賞が与えられました。『夏姫春秋』のほうはすでにちょっと触れましたが、『青春デンデケ~』もかなりの結果を残します。
そもそもが、「文藝賞」の受賞作でもあり、この賞は以前からときどきベストセラー入りすることがある稀有な文学賞のひとつでもあって、直木賞までに10万部近く(!)は行っていたらしいんですが、受賞から1か月で18万部、2か月で20万部を超え、発売約1年で23万部。……と『出版月報』&『出版指標年報』の記録から読み取れます。
受賞翌年には映画も公開され、それが本の宣伝の役割も果たしたので、もう少し部数は伸びたはずですが、それがなかったにしても、これは、1年後にやってくる伊集院静『受け月』と同じくらいの売れ行きです。芸能ニュースの底力のおかげで一定期間ベストセラーの座をキープしたといわれる、アノ『受け月』に匹敵するわけですから、十分すぎる結果でしょう。
20万部超えがコンスタントに出るようになった、というのは、昭和のおわりごろから発生した直木賞の特徴です。それが転じて「売れない芥川賞は駄目だ」とまず言われだし、そのうちに「売れない直木賞なんてクソだ」とオチョくられるようになる、トンデモ文学賞観が跋扈する土壌を築くことになりました。
受賞作が順調に売れるのも痛しかゆし、といったところですが、まあ直木賞と芥川賞の場合、「受賞作の売れ行き」は、後追いで生まれたネタなので、そこがどう叩かれようが、痛手はあんまりありません。
『青春デンデケ~』の、三島賞落ち&直木賞受賞後には、
「地方ではふるさと創生の旗印の下に、中央では文芸出版の生き残りのために、「石を投げれば賞に当たる」といわれる文学賞インフレ時代。それは新しい才能を生み出す土壌なのか、“文芸バブル時代”の象徴なのか。いずれにしても、出版社でも、作家でも、選考委員でもなく、読者が主体性をもって作品を選択する時代となってきたことだけは、確かなようだ。」(『読売新聞』平成3年/1991年8月9日夕刊「評価二分の直木賞「青春デンデケデケデケ」 現代文学の多様性反映」より ―署名:(鵜))
という、何のコッチャよくわからない記事も書かれましたが、こういうことが言われるのも当然、文学賞があればこそです。「芥川賞が売れない、直木賞はちょっと売れる、だけどもっと売れる(読者に支持される)小説最強だ」みたいな、文学賞のほんの一側面だけを利用した、「何のコッチャ」なおもしろ記事が、次々に出てくることになります。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント