第103回直木賞『蔭桔梗』、第104回直木賞『漂泊者のアリア』の単行本部数
第103回(平成2年/1990年・上半期)直木賞
第104回(平成2年/1990年・下半期)直木賞
※ちなみに……
第103回(平成2年/1990年・上半期)芥川賞
第104回(平成2年/1990年・下半期)芥川賞
たとえば、直木賞・芥川賞が決まるたびに、その受賞作が、洩れなく30万部も40万部も売れる。……なんていうのは、多くの日本人の気が狂わないかぎり実現しない数字なので、まともな人なら、そんな状況、絶対に望まないと思います。ワタクシも望みません。
先週触れた平成1年/1989年、平成2年/1990年ごろというのは、気の狂いはじめた人が増えたのか、だんだんと「直木賞・芥川賞は以前に比べて売れない(とくに芥川賞)」といった指摘が、何かに対する警告のように唱えられだした時代です。今週は、さらにその続きの回の、本の売れ行きについて、見てみたいと思います。
第102回直木賞の原尞『私が殺した少女』は、直木賞の歴史のなかでも、かなり上位の売れ行きだったなんですが、出版科学研究所の林正則さんにすれば、ちょっと物足りなかったようです。
「出版科学研究所の林正則さんは、「文芸書の売れ方が低調だった要因の一つは、文学賞の受賞作品が弱かったこと。芥川・直木賞では、『私が殺した少女』『ネコババのいる町で』はそこそこ部数を伸ばしたが、大岡玲の『表層生活』などは全く動きが悪い。山本周五郎賞や三島由紀夫賞に至っては惨敗」という。」(『産経新聞』平成2年/1990年7月27日夕刊「今年上半期のベストセラー 目立った話題先行型」より ―署名:大澤洋一)
この記事を書いた産経新聞の大澤さんは、翌年8月、同じく年間の上半期ベストセラーを総括する記事で、こんな表現を使用するに至っています。
「文芸書の分野では、たとえ芥川賞や直木賞を受賞しても、それだけではベストセラー入りできない傾向が今やはっきりしてきた。」(『産経新聞』平成3年/1991年8月2日夕刊「今年上半期ベストセラー 条件は女性に受けること!? 恋愛ものが部数伸ばす」より ―署名:大沢洋一)
いや、そんなこと言っていないで、どうか、お願いします。「芥川賞や直木賞を受賞すれば、それだけでベストセラー入りできる傾向にあった時代」とは、いったいいつなのか。本気で教えてもらいたいんです。そうであった時代にたどりつきたくて、いろいろ探しているんですけど、いまのところ、見つかっていません。
それで、この2つの記事が書かれた期間中、直木賞は、平成2年/1990年7月決定の第103回と、平成3年/1991年1月決定の第104回の分がありました。受賞作は、泡坂妻夫さんの『蔭桔梗』と、古川薫さんの『漂泊者のアリア』です。
前者の第103回では、芥川賞のほうが辻原登さんの「村の名前」。ということで、どうですか。いやー、地味なオジさんコンビだし、作品の内容も、何だかパッとした華やかさがない。タイトルからしてもう、好事家しか買わないことが目に見えている。駄目だね、こりゃ……と、だれでも予想すると思います。そして、やっぱり予想どおりの売れ足だったらしく、どちらも10万部ラインまで達しなかったらしいです。
とはいえ、べつにこの2作が、受賞決定後の8月や9月に、まったく振るわなかった、というわけじゃありません。それぞれ売れた本屋では売れて、ベストセラーリストに顔を覗かせています。
1回1回の受賞と、その時代背景や他の本の動きを加味して、読んでいる人たちに「なるほどーっ!」と思わせるような、何か分析めいたことを言わなきゃいけない記者や専門家の方々って、ほんと大変だろうなと、重々お察ししますが、はっきり言って、以前と比べて何がどう変わったということのない、相変らずの直木賞・芥川賞の動き、だったとしか思えません。
○
第104回もまた、直木賞のほうは、何ゴトもなかったような通常どおりの回でした。騒ぐほどでもない通常回が、何度も何度も繰り返されるのは、当たり前といえば当たり前です。だからこその「通常」です。
史上最多の落選回数を経て、最高齢(当時)での受賞! というのは、十分に「ただ受賞しただけではない話題性」だと思います。だけど、売れ行きは「ただ受賞しただけ」と、大して変わりませんでした。
『出版月報』&『出版指標・年報1992年版』などによりますと、受賞後に5万部を重版した『漂泊者のアリア』は、その後もチョロっと増刷がかかって、平成3年/1991年の1年で、ほぼ9万部、と言われています。松竹梅なら梅ランク……いや、竹ランクでしょう。
直木賞は通常回の装いだったんですが、この回は、芥川賞のほうが「松ランク」。相対的に直木賞が影にかくれるかっこうとなってしまいます。もはや見慣れた例のアレです。
松は松だったんですが、第104回の芥川賞はいつもとは違って、受賞後じわじわと、っていう表現がぴったりな広がりを見せました。
受賞後に、文藝春秋から初版5万部でスタート。すぐに増刷がかかって2月中に8万部、3月で19万部と増やし、その後はこつこつ部数を伸ばして、上半期中に26~28万部。そこからもうひとふんばりで、年内には30万部を突破。
「文学賞の世界では、いま「女ざかり」が続いている。(引用者中略)新人賞として最も長い伝統がある芥川賞は、受賞作がなかった一九八六年を除くと、八一年以降、毎年必ず一人は、女性が受賞してきた。八八年から、予選通過者は、男性を上回る勢いだ。男性の受賞作の売れ行きが伸び悩んでいる中で、小川洋子『妊娠カレンダー』(九〇年)は、売り上げを三十五万部に伸ばした。芥川賞受賞作としては、村上龍『限りなく透明に近いブルー』(七六年)、唐十郎『佐川君からの手紙』(八二年)以来のヒットという。」(『AERA』平成5年/1993年3月16日号「文学賞は「女ざかり」」より ―署名:学芸部・白石明彦)
ここでは「三十五万部」とありますが、平成8年/1996年1月1日・8日号の『AERA』では31万部ということになっているので、そっちを採用しておきます。
ともかく、受賞作の30万部超えは、芥川賞のなかではそうとう稀な事象と言ってよく、こんなものを基準にモノを語り出すと、こじつけか妄想か、あるいは与太話にしかならないので、注意したいところです。
上記に引用した『AERA』の記事を見ますと、「男性の受賞作の売れ行きが伸び悩んでいる」と書かれています。どうやらこの時期、芥川賞のほうでは、「なんだか売れないよね」という攻撃の矢が放たれはじめたようです。
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