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2015年5月31日 (日)

「選考委員が一致して推せないのなら、受賞させるな。」…『読売新聞』昭和58年/1983年8月27日「直木賞作家を安易に作るな」松島芳石

■今週の文献

『読売新聞』昭和58年/1983年8月27日

「直木賞作家を安易に作るな」

松島芳石

 「直木賞に対する批判」を取り上げつづけたら、文献は半永久的に尽きません。きりがないので、今日でいちおう、このテーマも終わりにしますけど、掉尾を飾るにふさわしい批判者に登場していただくことにしました。

 東京都品川区にお住まいの57歳の公務員(昭和58年/1983年当時)、松島芳石さんです。国会図書館のデジタルコレクションで検索すると、同名の人がずらずらと検索にひっかりりますが、同一人物かどうかはわかりません。

 新聞には各紙、読者からの投稿を載せるコーナーが用意されています。街で見かけたちょっといいハナシとか、ヒステリックママの社会への提言とか、じいさんばあさんの繰り言とか、そういうものが載って、恰好のひまつぶしの読み物として長年親しまれてきたアレですが、こういうところで直木賞批判をやっちゃう人も、ポツポツと見受けられます。書いてあることは、SNSとか2ちゃんとかでよく見かける直木賞批判の文章と、だいたい似たようなものです。

 けっこうな人生経験を重ねたはずの松島さんも、昭和58年/1983年に、直木賞に対して何か言いたくてしかたない病に襲われたらしく、「まあ。あのひと、いい年して、直木賞の動向なんかを気にしている……、近寄らないようにしなきゃ」と、近所に住む良識人たちから冷たい視線を浴びることを認識したうえで、それでも『読売新聞』に送ってしまった痛恨の一通。これが採用されてしまい、おそらく松島さんは周囲から変人扱いされたことだろうと思いますが、そんな状況にもめげず、幸せな人生を送られたことを、同病の人間としては祈るばかりです。

 さて、松島さんが投稿しようと思ったきっかけは、昭和58年/1983年の直木賞で、新聞ネタになるほどのニュースが巻き起こったことにありました。例の、城山三郎、直木賞の生ぬるい選考会の空気に失望し、委員を辞任する、の件です。

 このニュースにピピンと反応してしまった松島さん。本来なら、それまでの直木賞がどうであったか、などを調べてから意見を言うのがスジでしょうが、そんなもの面倒だと(たぶん)思って、こんな感じで考えを進めてしまいました。

「選考の経過では、城山氏のみならず反対意見や受賞に難色を示した委員が多く、決定までかなり難航したようである。

 ということは、選考委員が一致して推せるような作品が、今回はなかったということになろう。八人の選考委員に異論の多い作品を無理して受賞に結びつけたところに大きな問題がある。」(『読売新聞』昭和58年/1983年8月27日 「気流 直木賞作家を安易に作るな」より)

 ここにある相当な飛躍こそが、この投稿文のキモ(キモい、ではない)だと思います。

 選考委員のあいだで(いくらかの)異論の出た作品を受賞させることが、なぜ「大きな問題」なんでしょうか。ワタクシもよくよく考えてみましたが、どうしても理解できませんでした。

 ただ、直木賞の素顔や実態から目をそらしていいのであれば、別です。たとえば仮に「X賞」という文学賞があるとします。この賞は、明確な授賞基準が決まっています。しかも、見る人によって違いが出るような性質の基準ではなく、論理的、科学的に検証が可能で、そこから外れるような作品が選出されることは絶対にあり得ない。この「X賞」であれば、異論が出た作品を受賞させるのは、(大きいかどうかはともかく)問題視していいかもしれません。……だけど、そんな賞、直木賞以外に目を向けたって、どこにもありません。

 異論も出るし、賛成する人もいる。そのなかで、毎回毎回ぐらぐらと揺れる、それぞれの委員の基準のなかで、授賞したり、落選させたりして決められていくのが、直木賞じゃないですか。そこに「問題」があるというなら、直木賞そのものが生まれたときから問題です。いや、人間が決める、という意味においてすべての文学賞が問題です。もはやそれは問題と呼ぶにはふさわしくなく、文学賞に絶対に備わっている基本的な性質といってもいいし、カッコよく言えば「文化」であるかもしれません。

 しかしまた、なぜ松島さんは、直木賞なんちゅうものの「問題」を指摘しようとするんでしょうか。それは、続く次の文章で明らかにされているのでした。

「このことは、芥川賞とともに権威のある直木賞の価値を著しく低下させることになるであろう。」(同)

 えっ。マジで言っているんですか。

 直木賞には権威がある、という。ええ、それはいいでしょう。だけど、直木賞の権威性は、かつての選考委員たちが一致した見解によって作品を受賞させてきたから、なんかじゃないですよ。異論百出の受賞作が誕生することが、「権威ある直木賞の価値」を低下させるわけありません。なぜ直木賞には権威があると見なされてきたのか。それは、直木賞がどんなことをやらかしても、どんなにバカバカしい話題を振りまいても、かならずそれを「権威ある直木賞」っていう視点から(のみ)見てしまう、松島さんのような方が、昔からたくさんいたせい、なんじゃないですか。

 要するに、直木賞を批判する行為は、ほぼ直木賞のほうに問題があるのではなく、批判する側の、個人の問題なんじゃないですか。

 だって、最後に、このような締めくくり方をしてしまう松島さんに、ワタクシは、どこか偏った、不自然な姿勢を感じないわけにはいきませんもん。感じますよね?

「候補作品の評価が分かれるような場合は、安易に直木賞作家を作らないようにしてほしい。」(同)

 どう考えたって、おかしいでしょ。安易に作られた直木賞受賞作家が、そこかしこにあふれて、何の問題があるんです? というか、われわれが見ている直木賞は、何十年間も、安易に受賞作家をつくりつづけた末の姿なんですよ。別に問題ないじゃないですか。

 もしも、「そんなことをしていたら、直木賞の権威が下がる」とか、「力のない作家が持てはやされるばかりで、不愉快」とか思うのだとしたら、それは「直木賞は、自分を楽しませてくれる作家を生み出す象徴」であってほしい、あるべきだ、みたいな観念に脳内を汚染された病気です。で、松島さんまでも罹ってしまった病気が、いまの日本にもまだまだ蔓延しています。直木賞がいつも楽しいのは、じっさい、そういう病人たちがいるおかげです。ほんとにありがたいかぎりですね。

          ○

 来週からはテーマを変えて、懲りずに直木賞についてのハナシを続けていきたいと思います。ワタクシの直木賞病が完治する日は、まだまだ先みたいです。

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