「近い将来、大衆小説界をリードしていくのは山周賞になるだろう。」…『本の雑誌』平成5年/1993年7月号「山周賞はエライ!」無署名
■今週の文献
『本の雑誌』平成5年/1993年7月号
「真空とびひざ蹴り
山周賞はエライ!」
無署名
5月の半ばだというのに「このミス」のハナシをしている場合じゃありませんでした。今週は、きちんと(?)季節にマッチした直木賞批判でいきます。
先週は、例年になく三島由紀夫賞が盛り上がりました。その陰にかくれて、ほとんどの人の目に「三島賞の前座」のように映ってしまった賞があります。創設当時「直木賞のライバルだ!」とのろしが上がったアノ勢いは夢のできごとだったんじゃないかと思うほどに、注目度のうえでは本を売る文学賞・本屋大賞に軽ーく抜かされ、いまでは存在感の薄さが特徴になってしまった、かなしき文学賞こと、山本周五郎賞。
とかく人間には「直木賞よりも○○のほうが断然いい」と言いたがる習性があります。本屋大賞まわりの賑わいを見ればよくわかりますよね。山周賞も一時期(いや、いまでもですか)、「直木賞より……」っていう、他者との比較ばかりが看板になってしまう、つらい過去がありました。
その代表的な例が、平成5年/1993年に『本の雑誌』の巻頭コラム「真空とびひざ蹴り」で華々しく打ち上げられた山周賞礼讃&直木賞批判です。無署名ではありますが、書いているのはおそらく目黒考二さんです。
当時、山周賞は第6回(平成5年/1993年度)が決まった直後。選ばれたのは、ごぞんじ宮部みゆきさんの『火車』で、はじめて「直木賞落選→山周賞受賞」の経路をたどった記念の作品となりました。小説好きは直木賞よりも山周賞に惹かれるのだ! というハナシはよく耳にしますが、そのことを多くの人に印象づける回になった、と言い換えてもいいでしょう。おそらく。
「振り返ってみると、第一回の山田太一から山周賞はそうそうたる作品・作家を選んでいる。なにしろこれまでの受賞作家が、山田太一、吉本ばなな、佐々木譲、船戸与一、宮部みゆき、なのだ。91年度に『今夜、すべてのバーで』が候補作となった中島らもに山周賞をあげていれば、これはもう完璧ではないか。その間、直木賞は十七人の受賞作家を生んでいるが、幾人か惹かれる作家はいるものの、総じて弱い。その後の活躍を比べれば、山周賞のほうが今や信頼できると言ってもいい。」(『本の雑誌』平成5年/1993年7月号「真空とびひざ蹴り 山周賞はエライ!」より)
信頼、がうんぬんと言っております。
いかにも、それまでに直木賞のことも「信頼」っつう観点で見てきた人たちがいた、と受け取れるような文章です。しかし、ワタクシは首をかしげてしまうのです。本気で直木賞を信じて崇めていた人などいたんですか?
言うまでもなく、「直木賞」っていう単語は、世間に流布はしていましたよ。異常なくらいに。だけど、そのほとんどが、表層的な直木賞のことじゃないですか。権威だ何だと攻撃する人。直木賞とっても活躍せずに消えていった人も多い、とかしたり顔で言う人。直木賞受賞者だ、と聞いただけで急にあこがれのまなざしを向ける人。……もちろん、直木賞は、表層あっての存在ですから、表層的に直木賞をとらえることがおかしいわけじゃありませんが、でも、それらは「文学賞に対する信頼」の表われなんすか? ほんとに? いったい、直木賞のどこが、誰に、どういうふうに「信頼」されていたと言うのでしょう。よくわかりません。
ただ、「とびひざ蹴り」で指摘されている、受賞者のその後の活躍だとか、商業作家としての強さ・弱さの点で、直木賞はいまいちだ、ということは、ワタクシにも納得できます。まったくそのとおりです。山周賞ができて以来に限ったハナシじゃありません。直木賞って、ずっとそんなもんでしたよね。小説を読む行為に「信頼」を求めちゃうような読書家にとって、直木賞の受賞作ラインナップが当てになるわけがありません。
直木賞は弱い、といったことを、「とびひざ蹴り」はさらに具体的な作家名・作品名を挙げて語ります。このあたりは、さすがは(いかにも)目黒さん、といったチョイスになっています。
「直木賞は船戸与一を候補にしたこともなく、佐々木譲『ベルリン飛行指令』が89年上半期の候補になった例が見られるのみ。つまり候補作がもともと弱い。志水辰夫の『帰りなん、いざ』が90年下半期の候補になっているが、あの作品で候補にされたのでは、志水辰夫も困るだろう。」(同)
そもそも直木賞って候補作の選択が変だ、と言っています。
ええ、その変さこそが、直木賞を直木賞たらしめている核の部分だと言ってもいいぐらいです。なので、そこがダメだと言われちゃったら、もう交渉は決裂です。水かけ論です。ハナシは進みません。そうじゃないですか。文句なしの、力感あふれる、作家の力量が存分に発揮された、のちのち代表作と語り継がれるぐらいの小説しか候補に挙がらない、そんな文学賞の何が楽しいのか。ワタクシにはさっぱりわかりません。
文学賞に対して過大な期待を寄せてしまう、まじめな読者家にとっては、そういう文学賞が理想なんでしょうか。そして、そういう人は直木賞よりも山周賞を好きになる。まあだから、いつまでたっても山周賞は、一部の好事家にしか顧みられない、かなしい地点から一歩も脱け出せないままで、ごにょごにょごにょ……。
「とびひざ蹴り」に戻ります。つづいて、自分の好きな『火車』を選んだ山周賞をほめ、いっぽうで落とした直木賞を批判する段になりまして、ここでおなじみ(?)、楽しき個人攻撃を繰り出してきます。
「特に渡辺淳一と黒岩重吾の選評を読まれたい。はっきり書くがこの人たちの小説観はもう古いのではないか。直木賞がこういう作家に選考をまかせているかぎり、この賞は読者の実感からどんどん遠のいていくような気がする。」(同)
そうです、そうです。直木賞は読者の実感から遠いです。まさに。
だいたい、読者の実感は、読者それぞれが感じればいいことです。そんなものを文学賞が代弁する必要はありません。むしろ、読者の実感とは切り離された、新たな価値観が提示されてこそ、わざわざ何十人・何百人もの社畜……じゃなくて出版社に勤める有能な編集者たちがよってたかって運営するだけの意味があるってもんじゃないですか。遠のいたっていいんです。
で、こういうハナシになると、「受賞作だから、って理由で手にとる人たちは多いんだぞ。そういう人たちの気に入るような小説を選べない直木賞、クソ」とか言い募る連中がいたりするんですけど、なにを甘えたこと吐かしているんでしょうかね。非があるのは文学賞じゃないでしょ。そんな理由で本を選ぼうとする読者のほうが100%悪いです。
といって、さすがに『本の雑誌』で読者批判・文学賞擁護、などするわけはなく、当然「とびひざ蹴り」は終始、直木賞を叱り倒しまして、最後の最後、スバラシキ山周賞に関するある予言をもって、締めくくります。はっきりいいまして、大風呂敷です。いまから22年前にここまで言われた山周賞が、その後にどのような旅路を経ていまワタクシたちのまえにあるのか、思いを馳せながら読みますと、哀愁・諦観・憐憫・苦悶……などなど、さまざまな感情がからだじゅうを駆けめぐる仕掛けになっているのでした。
「大衆小説界を山周賞がリードしていくのはそう遠い未来ではない。今回の『火車』事件はそういう時代の変わり目を象徴しているのだ。」(同)
……この22年間、大衆小説界を山周賞がリードしたとは、とうてい言えないとワタクシは思います。と同時に、もちろん直木賞がリードしたことだってありませんでした。だって、そりゃそうでしょう。「大衆小説界」なんてフトコロの深い世界、たったひとつの文学賞ごときがリードできるはず、あるわけないです。
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