タモリは言われた、「末は参議院議員か直木賞作家か、という徴候が、タモリにもある」。(昭和57年/1982年4月)
(←書影は昭和57年/1982年4月・世界文化社刊『タモリと賢女・美女・烈女』)
タモリさんは、たいていの業界に何らかの縁がある全方位型タレントです。もちろん出版界、小説界にもさまざまなつながり、因縁、エピソードがあります。直木賞関連芸能人のひとりである、と強弁したって(たぶん)だいじょうぶです。
かつてタモリさんは、自分の嫌いなものをよくネタにしていましたが、そのなかのひとつに「小説(とくに純文学)」があります。とにかく深刻がって気取っている、そして高級がっている、と言っては、純文学作家をこき下ろして笑いをとっていました。
「阿刀田(引用者注:阿刀田高) タモリさんは、小説家がお嫌いだそうですね。
タモリ ええ、嫌いです。それも純文学の作家というのに、異常な敵対心と偏見を持ってまして……。
阿刀田 (引用者中略)どういうところが嫌いですか?
タモリ (きっぱりと)何の役にも立たん!
阿刀田 ハッハッハッ。
タモリ 役に立たんだけならいいんですけど、害があるんじゃないかと思うんです。(引用者中略)人生とか人間の問題をえらそうに取り上げてるというのが全般的にありますよね。まず、あれがうさん臭い。(引用者中略)問題ばっかり提起して高級がってる。解決がどこを見たって見当たらない。(引用者中略)悩むというのは、非常に高級なことで、両手に納豆つけて遊んでるんだって、ぼくはいってるんです。悩みごっこをしてるんですよ。」(『週刊現代』昭和54年/1979年11月15日号「阿刀田高の「雑学」対談」より)
同じころの、遠藤周作さんとの対談でも、やはりそういう作家批判が出てきます。
「遠藤 視聴者から叱られたことありますか。
タモリ それはたくさんありますよ。不まじめだとか、人をバカにするなとか……。
遠藤 アッハッハ、オレとおんなじだア!
タモリ それから、ふざけすぎる……なにかお笑いというのは下賤なものだという考えが根強いんですね。
遠藤 それは、日本の喜劇の芸人の責任もあると思いますよ。オレたちモノを書く人間の責任もあります。日本では、ユーモア小説はバカ扱いされるでしょう。世界人類の苦悩を一身に背負ったようなのが高級で……。
タモリ そうそう。ぼくが作家を批判するのはそこなんです。」(『女性セブン』昭和53年/1978年5月25日号「周作快談」より)
気取ったものが大嫌い。しかも、気取っているだけならまだしも、そうでなければ評価されないような「文学」周辺の空気が、もっと嫌い。
ということで、デビュー前から興味・関心が重なってツルんでいた作家、筒井康隆さんの小説を、「こんなものは文学ではない」とか何とか、ケチをつけて落とすような「直木賞」は、たぶん、タモリさんも毛嫌いしたと思います。直木賞って、ほんと、深刻がってるやつ、好きっすからねー。
それでタモリさんは、「純文学撲滅運動」なんてものを掲げます。これは「純文学」自体じゃなく、そういう深刻なフリ、高級なフリをして、威張ったりチヤホヤされたりする「純文学の醸し出す状況」が、攻撃対象です。となれば、もはやそれは純文学でなくてもいいわけで、猛烈にタモリさんが、ああいう作家はイヤだねえと名指しで批判しまくったのが、五木寛之さんでした。
当時の状況を、てれびのスキマさんの文章から引かせてもらいます。
「「この国では、シリアスなものが最高なんだと思ってる風潮があるが、いちばん気に食わない」と語り、その矛先は五木寛之のような日本文学にもおよんだ。日本文学を「病人が全部作った文学」と定義し、「何がいやって日本の文学のあの暗さ(笑)、あれ最悪ですね。暗ければいいという。悩むことが人間の一番崇高なことであるとか」(『広告批評』81年6月号)と批判。」(平成26年/2014年3月・洋泉社/洋泉社MOOK『タモリ読本』所収「あらゆる“意味”から逃れようとする男・タモリ」より ―文:てれびのスキマ)
対談集『タモリと賢女・美女・烈女』(昭和57年/1982年4月・世界文化社刊)には、五木さんと交流のある中山あい子さんとの対談も入っているんですが、五木って人は、いったいあのカッコつけたナリと態度で、どうやって女を口説いているのか、「人生は……」とか真面目くさっているんだろうな、イヤなやつだな、とえんえんとネタにしています。
「タモリ 遠くを見つめながら、言うんだろうな。そういうポーズをとらなきゃいけないんだ。
中山 あの人はたくらんでやっているわけじゃないと思うよ。
タモリ ほおー、たくらんでない?
中山 すごくまじめで、いい子だなと思う子に、いろいろ教えてやりたいなと思う性格なのよ。
タモリ それが余計なお世話なんだ。(笑)」(『タモリと賢女・美女・烈女』より)
タモリさんが気に食わないのは、五木寛之そのもの。でもあるんでしょうが、何か深淵なことを言っているような態度をとり、意味ありげなムードを演出するのがイヤだと。そして、そういう人を、やたらありがたがったり持てはやし、感動しました!とか言っている、そういう世間の感覚がイヤなんだ、と言っていたんでしょう。……うん、ほんと、イヤです。
これが、1980年代に入ったころのおハナシです。タモリさん、30代なかば。自分より上の世代、先輩たちが築いてきた風土にケチをつけ、深刻がっていないでただ笑って生きようぜ、とノーテンキにやっていても、不自然さのないお年ごろでした。
しかし、いつまでそれを続けられるかは未知数だぞ、いずれタモリも、「意味なき笑い」だけじゃ飽き足らなくなり、先輩たちと同様の道に行くんじゃないか。と、不安視(?)されたころでもあります。
ちょうどそのころ、直木賞のほうでも、タイミングよくそんな事例が発生してしまいました。……と、すみません、いちおう直木賞専門ブログなんで、直木賞の話題を少しします。
○
ここで紹介させていただくのが吉本隆明さんです。日がなテレビをつけっぱなしで暮らしていた、というテレビ大好きじいさんです。
もちろん、テレビによく出る芸人、タモリさんをはじめ、萩本欽一、ビートたけし、明石家さんまなどなどのことも、いろいろ書いたり、語ったりした人なんですが、吉本さんは、タモリさんのことを「実体がないというところがいい」と評価していました。
「吉本 タモリというのはフィクションだとおもうんですよ。つまり実体がないというところがいい。(引用者中略)たんに寺山修司や竹村健一の物まねをするからというのではないけれど、とにかく自分のほうがいつでもニセモノといいますか、そこがあの人の芸の本質なんじゃないか。何をやっても、タモリの型というのはある。しかし、何をやってもニセモノだということですね。ぼくはタモリがそういう“空”というのに耐えられなくなって、個性とか主体性とか、そういうことをしだしたら、ちょっと危ないんじゃないかという気がする。
三浦(引用者注:三浦雅士) もう危ないんじゃないかな。」(平成6年/1994年7月・深夜叢書社刊 吉本隆明・著『思想の基準をめぐって』所収「現代と若者」より ―初出:『平凡パンチ』昭和57年/1982年4月12日・19日・26日号)
意味や内容から遠ざかった芸――タモリさん自身は、言葉に意味をもたせようとするから文学ってのは嫌いなんだ、とか言っていましたが――これに耐えられなくなったとき、タモリさんのよさが危うくなる。というわけです。聞き手の三浦さんも、当時のタモリさんを見て、もう危ないんじゃないか、との印象を抱いています。
で、この記事の一年前、昭和56年/1981年というのは、お笑いの畑から出てきて、「無責任の時代だ」と世間にぶっぱなしていた青島幸男さんが、ずーっとその調子でやっていくのかと思ったら、やたら人情モノに振れた小説を書いて、直木賞をとった年でもあります。タモリさんの危うさを語るうえで、この事例が持ち出されました。
「吉本 若干そういう(引用者注:危ない)徴候があるような気がする。つまり、一般的なパターンというのがあるでしょう。タモリも幾分そういう要素があるとおもうんですが、そうなると、末は参議院議員か直木賞作家かというようになっちゃう。ぼくはそれがいちばん危険におもえる。
三浦 青島幸男がいて野末陳平がいてタモリがいるということになりかねない……。
(引用者中略)
吉本 全部フィクション、全部ニセモノというところでやっているのがタモリの芸の本質でしょう。そこにどこまで耐えられるかというところでタモリの力量ははかられるべきなんです。そうじゃなくて、本物づらになったらどうなるか。すると、タモリもね、末は半端な“進歩的”参議院議員みたいなのになる要素をもっている気がする。そのときは終わりなんだ。青島幸男なんかも「おれ、偉くなった」とおもっているかもしれないけれど、ぼくらにいわせれば終わりだとおもうのね。」(同)
もう終わった、と言われた青島さんについては、またいずれ、取り上げる機会もあるでしょう。省きます。
タモリさんについては、じっさいこのころ、参院選出馬か!? などというゴシップニュースが週刊誌に出たりしました。単にタモリさん自身が、ステージを盛り上げるために洒落で、選挙に出ると言っていただけみたいなんですけど、時の大蔵大臣・渡辺美智雄さんが熱烈なタモリファンで直接コンタクトをとっただの、普段からタモリは政治のハナシをよくしているだの、全国縦断コンサートはどのくらいの得票が見込めるかを計るためにやっているだの、まことしやかな裏バナシが流れたりします。
しかし、参院選ネタはこうして成立したんですが、「タモリ、小説を書いて直木賞をねらう!」などという捏造記事が、つくられることはなかったみたいなんですよ。いやあ残念です。……って、捏造を心待ちにするなっつうの。
その後のことはみなさんご存じのとおり、いや、当時のことだって、ワタクシはよくは知らないんですが、冠番組の放送作家をしていた人間が、直木賞とっちゃったりしても、べつに自分では、小説なんてアホらしいものは書きはじめたりせず、
「人間にとって一番恥ずかしいことは、立派になるということです。ボクにダンディズムがあるとすれば、このへんですね」(『週刊読売』平成7年/1995年1月22日号「注目人間シリーズ タモリ研究」より ―署名:秋本宏)
みたいなことを言い続け、会話をかわした直木賞受賞者や候補者は数知れず。むかし一緒に遊んでいた仲間たちが、ぞくぞく大物になって、各分野で評価されるうち、タモリさん自身も、大物視され、直木賞ならぬ菊池寛賞まで贈られてしまいました。
いまにして思えば、1980年代、タモリさんが、五木寛之という個人、あるいは純文学といったものと合わせて、直木賞(の気取った恥ずかしさ)を、バンバン攻撃してくれる可能性もあったわけで、そうなっていたら最高だったなあ。と思うんですよ。でも、もうもはや望めません。ちょっぴり残念なことです。
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コメント
すごく面白くて分かりやすい充実した内容で思わずコメントしてしまいました、、!
タモリに対するそういった見解があったことを知れて、なんというかとても感動しました!!
投稿: かずよしファン | 2021年7月21日 (水) 22時27分