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2015年9月13日 (日)

西川のりおは言った、「作家として直木賞を狙います」。(平成14年/2002年2月)

20150913

(←書影は平成17年/2005年5月・徳間書店/徳間文庫 西川のりお・著『オカン』)


 このあいだ桂文枝=三枝さんを取り上げました。「直木賞つながりの吉本芸人」を探せば、他にもたくさんいるはずですけど、ここに登場願いますのは、西川のりおさんです。

 出版界(いや、週刊誌界)における西川さんといったら、そりゃもう、カネのハナシ、シモのハナシ、人の悪口。と、三大テーマを使いこなすカンペキなる下衆タレントの王者として君臨し、わざわざ小説なんちゅう辛気くさい世界と関わり合う必要もない人気者です(よね?)。しかし何を血迷ったか、平成10年/1998年に、ひそかにこつこつと原稿用紙のマス目を文章で埋める作業に没頭しまして、400字詰100枚程度のエッセイを完成。これを、第20回読売「ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞カネボウスペシャル、という、大賞賞金1000万円をうたい、募集枚数に比較して異常に高額な賞金を設定していた、心あたたまる系の公募賞に応募したところ、これがまあ何と、翌年3月、大賞に次ぐ「優秀賞」に選ばれてしまいます。賞金300万円をゲットしました。

 ははあ、売名と賞金稼ぎのためにゴーストに書かせたんだな、下衆なナニワ芸人がやりそうなこった。と、(やっぱり)疑われたらしく、主催者サイドからはさんざん入念に確認された。なんちゅう、タレント受賞者ならではのエピソードも残っています。

「ホーホケキョイ!のだみ声でお茶の間を沸かせた漫才師の西川のりおさん(47)が、「ヒューマン・ドキュメンタリー大賞」(読売新聞社主催)の優秀賞を射止めた。

(引用者中略)

人をケムに巻くのもお得意のお笑い人である。審査員から、本当に本人が書いたのかどうか、“厳重チェック”を受けたそうで、

「1枚目の内容を聞いてきたと思うと、鋭く76枚目の話を尋ねてきたりで、刑事の取り調べみたいでしたね」。

なるほど記者自身、疑念が一瞬頭をもたげるのを覚えたが、西川さんの右手人さし指には、出来たての痛そうなボールペンだこがくっきり。これこそ確かな筆耕の証である。」(『週刊読売』平成11年/1999年4月11日号「ドキュメンタリーで優秀賞 西川のりお“泣かせ”の筆力」より ―署名:小野寺昭雄)

 このときの選考委員は五十音順に、五木寛之、佐藤愛子、椎名誠、野上龍雄、橋田寿賀子、三好徹。プラス読売新聞社から小谷直道の計7名。第20回(にして最後となった)同賞の受賞作をおさめた『いちご薄書』(平成12年/2000年2月・読売新聞社刊)の巻末には、委員代表として三好徹さんが選評を寄せました。

 西川さんの応募作「オカン」に対するところだけ引用しておきますと、

「優秀作「オカン」の作者は、著名な漫才タレントである。この作品は、題材のユニークさやおもしろさもさることながら、文章もまた達者である。はじめわたしは、いわゆるゴーストライターが介在しているのではないか、と思ったくらいだが、ご本人が楽屋での休憩時間の合間や旅興行で乗り物に乗って移動中に寸暇を惜しんで書いたことを知らされ、感心した。文才というのは、どうやら天与のものであるらしい。

また、この作品の魅力は「オカン」と呼ばれる作者の母親の、つまり浪花女の典型ともいうべき人柄に依存するところが大である。

子が母親をこういうふうに観察し、さらにこのように書き上げることは難しいはずであるが、その難事をやってのけた作者に拍手を送りたい。もし(引用者注:大賞に選ばれた)「いちご薄書」が候補作になっていなかったならば、「オカン」が選ばれていたかもしれない。」(『いちご薄書』所収 三好徹「掉尾を飾る作品」より)

 さらに選考経過によれば、大賞とはわずかの差しかなく、惜しくも優秀賞になったのだとか何とか。そうとうに高い評価だったことがわかります。

 こうして西川さんは、ガラに似合わず(……)、「著名な芸能人が散文作品の公募で賞をとる」、その歴史のなかに燦然と輝く足跡を残すことになったのでした。

 芸能人が原稿を書けばすぐに本になる、というのは、もちろん幻想です。仮に出版できたところで、タレント本のひとつとして他と同様にゴミのように扱われ(……ゴミ、っつうのは冗談ですよ)、世間にきちんと文章作品として受け止められたのか、よくわからないまま「話題」として過ぎ去っていくものです。そういうウヤムヤの展開が、西川さんは嫌だったのかもしれません。はっきりとそうとは言っていませんが、なぜ「オカン」を書いたのか、なぜ賞に応募したのか、を問われたときに、こう答えました。

「執筆のきっかけは、一九九五年にオカンが病気で亡くなってから起こった遺産相続だった。

「兄姉でかなりこじれてねえ。こんなに揉めるんはうちだけなのだろうか? いっそ、包み隠さず家族について話してしまったらどうかと思ったんです」

(引用者中略)

一か月で書き上げ、タイトルは「オカン」に決めた。

 一心不乱に書いた愛着のある作品を、誰かに評価してもらいたい――自分自身を試したくなった西川さんは、「購読していた」新聞社のドキュメンタリー賞募集を知り、早速応募。」(『悠』平成14年/2002年12月号「著者訪問 大いなるオトンとオカン」より ―構成:関原美和子)

 ……といったところで、直木賞はいちおう「フィクション」しか対象にしないので、ヒューマン・ドキュメンタリー大賞受賞者となど交わるわけもありません。直木賞の「正史」だけを見てしまえば、西川さんは何の関係もない人です。

 ところがですよ。交わってしまうんですよね、これが。こういうハナシが何万も転がっているから、ほんと、直木賞の世界ってのは面白いんだよなあ。

           ○

 読売ヒューマン・ドキュメンタリー大賞は、いまはもうありません。後援にカネボウと日本テレビが付いていて、大賞受賞作はテレビドラマ化される! といって大々的に原稿を募りました。じっさい、この大賞が元気だったころにはドラマを観た人も多かったと思います(ワタクシは観たことありません)。

 第20回では、大賞をとった植嶋由衣さんの「いちご薄書」が、「大地の産声が聞こえる――15才いちご薄書」というタイトルになって、平成12年/2000年2月、午後9時からの2時間ドラマとして放送されます。その意味でも、次点だった西川さんの「オカン」は、ドラマ化も逃して涙をのみました。

 ……と思いきや、これを拾い上げてくれるテレビ局が現れます。系列の読売テレビです。ドラマ化が決まり、「オカン」役に天童よしみさんを据えて、関西地区限定で9月に放映。これが、おっとびっくりの21.6パーセントという高視聴率を記録しちゃったものですから、関東の日本テレビでも翌月に(昼の時間帯ですが)放送されるにいたり、この年の、読売テレビ主催「上方お笑い大賞」では、漫才作家・放送作家・作家を対象にした「秋田実賞」を受賞。

 これでもうひとつ、西川さんに箔がつくかっこうになりました。

 西川さんは言いました。「賞を取って、自分の新しい道が拓けた」(前掲『悠』記事)。やたら顔と声と態度がデカいだけでのし上がったあとに、テレビでの人気は凋落の一途をたどっていた芸人として、多彩な一面、ってやつを発掘。「オカン」一篇から派生して、自分の家族ネタを書きつなぎ、『オトンとオカン』(平成14年/2002年3月)、『続 オトンとオカン』(平成14年/2002年8月)とたてつづけに東京書籍から刊行することになりました。

 本を出す。すでに賞もとって、話題になっている。ときたところで、さあいよいよ、「人をケムに巻く」芸人魂、ここで発揮しないでいつするのだ、とばかりに西川さん、口にしてくれるわけですよ、例のアレを。ええ、直木賞のことです。

「漫才師の西川のりお(50)が書き下ろした自伝的小説「オトンとオカン」(3月25日発売、東京書籍)が今夏にもドラマ化されることが9日、分かった。

(引用者中略)

今回、読売テレビを筆頭に各局からオファーがあり、オカン役に天童よしみを再度起用する方向で調整が進められている。同作品は舞台化の話も進んでおり、小説のシリーズ化を狙っているのりおは「作家として直木賞を狙います」と宣言した。」(『スポーツ報知』平成14年/2002年2月10日「西川のりおの新作小説「オトンとオカン」もドラマ化へ」より)

 そりゃそうだ。そうこなくっちゃ!だわ。

 芸能人が、自伝的だろうがエッセイ風だろうが、とにかく散文の本を出す。そしたら「直木賞をねらう」と報道陣に語って紙面を飾る。というのを「日本の風習」百選のひとつにぜひ選んで、のちの世に残してほしい、いや、もう芸能(報道)界・出版界には義務化さえしてほしい、と思います。

 自伝的小説で直木賞。これはかなり厳しい門です。いまや、ほとんど無理スジでもあります。でも、ワタクシは言いたい。叫びたい。そうやって、数々の場面でいろんな人に口にしてもらえるところが、直木賞の重要な特徴のひとつじゃないですか。だったら、それが直木賞じゃないですか。

 「直木賞は、小説しか選ばれないよ。しかも職業作家として中間読物誌に書いている人じゃなきゃ対象にならないよ。西川のりおなんて、問題外もいいところだよ」などと、偉そうにいっぱしの口を叩いている人のほうこそ、直木賞とは何なのか知らないんじゃないか(目では見えているのに、頭では見えていないんじゃないか)、とワタクシは言いたいです。

 オカンのシリーズ化をしていく、作家として直木賞を狙うのだ。と、おそらくは取材陣を前にしたときの芸人のノリで、言っちゃう西川さん。直木賞がじっさいにはどんな人や作品に贈られるとか、そういうクダらない知識をふっとばし、バカにして、話題にひと花を咲かせてくれる、素晴らしい対応です。

 残念なのは、その後に直木賞の声がまったくかからなかったこと、ではなく、西川さんの執筆活動がそこまで広がっていかなったことです。「オトンとオカン」は、続篇で完結したのか、それから後は『付き人』(平成18年/2006年・ロコモーションパブリッシング刊)という、これまた自伝的な作品を出して終息。

 西川さんには、自分はフィクションは書けない、という自覚があるらしく、

辺見(引用者注:辺見マリ) 最近、西川さんは作家としても活躍されてますね。

西川 いやいや、あれは事実だから書けたんです。僕はフィクションを書くのは無理ですね(笑い)。作りの話は、最後はつじつまが合わなくなってしまいますから。」(『週刊実話』平成12年/2000年10月5日号「辺見マリの120分密着好き放題」より)

 そんなあ。どんどんハナシ、つくっちゃってくださいよ。時事ネタに物申すのもいいですけど、自伝的なものからそうでないものまで、もっと作品を書いてくれたらいいのになあ、と残念に思います。

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