「受賞者がタレントのように持てはやされてきたので、その軌道修正、か。」…『読売新聞』昭和63年/1988年1月16日「軌道修正?した芥川賞 熟年ずらり、水準高かった候補作」(草)
■今週の文献
『読売新聞』昭和63年/1988年1月16日
「軌道修正?した芥川賞
熟年ずらり、水準高かった候補作」
(草)
直木賞や芥川賞の解説文などには、ひんぱんに使われる言葉があります。たとえば「顔みせ」(=とくに直木賞。受賞には遠いけど、選考委員たちにその候補者の存在を印象づけるために、予選会が初候補として選ぶこと)とか。「文春枠」(=候補選びの際に、他社のものとの比較ではなく、文藝春秋の刊行物が優先的に選ばれることを指す)とか。こういう言葉を使うと、いかにも直木賞・芥川賞にくわしそうに思われて、多少の優越感にひたれるかもしれないんですけど、たいてい周囲からはウンザリした目で見られるので、ご注意ください。
それから、こんな直木賞・芥川賞用語もあります。「軌道修正」。
ときどき、マスコミ受けする派手な経歴、容貌、言動などで強烈な光を浴びるような受賞者が誕生します。そういう話題性を快く思わない「〈文学〉病の患者」は全国各地にいますので、そのあたりからワーワー批判の声が上がり、いっそう話題にはずみがつくわけですが、次の回で、話題性の乏しい、昔ながらの地味ーな受賞作が選ばれたりすると、だいたい「軌道修正」といった言葉を使う文壇ライターが出てきます。
芥川賞のほうで言いますと、第75回に村上龍さんが受賞、第76回は受賞作がなく、第77回に三田誠広さん・池田満寿夫さん、ときまして、みんなの芥川賞愛が炎をあげて最高潮に達します。そのあとに選ばれたのが、第78回の宮本輝さんと高城修三さん。代表的な「軌道修正」として(「軌道修正」っつう言葉がいろんな人に多用された例として)よく知られています。
まあ、そのときは、いつものように芥川賞偏重の取り上げられ方でしたし、直木賞といえば、そもそも軌道もレールも見当りませんから、特段気にするハナシじゃありません。その直木賞が、「軌道修正」なる言葉を使ってもらえたのが、第98回(昭和62年/1987年・下半期)のときでした。
何つっても、これまで調子こいて注目の的になってきた芥川賞のほうは、受賞作なしを繰り返す暗黒のトンネルのなか。話題になるような受賞者も出せず、きらびやかさが大嫌いな文学通たちは、いい気味だとほくそ笑んでいました(……たぶん)。
対して直木賞は、第93回山口洋子さん、第94回林真理子さん(+地味なおじさん森田誠吾さん)、第95回は三期連続女性の皆川博子さん、とんで第97回には、タレントの記者会見かというぐらいに会見場をカメラの山で埋め尽くした山田詠美さん(+地味なおじさん白石一郎さん)ときました。話題になるものを叩きたくてウズウズしている人たちの、攻撃の矛先が、にわかに直木賞に向けられたわけです。
と、この流れのなかで第98回がやってきます。受賞結果が発表されて、その経過を伝えますのは、読売新聞記者の(草)さんです。ここに及んでも直木賞の話題としてではなく、芥川賞の話題として書いちゃっているのは、もはや失望とともに笑うしかないんですが、こう書き出しました。
「今期の芥川賞は、池沢夏樹氏「スティル・ライフ」と三浦清宏氏「長男の出家」の二作受賞に決まった。このところ女性作家に押されぎみだった同賞だが、男性のダブル受賞は第七十九回以来、ほぼ十年ぶり。芥川・直木賞の候補そのものが全員男性というのもちょっと異例だった。
もう一つ目立ったのは、候補者の年齢の高さ。芥川賞七人の候補の中に戦後生まれはいなかった。」(『読売新聞』昭和63年/1988年1月16日「軌道修正?した芥川賞 熟年ずらり、水準高かった候補作」より)
絶対に直木賞中心の記事など書くもんか、という気概のような意志が、強烈に感じられる文章です。おそらく直木賞のほうには、8人の候補者のうち、たったひとりだけ戦後生まれの小杉健治さん(昭和22年/1947年生まれ)が入っていたので、(草)さんに無視されたんでしょう。
要するに(草)さんは、芥川賞では最近に珍しく、40歳を超えたジジイたちの小説ばかりが候補になった、と言っているわけですが、それなら芥川賞のことだけ言っていればいいのに、都合よく利用されるのが直木賞の存在です。たぶんここで、「芥川賞・直木賞」のハナシに移行しても違和感に気づく読者などいないだろう、と考えたものか、ここ数年間は芥川賞の代わりのようにマスコミに注目されてきた直木賞のことを、さらっと引きずりこんできます。
「このところ芥川・直木賞は、話題性の強い候補によって、ともすればショー的になっていた。それに比べ、いわば実力派中心の今回は地味だった。東京会館での記者会見も、いつもよりテレビライトの数が少なく、受賞者の受け答えも落ち着いて、大人の雰囲気が支配していた。
現実の社会のなかで、文学はマイナーな存在であっていい。文学者がタレントかなにかのようにもてはやされるのは、文学にとってけして幸福なことではないのである。」(同)
山田詠美さんを撮りたがったテレビカメラの群れが、今回はいっせいに潮が引くようにいなくなった、というのもよくわかります。阿部牧郎さんは、発表直後の東京會舘の記者会見には出てこなかったようですが、たぶん阿部さんが来ていても、けっきょくジジイ3人が並ぶだけなので、カメラ映えの点では変わりなかったことでしょう。
ちなみに阿部さんの『それぞれの終楽章』は、それまでの直木賞史上でトップクラス、と言われるほどの、選考委員たちゲキ推しの完成度! な受賞作でしたが、そんなことに飛びつく報道陣など、いるはずもありませんでした。
「選考委員を代表して、山口瞳氏は「今回の候補作品はどれが受賞してもおかしくなかったが、阿部氏の作品は直木賞史上最高ともいえる支持を集めた。作品は氏の戦後史であり、男の友情を描いた青春小説だが、文章が非常に安定していて、さりげない描写に胸を打つ個所がいくつもある。これまでの氏の作品の傾向を方向転換し、それに見事に成功している」と高く評価した。」(『毎日新聞』昭和63年/1988年1月14日「芥川賞に三浦清宏、池沢夏樹の両氏、直木賞に阿部牧郎氏」より 太字下線は引用者によるもの)
ふたたび(草)さんの文章に戻ります。最後のしめくくりの部分です。自分の意見としてではなく、その場にいた周囲の誰かさんの、思いつきに近い放言を紹介して、第98回の地味な直木賞・芥川賞を解説してみせました。なぜ、それまでテレビカメラも追っかけるような受賞者を出しておきながら、この回、むさくるしい男連中ばかりに授賞したのか、それは――
「この春から、芥川・直木賞に対抗して新潮社が三島由紀夫、山本周五郎賞をスタートさせる。そのインパクトが芥川・直木賞の軌道修正をもたらしたという、うがった見方もあった。」(同)
これぞどこに出しても恥ずかしくないほどの、カンペキなヨタ! と言いたくなるほどの、まとめかた。山周賞・三島賞の、創設発表のインパクト、なるものを持ち出すところが、さすが、この創設発表を特ダネですっぱ抜いた文学賞脳集団・読売新聞だけはあるなあ、と感心しつつ、でも、マスコミ陣の目を引かない受賞者が選ばれた原因が、山周賞・三島賞の存在にあった……とか、そりゃ考えすぎでしょ。どう見ても。
だいたい、圧倒的な候補回数を重ねた作家として、白石一郎さんの受賞から阿部牧郎さんへ。中年・老年の書き手によるノスタルジックな自伝的小説として、常盤新平さんの受賞から阿部牧郎さんへ。何だ、全然、軌道修正してないじゃん。
……などといっても、芥川賞にしか興味のなさそうな(草)さんには、どうでもいいことに違いありません。とりあえず芥川賞の専売特許の感があった「軌道修正」っつう用語が、直木賞のほうにも押し広げられたんですもんね。ここは素直に喜んでおきたいと思います。
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