第99回直木賞『凍れる瞳』『遠い海から来たCOO』と第100回直木賞『熟れてゆく夏』『東京新大橋雨中図』の単行本部数
第99回(昭和63年/1988年・上半期)直木賞
第100回(昭和63年/1988年・下半期)直木賞
※ちなみに……
第99回(昭和63年/1988年・上半期)芥川賞
第100回(昭和63年/1988年・下半期)芥川賞
直木賞と芥川賞は、出版業界のお祭り、なんだそうです。半年に1度の、通常の回でさえ、そうなんですから、キリのいい記念回となれば、よけいにお祭り感が高まるのが自然です。
第100回は、1989年1月に決まりました。このころ世間一般的には、お祭りムードなんてとんでもないよ、という感じでバタバタしていたというのに、1月5日、昭和64年に候補作が発表され、1月12日、平成元年に受賞が決まる。という、世間の動きとはちょっとズレたところで、粛々と事業をこなす、空気読めない両賞の性格が、遺憾なく発揮されてしまいます。さすがです。
27年前ではありますけど、もうだいたいこのころには、いまと同じような風景、いまと同じような難クセがつけられていました。
「年2回、両賞の選考のとき、会場の東京・築地の料亭の報道用の控室は、新聞・テレビ・週刊誌の取材陣で、あふれかえる。タレントや他の分野の人気者が候補になっていると、テレビ・カメラの数がふえ、にぎやかさはいや増す。
(引用者中略)
しかし、それが文学の本質とは別の現象になっていることへの批判もでてきた。受賞者の人気がタレントなみになって、文芸界全体に芸能化といった印象がでてきたこと、受賞作の水準が低下してきたことだ。(『朝日新聞』平成1年/1989年1月11日「100回迎える芥川・直木賞 華やかさの裏、質懸念の声も」より ―署名:由里幸子記者)
引用したこの記事には、「芥川・直木賞」とタイトルがついています。しかし、ほぼ、芥川賞の変遷・変質しか語っていない、たいへん胸の痛くなる内容に仕上がっていまして、この点は、いまとはちがうところかもしれません(そう信じたいです)。
ともかく、第100回の記念回です。別名「長くやってきたことしか能がない文学賞」です。ひとつ前の第99回(昭和63年/1988年・上半期)では直木賞・芥川賞あわせて受賞者が3人、第100回では4人も受賞させての大盤ぶるまい。となりながら、本の売り上げという点では、残念ながら、話題の主役にはなれませんでした。
昭和63年/1988年から平成1年/1989年にかけて、「売れる本」ニュースの主役の座には、村上春樹さんと吉本ばななさんの二人が君臨していたからです。
そりゃ、50万、60万部は当たり前、次々に100万部に到達! とかいうハナシがわきにあったら、直木賞や芥川賞の売り上げなんて霞むに決まっているじゃないですか。
部数の水準でいいますと、そのころ出た井狩春男さんの『ベストセラーの方程式』(平成2年/1990年9月・ブロンズ新社刊)の「芥川賞・直木賞を受賞すると、どのくらい売れるのか?」というページでは、こう紹介されています。
「数ある賞の中で、確実性が極めて高い、というか安定して売れるのが、芥川賞と直木賞である。
(引用者中略)
芥川賞か直木賞を受賞すると――
最低 20万部~30万部売れる!」(井狩春男『ベストセラーの方程式』より)
いやいや。これは、出版界で生活する人が、出版界の活性化を期待するなかで、大げさに煽ってみせた文章でしかなく、事実に即してはいません。「最低20万部~30万部」とか、大ウソです。
昭和末期から平成初期、直木賞・芥川賞は20万部いけば、まず成功といってよく、10万部でもまずまずの線。それを下回ることも、ざらにありました。当時の出版界の状況は、いまとずいぶんちがうのに、その点はなぜか、大して変わっていません。
当時は、村上さんと吉本さんのおかげもあって、文芸書は好調に売れている、という観測があったらしく、『出版月報』(全国出版協会 出版科学研究所)でも、平成1年/1989年5月号で「文芸書好調は本物か」という特集が組まれています。ここに、直近20数年で20万部以上いった文芸書がリストアップされているんですが(直木賞・芥川賞でいえば、第75回芥川賞の村上龍『限りなく透明に近いブルー』以降)、その間、20万部以上といわれる直木賞受賞作が、どれだけあったでしょうか。
『一絃の琴』『思い出トランプ』『人間万事塞翁が丙午』『蒲田行進曲』『恋文』『演歌の虫』『最終便に間に合えば』『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』『遠い海から来たCOO』、そして『熟れてゆく夏』。
この間、受賞作は33作品ありました。そのうち10作。……というのは、高確率にはちがいないですけど、あとの23作は、20万部に達していななかったことになります。そういう状況を「最低20万部売れる」と表現したら、ふつうは、ウソつき呼ばわりされても、しかたないです。
○
出版科学研究所の『出版月報』や、年度版の『出版指標 年報』は、これからも何度も参考にさせてもらうことになると思います。いや、なにしろ、バックナンバーを読んでいるだけで、出版人たちの、直木賞・芥川賞に対する異常すぎる期待、あるいは、売れない文学賞に対する冷酷さが出ていて、何とも面白いです。
たとえば、このころの文学賞トピックとして、ベストセラー作家、吉本ばななさんを選んだ山本周五郎賞(+相方の三島由紀夫賞)のことがあります。創設されてまもなくは、受賞作がどのくらい売り上げに反映されるか、注目する姿勢が見られるんですけど、第2回三島賞の大岡玲『黄昏のストーム・シーディング』が、3万部どまり。翌年第3回では両賞とも、ほとんど売り上げが伸びなかったところで、「売れ行き厨」から愛想をつかされ、
「三島賞・山本賞受賞作はあまり動きませんでした。賞の質はともかく、どれだけ読者を動員できるかということでは惨敗と言っていいかもしれません。」(『出版月報』平成2年/1990年7月号「6月期の売れ行き良好書」より)
との、身もふたもない「惨敗」宣告。翌年以降は、受賞の時期になっても、とくに触れられることはなくなりました。
ハナシを戻しますと、昭和63年/1988年7月に発表された第99回直木賞では、2つの受賞作が生まれます。そのうち、景山民夫さんの受賞作『遠い海から来たCOO』は、あいかわらずの芸能パワーを見せつけて、話題性を維持しながら、毎月少しずつ部数を伸ばし、この年の単行本総合部門で29位に。さらに年を超えて、半年以上、売れつづけました。井狩さんのいう「20万部~30万部」のラインです。
いっぽうの、西木正明さん『凍れる瞳』は、直木賞としてはいまひとつの伸びだ、とか何とか言われながら、『出版指標 年報 1989年版』では、8万部と記録されました。十分でしょう。
そして第100回。芥川賞を含めて4人とも、うーん、何だか盛り上がりに欠ける地味なメンツ、地味な作品が揃っちゃったなー。という雰囲気がありましたが、いや、そう感じるのは、「出しゃ売れる春樹とばなな」の爆発ぶりに慣れすぎて、脳みそがおかしくなっていたからかもしれません。
発表翌月の2月には、藤堂志津子さんの『熟れてゆく夏』が21万8,000部、杉本章子さん『東京新大橋雨中図』が10万5,000部まで行ったそうですし、芥川賞のほうの2作品も、それぞれが好記録。お祭り騒ぎというほどの、騒ぎではなかったものの、売り上げの面では成功した、と言っていいんじゃないでしょうか。
しかし、それでも、この両賞にケチをつけたい、という人間本来の(?)欲求が消えうせることはなく、売れ行きやら文学性やらを材料にしての泥仕合、いまのいままで続いています。
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