三益愛子は言われた、「別の男から流行作家にのりかえた世渡り上手」。(昭和13年/1938年5月)
(←書影は昭和37年/1962年3月・講談社刊『長編小説全集17 川口松太郎集』〈「生きるという事」収録〉)
今回はちょっと別の角度から行きます。
直木賞といちばん最初にからんだ芸能人ってだれですか? と、会社の同僚や、学校の同級生、コンビニの店員などに質問された経験は、日本人ならきっとあるはずですが、そこで三益愛子さんの名を出せないと軽蔑されてしまう。……かもしれない、っつうぐらいに、直木賞とはべったりの超重要芸能人、三益さんです。
いま、うちのブログは、ことさらに「芸能人と直木賞」などというテーマでやっています。だけどそもそも直木賞は、芥川賞と比べて芸能関係者との結びつきが異常に強く、直木賞を語るうえで芸能の話題は欠かせない、とさえ言われています。その代表的な事例が、いきなりの第1回、昭和10年/1935年に発生しちゃっていたわけです。
第1回の直木賞に選ばれたのは川口松太郎さんでしたが、当時は、小説家としてだけじゃなく、「芸能の人」として存在感がありました(当時、だけじゃなくその後もずっとですね)。
直木賞を贈られたときにも、
「受賞の時に菊池寛が、
「君は雑用の多い男だが、今後は作家一筋に精進して他の仕事には手を出さぬように」
と釘をさされている。」(昭和56年/1981年8月・中央公論社刊 川口松太郎・著『八重子抄』「第五章」より)
なあんて逸話が残るぐらいに、いろんなことやりたがり屋さん。作家以外に雑用が多いとか、菊池親分、あんたにだけは言われたかないよ、と言い返してやればよかったと思いますけど、たしかに川口さんは、小説だけに専念できず、演劇人であり、その流れから映画人でもありました。当然、芸能人たちとはツーカーの仲。といったわけで古川緑波一座の看板女優、三益さんとくっついちゃうことになります。
このとき川口さんは、すでに妻子持ちで、プラトン社の編集者だったころに大阪新町で知り合った人気舞妓の静子こと、本名・照さんと結婚して、娘の一女さんもありました。いっぽう三益さんのほうは、俳優の中野英治さんと恋愛関係まっさいちゅう。しかし、この二人の別れ話が発展したのが昭和9年/1934年から昭和10年/1935年ごろだといい、中野さんのマネージャーをしていた川口さんが、仲裁役に入っていったところ、ミイラ取りがミイラになって、あれよあれよ、と結ばれていった。と三益さんのお仲間、清川虹子さんが回想します。
「中野さんと三益さんの別れ話のときに仲裁に入ったのも川口さん。『川口松太郎って、ヤなやつ。私たちを別れさせようとしてんのよ』と三益さん、プンプン怒っていたのに……ふたりは同棲を始めます」(『週刊大衆』平成10年/1998年10月12日号「清川虹子の本音でいくわよ!」より)
そうです、どうやらこれが昭和10年/1935年ごろのことらしいんですね。川口さんがずーっとあとになって書いた『愛子いとしや』(昭和57年/1982年6月・講談社刊)巻末の「三益愛子―舞台・映画・テレビ出演一覧と略年譜―」では、三益さんと川口さんが結婚した年、と明記されることになる昭和10年/1935年。この年の川口さんが、大変重大な局面を迎えていたことは、まったく言わずもがなです。
川口さんは昭和2年/1937年ぐらいからずっと、小説家の道をめざして、やってきていました。
「(引用者注:大正14年/1925年に)プラトン社をやめたあと私は本当の流浪時代で生活を支える仕事もなく、取りとめもない雑文書きのみじめな暮しをしていた。生涯のうちで最も苦労した時期だが、然しもう勤め人になる気はなかった。(引用者中略)本当は純粋に文学と取り組みたいのだが、それで生活を立てる自信はない。文学に殉ずるといってももう間に合わないし、生活の実際を考えて大衆小説の勉強を始めた。(引用者中略)どうやら物になりかけたのは昭和五、六年だった」(昭和58年/1983年11月・講談社刊 川口松太郎・著『久保田万太郎と私』「「机」恐怖症」より)
「森下与作」といった筆名を使って、雑文書きで糊口をしのぎつつ、映画の脚本、監督、演出なども手がけながら、それでも何とか小説家として売り出したい、と思っていたそうです。昭和6年/1931年から昭和7年/1932年にかけて『講談倶楽部』に断続的に発表した「女優情艶史」は、好読物として読者に受け入れられたようなんですが、
「これの連載中、川口さんから貰った手紙がある。それには「お前さんひどい奴だ、もう女優物語は嫌だ、早くやめさせてくれ、そして小説を書かせろ」ということが書いてある。川口さんの心境はまさにこれであった。」(昭和47年/1972年1月・青蛙房/青蛙選書 萱原宏一・著『私の大衆文壇史』「心憎い川口松太郎」より)
と編集者に売り込みをかけ、昭和7年/1932年、『オール讀物』に持ち込んだ「牛肉問答」が掲載されたときには、おいおまえ菊池寛さんが褒めていたぞ、と人づてに聞かされて、やる気のテンションうなぎ昇り。花柳章太郎の新派の仕事に携わるいっぽうで、大衆読物誌にせっせと原稿を売り、昭和9年/1934年には仕事机を新調、昭和10年/1935年が明けたときには「作家生活の板につきたる年となるべし」と念じたそうで(『文藝春秋』昭和61年/1986年8月号 小出一女「出世机」より)、まあだいたいこの年には、「人気作家」と言われても遜色ない状況になります。
とにかく川口さんは活発でした。どこに顔を出しても物怖じせず、言いたい放題やり放題。自信みなぎる意気軒昂な働きざかり、と言いますか、押しが強くて厚顔無恥のイヤなやつ。直木賞が創設されると聞けば、おれ直木賞ほしいなあ、おれにくれよお、と久米正雄さんや小島政二郎さんにお願いしちゃう臆面のなさに、当然、眉をしかめる人も出てきます。
川口さん自身、こう回想しています。
「「鶴八」(引用者注:「鶴八鶴次郎」)が直木賞候補になった時には、委員のほとんどが先輩知人ばかりで、そのころの私は小生意気時代だったから、だれからもよく思われていなかったらしい。
「作品はともかくとして川口という人間が気に入らない」
これもあとで聞いた話だが、そんなふんいきで作品よりも人間が論じられてしまった。」(昭和48年/1973年10月・講談社刊 川口松太郎・著『人生悔いばかり』所収「「鶴八鶴次郎」」より ―初出:『朝日新聞』昭和37年/1962年4月3日)
うんうん、あの第1回の直木賞選評を覆う、川口松太郎に向けた人格攻撃の嵐。あれは、選考委員が言いすぎなのではなく、ほんとうに川口さんの側に問題があった、ってわけですね。
川口さんが当時、いかにイヤなやつ呼ばわりされていたか、もうひとつだけ紹介しておきます。『中央公論』の「街の人物評論」コーナーに川口さんに関する記事が載りました。書いたのはペンネーム「武者小平」なる人、その実は、文芸評論家の杉山平助さんです。
「川口の自信満々たること。我々から見てはいくぶん道化てさへ見える、あの鼻の曲つたやうな御面相でも、御自分ではたいした自信ださうだから、余は推して知るべしだ。
(引用者中略)
この松太郎君と最近東宝の○○○○との濡事は衆知の件である。
(引用者中略)
○○にくらべて、川口ははるかに下司である。ちよつと頭脳の働く車夫馬丁が、ザツクバラン主義で、天下何ものをも尊重せず、紳士の面にも痰をひつかけることが出来ると云つたやうなわるく気負つた了簡構へが、心あるものをして、このうす馬鹿野郎! と云つたやうな侮蔑の念を発せしめる。」(昭和12年/1937年3月・亞里書店刊 杉山平助・著『街の人物評論』より ―初出:『中央公論』昭和11年/1936年12月号)
発表した作品がどうこうより、川口さんという人物そのものが、もう侮蔑のマトでした。
川口さんいわく、さすがにこの攻撃にはハラワタが煮えくり返ったらしくて、
「飽まで自分(引用者注:川口のこと)を罵倒しなければ気のすまない筆者の態度があまりにも露骨だ、人物評論の題下に、これほどひどく叩きつけられるのも珍しからう。
(引用者中略)
どれほど割引しないで自分を考へても、これほどいやな奴だとは思へない。」(『読売新聞』昭和12年/1937年11月28日 川口松太郎「やつつけられる 「中央公論」の人物評論へ」より)
と反撃。しかし、当の「武者公平」さん(おそらく杉山平助さん)から、
「自分があれほど厭な奴かどうか、知人の公平な批判にまつ、と君は云つてるが、小生の知つてる限りあの評論は君の「知人」の間でも評判が宜しい。君は或る方面からは、もつと厭な奴だとさへ思はれてゐるのを、小生は比較的に是正してかいたつもりだ。
(引用者中略)
文壇に生きて行くには、天下の人間をすべて敵と覚悟し、どこからでも打つて来いといふ心構へでやつて行け!」(『読売新聞』昭和12年/1937年12月1日 武者公平「壁評論 川口君へ」より)
とハッパをかけられた態で、要は、おまえはもっと嫌な奴だと思われているんだぞ、と再反撃を食らう始末。
しかし杉山さんの心配をよそに(?)、川口さんの生意気ぶりは、その後も衰えることはありませんでした。後年、直木賞選考委員を務めることになってもまだ、自分のことは棚に上げて、若い連中に、やたら偉そうな口を叩きまわるもんですから、守旧派の代表みたいに思われて老害扱いされ、さすが川口さんの、まわりに顰蹙される人格は永遠ものなのでした。
……って、今日の主役は三益さんのはずなのに、すみません、川口さんのことばっかりになっちゃって。(おそらく)第1回直木賞の直後に川口さんと結ばれた三益さんについては、後半で。
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