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2016年7月10日 (日)

第69回直木賞「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」と第105回直木賞『夏姫春秋』の単行本部数

第69回(昭和48年/1973年・上半期)直木賞

受賞作●長部日出雄「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」収録『津軽世去れ節』(津軽書房刊)
初版2,000部→2版1万5,000部→3版5,000部→?

第105回(平成3年/1991年・上半期)直木賞

受賞作●宮城谷昌光『夏姫春秋』上・下巻(海越出版社刊)
受賞前1万部→12万部超(受賞1か月で)→計30万部超(受賞半年で)

 刹那的・瞬間的に一般ニュースでネタにされるのは、たいてい芥川賞のこと。直木賞は、それに従属しているものとして扱われてしまう。……というのは、別段ワタクシの思いつきじゃなくて、過去いろんな人が言ってきたことなので、だいたい合っていると思います。

 今度、7月19日に選考会がおこなわれる第155回(平成28年/2016年上半期)も、そうです。とくに読書好きじゃない(つまり大多数の)人たちに対して、直木賞が単独で、提供できそうな話題が何かあるか。といわれたら、口ごもるしかありません。

 その点、芥川賞のほうは相変わらず絶好調ですよね。九州の出版社が創刊した文芸ムックから、候補作が選ばれたぞ、すげえ快挙だ! などと、作品の内容とは何の関係もないことでキャーキャー騒がれてしまうという、いつもどおりのキモち悪さ……あ、いや、正直うらやましいです。

 芥川賞のことはどうでもいいです。直木賞のハナシをします。

 直木賞の候補作には、東京以外で発行された同人誌(『冬濤』『秋田文学』『状況』『九州文学』『詩と真実』など)、あるいは商業誌・紙(『オール関西』『新大阪』)から選ばれたこともあったんですが、書籍に限りますと、いわゆる地方出版社から刊行されたものが候補になったのって、ほんと数えるほどしかありません。

 京都時代の三一書房から『廓』(西口克己)。名古屋の作家社(同人誌『作家』の発行元)から『長良川』(豊田穣)。同じく名古屋の海越出版社から『天空の舟』と『夏姫春秋』(ともに宮城谷昌光)。青森県弘前の津軽書房から『津軽世去れ節』(長部日出雄)。このぐらいでしょうか。で、そのうち、受賞してしまったのが3つもある、というのは、なかなかの高打率です。

 まずは、豊田さんの『長良川』。部数はよくわかりません。作家社から刊行されたのは昭和45年/1970年6月、なんですが、おそらく最初は内々に行き渡るぐらいしか刷らなかった、と想像されます。

(↑追記します。自費を投じて作家社から出版した『長良川』は、800部刷ったんだそうです)

 これが5月のうちには出来上がって、5月24日に名古屋で出版記念会、5月27日に中日新聞の読書欄に大きく書評が掲載されますと、6月27日、今度は東京中野で再び出版記念会。作家社から「普及版」(7月20日発行)が刊行され、読売、産経、図書新聞、週刊読書人などなどに書評が出たりして、売り上げもまあまあ伸びた、とのことです。

 昭和46年/1971年1月に第64回直木賞に選ばれます。しかし、ここで人びとの購買意欲をそそったのは、芥川賞の古井由吉さんの受賞作のほうでした。古井さんの『杳子・妻隠』(河出書房新社刊)は、『出版ニュース』によれば、2月期(1月21日~2月20日)のベストセラーリストに顔を出したあと、その後も順調に売れて、最終的に年間では15位の売れ行きに落ち着きます。

 対して、豊田さんの『長良川』は、受賞から少したった3月に文藝春秋から再刊されたんですけど、出版ニュース社の調査書店のなかでは、岐阜(豊田さんの地元です)の大衆書房で、4月期(3月21日~4月20日)のベストセラートップ5に入ったぐらい。売れかたでは、芥川賞に大きく水をあけられるかっこうでした。

 やっぱり直木賞の話題性って、何かいつも、そこそこ、ですよね。と思うんですが、地方出版の受賞作として、直木賞史上、最初に騒がれたのは、それから3年後。第69回、長部さんの『津軽世去れ節』だった、と言っていいんでしょう。

 発行元の津軽書房は、そりゃもう、大騒ぎだったらしいです。

「「あのときには、あわてましたねえ」。あのとき、というのは「世去れ節」(引用者注:『津軽世去れ節』)がことしの七月、直木賞を受けたときのことだ。「銀行へとんで行きました」。経営者の高橋彰一さん(四五)の話だが、話の具合では預金をおろしに行ったのではなく、カネを借りに行ったらしい。重版、受賞祝い……、カネがなくては動けない。いかにも地方出版社らしい話だった。」(『読売新聞』昭和48年/1973年10月31日「地方出版社というもの 津軽書房の場合」より)

 このとき、部数はどのくらい伸びたのか。高橋さん、べつのところで回想してくれています。

「直木賞が決まった途端、全国的に爆発的に売れた。

「初版二千部を刷り、受賞決定の時は七百部あったのが、たった一日でなくなりました」――津軽書房代表の高橋彰一さんは、こう回想する。直ちに二版目を一万五千、さらに三版を五千部刷って間に合わせた。この本は今でも、一年半に千部のペースで売れており、既に五刷目になっている。」(昭和55年/1980年10月・地方・小出版流通センター刊『地方出版の源流 東北の現状と問題点』「第二章 出版物を生み出す人々」より)

 津軽書房にとっては大ベストセラー。おめでたい話です。

 だけど、当然といいましょうか、直木賞やら芥川賞やらの世界でベストセラーだと騒がれる水準とは、ケタがちがいます。これで「売れた」と表現したら、たぶん、「いまの直木賞って受賞しても売れないよね、ケッケッケッ」と嘲笑している人たちの面目がつぶれてしまうはずですから、あまり大きな声で言わないようにしましょう。ああいう人たちは、機嫌をそこねると怖いですからね。

 それはさておき、同時に受賞した藤沢周平さんの「暗殺の年輪」(を表題作とした作品集)は、受賞後、文藝春秋から発売されました。だけど、よく売れた、という話は聞きません。少なくとも、『津軽世去れ節』ほどは、「ベストセラー」に関連する記事に出てきません。そんなに売れなかったんじゃないか、と推測できます。

 そもそも圧倒的に売れなきゃ、直木賞(+もうひとつの賞)の売れ行きは、言及されることが少ないです。そして、直木賞の受賞作が売れなくたって、日本人の生活に別に影響はありません。「売れた」ことばかりがニュースになって、「売れなかった」ことは、多くの人の印象に残らない。それが、「直木賞=売れる本」という偏向した話ばかりが、じんわり定着していってしまう原因になるんだと思います。

           ○

 『津軽世去れ節』の寂しくてせつないベストセラー騒ぎ、から20年弱して、ふたたび直木賞に、「地方出版」なるキーワードが彩りをもたらしました。平成3年/1991年、海越出版社&宮城谷昌光さんの登場です。

 宮城谷さんが直木賞をとるまでのことは、処女出版『王家の風日』を自費出版で500部を刷ったこととか、『天空の舟』が海越の天野作市さんに見出され、刊行され、東京のほうでも一躍注目を浴びた経緯とか、いろいろ紹介されています。じゃあ、『天空の舟』や『夏姫春秋』は、いったい何部刷り、どのくらい売れたんでしょうか。そういうエピソードのなかでは触れられていないようで、どなたかご存じの方がいたら、教えてください。

 貧乏だった(とご自身が証言しています)暮らしが、直木賞受賞後に、一気に変わったことはたしかみたいです。受賞のときに、せっせと書下ろしを進めていた『重耳』を平成5年/1993年に刊行すると、上・中・下巻あわせて35万部~40万部近くも売れた、と伝えられていて、そのおかげで宮城谷さんは、その翌年、平成6年/1994年に、ベストセラー作家の証し(?)「高額納税者」のひとりとして紹介されるにいたりました。

 それで『夏姫春秋』にハナシを戻しますと、最終的な部数じゃないんですが、受賞前には1万部を印刷していたものの、受賞決定で売り切れ店続出、全国から次から次へ注文が入っててんやわんや、という段階のことが取り上げられています。

「受賞作などを出版した海越出版社(名古屋市東区)によると『夏姫春秋』は受賞が決まるや全国の書店から注文の“嵐”。十五、十六日だけで十万部以上あった。二十六日に第三刷、八月一日に四刷、同六日に五刷というハイペースだ。」(『中日新聞』平成3年/1991年7月30日「遊軍記者が行く 宮城谷さん 超多忙な日々」より ―署名:社会部・金井俊夫)

 20万部くらいには到達したんでしょうか。この勢い、直木賞受賞作としては、売れたほうなんだと思います。

 宮城谷さんだけじゃありません。海越出版社に向けられた関心の高さも、相当なものでした。ひとつ前の候補作『天空の舟』のころから、東京のほうでもかなり有名になり、その活躍は、さまざまメディアで取り上げられたようです。それが、いよいよ直木賞まで受賞。そりゃあ、盛り上がるのもよくわかりますよ。津軽書房の場合と同じか、いやそれ以上に、快挙、快挙とかき立てられ、地方出版界に光をもたらした!と言われる展開に。注目を浴びているものがあると見るや、いっそう煽り立てようとする、例のアノ空気です。

 その後の海越出版社については、直木賞とは(たぶん)あんまり関係がないので、ごっそり省きますけど、今度はいつ、直木賞のほうに、「地方出版ネタ」が投入されるんでしょうか。そのときはまた、あとのことなど一切考えず、騒ぐだけ騒いでほしいですよね。……ほしいですよね、っていうか、放っておいても絶対に、騒ぎになるでしょう。早くその日がきてほしいです。

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