「選考委員の人事だって、けっきょくは話題づくり。」…『サンデー毎日』昭和62年/1987年6月14日号「芥川・直木賞 選考委に初の女流四氏」清水靖子
■今週の文献
『サンデー毎日』昭和62年/1987年6月14日号
「芥川・直木賞 選考委に初の女流四氏」
清水靖子
ワタクシがはじめて直木賞のことを耳にしたのは、おそらく小学生のときです。当時すでに、「直木賞なんて、もう落ち目」と言われていて、以来この年になるまで、ずっと直木賞は落ち目だと聞きながら育ちました。今日取り上げる文献は、ワタクシが子供だったころの、いまから約30年まえに発表された記事ですが、直木賞なんてもう落ち目、といったことが語られています。当然のように。
いや。正確にいうと、「凋落傾向にあるのはとくに芥川賞だ」っていう指摘でした。直木賞のほうは、その巻き添えを喰って凋落仲間に加えられているかっこうです。そして凋落だ、凋落だ、いっているそばから、何でこんなことをデカデカと記事にするんだ! と多くの人が思うはずのテーマで、わざわざ直木賞・芥川賞のことが記事にされている。っつう意味でも、これまた空気のように、いつもボクラの身のまわりにあるようなテイストの記事になっているわけです。
芥川賞の周辺では、昭和50年代から昭和60年代にかけて、とくに盛んに叫ばれていたことがありました。「選考委員に女性を入れるべきだ」という要望です。
そのさなかの昭和60年/1985年、第94回(昭和60年/1985年下半期)から直木賞の選考委員に陳舜臣、藤沢周平のお二人が加わり、芥川賞には直木賞から水上勉さんが移って、さらに古井由吉、田久保英夫のお二人が就任したときには、こんな文章すら書かれるほどでした。
「芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考委員が大幅に変わり、来年一月の第九十四回選考会から新体制で実施される。
(引用者中略)
近年女性作家の候補作が増えたことから、空席には女性委員をとの声もあったが今回は見送られた。」(『読売新聞』昭和60年/1985年10月8日夕刊「芥川・直木賞 選考委員に新たに四氏」より)
とにかく「女性を就任させろ」の声が、両賞のまわりで相当高まっていたわけですね。日本では、この二つの賞のことになると、やたらと何か注文をつけずにはいられない人種が、創設したころからずーっと存在してきたんですが、この時代の、彼らの流行のキーワードは「はやく女性選考委員を」でした。
流行りとなると、マスコミ陣はそこを集中的に突こうとする。これは、いまのネット民たちとあまり変わりません。昭和62年/1987年、第97回(昭和62年/1987年上半期)からようやく直木賞・芥川賞ともに2人ずつ、女性が選考委員に入る、と発表されたときには、
「まあ、女性をなぜ入れないか、と雑誌が特集をしたりして責めたてている感じがあったから、その要請に(引用者注:主催者が)応えたんじゃないの」(『サンデー毎日』昭和62年/1987年6月14日号「芥川・直木賞 選考委に初の女流四氏」より 署名:清水靖子 太字下線は引用者による)
とコメントされるぐらいに、女性を要望する声はヒートアップしていたわけです。ちなみに、このコメントをしている主は、当時、島田雅彦さんあたりからガーガー噛みつかれ、「僕はもうそろそろ辞めたいんだよね」などと弱気になっていた芥川賞委員、吉行淳之介さん。記事をまとめたのは『サンデー毎日』編集部の清水靖子さんです。
そして、ここで登場します。してしまうのです。週刊誌ネタのレギュラー回答者としておなじみの(?)「某紙文化部記者」とやらが。ふふん、何やら騒いでるようだけど、ただ単に「主催者が外部からの圧力に屈した」だけが原因だろうなどと思うのは大まちがいだよ、トウシロ君。これまで長らく直木賞・芥川賞をとりまいてきた伝統の見解を忘れたのか、と言わんばかりに、例の視点をねじ込んでくるのでした。
なぜ、いまになって女性の選考委員を加えたか。そりゃあ、衰退するいっぽうの芥川賞に、少しでも世間の目を引きつけようとする話題づくり、に決まっているじゃないの、と。
「年に二回ずつ受賞作家を量産しているこの芥川賞と直木賞。以前ほど、一般の人々の興味をひかなくなっている。おまけに作家にとっても、かつては、この両賞のどちらかを受賞すれば、その名前で一年は仕事がくると言われたが、いまはそれがひどい場合は半年。特に芥川賞の衰退が指摘されている。
某紙文化部記者によれば、この芥川賞の下落傾向と今回の“新人事”とは結びつくものがある、としてこう解説する。
「芥川賞は中上健次さん(50年下『岬』で第74回芥川賞)以降、文壇の勢力となるような有力な作家がほとんど育っていないんですよ。むしろ、何回目かの候補になった時、『芥川賞なんていらない』と断ったという噂がある富岡多恵子、津島佑子さんなんかが活躍している。選考委員の候補も手詰まりになってきています。今度の補充で、芥川賞を受賞していない黒井千次さんが選考委員になったのは将来への布石でしょうし、女性を入れたのも、外からの要請に応えたということと同時に、話題づくりもあったんじゃないですか」(同)
とりあえず芥川賞についてコメントするなら、「話題づくり」の単語さえ持ってくれば、すべてが丸く収まる定番の図式、といいましょうか。受賞作が売れれば話題づくりだと言い、衰退したと見るや話題づくりにばかり身をやつしたからだと解説し、それを取り戻そうとする姿勢もまた話題づくり、ととらえる。ここから20数年たったのち、今度は島田雅彦さんが選考委員になったときにも「芥川賞の話題づくりだ」とさんざん言われたことは、記憶に新しいですよね。
……魔法のことば「話題づくり」。この賞がどういう状態であろうと、何をしようと、すべてそれで押し通そうとする人びと。ここまでくると、普通は笑えます。だから芥川賞関連記事っつうのは人気があるし、いつ見ても面白いんだと思わされるゆえんです。
ただ、面白がってばかりもいられません。この匿名記者のコメントには、つづきがあるのでした。今回の女性選考委員誕生は、残念ながら、みんなの大好きな芥川賞だけの話題ではありません。ってことで、この記者が何と言ったか。書き手の清水靖子さんが、冷酷に伝えてくれています。
「直木賞のほうは男性の候補者もいるが、芥川賞とのバランス上、直木賞にも二人の女性選考委員が誕生した、というのがこの記者の推測である。」(同)
どうですか。芥川賞の委員人事は熱ーく語ったくせに、直木賞のことになった途端に、この冷め具合。要するに、直木賞は「ついで」の存在だと言っちゃっている。
ああ、そうですか。直木賞は、直木賞だけの理由で何か変革する、とすら見てもらえないんですか。芥川賞ほど凋落してはいない、芥川賞ほど話題づくりに躍起にはならない。そこにあってもなくても、べつにさほど心を動かされない存在、直木賞。
でも、この1年ほど前の第95回、皆川博子さんが受賞したときには、「昭和60年代に入って、史上はじめて女性の受賞者が3回連続で選ばれた。直木賞の世界に、たしかに女性が増えはじめている」ぐらいのことを言う人もいたんですから、「芥川賞とのバランス上」なんてお手軽な表現をしなくても、もっと解説できたでしょうに。クヌー、匿名記者め、芥川賞びいきが露骨すぎるぞ、コノヤロ。
ともかくも、当時、芥川賞大好き文芸ジャーナリストたちが、やたらと固執していた女性選考委員の就任。これで念願がかないました。さあ、こうなれば直木賞・芥川賞に対する外からの評価も、思惑どおり、第97回から徐々に回復していくはずだったのですが、果たしてどうなったのか。……直木賞・芥川賞に注文をつける人は、注文するときは威勢がいいです。でも、だいたい無責任です。今日は、そこに触れるのはやめときます。
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