第49回直木賞『女のいくさ』と第148回芥川賞「abさんご」の単行本部数
第49回(昭和38年/1963年・上半期)直木賞
※ちなみに……
第28回(昭和27年/1952年・下半期)直木賞
第39回(昭和33年/1958年・上半期)直木賞
第148回(平成24年/2012年・下半期)芥川賞
それでベストセラーのリストなんですが、石原慎太郎さん『太陽の季節』が、年間トップ1の売上!……でありながら、部数としては、例年のベストセラーほど売れたわけじゃない。という事実から推測できるように、1年間で区切ることの魔術、といいますか、歴史全体を見渡すとさほどでもない本が、「年間ベスト10」の一覧に挙がってきてしまうことは、やっぱり、あるみたいです。
史上はじめて年間トップ10入りを果たした直木賞受賞作、といえば、第49回(昭和38年/1963年・上半期)の佐藤得二さん『女のいくさ』。じっさいどのくらい売れたのかわからなかったので、調べてみました。
文芸書の初版部数のレベルからすると、おそらく1960年代当時は、いま現在と、だいたい同じくらいだったらしく、小説界では無名の新人の、持ち込み原稿の初版を、二見書房では3,000部あたりと見積もったそうです。
二見の堀内俊宏さんが、はじめて佐藤さんと面会したときの様子によりますと、
「佐藤さんは穏やかな口ぶりで、出版を了解してくれたことに対し、感謝の意を述べた。そして、
「ひとつだけ欲を言わせていただくなら、どうか朝日新聞に広告を出して下さると……いや、これは過ぎたるお願いかも知れませんね……」
と言った。
私は出版部数を三千部ぐらいと考えていた。この程度では朝日新聞に広告を出せるような利益は出ない。だがこの本は利益を度外視しても出したい本であると思えてきた。」(昭和62年/1987年7月・二見書房刊 堀内俊宏・著『おかしな本の奮戦記』「素人の小説が直木賞になった」より)
いまは、朝日新聞に載ったって何てことはないと思いますが、ともかく4月に出版されると、広告も載ったうえに、朝日新聞は書評で取り上げてくれました。ほかに、川端康成さんによる「序文」も効いたのだ、という説もあり、意外なほど順調に売れて、「売上げも予想に反して発売二ヵ月で九千部まで伸びてきた。」(同書)とのことです。
しかも、他の媒体でも紹介されたり、映画化の話が舞い込んだり(……けっきょく公開までには至らなかったようですが)。朝日の記事によれば、発売後から取材対応が重なり、それがもとで佐藤さん、過労のため安静を強いられることになった、とも言われています。
そして直木賞に決まったのが7月23日。
「受賞の報せから日を追うごとに、本の売行きはうなぎ登りに上り全国の書店からの注文が殺到した。
(引用者中略)
いよいよ私もじっとしていられず、都内の本屋や問屋を見て回った。大書店のウィンドーには『女のいくさ』が飾られた。側には「本年度上半期直木賞受賞作」などと書かれた張り紙が貼ってあったり、新聞を拡大したチラシが張ってあったりした。」(同書より)
このように、本屋に行けばディスプレイされている、というほどのベストセラーになりまして、この年、昭和38年/1963年の年間ベストセラーでは、2番目の順位につけた。と出版ニュース社が発表しました。
年末までの公称部数、というのも記録されています。『女のいくさ』は、どのくらい行ったのか。……10万部ちょっとだったそうです。
半年前、第154回の直木賞を受賞した青山文平さんが、受賞会見で、初版3000、4000部の本を、全国の書店に並ばせる力のある賞は、直木賞だけだと理解しています、と答えていましたが、時代がちがうとはいっても、『女のいくさ』が10万部を超えたといえるくらいまで売れたのは、もちろん直木賞による宣伝効果が役立ったんだと思います。
だけど、やっぱり思っちゃいます。直木賞受賞作ではじめて年間2位になったと聞くと、なんかスゴいけど、たった10万ちょいだったの?
○
なにしろ、新人・原田康子さんの『挽歌』は70万部を超えた、と言いますし、『英語に強くなる本』のように100万部を超える本も現れ、松本清張さんのように出す本出す本、10万部程度売れちゃうベストセラー作家がいた、っていう時代の、10万部ちょっと。
出版ニュース社の『出版年鑑』でも、こんなふうに解説されていました。
「1963年は(引用者中略)きわだったベスト・セラーはみられなかったがやはり見のがせない特徴がある。(引用者中略)1963年のトップ・セラーということになると、別表のように、『危ない会社』で、それにつづくものをみても、例年に比べるといささか小粒という感じはいなめない。」(昭和39年/1964年5月・出版ニュース社刊『出版年鑑1964年版』「第1編 年間史 2 概観」より)
『危ない会社』(占部郁美占部都美・著)は、ベストセラーランキングの常連、光文社のカッパの本で、だいたい40万部出ていた、と言います。それを含めても全体的に「小粒」な売れゆきの年だった。ってことで、『女のいくさ』が他の年に出ていたら、10位圏外になっていたとしても、おかしくありません。
10万部前後の直木賞受賞作は、『女のいくさ』以前にも存在していました。
たとえば、第39回(昭和33年/1958年上半期)の山崎豊子さん『花のれん』(6月・中央公論社刊)。部数は、いまちょっとわからないんですが、出版ニュース社の年間ベストでは20位にランクインしていて、ひとつ上の19位が松本清張さんの『点と線』、そちらは10万部とも15万部とも言われるぐらいの部数水準でしたので、だいたいそんなもんでしょう。
ちなみに山崎さんの場合、すでに処女小説『暖簾』(創元社刊)が昭和32年/1957年、13万部まで行っていた、という実績もあります。『花のれん』もそれと同程度だった、と言ってよく、直木賞による売り上げ効果がどのくらいあったかは、(なくはないでしょうけど)微妙なハナシです。
「太陽の季節」以前の、第28回(昭和27年/1952年下半期)に受賞した立野信之さん「叛乱」は、受賞前に六興出版社で単行本になっており、そこから11万5000部に達した、と言われています。これが『女のいくさ』と同じ年だったら、当然、ベスト10入りしていてもおかしくありませんが、圏外です。
で、すぐに最近のハナシと結びつけるのもどうかとは思うんですけど、すきあらば、現在の直木賞(や芥川賞)の現象を、昔のことと並べて比較したがるのが、直木賞脳・芥川賞脳の、キモチ悪い習性なので、許してください。
「最高齢芥川賞受賞!」と謳われて、一瞬、温度があがってベストセラーになった黒田夏子さんの「abさんご」(第148回 平成24年/2012年下半期 芥川賞)の単行本、これについては14万部刷られた、という報道があります。『女のいくさ』と、同じくらいの水準です。佐藤得二さんのときも、受賞後には「64歳の新人」だと見出しがおどっていました。「最高齢受賞」っつうものが売り上げにもたらすインパクトは、だいたいその程度、と言えるのかもしれません。
いや、『女のいくさ』は、年間の売上げがどうだと言う以前に、もっと深刻な問題を抱えています。
直木賞(や芥川賞)は文学賞として極めて特殊な立ち位置にあるので、歴代受賞作の売上ランキング、なんてものがつくられたりします。そこでは、少しでも部数が多いほうがスゴく見えるからなのか、「文庫化されてからの部数も含む」なんちゅう、キタナい手が使われることがあり、「受賞当時における賞のパワー」を見るには不適切なリストになっちゃうことがあります。
『女のいくさ』は、そもそも二見書房が文芸主体の出版社ではなく、また佐藤さん自身が、小説家開店休業のまま亡くなってしまい、文庫化されることもありませんでした。受賞後にベストセラーになったといっても、それ以降、おそらく、これを読んだことのある人は、まあそんなに増えなかった(はず)、という意味で、大変不幸な受賞作といっていいです。
いまさら文庫化したって、何万部も売れるような小説じゃないでしょう。直木賞には「瞬間の売上急増効果」「受賞後の作家活動を支援する、権威によるお墨付き効果」のほかに、「受賞作を後世にまで残す」役目も果たしてほしいんですけどねえ、芥川賞の『芥川賞全集』みたいに。いまのところ、直木賞にそういう気がほとんど見られないのが、ほんと残念です。
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コメント
占部都美では。
投稿: | 2016年11月15日 (火) 11時44分
コメントでのご指摘ありがとうございます。
またまた、知ったかぶって間違ってしまいました。お恥ずかしいかぎりです。
投稿: P.L.B. | 2016年11月15日 (火) 21時39分