第101回直木賞『高円寺純情商店街』『遠い国からの殺人者』、第102回直木賞『私が殺した少女』の単行本部数
第101回(平成1年/1989年・上半期)直木賞
第102回(平成1年/1989年・下半期)直木賞
※ちなみに……
第102回(平成1年/1989年・下半期)芥川賞
ここ2~3か月、意識して「直木賞の売れ行き」に関する文章を探すようにしているんですけど、よく目につくよなあ、っていう表現があります。「最近の直木賞のなかでは好調で~」うんぬん、というやつです。
とくに、これが頻出しはじめるのが、前週ふれた宮尾登美子『一絃の琴』(第80回 昭和53年/1978年・下半期)より後になってから、1980年代以降のことです。80年代は、とにかく「文芸書が売れなくなった!」と叫びたがる病気が蔓延し、あっちこっちで、小説売れない、小説売れない、とイイ年した大人たちが、カネにまつわる話でやたら興奮していた時期ですので、直木賞についても、(ようやく)売れた・売れないの話題が、大っぴらに語られるようになります。
それはいいんですけど、どうもクセモノなのが、「最近の」っていう部分なんすよね。
直木賞(や芥川賞)に対する発言といって、「最近の受賞作は~」とか「昔のほうが~」とか、そういう語り口をよく目にします。目にするどころか、定番中の定番というか、もうそういう感想には飽きたよというか、じつに(とくに芥川賞などは)戦前から繰り広げられつづけている、何の学習能力も感じられない文学賞批評なんですけど、売れ行きに関しても、やっぱりこれは王道の表現のようです。
何なんでしょう。人は、直木賞を目の前にすると、時間感覚がおかしくなるんでしょうか。1980年代以降の、たった30余年のあいだに、「最近の直木賞としては好調で~」みたいな表現が、何度も何度も登場する、おかしな現象を生んでいて、どうも4~5年ぐらい前のことは、もう「最近」ではなくなるらしいです。完全に感覚が狂っています。だいじょうぶでしょうか。
このあいだ、第100回(昭和63年/1988年・下半期)前後のことを取り上げました。景山民夫『遠い海から来たCOO』(第99回 昭和63年/1988年・上半期)が受賞2か月半で22万部、だいたい受賞1年ぐらいたった平成1年/1989年7月12日現在で40万部、と報告されています(『日経トレンディ』平成1年/1989年9月号「文学のもうひとつの基準 賞と売れ行きとの微妙な関係」)。第100回受賞の藤堂志津子『熟れてゆく夏』も、だいたい受賞2か月足らずで、21万8千部、同じく『日経トレンディ』の記事では26万部、と伸ばしており、だれがどうみても、「売れた直木賞受賞作」の部類です。
それからわずか1年。第102回(平成1年/1989年・下半期)は、星川清司「小伝抄」と原尞『私が殺した少女』の2作が、受賞と決まります。星川さんのほうは、受賞が決まって以降の3月に、受賞作が単行本として発売される、というタイミングはもとより、ご想像のとおり、まず「売れた直木賞」のニュースには顔を出さない、地味ーな売れ行きだったらしいんですけど、問題は原さんのほうです。
よく売れました。
「『私が殺した少女』(早川書房)は26万部まで来たが、直木賞作としては久々に相当のヒットが見込めそうだ。」(『出版月報』平成2年/1990年2月号「出版傾向 書籍」より)
「(引用者注:『私が殺した少女』は)31万部、直木賞作品としても久々のヒットだ。」(『出版月報』平成2年/1990年3月号「出版傾向 書籍」より)
この年の早い段階で、公称35万部まで行った、といわれています。
しかし、ほんの1、2年前に、(おそらく)40万部近くの『遠い海から来たCOO』とか、(おそらく)20万部なかばの『熟れてゆく夏』とか、そういう受賞作があるのに、ここで「久々のヒット」という表現を選択する神経がもうアレです。何というか、直木賞を前にすると人は時間感覚がおかしくなるんだろう、と考えるしかないじゃないですか。
ちなみに売れ行きについて、原尞さんは、こんなことを語っています。
「白石(引用者注:白石一郎) 今度、原さんの作品が三十五万部も売れたことは素晴らしいことです。
原 いやあ、あれは公称ですよ。(笑い)
(引用者中略)
今回は、芥川、直木賞受賞作のうち、単行本があったのはぼくだけで、運もよかった。受賞前の部数が正確な数字ではないかな。
高樹(引用者注:高樹のぶ子) いえ、作品そのものも面白く、ミステリー以外の読者を引きつける魅力がありましたよ。
原 ミステリーの売れ行きも限界があって、ベストセラーになるには別のジャンルでないとだめでしょう。最近はミステリーはダサイという世代もありますし……。」(『西日本新聞』平成2年/1990年4月13日「九州の文学を語る・芥川賞、直木賞作家座談会 9 地域性」より)
テレというか、軽くいなす感じが、まったく原作品のファンを裏切りません。「受賞前の部数」はどのくらいだったかといえば、4万部とか、あるいは8万部とか、そういう文献が見受けられます。
その後、「書かない受賞者」の道を突き進み、平成12年/2000年に受けたインタビューでは、
「(引用者注:『私が殺した少女』は)四十万部以上売れ、文庫本にもなった。
「それまで、一、二年に一作、そこそこ面白いものを書けばやっていけるかな、という矢先にボーナスみたいなカネが転がり込んできた」
裕福になり、小説を書く気力と動機を失う。「本来ぼくは怠け者。(売れるから)受賞直後に書け、と勧められても、小説を書かなければならない理由がない」」(『佐賀新聞』平成12年/2000年9月25日「さが100年の物語20世紀の群像」より)
などと答えたりして、ほんとに食えない人です。
○
第100回の『熟れてゆく夏』と第102回の『私が殺した少女』、この2つに挟まれた半年間に、じゃあ直木賞受賞作はヒットしなかったのか。というと、これもワタクシから見れば、そんなことはありません。
第101回(平成1年/1989年・上半期)の受賞作があります。
笹倉明さんの『遠い国からの殺人者』です。……とか、誰も笑えないギャグをかまして、すみません。
何が笑えないといって、笹倉さんのブログ「笹倉明の「週刊アッ!くん」」によれば、この受賞作は、文藝春秋の阿部達二さん(サントリーミステリー大賞のときの担当編集者)から「歴代の直木賞作品の中で最低(!)の売れ行きだった」と言われたそうなんですよね。さすがに直木賞は奥底が深いので、「歴代で最低」ってことはないはずですが、「売れなかった直木賞」グループであることは、たしかなようです。
『出版月報』の記録を追ってみますと、直木賞の受賞が決まって5万部を増刷、しかし7万部ぐらいまで行ったところで伸び足が鈍った、という感じ。文春の人が「最低」というぐらいなので、おそらく、10万部のラインに達しなかったものと思われます。
べつに、そういう受賞作があってもいいです。全然、笑えるハナシじゃなかったですね。
ヒットしたのは、もうひとつの、ねじめ正一『高円寺純情商店街』のほうでした。
ねじめさん、がんがんテレビに出るは、テレビドラマ化されるは、じっさいの商店街のほうがこの題名に合わせて改名しちゃうはで、話題性は直木賞の標準を超えたと言ってもよく、初動は、『遠い国からの~』と並んでいたのが、徐々に差が開いて、受賞年内の平成1年/1989年中には15万部を超え、翌年春には、
「「高円寺純情商店街」は昨年七月の出版以来、読者の強い支持を受け、第百一回直木賞を受賞、現在、約二十万部のベストセラーとなっている。今月にはテレビドラマにもなるなど、ねじめさんや出版社が当初思いもしなかったほどのブームを巻き起こした。」(『読売新聞』平成2年/1990年4月21日「ねじめブームで「銀座」を改名 「高円寺純情商店街」に」より)
と、「約」がつくってことは、20万部を微妙に下回っていたのかもしれません。だけど、前後の「直木賞ヒット作」に比べたら勢いはなかったにしても、やはりこの小説も、直木賞のなかではヒット作、と言えるんじゃないかと思います。
言えるでしょ、ふつうに考えたら。
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