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2016年6月 5日 (日)

第1回直木賞「風流深川唄」と第1回芥川賞「蒼氓」の単行本部数

第1回(昭和10年/1935年上半期)直木賞

受賞作●川口松太郎「風流深川唄」収録『明治一代女』(新小説社刊)
初版2,000

同回(昭和10年/1935年上半期)芥川賞

受賞作●石川達三「蒼氓」収録『蒼氓』(改造社刊)
6,0007,000
〃 『蒼氓』(新潮社/昭和名作選集)
9万(昭和18年/1943年10月まで)

※ちなみに……

同回(昭和10年/1935年上半期)芥川賞

候補作●太宰治「逆行」収録『晩年』(砂子屋書房刊)
初版500部→再版1,000部→参版1,000部くらい

 「直木賞の発行・売上部数」で行こう。と、テーマを決めたのはいいとして、どこから手をつけていいのやら、まったく見当もつきません。困ったときは、原点に帰れ。っていうテキトーな習わしに従いまして、約80年まえ、いちばん最初の、第1回直木賞・芥川賞からスタートしたいと思います。

 第1回(昭和10年/1935年上半期)の直木賞は、よく知られているとおり、かなりグダグダに決められました。芥川賞とちがって、選考対象の候補作品、なんてものは一切なし。○△×で点数を付けるとか、最後に票決するとか、そんな選考手法も、まだ生まれちゃいません。アイツは近ごろ腕を上げてきたよね、うん、頑張っているな、去年発表されたあの作品には感心したよ、でもアイツで大丈夫か、不安だな、いやいやここで賞をあげておけばヤツは一流になるよ、そうだね、そうですね、……と雑談なのか選考なのか、よくわからない会話のなかから、何となしに決まった。そんな感じだったらしいです。

 のちにだんだん飽きてくる菊池寛さんも、さすがに第1回のときはやる気があったらしく、その決定には、かなり菊池さんの声が反映された、とも言います。菊池さんは、文春にチョコチョコ出入りしていた顔なじみ、川口松太郎さんの「鶴八鶴次郎」(『オール讀物』昭和9年/1934年10月号」を、わざわざ「話の屑籠」で褒めたぐらいに、そうとう買っていました。川口さんはまもなく、「鶴八鶴次郎」と同じく明治期に材をとった人情物「風流深川唄」を『オール讀物』に連載(昭和10年/1935年1月号~4月号)。このあたりの作品をもって、第1回直木賞の授賞が決まります。

 直木賞は、芥川賞と並んで、「新人発掘」も目的のひとつとして考えられていました。創設発表のとき、受賞した人には特典として、『オール讀物』(っていう何十万部も出ている大舞台)に小説を発表させてやるよ、っつうのが謳われていたくらいです。そんな賞だったはずなのに、もう『オール讀物』に何篇も書いている、ほかに『講談倶楽部』にも『講談雑誌』にも『サンデー毎日』にも『新青年』にも、一流どころの大衆誌にすでに原稿が売れている作家に、贈らざるを得なかった。……と、その一歩目にして足を踏み外してしまったところが、直木賞の(あとあとまで尾を引く)テキトーさ、なわけですが、それはまあ関係ないので端折ります。

 ともかく川口さんは、すでに作家として名が知られていました。しかし、現在と大きく違うことがあって、それは「知られている作家」でありながら、川口さんにはまだ一冊も著作がなかった点です。直木賞の受賞がきっかけとなって、初めて、自分の本を出すことになります。

 「小説家としてやっていきたい」と思っていた川口さんですから、この出版に浮き足立たないわけがありません。

「小説の単行本が出るくらゐなら、もうこれで一生(引用者注:作家として)やって行けそうだし、やって行ければ、人の世話にならなくてもすむだらう(引用者後略)(昭和11年/1936年3月・新英社刊 川口松太郎・著『鶴八鶴次郎』「跋」より)

 と言ってから、これまでお世話になった人達……小山内薫、久保田万太郎の両師匠、および勝手に「僕の文章上の教師」として念頭においていた谷崎潤一郎、里見〈弓+享〉の名前をあげて礼を述べた「跋」をおさめ、序文を菊池寛、久保田万太郎が書き、小村雪岱の口絵がつき、当然のように函入り。処女出版の思いが凝縮している分、ほんとうに売る気があったのかどうか、わからない本です。

 初版どれぐらいの部数が出たものか、ご存じの方がいたら教えていただきたいんですが、とりあえず古書価ばかりが上がりに上がってしまい、「直木賞初版本マニア」という、ワタクシにはまったく付いていけない異次元の変人たちしか相手にしない本として、いまもどこかで何千部か(何百部か)生息しています。

 ちなみに、これと同じ昭和11年/1936年3月――直木賞受賞7か月後に、川口さんはもう一冊、本を出しています。第1回直木賞受賞作(は、厳密には「鶴八鶴次郎」ではなくこちらだ、と川口さん本人が証言する)「風流深川唄」が収録された『明治一代女』です。版元は、のちに第三次『大衆文藝』を出すことでおなじみの、新小説社。

 こちらの本の「跋」では、川口さんが、発行部数を明かしています。

「この本の初版は二千部しか刷つてゐない、而もその二千部がみんな売れるかどうか、出版元の島源四郎が小首を傾げてゐるのだから、どうも少し淋しい。

それにこの本は木村(引用者注:木村荘八)さんの口絵だけでも二十銭くらゐいかゝってしまつて、その他装釘や何かに思ひの外金が要つて、二円の定価で二千部売りつくしてもそんなに儲からないさうだ。」(昭和11年/1936年3月・新小説刊 川口松太郎・著『明治一代女』「跋」より)

 昭和11年/1936年4月24日、『東京朝日新聞』には新小説社の同書広告も載っていて、序・谷崎潤一郎、久保田万太郎、題字・久米正雄、装釘・花柳章太郎、口絵・木村荘八、扉文字・牧野虎雄。……と、こっちの本も相当なビッグネームたちがタッグを組んだ(?)んですが、おそらく初版2千部は売り尽くせなかったと思われます。

 と言うのも、後年、川口さんはこの本のことを回想する口で、

「これがまた贅沢(ぜいたく)きわまる単行本で、(引用者中略)当代一流の作家、画人、俳優を集めた贅沢な本で、発行元は新小説社の島源四郎君、一緒になって喜んで贅沢本を造ってくれたが、恐らくは売れなくて損をしたのではないかと今でも気になる。」(『読売新聞』昭和43年/1968年4月13日夕刊 川口松太郎「出世作のころ 川口松太郎(九)戯曲作家として」より)

 と島源さんを心配。仮に増刷していたのだとしたら、こんな回想はしなかったはずです。

 一冊2円のうち、著者に10%入るとして20銭。2千部だと4千円(じゃなくて、計算まちがえました…)400円。川口さんは、のちに受賞したときを回想して、とにかく受賞賞金の500円というのは「大金」で、「五百円持っていたら金持ちの部類」だと、その金額の高さを強調していました。受賞作(を収録した)1冊を出して手もとに入ってくる収入よりも、もっと多くの賞金が入るとなれば、たしかに、その賞金が印象に残ったのも無理ないかもしれません。

           ○

 せっかくなので、第1回芥川賞のことも、少しだけ。

 芥川賞のほうは、一般読者がまず目にしない同人誌に載った小説が、当時25万部弱発行していた『文藝春秋』に転載されて陽の目をみる。というわかりやすいサクセスストーリー・プロジェクト。受賞者だけでなく候補に挙がった作家も、その『文春』本誌に、作品を載せてもらえるチャンスが与えられ、また単行本の刊行へとつながります。このわかりやすさこそが、たしかに直木賞よりも、芥川賞のほうがイカしている一因です。

 川口さんは、「鶴八鶴次郎」および「風流深川唄」収録の本が出るまで、受賞から7か月も待たされました。対する石川達三さんは、受賞が8月、その月の終わりには『文春』9月号(発行部数24万8千800部)が発売されて、多くの人に読まれることになり、しかもその受賞作をおさめた初の小説本『蒼氓』が改造社から10月(奥付による)には出てしまう、というハイ・スピード。さすがは芥川賞、イカしています。

 さまざまな文芸書の「初版本」について、その簡単な来歴や古書取引値などが解説されている『初版本 現代文学書百科』(昭和46年/1971年9月・桃源社/桃源選書 城市郎・著)という本があり、その表紙カバーは、「芥川賞」受賞作の初版本がずらっと本棚に飾られた写真が使われていて、直木賞ファンに悪寒と吐き気を催させるつくりになっているんですが、ここに『蒼氓』に関するおハナシが出てきます。

「昭和十年十月、改造社刊、定価一円二〇銭。

四六判、丸背上製本。

第一回芥川賞受賞作品「蒼氓」(長編三部作の第一部)のほかに、「石女」「毒草苑」「霧海」が収められている。著者の記憶によると、「たしか、六、七千部売れたかと思う」(引用者注:おそらく『本の手帖』昭和36年/1961年11月号「『蒼氓』について」からの引用か?)とのことだが、そのわりに初版で美本は見つからない。

(引用者中略)

昭和十四年八月、新潮社から『昭和名作選集』の一冊として刊行された同題の本(四六判、フランス装、定価一円)は、三部作(第一部「蒼氓」第二部「南海航路」第三部「声無き民」をおさめているが、古書価は安い。」(城市郎・著『初版本 現代文学書百科』「石川達三の本」より)

 受賞作本の栄をになう改造社版が、本人の記憶ではありますが、6千~7千部。と、思いっきり直木賞の川口作品を超えていて、イカしているというか、イケすかない感がありますが、さらに「古書価は安い」と紹介されている新潮社の「昭和名作選集」は、古書価が安くなるほど大量に市場に出まわった、ということらしいです。

「『新潮社八十年図書総目録』によると、(引用者中略・注「昭和名作選集」のうち)最高に売れたのは石川達三「蒼氓」で十八年十月までに九万部、(引用者中略)新潮社にとってこれは大成功であり、昭和十四年度の同社の営業成績が上がったのも、この選集に負うところが大きかったと思われる。」(平成2年/1990年5月・明治書院刊 青山毅・編著『文学全集の研究』所収 曾根博義「『新日本文学全集』と戦争下の出版状況」より)

 戦前、つまり直木賞・芥川賞がはじまって10年も経たないあいだに、両賞の第1回受賞作の部数は、大きな差が付いてしまった、というわけですね。

 まあ、川口松太郎さんは、直木賞の受賞について、経済的なことより、「一流作家」として自信をもって人づきあいできるようになった、という精神的な支えのほうが大きかった、とも言っています。他に、劇作やその演出、あるいは映画界でのお仕事など、収入源のある人でした。そういった手広いお仕事のなかから生まれた『婦人倶楽部』連載の「愛染かつら」が、映画になって大ヒット。川口さんの、一般社会における作家的地位は、それによって確立したと考えるのが自然でしょう。

 少なくとも第1回の直木賞・芥川賞、部数のうえでは、圧倒的に芥川賞のほうが勝利し、直木賞は「受賞による精神的支え」という、どうにもパッとしない(でも重要な)スタートを切った、んだと思います。

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コメント

20銭×2千部は400円ですね

しかし今よりも「本を出す」ことがずっと大ごとだったことがよくわかるエピソードですね。なんとなく浅田次郎さんの「上梓について」を思い出しました(笑)

投稿: 毒太 | 2016年6月 6日 (月) 11時23分

毒太さん、

えらそうに書いておきながら計算ひとつできないバカっぷりを露呈してまって、
恥ずかしいかぎり……。
印税額の件、ツッコんでくださり、ありがとうございます。

投稿: P.L.B. | 2016年6月 6日 (月) 21時48分

面白い!次回も楽しみにしてます!

投稿: パンダ | 2016年6月16日 (木) 05時46分

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