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2015年5月10日 (日)

「直木賞の選考委員は、入れ替えるべきだ。」…『このミステリーがすごい!2000年版』平成11年/1999年12月・宝島社刊「狂犬三兄弟がいく!」茶木則雄

■今週の文献

『このミステリーがすごい!2000年版』平成11年/1999年12月・宝島社刊

「実名(+匿名)座談会
狂犬三兄弟がいく!」

茶木則雄(ほかに池上冬樹、関口苑生、T=豊崎由美なども参加)

 季節はこれから暑い夏に向かおうとしていますが、いかがお過ごしでしょうか。今週の話題は、年末の風物詩『このミステリーがすごい!』です。全然、季節と関係ないです。すみません。

 『このミス』の名物企画といえば〈匿名座談会〉ですが、これは2年目の'89年版から始まりました(この年まで'89年版といえば'89年度の作品が対象、翌年からは'91年版が'90年度を対象とするようになり1年ずれる)。最初の記事タイトルは「いろいろあった……'89年大回顧座談会」と、かなりおとなしめ。しかしその後、作品をけなす、作家の発言を嘲笑する、『産経新聞』匿名コラムとケンカする、などなど威勢のいいことをやらかすうちに、〈匿名座談会〉の株は徐々に上がりまして(?)、こういうところで悪ノリするのが宝島社の風土(なのか)、座談会のタイトルも「暴言かましてすみません」だの「覆面4匹 地雷原を行く!」だの「覆面5匹、地雷を人に踏ませる」だのと、アオリの方向に発展していき、'99年度版で「終わっちゃっていいんですか?いいんです!」として、ひとまずの区切りをつけました。

 その翌年からは代わりに「狂犬三兄弟がいく!」のタイトルで、池上冬樹さん、関口苑生さん、茶木則雄さんの3人に、ゲストを加えて座談会が行われます。続いたのは2年間だけでしたが、〈匿名座談会〉は当然のこと、この企画もまた、直木賞ファンにとって忘れられない企画なのでした。

 といいますのも、やはりアレです。やがて直木賞批判者として大々的に知られることになる〈文学賞メッタ斬り!〉の二人、大森望さんと豊崎由美さんがここに関わっているからです。大森さんは〈匿名座談会〉のころに〈O〉として参加経験がありましたが、「狂犬」企画になりますと豊崎さんまでもがゲストとして登場。ミステリーの案内本だっつうのに直木賞に対する批判・非難の声が掲載されまして、直木賞批判天国時代の到来を予感させる企画となった、と言ってもいいでしょう(よくないぞ、たぶん)。

 たとえば、〈匿名座談会〉末期の'97年版で、ゲスト参加した〈O森某さん〉こと、〈O〉こと、大森さん。AさんBさんDさんSさん(=関口苑生)といっしょに、直木賞のダメさ加減の話題でひとしきり盛り上がってみせました。

 どう考えても納得できないのは直木賞。『蒼穹の昴』が受賞しないとは。『火車』が落ちたときにも言ったけど、バカだね。選考委員の、とくに……。

 今回の直木賞は、すでに候補作からしてまちがっている(笑)。宮部みゆきが『人質カノン』、篠田節子が『カノン』、鈴木光司が『仄暗い水の底から』でしょ。作家の名前だけでそろえたとしか思えない……。

 篠田の『カノン』は、まだわかるけど。受賞した乃南アサが『凍える牙』というのも変です。『風紋』とか、ああいった作風が本線の作家だから。

 作者のいいところがいちばん出ているのは、浅田次郎でしょうが。

 該当作なしだったら、まだしもってとこかな。

 『凍える牙』もダメな作品とまで言わないけど、これで直木賞だったら、ミステリー界から、ぞろぞろ取ってていい。

 だから、ぞろぞろ取ってるじゃないですか(笑)。

 直木賞選考委員には文壇の将棋大会で活躍してればいいような人もいるし。」(平成8年/1996年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!'97年版』所収「匿名座談会国内編 絶賛帯はホントに信じていいのか」より)

 がんがん熱くなる批判者の輪のなかにいながら、「だから、ぞろぞろ取ってるじゃないですか」とサラッとツッコんでみせるところなど、もう〈メッタ斬り!〉でよく見る光景ではないですか。ねえ。

 いずれにしても、床屋談義といいますか、飲み屋で交わされる放言、みたいなことの楽しさを、ミステリーファンだけじゃなく直木賞ファンにも味わわせてくれる、大変ありがたい座談会だったものと思います。ワタクシは当時リアルタイムで読んだわけじゃありませんけど、いま読み返すと、ああ、そうだよなあ、かならずしも作家の本流でない作品、ベスト級とも思われない作品を候補作に挙げてみたり、渾身と思われた大作を落としてみたり、直木賞ってシブいよなあ、とますます直木賞が好きになったりします。

 それで3年後に『このミス』の座談会は「リニューアルオープン」して「狂犬三兄弟がいく!」になりました。2000年版、この年のゲストはみなイニシャルなんですが、豊崎さんは〈T(豊崎由美=フリーライター)〉と名前を明らかにして、ミステリーに関するお話に参加しています。

 この当時は、世間では「ミステリーと直木賞の蜜月」と言われていました。となればやはり、直木賞ごときが、年間ミステリー回顧のハナシに登場させられるわけですけど、ここで豊崎さんがどのようにからんでくるかと言いますと、例によって例のごとく、と言いますか、これがなきゃ豊崎由美じゃない!とまで言われる例の観点で、直木賞を批判するのです。

茶木 (引用者中略)今回の直木賞、『永遠の仔』落選の最大の理由は長さにあった。長いこともあって落ちたんじゃなくて、長いから落ちたとしか、選評を読むと思えない。もちろん、ほかにもいろいろあるようですけど。みなさんどうですか?

 選評の中でたしかにうなずけるところもあります。子どもはこんなふうにはしゃべらない、とか。天童さんがこの小説で訴えたいことを子どもに語らせちゃってる部分がちょっと目立つんですよ。(引用者中略)ただ、ここまで長さ長さと言われるというのは……どんな恨みを天童さんは買ってるんだろう(笑)。やっぱり、ひとつには、読んでて長いと疲れちゃうと思うんですよ、お年寄りの選考委員の方たちには。しかも、このなかでも渡辺淳一は自分のコトは棚にあげるよね。たとえば『失楽園』の文章。「ボディトークという言葉を思い出す。いま、ふたりはまさしく身体と身体で語りあった」とか、こんな文章を平気で書く作家が、どうして直木賞の選考委員になってるわけ?」(平成11年/2000年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!2000年版』所収「狂犬三兄弟がいく!」より)

 期待どおり来ましたね。よっ。豊崎屋!

 直木賞選評の華、のひとつだった渡辺淳一さんの、読み手の神経をゆさぶらずにはおかない稚気たっぷりな選評に、豊崎さんががっつり反応するという。おそらく視聴者にアンケートをとったら、直木賞批判史の名場面ベスト10の上位に食い込むんじゃないでしょうか。「渡辺淳一選評を攻撃する豊崎由美」の図。これが『このミス』誌上で展開されていたことに、感涙にむせぶ直木賞ファンはきっと多い……のかどうかは審議の余地ありですが、ワタクシの胸はつい熱くなります。

 豊崎さんの熱に押されたか、いや、茶木則雄さんのことですから、たぶん文句を胸におさめておけなかったようです。自分の勇敢さに酔いしれながら、直木賞に対して批判の声を謳いあげるのでした。

茶木 直木賞の選考委員はね、入れ替えるべきだと声を大にしてこの座談会で言っておきたいね。誰も表立って言わないから。たしかに『永遠の仔』は、欠点のない小説じゃないけど、絶対にこれは認められないような欠点ではないでしょう。ミステリー的には、読みながら「これは甘いな」とチェックが入るところもあったけど、でも、読み終わったらそんなことはもういい。べつに欠点なんか気にならない。圧倒的な読後感を高く評価したいけどな。(引用者後略)(同)

 誰も表立って言わなかったのは、けっして、直木賞の動向程度のことに誰も興味がない、わけではなかったのですね! 半年に一度、文藝春秋の恣意が入りまくった候補作のなかで決められる、文芸の中心にあるわけでもない、一瞬騒ぎが起きるだけのあんな賞、誰が選考委員に就いてたって別にどうでもいいだろ、みたいに誰もが思っていたわけではなかったのですね。うれしいです。

 ただ、茶木さんのような方までもが、わざわざ声を大にして言ってくださっても、そんなことで直木賞は動いたりしない。これもまた、直木賞の魅力です。ミステリーが候補作に入っていなければまず直木賞に関する発言などしないような人たちから、ちょこちょこと文句を言われても、意に介さずに我が道を行く、けなげな直木賞。

 この先、〈メッタ斬り!〉の活躍もあり、ほんとに多くの人が表立って選考委員の入れ替えを言い立てる、まさに直木賞批判の天国時代が訪れます。ご承知のとおりです。そして、ますます直木賞のけなげさが際立つようになりました。直木賞ファンにとって、このうえなく幸せな時代になった、と思わないではいられません。

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