第32回直木賞「高安犬物語」と第31回芥川賞「驟雨」の単行本部数
第32回(昭和29年/1954年・下半期)直木賞
※ちなみに……
第31回(昭和29年/1954年・上半期)芥川賞
第40回(昭和33年/1958年・下半期)、第41回(昭和34年/1959年・上半期)芥川賞
昭和20年代後半から昭和30年代、新人の文芸書は初版が2,000部、3,000部。だいたいいまと同水準ぐらい、と言っていいんでしょうか。
それが直木賞や芥川賞をとると、増刷がかかる。順調にいけば10倍の2~3万部までは行く。さらに付加価値がついて「よく売れた」部類になれば、5万部、10万部ぐらいは増やすことができる。……というのが、およそ標準的な直木賞・芥川賞の部数動向だったんじゃないか、と思います。
なにしろ、ほかに、いくらでも売れた本は数多くあったはずです。なので、この両賞は、べつにベストセラーをわんさか生み出す賞、などではなく、ちょっとバネのついた跳び板、ぐらいに呼んでおくのが無難なんでしょう(たぶんこれは、いまでもそうです)。
それで、昭和30年代の芥川賞というと、名候補者のひとりに吉村昭さんがいます。
のちに、作家として食える領域にまで到達し、当時の動静を綴った『私の文学漂流』を書き残してくれた人ですが、これは雑誌の原稿料がいくらだったとか、単行本を出すとき何部刷ったとか、そういうディテールまできちんと抑えている、その面でも貴重な半生記です。
昭和33年/1958年、吉村さんが、石川利光さんのすすめもあって、はじめて出した作品集が『青い壺』。これは自費出版で、山田静郎さんのやっていた小壺天書房の発行、というのは名義だけ貸してもらったものらしいんですが、1,000部を刷ったそうです。吉村さんは、「短篇集『青い骨』の反響は何一つとしてなく、印刷所への月々の支払いが残っただけであった。」と淡々と書いています。
その後、『文学者』に載せた「鉄橋」ではじめて芥川賞(第40回 昭和33年/1958年・下半期)の候補となり、あっさり落ちたりするなか、妻の津村節子さんも、処女出版となる『華燭』(次元社刊)を刊行。こちらのきっかけもやっぱり、石川利光さんで、石川さんは次元社の顧問をしていて、だれか有望な新人の原稿をと物色していたときに、津村さんに白羽の矢を立てたということで、映画化決定の余波もあったのか、三刷まで行ったそうです。
この『華燭』は、第41回直木賞(昭和34年/1959年・上半期)で津村さんが候補になったときに「参考作品」として選考委員たちにも読まれたことが、選評などにも見えます。どうしてこちらが候補作でなかったのか、もはや誰にもわかりません。
吉村さんのほうに話を戻すと、「夫婦で直木賞・芥川賞にまたがる同時候補」とかいう、当時少しは話題になったはずのプチ事件を経て、南北社から創作集を出しませんかと依頼を受けて大感激。自選というかたちで選んだ収録作に、芥川賞候補になった「鉄橋」と「貝殻」二作も入れました。
芥川賞の候補になった程度の、新人の創作集がそんなに売れるわきゃないことは、昔も今も変わらない。とは思うんですけど、吉村さんの『少女架刑』は、いくつもの紙誌で書評に好意的に取り上げられたのだそうで、
「このように多くの書評の対象になったためか、初版三千部であった創作集『少女架刑』は五百部ずつ三度増刷し、私としては、大竹氏(引用者注:南北社の大竹延)に迷惑はかけなかったらしいことに深い安堵を感じた。」(『私の文学漂流』より)
と、妻の「処女出版いきなり三刷」に引け目を感じることなく、売れました。
ただ「賞」という点では、津村さんは昭和39年/1964年に同人雑誌賞もとり、昭和40年/1965年1月には第53回芥川賞にも選ばれるという僥倖に恵まれます。吉村さん、一気に引き離された感がありましたが、すぐさま反撃に転じ、昭和41年/1966年に「星への旅」で太宰治賞を受賞。ちなみに同年8月に筑摩書房から出た創作集『星への旅』は初版5,000部、だったとのことです。
しかし、吉村昭に賞のきらびやかさは似合わないぞ。……と誰が決めたのか知りませんけど、吉村さんが注目を浴びたのは「賞」の力によってではなく、この年、『新潮』9月号に、420枚一挙掲載された「戦艦武蔵」パワーでした。コイツが、それまでの「冴えない芥川賞候補卒業組」の汚名(?)をひっくり返すほどに大爆発、
「単行本の初版は、驚いたことに二万部で、私は身のすくむのを感じたが、翌日には三万部に訂正され、九月八日に出版されると、九日に一万部、十五日にさらに一万部が増刷され、十月中旬には十一万六千部にも達していた。」(同)
その後、20万部を超えたという記録も残されて、「ベストセラー(を出したことのある)作家」の称号をつかみ取ってしまいます。
仮に「芥川賞受賞作」の看板があったって、20万部なんか、そうやすやすとは売れません。その意味では、芥川賞をとれなかったグループの人が、売り上げの面で芥川賞を凌駕した! という爽快な展開ではありました。
……いや、むしろ、芥川賞を見るときに、売れゆき売れゆき、とそればっかり言い募る愚かさを反省したほうがいいのかもしれません。そりゃ、芥川賞より売れる本なんて、たくさんあって、ことさら特筆するようなことじゃないわけですから。
○
マズった。今週は、直木賞のハナシが薄すぎました。このまま終わるのはやっぱりイヤなので、少しだけ直木賞のことも付け足します。
吉村さんが最初に芥川賞候補になる4年まえ。昭和29年/1954年下半期の第32回、直木賞を受賞したひとりが戸川幸夫さんです。小説家としては駆け出しも駆け出し、そんな人がいきなり直木賞をとっちゃいます。
戸川さんの受賞作「高安犬物語」って、どのくらい発行されて、そして売れたのか。よくわからないんですが、このころ、新人の短編集といえば初版3,000部が常識だったんだよね、と回想しているのが、第31回(昭和29年/1954年上半期)芥川賞受賞者の吉行淳之介さんです。
「短篇集「驟雨」(引用者中略)というのが、私のはじめて出版になった本である。同名の短篇が芥川賞になったのがキッカケになって、出版のはこびになった。初版部数は五千で、再版にはならなかった。もっとも、当時新人の短篇集は、三千部ほどが常識だったから、二千部分が芥川賞のおかげである。」(『群像』昭和42年/1967年1月号「私の第一創作集」より ―昭和43年/1968年・大光社刊 吉行淳之介・著『なんのせいか』所収)
こんな常識がまかり通っていた時代。戸川さんは、初版3万部は刷りますよ! と(けっこうアブナい)話を、新潮社から持ちかけられたらしいんです。
直木賞をとった「高安犬物語」は初出が『大衆文藝』。この雑誌を出していたのが島源四郎さんの経営する新小説社で、大手出版社のアヤシげなやり口に、貧乏出版社・新小説社はあおりを食ったのだと、島ゲンさん、ボヤいています。
「(引用者注:「高安犬物語」が)候補になった時、私の社から本を発行することになっていたんですが、受賞したとたんに、各出版社から話があって、新潮社から初版三万部で五段抜きの新聞広告をするからと本人に話があったんです。(引用者中略)私のところでやれば、せいぜい初版五千部だと、それもとても五段抜きの広告は出せないけれど約束は約束だから私の社から出させろと言ったんですけれど、いや新潮社でこういう条件だからといって頑張るんです。それじゃ確かに初版三万部で新聞五段抜きの広告を出すということを新潮社で一筆書いてくれれば私も承知する、と戸川さんと約束したんですが、待てど暮らせど何んにも言ってこないんです。そのうち新潮社から本が出てしまったんです。」(『日本古書通信』昭和60年/1985年5月号 島源四郎「出版小僧思い出話(10) 終戦直後の出版界――直木賞のうら話など」より)
それで『高安犬物語』は、新潮社から、いわゆる新書版の「小説文庫」の一冊として刊行。ほんとに3万部刷ったのかも、どこまで売れたかも、わからないんですけど、初版3万部はあきらかに異例の部類に属したはずです。
もし、それがほんとうなら、新潮社もやたら吹っかけたよなあ、直木賞を過大評価しすぎたんじゃないかなあ。とヒヤヒヤしますし、たぶん、重版にはならなかったんじゃないかなあ、と推察します。
……と思っていたところ、元・角川書店の編集者、山本容朗さんがこんなことを書いている文章を読みました。追記しておきます。
「このころ(引用者注:「高安犬物語」が直木賞を受賞した昭和30年/1955年ころ)、新潮社でポケット版の「小説文庫」というシリーズがあり、この直木賞受賞作品は、このなかに入っていた。私の勤めていた出版社でも、同じ判型の同じような企画をやっていて(引用者注:角川小説新書)、戸川さんの動物小説集を一冊もらうことになった。
(引用者中略)話はトントンと運び、『咬ませ犬』というタイトルの本が出来たのだが、直木賞受賞もあってか、大変よく売れた。私の記憶ははっきりしないが、五万部を越えたと思う。」(昭和57年/1982年9月・文化出版局刊 山本容朗・著『作家の人名簿』所収「戸川幸夫」より)
この記憶が正しいなら、『高安犬物語』が小説文庫で初版3万部、というのもあながちあり得ない数字じゃありませんし、重版だって、かかったかもしれませんね。
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