リリー・フランキーは言われた、「話題になるためにも、直木賞の候補にならないかな、と思っていました」。(平成19年/2007年3月)
(←書影は平成17年/2005年6月・扶桑社刊 リリー・フランキー・著『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』)
また春がやってきました。「直木賞、直木賞」とほざいている人間には、肩身のせまい季節です。ごぞんじ、全国の小説好きたちがこぞって(?)、「直木賞なんてもう駄目だよねー」と語り合うイベントが、今年も行われると聞いています。4月12日(火)だそうです。
とにかくあちらは、直木賞より異常に愛されています。ええ、愛されていますとも。まだほんの13年しかやっていないのに、愉快で印象ぶかいエピソードが、次から次へと、順調に残されてきているじゃないですか。おそらくたくさんの人に愛されているからでしょう。ほんと、うらやましいです。
横目に見ながら、うちのブログは今週もまた、「芸能人と直木賞」のハナシ。なんですが、本屋大賞のほうにも、芸能人にまつわるおハナシはいろいろあるらしいです。そうなると(今年、その歴史が塗り替えられる可能性を含みつつ)、やっぱりまず筆頭に上がるのが、リリー・フランキーさんでしょう。
……って、リリーさんのこと、詳しく知らない分際で、エントリーを書くのもどうかと思いますが、とりあえず、「芸能人」と呼ぶには違和感があるくらい他にもいろんなことやっている(やりすぎている)立場ではあったけど、平成18年/2006年、本屋大賞に選ばれたときにはすでに、ちょこちょこ映画やテレビなどに出ていた「有名人」ではあったのよ。と、雑誌の記事で読みました。
まあどうであれ、『東京タワー』が1位に選ばれたことは、本屋大賞にしてみれば重要でビッグな岐路。歴史的な大事件だった、というのはたしかです。
1年目の平成16年/2004年には『博士の愛した数式』が選ばれて、それきっかけでベストセラー入り。2年目、『夜のピクニック』も、トップをとったところから1年で、受賞前の3倍近くまで売れゆきがアップ。当然、「ねえ、本屋大賞の売上効果って、すごいらしいよ」と話題になりまして、さあ、次はどの本がシンデレラストーリーの主役になるか。と、さらに注目が集まるようになった3年目です。
ここで来たのが、当時「すでに売れている本」の代表格。刊行以来、賞の力などこれっぽっちも借りずに、ぐんぐんと売り上げて、平成17年/2005年、年間ベストセラーランキングに顔を出すほどに市場に出まわり、まさかの(!?)100万部まで突破してしまった『東京タワー』が、さらーっと1位になりまして、みていた観客たちをズッコケさせるという、見事な落ちを決めてしまいます。
こうなると、もちろん文学賞ファンという人種は黙っていられません。本屋大賞は自分の手で売れさせなきゃ駄目だよ、賞として面白みがないじゃんか! みたいなツッコみが各方面から入ることになりました。
「書店員らが手弁当で始めた賞が短期間で成功を収めたことは朗報だが、課題も浮上していると思う。それは、130万部(発表時)と最近最も売れた文芸書を“後追い”する結果になったことだ。
(引用者中略)親子愛がしんみり伝わる今年の受賞作は確かに素晴らしいが、書店員がもっと売りたい本を選ぶという当初の狙いは、やや薄まったように見える。」(『読売新聞』平成18年/2006年4月11日「本屋さんの“眼力”見たい」より ―署名:佐藤憲一)
文学賞はどんな賞だって、人間たちがやっていることです。うまく狙いどおりにいくこともあれば、いかないこともある。そうそう、万人の(一部の?)期待するような姿になってくれるわけじゃありません。
主催していた「中の人」、『本の雑誌』の浜本茂さんが、決まったときの実行委員会の内部の様子を明かしています。浜本さん自身からして、『東京タワー』にいまさら授賞するのはちょっと……と思っていたらしいです。
「浜本 正直な話、三月初めの実行委員会で正式発表したとき、実行委員会の内部でも落胆の声っていうのはなかったわけではないんですよ。(引用者中略)個人的には「やっぱり『東京タワー』か」っていう忸怩たる思いみたいなのがなかったわけではないんですけれども……いざ発表会がはじまると、よかったなと思いました。
(引用者中略)
『東京タワー』は「本の雑誌」ベスト10には名前が出てこないし、たぶん取り上げてもいないんじゃないかな。それくらいメジャーな本で、タレント性がある人が書いてる本で、ドラマ化も決定しているということで、テレビとかにも取り上げられた。それは「本屋大賞」が知られるという意味でもよかったと思うし、試金石にもなるんじゃないかと。」(『小説トリッパー』平成18年/2006年秋季号 浜本茂「本屋大賞の真実」より ―インタビュー・構成:永江朗)
ちなみにワタクシは、直木賞に対してと同じくらい、本屋大賞に対しても、とくに何かを期待しているわけじゃないので、100万部売れた本が選ばれたって、全然いいと思います。いいじゃんねえ、べつに。
むしろ浜本さんの言うように、有名人のベストセラーに送ったことで賞の知名度も一層上がったでしょうし、いかにも「本好きの人たちが選んでいますっ」みたいな内向きな路線ばかりじゃなく、こういう大ベストセラーすら1位にしてしまえるフトコロの深さ、と言いましょうか、バラエティに富んだ顔を見せることができて、本屋大賞が、ますます文学賞として魅力的になったことを喜びたいです。
だって文学賞ですもん。やっぱり、どこか脇が甘くなきゃ。こちらの知っている賞の意図・目的からしたら、えっ、何でそんな結果になるの? とつぶやかずにはいられなくなる、そういう賞が、文学賞としては最高だと思うんですよ。でしょ。その点、直木賞も、売上の面ではまるっきり本屋大賞にはかなわないけど、脇の甘さじゃ負けないぞー。いいライバル関係でいてください。
ええと、そんなこんなで、本屋大賞の試金石として、大きな功績を果たしたリリーさん。いっぽう直木賞はその流れに乗れなかった。っていう面で、直木賞のほうにもそっと足跡を残してくれました。……といいながら、すげえ強引に直木賞バナシに引っ張り込みます。
『東京タワー』がどのようにして売れ、100万部、そして200万部に至ったか。という経緯をまとめてくれているのが、永江朗さんの「ベストセラーは誰が読んでいるのか?」(平成21年/2009年7月・ポット出版刊『本の現場 本はどう生まれ、だれに読まれているか』所収)です。平成17年/2005年6月の刊行時、初版は2万5千部……これだって事前の書店の反応から、扶桑社が張り切って弾き出した、けっこうな大部数ですけど、7月から9月にかけて毎週のように全国の大型書店でサイン会、たちまち15万部までぐーんと伸びて、10月にはフジテレビの「とくダネ!」で取り上げられて、さらに部数倍増。というふうに増えていったらしいんですが、その経緯のなかで、永江さんは『en-taxi』での担当編集者、田中陽子さんの言葉を紹介しています。
ここに、直木賞が出てきます。
「本ができたとき、賞をもらえるとしたら本屋大賞しかないなと思っていましたから、嬉しかったし、とても光栄ですね。私は直木賞の候補にならないかな、なんていうふうにも思っていたんです。ずるい考え方かもしれないけど、売るためには注目される必要があるし、注目してもらうには話題になる必要がありますから。でも、リリーさんは偉い先生に褒められてもぜんぜん嬉しくない人なんです。書店の現場の人が読んでくれて『いい』と言ってくれたことにはすごく喜んでいますね」(『本の現場 本はどう生まれ、だれに読まれているか』「12 ベストセラーは誰が読んでいるのか?」より ―初出:『図書館の学校』075号 平成19年/2007年2・3月号)
10年前のあのころは、かなり直木賞も、候補に挙がる出版社が限られていました。とくに一度も候補になったことのない作家の場合ならなおさら、扶桑社から出た単行本が、予選会を通る望みは薄かったんじゃないかと想像します。それなのに、とりあえず「話題になる」という連想からまっさきに直木賞のことを思い浮かべてくれた田中さんには、忘れないでいてくれてありがとう、と感謝の念しかありません。
リリーさんが、偉ぶった老作家たちが決めるような賞に、まるで興味がない。というのは、ほんとうらしいです。カネもらって小説読んでいるメジャー作家に、ああだこうだと批評されるのに比べれば、読者の目線で選んでもらえて、さらにたくさんの人にも読んでもらえるほうが、そりゃ幸せでしょう。リリーさんを選んだことで、本屋大賞のほうも、より注目度がアップしました。贈る側、贈られる側、両者ウインウインの関係です。もはや直木賞なぞが付け入るすきはありません。
○
そうこういっている間に、直木賞のほうは第134回(平成17年/2005年下半期)、ようやく東野圭吾さんの『容疑者Xの献身』に授賞します。「偉ぶった老作家」といって日本中の人がイメージする渡辺淳一さんが、元気に選考会に出席し、渡辺vs.東野という、いったい誰が幸せになるのかわからないドス黒いゴシップネタで盛り上がる有り様。そりゃあ、こんなんじゃ、(文学賞として)読者人気を他に持っていかれるのも仕方ないですよね。
ここでリリーさんにもっと小説を書いてもらって、みんなで喜び合うという、世の文学賞にあるまじき(?)幸せの種を、直木賞のほうもお裾分けしてほしいな。……と思った人は少ないかもしれませんが、いや、そもそもがリリーさん、「どうしたって作家で食ってやる」みたいな展望が、まるっきりないらしいんです。なのでそれは、こちらの勝手な、はかない夢です。
小説を書いて本屋大賞をとったあと、さぞかし小説の依頼がわんさと押し寄せたか、と思ったら、文芸誌からの注文なんてほぼないですよ、とリリーさんは語っていました。そして、そのことについても、御本人はごくあっさりとしています。
「リリー 飽きられず、注目されずのスタンスがいいですよ。(引用者中略)なまじ本が売れると、嫌なことも入ってきた金額分ついてきますよ。取材とかドッと来るでしょ。でも、取材とか写真撮られるのとか好きじゃないんだけど、「写真とか、テレビとか苦手で……」なんて抵抗するのが恥ずかしい人種じゃないですか、オレたちサブカルの人間って。(引用者中略)
西原(引用者注:理恵子) じゃあ、今さらテレビに出るのをやめますって言うのが恥ずかしい?
リリー というか、抵抗するのが面倒くさい。だから、抵抗してる人を見ると恥ずかしい。メインカルチャーの作家さんとかで、「写真はこっちからお願いします」みたいなこと言う人がいるでしょ。」(平成26年/2014年1月・新潮社/新潮文庫 西原理恵子・著『サイバラの部屋』所収「リリー・フランキー 爆笑・ド新人時代」より ―初出:『小説現代』平成18年/2006年8月号)
こういう方に、ぜひ文芸誌でも小説読物誌でも書いてもらうと楽しいよなあ。と思うんですけど。
文芸界隈の縄張りのことは、全然知りません。でも、そのなかでもたとえば、直木賞なんてものは、ときどき垣根をぶっ壊す授賞をするところに、賞としてのよさがあったんですよ。それが「文壇の権威だ」「ご大層なメインカルチャーだ」などと持ち上げられてしまって、悦に入っている。ドス黒い。どうにも、いただけません。
『東京タワー』にしてからが、平成14年/2002年春『文藝』で(謎すぎる)「リリー・フランキー特集」が組まれたときから、「現在書き下ろし中の長篇エッセイ」として紹介され、『en-taxi』(平成15年/2003年創刊)で連載がスタートするときも「連載長編エッセイ」と銘打たれていたものが、いつしか「小説」と呼ばれるようになった、という経緯をもっています。エッセイか小説か。なんてことはどっちでもいいんですけど、少なくとも、どっちと呼んでも構わない、という境界のなさは、自然体で心地よいです。
対象は小説だけですよ、っつっているのに、こういう作品にいちばんの票が集まったのは、素晴らしいことでしょ。「これは文芸か。否、断じて文芸ではない」みたいなことをゴチョゴチョ言わずに結果が出る、本屋大賞のよさが全面に発揮された第1位選出だったと思います。もっと言えば、1位に選ばれた人がその後、小説を書きつづけるのかどうなのか、という先のことまでは基本、本屋大賞は関係がありません。パッとやって、パッと去る。さばさばとして思い切りのいいところも、この賞の身上です。
対して直木賞ですよね問題は。どうなんですか。いまだに、この先も(小説家として)書きつづけられる人かどうかが重要な選考ポイントだ、などと言ったりしています。
さばさばしていない、と言いますか、非常にわかりづらい選考基準と言いますか。何作も書いて作家としての決意を表わさないと、まず受賞にはたどりつけません。このドロッとして一筋縄ではいかない基準こそが、メインカルチャーの魅力。なのかもしれませんけど、まあリリーさんの書くものや、発言などを読むかぎり、おたがい相性がいいとは思えません。
他分野で顔が売れてて、小説がメインの仕事でない人が、文芸中心でない出版社から出し、100万部売れてしまったものを、候補作に選ぶ勇気。かつては直木賞も、それに近いことをやっていたと思うんですけど、あれは幻でしたでしょうか。いつか勇気を振り絞って、「偉ぶった人たちに褒められても全然うれしくない」などと言われないような、愛される文学賞になってほしいです。がんばれ、直木賞。
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