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2016年4月の4件の記事

2016年4月24日 (日)

押切もえは言われた、「文芸誌デビューで真剣に「直木賞」狙い」。(平成26年/2014年12月)

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(←書影は平成28年/2016年2月・新潮社刊 押切もえ・著『永遠とは違う一日』)


 今週は、他の人を取り上げるつもりだったんですけど、予定を変えました。だって嬉しすぎるでしょ。押切もえさんの、山本周五郎賞候補選出。

 こういうの、積極的に大賛成です。たとえば、直木賞にとって芸能人さわぎ(1980年代ごろのやつとか)は、あきらかに大きな華でした。かたや昭和61年/1986年に「新潮社が直木賞のライバルを創設!」とすっぱ抜かれたときがこれまで最高の盛り上がりだったんじゃないか、と疑われる山本周五郎賞。はじまって30年弱もの長いあいだ、ずーっと華やぎに乏しかった山周賞が、そこに進出するとなりゃ、断然賛成しちゃいますよ。いいぞ、もっとやれ。

 いや、むしろ遅すぎた感すらありますよ。山周賞は後発ゆえに、たいていの無茶は「新たなチャレンジ」で済ませられる立場にあるのに、直木賞と似たような路線の「権威」狙ってどうするんですか。これからどんどん、直木賞と競って、芸能人の小説も候補に入れるよう努力していってほしいです。

 おおむね、芸能界で顔を売っている方たちは、その仕事のなかに「客寄せパンダ」みたいな性質が混じっています。ナニソレの発表会に(なぜか)芸能人が呼ばれ、ときに芸能レポーターを巻き込んで大にぎわい、という類いはそのひとつだと思いますけど、なりわいのなかに「多くの人の視線を集める」ことが盛り込まれている。これはこれで、文句をつける筋合いのものじゃありません。当たり前です。

 そういう客寄せパンダ性、小説界・出版界でも見事に効果を発揮することは、すでに歴史が証明しています。これからもめげずに、いっそう続けていけばいいと思います。そのとき、いちばんナチュラルなのは、今回みたいに文学賞とからませる手法です。

 そもそも、候補作を紹介してもらうためにマスコミ向けにリリースを流している、山周賞・直木賞あたりは、これはもう、賞そのものが出版界における立派な「客寄せパンダ」です。「こういう人たちが候補になりましたっ!」「この人たちに賞が贈られますっ!」なんて情報を、わざわざ広く知らせようとしているのは、まわりの人たちの目を引きつけるためにやっています。その意味では、見せものです。

 見せものの文学賞に、さらに大勢の目が向く芸能人の書いた小説を候補に選ぶ。というのは、当然といえば当然。どこにも矛盾もキズもない、きれいで真っ当な姿勢だと思います。

 じゃあ、その小説が買って(あるいは借りて)読むに値するのかとか、いまの日本の小説界のなかでどの程度のレベルにあるのかとか、そんなことを提示するのは、まったく文学賞の任じゃありません。各メディアでの真面目な書評や、時評、口コミ、Amazonレビュー、そういうところでやるのが自然です。だって、考えてもみてくださいよ。山周賞にしろ直木賞にしろ、過去どんな作品を選んだって、それが日本の文学や小説界の趨勢に、さして影響を与えたことなどないでしょ? 何の問題もありません。

 それで押切さんです。「山周賞の候補になって落選した作品は、直木賞を受賞するというジンクスがある」といった摩訶不思議なデマを生み出しただけでも、十分に直木賞に貢献してもらったようなもんですが、山周賞の候補になっただけで、おのずと直木賞も(波及的に)盛り上げてくれている。それはたしかです。直木賞ファンとしては、ほんとにありがたいです。

「モデル・押切もえ(36)の小説「永遠とは違う一日」(新潮社)が、山本周五郎賞にノミネートされた。同賞は「直木賞」などと並び、優れたエンターテインメント作品に与えられる文学賞で、押切にとっては13年の小説家デビューからわずか3年、2作目での快挙。

(引用者中略)

山本賞は、候補作が同年の直木賞にノミネートされるケースも多く、押切が今後の文学賞レースにも絡む可能性も出てきた。」(『スポーツ報知』平成28年/2016年4月22日「押切もえの2作目小説「永遠とは違う一日」が山本周五郎賞にノミネート」より)

 ということで、山周賞といえば次は直木賞だよね、とさくっと紹介してしまう直木賞脳の持ち主が、スポーツ紙に根強くいることも、押切さんのおかげでわかりました。

 いちおう、うちは本体で、しがないデータベースサイトをやっているものですから、データのことだけ言いますと、

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■山周賞候補→直木賞候補になった例

 全137作中19作(13.9%)

 その19作の内訳

 └山周賞受賞10作→直木賞受賞:1作、直木賞落選:9

 └山周賞落選9作→直木賞受賞:3作、直木賞落選:6

 ちなみに、山周賞はどうしたって新潮社の本が候補になりやすい、っていう主催側のお手盛りが入りがちです。新潮社の本が、山周賞でも直木賞でも候補になる確率は、もうちょっと低くなります。

■新潮社の本で、山周賞候補→直木賞候補になった例

 全46作中4作(8.7%)

 その4作の内訳

 └山周賞受賞2作→直木賞受賞:なし、直木賞落選:2

 └山周賞落選2作→直木賞受賞:1作、直木賞落選:1

 ともかく、山周賞の候補になりながら直木賞の候補にならない作品のほうが8割以上、と圧倒的に絶望的に多いです。もはやその段階で集計するのも馬鹿バカしくなるんですが、少なくとも、山周賞の候補になったのなら、その当落は、直木賞の候補になりやすいかどうかとは、ほとんど関係ありません。

 ……って、山周賞の結果が出る前から、こんなこと言っているところが、どうにも直木賞と結びつけないと気が済まない直木賞脳の症状なんですよねー、すみません。

 ただ、今回の作品がどうなるかはともかく、押切さん、これからいろんな出版社から数多く小説を出していけば、当然、直木賞だけじゃなく、いずれか文学賞が黙っていないでしょう。黙っている場合じゃありません。いいぞ、どんどんやれ。

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2016年4月17日 (日)

太田光は言った、「ハクをつけたいので、本屋大賞か直木賞を狙いたい」。(平成24年/2012年1月)

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(←書影は平成24年/2012年1月・楓書店刊、ダイヤモンド社発売 太田光・著『文明の子』)


 直木賞をとった人たちより、芸能人のほうが圧倒的に有名です。だいたいは。たくさんの人に注目される、という面で、直木賞は(一部の)芸能人にまったくかないません。

 そういった状況のなかで、メディアを通じて、強烈に、しかも繰り返し繰り返し「直木賞」のことに言及し、「誰かに触れてもらえることに最大の価値がある」直木賞の存在意義とその維持に、最も貢献した芸能人はだれか。とくに2000年代から2010年代の前半まででいえば、これはもう断然に、爆笑問題の太田光さんだと思います。

 芸能界のことにそんなに詳しくないワタクシですら、太田さんがいろんなところで直木賞をネタにしている、ってことを知っているぐらいですので、一般的には、直木賞のことを語らせたら太田光、太田光といえば直木賞、といった印象が、かなり浸透している……んですよね? まあ一般のことはさておき、ワタクシ自身は、「誰かに語られているときの直木賞」のファンです。なので、もちろん、直木賞のことを語る太田さんが好きです。

 「直木賞に関する太田語録」は数多くあるんですが、だいたいある一つの考え方に集約しています。「文壇の権威である」っていう価値評価です。

 おそらく太田さんは、文学史・小説史に詳しい方だと思います。直木賞に対しても、数多くの斬り込み方をもっているはずです。そのなかで、この「権威」の側面だけをチョイスし、それを前提にして冗談・洒落めいた発言をする。終始一貫してその姿勢にブレがありません。

 イメージってやつは、ほんと馬鹿にできなくて、べつに直木賞って他の賞に比べて権威をもつほどのものじゃない、とワタクシは思うんですけど、一般には、同じ組織がやっているもうひとつの賞と並んで一番の権威だ、と言われちゃっています。しかたありません。その一般的な印象から逸脱せず、常に直木賞=権威である、という土台のうえに立って、直木賞について言及するし、ときにボケの道具に使って笑いをとる。

 一度や二度ならわかります。この姿勢をずーっと守り通す、っつうのはさすがにつらいと思います。それでも、いまなお、太田さんの直木賞ネタの基本は、そこに軸が置かれています。

 まだ自分で小説を発売する以前から、自分よりも(波及力では格下の)「直木賞」のことを、いろいろと表舞台に引き出してくれました。その代表的なひとつが、『ダ・ヴィンチ』平成19年/2007年5月号の特集記事です。

 日本テレビで放送されていた「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中」を特集したもので、「番組徹底大研究」「収録現場を密着取材」「太田光ロングインタビュー」などなど、このあたりは、テレビ雑誌で取り上げるほうがふさわしい内容なんですが、ダ・ヴィンチ誌上でマニフェストを発表、読者および著名人による賛否の意見を紹介し、その票数による採決までを記事にした部分は、『ダ・ヴィンチ』ならではと言いますか、思いっきり、直木賞ファンに楽しみを与えてくれる4ページになっています。

「この度は、混迷する日本出版界を明るい未来に導くため、太田総理が提出したマニフェストについて、作家・書評家・書店員の皆さまをゲストに迎えて誌上討論を行いたいと思います。それでは審議をはじめます。内閣総理大臣・太田光くん!

私の今回のマニフェストはこちらです!

「芥川賞・直木賞を廃止!

国民投票で選ぶ文学賞

“直木川賞”を新設します!!」」(『ダ・ヴィンチ』平成19年/2007年5月号より)

 これについて、ゲストとしてコメントと賛否の投票を寄せているのは7人。阿刀田高、島田雅彦、阿川佐和子、大森望、豊崎由美、永江朗、上村祐子の面々です。

 企画そのものは、誰がどのくらい賛成しようが反対しようが、現実は何も変わらない類いのもので、文学賞を空想上でもてあそんで楽しむ、思考のお遊びです(もちろん、文学賞をそうやって楽しむことには大賛成なので、素晴らしい企画だと思います)。おおむね、まともな意見が飛び交わされていて、読者投票も含めた結果、マニフェストへの賛成131人、反対166人で、否決。ということになっています。ワタクシ個人的には、文学賞を2つ減らして1つ増やす、つまり結果的に賞を減らしてしまうような提案には、反対です。文学賞の数が減れば、それだけ楽しみが減っちゃいますからね。

 それはそれとして、このマニフェストには、やはり大きな欠点があります。「直木賞・芥川賞を廃止する」ということと、「国民投票で選ぶ文学賞を創設する」という、二つのことを(なぜか)一緒にしてしまったことです。……とマジレスしてもしょうがないので、そこは深くツッコみませんけど、でもこの発想が、太田さんの「直木賞ネタ」の基本、なんだと思います。

「なぜこのような提案をしたかというと、文学というのは完全に大衆のものだと思っているからなんです。芥川賞と直木賞って、とくに芥川賞なんて新人賞的な意味合いもあるのに、すごく権威があるじゃないですか。そういう、いちばんの権威は国民が選ぶほうがいい。」(同)

 要するに、「直木賞・芥川賞」セットから、新設「直木川賞」への置き換えは、権威ある賞をどうするか、ということに主眼に置かれています。

 出発点には明らかに、直木賞のことを、いま現実に権威をもっている賞としてとらえる、一般的に共有された前提があるわけですね。ただ、これに反対意見を寄せている阿刀田、島田、阿川、豊崎、永江の各氏や、読者からの反対コメントなどには、「権威」以外に直木賞(やもうひとつの賞)がもっているさまざまな性質が挙げられていて、それで「とくに廃止すべきだとは思わない」と言われています。そりゃそうです。直木賞には「権威」しかないわけじゃありません。否決も当然でしょう。

 と、けっきょくマジレスしちゃっていますが、やっぱり直木賞のこと考えるのって、楽しいんですよ。堂々と、メディアを使って直木賞の存在意義や立ち位置にまで食い込んで話題を投げかける、太田さんの誰にもまさる功績だと思います。

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2016年4月10日 (日)

リリー・フランキーは言われた、「話題になるためにも、直木賞の候補にならないかな、と思っていました」。(平成19年/2007年3月)

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(←書影は平成17年/2005年6月・扶桑社刊 リリー・フランキー・著『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』)


 また春がやってきました。「直木賞、直木賞」とほざいている人間には、肩身のせまい季節です。ごぞんじ、全国の小説好きたちがこぞって(?)、「直木賞なんてもう駄目だよねー」と語り合うイベントが、今年も行われると聞いています。4月12日(火)だそうです。

 とにかくあちらは、直木賞より異常に愛されています。ええ、愛されていますとも。まだほんの13年しかやっていないのに、愉快で印象ぶかいエピソードが、次から次へと、順調に残されてきているじゃないですか。おそらくたくさんの人に愛されているからでしょう。ほんと、うらやましいです。

 横目に見ながら、うちのブログは今週もまた、「芸能人と直木賞」のハナシ。なんですが、本屋大賞のほうにも、芸能人にまつわるおハナシはいろいろあるらしいです。そうなると(今年、その歴史が塗り替えられる可能性を含みつつ)、やっぱりまず筆頭に上がるのが、リリー・フランキーさんでしょう。

 ……って、リリーさんのこと、詳しく知らない分際で、エントリーを書くのもどうかと思いますが、とりあえず、「芸能人」と呼ぶには違和感があるくらい他にもいろんなことやっている(やりすぎている)立場ではあったけど、平成18年/2006年、本屋大賞に選ばれたときにはすでに、ちょこちょこ映画やテレビなどに出ていた「有名人」ではあったのよ。と、雑誌の記事で読みました。

 まあどうであれ、『東京タワー』が1位に選ばれたことは、本屋大賞にしてみれば重要でビッグな岐路。歴史的な大事件だった、というのはたしかです。

 1年目の平成16年/2004年には『博士の愛した数式』が選ばれて、それきっかけでベストセラー入り。2年目、『夜のピクニック』も、トップをとったところから1年で、受賞前の3倍近くまで売れゆきがアップ。当然、「ねえ、本屋大賞の売上効果って、すごいらしいよ」と話題になりまして、さあ、次はどの本がシンデレラストーリーの主役になるか。と、さらに注目が集まるようになった3年目です。

 ここで来たのが、当時「すでに売れている本」の代表格。刊行以来、賞の力などこれっぽっちも借りずに、ぐんぐんと売り上げて、平成17年/2005年、年間ベストセラーランキングに顔を出すほどに市場に出まわり、まさかの(!?)100万部まで突破してしまった『東京タワー』が、さらーっと1位になりまして、みていた観客たちをズッコケさせるという、見事な落ちを決めてしまいます。

 こうなると、もちろん文学賞ファンという人種は黙っていられません。本屋大賞は自分の手で売れさせなきゃ駄目だよ、賞として面白みがないじゃんか! みたいなツッコみが各方面から入ることになりました。

「書店員らが手弁当で始めた賞が短期間で成功を収めたことは朗報だが、課題も浮上していると思う。それは、130万部(発表時)と最近最も売れた文芸書を“後追い”する結果になったことだ。

(引用者中略)親子愛がしんみり伝わる今年の受賞作は確かに素晴らしいが、書店員がもっと売りたい本を選ぶという当初の狙いは、やや薄まったように見える。」(『読売新聞』平成18年/2006年4月11日「本屋さんの“眼力”見たい」より ―署名:佐藤憲一)

 文学賞はどんな賞だって、人間たちがやっていることです。うまく狙いどおりにいくこともあれば、いかないこともある。そうそう、万人の(一部の?)期待するような姿になってくれるわけじゃありません。

 主催していた「中の人」、『本の雑誌』の浜本茂さんが、決まったときの実行委員会の内部の様子を明かしています。浜本さん自身からして、『東京タワー』にいまさら授賞するのはちょっと……と思っていたらしいです。

浜本 正直な話、三月初めの実行委員会で正式発表したとき、実行委員会の内部でも落胆の声っていうのはなかったわけではないんですよ。(引用者中略)個人的には「やっぱり『東京タワー』か」っていう忸怩たる思いみたいなのがなかったわけではないんですけれども……いざ発表会がはじまると、よかったなと思いました。

(引用者中略)

『東京タワー』は「本の雑誌」ベスト10には名前が出てこないし、たぶん取り上げてもいないんじゃないかな。それくらいメジャーな本で、タレント性がある人が書いてる本で、ドラマ化も決定しているということで、テレビとかにも取り上げられた。それは「本屋大賞」が知られるという意味でもよかったと思うし、試金石にもなるんじゃないかと。」(『小説トリッパー』平成18年/2006年秋季号 浜本茂「本屋大賞の真実」より ―インタビュー・構成:永江朗)

 ちなみにワタクシは、直木賞に対してと同じくらい、本屋大賞に対しても、とくに何かを期待しているわけじゃないので、100万部売れた本が選ばれたって、全然いいと思います。いいじゃんねえ、べつに。

 むしろ浜本さんの言うように、有名人のベストセラーに送ったことで賞の知名度も一層上がったでしょうし、いかにも「本好きの人たちが選んでいますっ」みたいな内向きな路線ばかりじゃなく、こういう大ベストセラーすら1位にしてしまえるフトコロの深さ、と言いましょうか、バラエティに富んだ顔を見せることができて、本屋大賞が、ますます文学賞として魅力的になったことを喜びたいです。

 だって文学賞ですもん。やっぱり、どこか脇が甘くなきゃ。こちらの知っている賞の意図・目的からしたら、えっ、何でそんな結果になるの? とつぶやかずにはいられなくなる、そういう賞が、文学賞としては最高だと思うんですよ。でしょ。その点、直木賞も、売上の面ではまるっきり本屋大賞にはかなわないけど、脇の甘さじゃ負けないぞー。いいライバル関係でいてください。

 ええと、そんなこんなで、本屋大賞の試金石として、大きな功績を果たしたリリーさん。いっぽう直木賞はその流れに乗れなかった。っていう面で、直木賞のほうにもそっと足跡を残してくれました。……といいながら、すげえ強引に直木賞バナシに引っ張り込みます。

 『東京タワー』がどのようにして売れ、100万部、そして200万部に至ったか。という経緯をまとめてくれているのが、永江朗さんの「ベストセラーは誰が読んでいるのか?」(平成21年/2009年7月・ポット出版刊『本の現場 本はどう生まれ、だれに読まれているか』所収)です。平成17年/2005年6月の刊行時、初版は2万5千部……これだって事前の書店の反応から、扶桑社が張り切って弾き出した、けっこうな大部数ですけど、7月から9月にかけて毎週のように全国の大型書店でサイン会、たちまち15万部までぐーんと伸びて、10月にはフジテレビの「とくダネ!」で取り上げられて、さらに部数倍増。というふうに増えていったらしいんですが、その経緯のなかで、永江さんは『en-taxi』での担当編集者、田中陽子さんの言葉を紹介しています。

 ここに、直木賞が出てきます。

「本ができたとき、賞をもらえるとしたら本屋大賞しかないなと思っていましたから、嬉しかったし、とても光栄ですね。私は直木賞の候補にならないかな、なんていうふうにも思っていたんです。ずるい考え方かもしれないけど、売るためには注目される必要があるし、注目してもらうには話題になる必要がありますから。でも、リリーさんは偉い先生に褒められてもぜんぜん嬉しくない人なんです。書店の現場の人が読んでくれて『いい』と言ってくれたことにはすごく喜んでいますね」(『本の現場 本はどう生まれ、だれに読まれているか』「12 ベストセラーは誰が読んでいるのか?」より ―初出:『図書館の学校』075号 平成19年/2007年2・3月号)

 10年前のあのころは、かなり直木賞も、候補に挙がる出版社が限られていました。とくに一度も候補になったことのない作家の場合ならなおさら、扶桑社から出た単行本が、予選会を通る望みは薄かったんじゃないかと想像します。それなのに、とりあえず「話題になる」という連想からまっさきに直木賞のことを思い浮かべてくれた田中さんには、忘れないでいてくれてありがとう、と感謝の念しかありません。

 リリーさんが、偉ぶった老作家たちが決めるような賞に、まるで興味がない。というのは、ほんとうらしいです。カネもらって小説読んでいるメジャー作家に、ああだこうだと批評されるのに比べれば、読者の目線で選んでもらえて、さらにたくさんの人にも読んでもらえるほうが、そりゃ幸せでしょう。リリーさんを選んだことで、本屋大賞のほうも、より注目度がアップしました。贈る側、贈られる側、両者ウインウインの関係です。もはや直木賞なぞが付け入るすきはありません。

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2016年4月 3日 (日)

落合恵子は言われた、「直木賞に対しては意外に淡々としている」。(昭和62年/1987年1月)

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(←書影は平成2年/1990年4月・講談社/講談社文庫 落合恵子・著『アローン・アゲイン』)


 やっぱ、イイっすよ、落合恵子さんの書くものは。とくに疲れた気分のときに読むと、慰められるし、背筋も伸びて、明日も生きるか、っていう気になれる。明らかに、こんなジジイを励ますために書かれたものじゃないとは思うんですけど、じんわり元気が出てきます。

 で、そんな読書体験とは何の関係もないんですが、落合さんという方は、直木賞の歴史のなかに現われた特別な存在です。「芸能人と直木賞」というくくりで語るとき、落合さんほど適切な作家がほかにいるでしょうか(……いや、いっぱいいるか)。

 とにかく学生時代から、ものを書くのが大好きで、活字に関わる仕事がしたいと思い、希望の就職先は出版社。しかし、受けるとこ受けるとこ、全部落ち、結局、何となく自由そうだからと放送業界を当たって、文化放送への入社試験に受かります。

 ほんとうは制作の仕事がしたかったのに、「女性には、制作部門の求人枠がない」という理由でアナウンサーとなり、しかし落合さんの「ものを書くのが好き」欲求は収まるところを知らず、入社2、3年目のころには、ボーナス全額をはたいて、これまで書いてきた詩や小説の断片を『のようなもの』と題する本にまとめて、自費出版。

 折りも折り、深夜放送のパーソナリティーに抜擢されたところから、歯車がかみ合ったのか狂ったのか、一躍人気者となってしまいます。落合さんにしたら、そうした扱われ方がイヤでイヤで仕方なかったそうです。

落合――そのころ(引用者注:昭和47年/1972年ごろ)わたしは文化放送でいわゆる深夜放送というのをやっていた。“レモンちゃん”とみごとに商品化されていた時代ですね。

佐高(引用者注:佐高信)――『スプーン一杯の幸せ』(集英社文庫)は書いていたの? ずいぶん慎ましい幸せですよね。タイトルはあなたがつけた?

落合――そのころは会社をやめたくてやめたくて。社会に対してバケツ一杯の怒りを持っているのに、バケツ一杯の怒りのほうはこっちへおいといて、スプーン一杯の幸せを拡大するなんて、わたしも“社畜”の一人だったのかもしれないな。」(平成20年/2008年4月・七つ森書館刊 落合恵子・佐高信・著『われら63歳 朝焼けを生きる』より)

 若い女性がいるぞソラ行けー、と言わんばかりに、何か可愛らしい愛称をつけて売り出し、その人の発言や真意、思いとは関係ないままに、イメージ先行の虚像化をフル回転させ、がんがんとモノを売る。……というその渦中に、知らぬ間に、どっぷり浸からされた、というわけです。

 「取り上げられているうちがハナだよ」などと、ヒトゴトな慰めの言葉をかけられるそばから、手当たり次第にプライバシーのことを書かれるは、自分の意図とは違うところを切り取られて記事にされちゃうは。イヤーな経験をいっぱいしました。

 しかし、ここで、しゅんとなって引かない、いやむしろ断固として前に出ていく。それが落合さんのエラいところだと思うんですが、この「苦しみの芸能人体験」を糧に、モノ書きとして活躍、羽ばたいていくことになります。

 文化放送のアナウンサーから執筆業へ、という昭和54年/1979年ごろにはすでに、エッセイだけでなく小説も数多く発表。しかし本人はべつに、「小説を書く作家」だから偉いんだ、みたいなくだらない物書きヒエラルキーにも、まったく興味を示しません。

中山 ところで、これからも、ずっと小説書いていこうと思ってるわけね。

落合 いきたいなあと思ってるんですけど、やってて自分でイヤになっちゃうときがある。

中山 どうして?

落合 いろんな方の小説読むでしょ。そうすると私なんてやらなくてもいいやって気が本当にありますもの。」(『小説CLUB』昭和54年/1979年8月号 中山あい子、落合恵子「女流対談 すべからく愛人関係がベター」より)

 と、こぼしたりしていました。

 ところが案の定(と言いましょうか)、世のなかには、どうしても「小説」というワードに、ピピッと反応する人がたくさんいます。「えっ、小説? ふうん、有名人が何か書いているんですね」と言われちゃう状況は、どうしたって拭い難く、落合さんはこういう世間の目とも戦っていたんでしょうが、例の百目鬼恭三郎さんなどは、『朝日新聞』の朝刊一面で「昨今の出版界」論を語るに、思いっきし落合さんの名前を引き合いに出してみせます。

「人気作家の本が、作品の実質と無関係に売れるのは、有名人だからといい直したほうが正しいかもしれない。いま、出版界で、中山千夏、落合恵子、青島幸男といった有名タレントに小説を書かせることが流行しているのも、有名人は、有名であるということ以外の実質を問われないからである。つまり、作品はつまらなくても売れるということだ。」(『朝日新聞』昭和56年/1981年9月6日「没価値の時代 実質より知名度優先」より ―署名:編集委員 百目鬼恭三郎)

 ちなみに、この記事中、百目鬼さんの観測によれば、「ちかごろ小説は極度に売れなくなっており、売れるのは司馬遼太郎とか城山三郎といった特定の人気作家に限られている。」ということだそうで、その側面だけは、昭和56年/1981年当時も、現在も、状況に変わりがないんじゃないかと思います。もちろん、「売れる」という基準をどうとらえるかで、異論も反論も可能なので、まったく同じとは思いませんけど、少なくとも、「芸能人が小説を書いて、それが売れていると聞くと、ヤンヤと野次を飛ばしたがる人が出てくる」状況は、30ン年前も変わりはありません。

 このあと、落合さんは『ザ・レイプ』(昭和57年/1982年5月・講談社刊)という、話題になるべくしてなったような超問題作を書いて、小説家としての存在感と力量を知らしめることになり、そしてこの年の下半期に、『結婚以上』(昭和57年/1982年11月・中央公論社刊)ではじめて直木賞の候補に挙げられることになります。

 一度ならず、二度、三度、四度、五度……。最初のうちは、まだそれほどでもなかったんですが、回を重ねるうちに、落合さんの「有名人」格が注目を浴びだし、またしても、あのアナウンサー時代のような、「メディアが勝手な印象をつくり出し、その視点で記事を書かれる」攻撃を受けることになっちゃうわけです、直木賞のせいで。

 直木賞候補に何度も挙げられる女性が3人いるぞ。しかもみんな、小説以外で、かなりのネームバリューがある人たちだぞ。っていうんで、「女である」「他の業界で活躍して有名」という属性だけで、大きく記事に取り上げられます。

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