「選考委員に評論家が加わっておらず、作家ばかり。」…『文學界』昭和25年/1950年11月号「文学主権論」大宅壮一
■今週の文献
『文學界』昭和25年/1950年11月号
「文学主権論」
大宅壮一
大宅壮一さんには、「文壇ギルドの解体期」っつう、非常によく知られた評論があります。
書かれたのは大正15年+昭和1年/1926年です。それまでの文壇は職人世界そのものであり、〈親方〉になるためにはまず〈徒弟〉を経験しなければならない、仲間入りを果たすには〈親方〉連に認められる必要があり、それ以外から入ってこようとする〈素人〉に対しては排他性が発揮され、侵入できないようになっている。しかし大正15年の状況を見ると(素人の文壇侵入、プロレタリア文芸運動の勃興、純文芸雑誌・出版の不振、文壇内での企業熱の高まり、などなど)、文壇ギルドが解体しつつあるいくつかの兆候が見られた……と言うわけです。
ここで「もう完全に解体しきった」などと大言壮語してみせなかったところがミソでして、それから24年たった昭和25年/1950年、大宅さんはこう書きました。
「私が「文壇ギルドの解体期」を書いたのは今から二十五年前であるが、今だにその性格は失われていない。そしてその性格が芥川賞の中にもっともよく現われていることは、前にのべたところによって明らかであろう。」(『文學界』昭和25年/1950年11月号 大宅壮一「文学主権論」より ―引用原文は昭和34年/1959年10月・筑摩書房刊『大宅壮一選集9 文学・文壇』)
「前にのべたところ」というのは、何のことか。段落をさかのぼって引いてみます。
「芥川賞の目的は、有力な新人を文壇に送りこむことである。折紙をつけることである。その折紙も、ジャーナリズム市場がつける前に、作家自身の手によってつけようというのである。
(引用者中略)
芥川賞の選者というのは、現文壇の長老に、もっともイキのいい新人のスター・プレヤーズを加えた一流メンバーである。かつては日本の文壇も、ワールド・シリーズのアメリカン・リーグとナショナル・リーグみたいに、ブルジョア派とプロレタリア派に二分されていたが、今はその区別がなくなったというよりも、後者は前者によって、少くとも市場面においては、完全に打倒された形である。それだけに、前者を代表する人々の市場支配力は非常に強大である。いや絶対的であるともいえよう。この伝統の上に立つ芥川賞が、すべての文学賞の中でもっともポピュラーであり、権威がある。そればかりでなく、実際的な効果をもっていることはいうまでもない。」(同)
いま、ワタクシたちがリアルタイムで見聞している芥川賞(大宅さんのここには出てきていませんが直木賞も)は、例の、芥川賞を変えたとまで言われる「太陽の季節」騒動以後のものですが、上記の大宅さんの文章は、その5、6年ほど前のものです。それなのに、現状の芥川賞を指摘していると見なしても、あんまり違和感がなくないですか? まったく何十年たっても変らないんだねえ芥川賞、むふふふ、とついニヤけてしまう場面です。
それで、文壇ギルドだ何だ、みたいなおハナシがつづくのであれば、直木賞の出る幕はありません。いや、そりゃあ大衆文芸の世界にだって、当然、大衆文壇と呼ばれるものがあって、有力な先輩作家から認められないとその仲間入りができない、といった風習はあります。直木賞受賞者が選考委員をつとめ、直木賞受賞者ばかりたくさん選ばれる、柴田ナントカ賞とか中央ナントカ賞とか吉川ナントカ賞とかがあるのは、その典型なんですが、ご存じのとおり、こういう文学賞はまるっきり読者には相手にされていません。大衆文壇(エンタメ文壇と言い換えてもいい)に生息する作家たちの、箔づけオンリーのためにある、はっきり言ってどうでもいい賞です。
対して芥川賞の系列は、そのギルドに入れるかどうかが、職業として作家生活を送るときの死活問題に関わっています。いちばんでっかい効果をもたらすのは芥川賞ですけど、その他、三島賞、野間文芸賞あたりすら贈られない人は、長く商業文芸誌界隈でお仕事が続けられません。大変な世界だなあと言いますか、正直、自らこういう世界に関わり合いたいと願うのは狂人ぐらいだと思います。
芥川賞には、文壇ギルド的性格がある、と大宅さんは言いました。しかし、そのことを問題視しているわけではないのです。では、何が問題だというのでしょう。
作家だけが選考委員になっていることが異常だ、というのです。
「芥川賞の選者はすべて作家であって、批評家は一人も加わっていない。この点も他の文学賞とちがっている。
(引用者中略)
数多くあるこの国の文学賞の中で、選者が作家だけで構成されているのは、芥川賞とその姉妹関係にある、直木賞くらいのものであろう。これはいずれも物故作家を記念するものであるから、その銓衡を作家が担当するのは当然だといってしまえば、それまでであるが、他の文学賞が必ずしもそうでないところをみると、芥川、直木両賞の特殊な性格がうかがわれる。」(同)
さすが大宅さんだ。単に「直木賞・芥川賞の選考委員には評論家がいない」ぐらいのことなら、いっぱしの口を叩く小学生でも言えちゃうことですが、そこに他の文学賞とちがう特殊性がある、と目をつけるあたりが素晴らしいです。
たとえば、芥川賞のライバル賞と目されて(昭和25年/1950年の段階では消滅しちゃっていたものを含めた)文学賞の様子をうかがってみますと、新潮社文藝賞(第一部)には杉山平助、「文藝」推薦作品には青野季吉、横光利一賞には小林秀雄、河上徹太郎、戦後文学賞には佐々木基一、花田清輝、小田切秀雄、公募の新潮社文学賞には河盛好蔵などなど……。戦争中に、選考ができそうな人員が不足したため(たぶん)人数合わせのように2年間だけ河上徹太郎さんに参加してもらった芥川賞は、けっきょく戦後復活のときにオール実作家にしちゃったのだから、特殊だと言われても仕方ないでしょう。
その特殊性はいったい何に起因しているのか、といえば、大宅さんは、この二つの賞をつくろうと発案したのが菊池寛さんであったことが大きいと見ます。菊池さんは自身が、芥川龍之介、直木三十五ふたりの文学的性格にも通じた作家だったわけですが、それだけじゃなく、企業を主宰する経営者でもありました。文学賞の骨格・根底をつくりあげるのは、選者よりもまず、主催者の権限に属します。菊池さんが音頭をとったからこそ、文壇ギルドへの入門を審査する主権を〈文学作品の生産者=作家〉がにぎることになった……と。
でも、その文学の主権とやらを、ほんとに〈生産者〉だけが代表していいのか、というのが大宅さんの問題意識らしく、では〈消費者〉の立場としてだれが主権者になり得るかを論じていきます。
消費者といえばまず〈読者〉だけど、おいおい、文学の主権を読者に委ねられるか? 危険すぎるよね。〈出版社〉はどうだろう。これもまた損得勘定で動くだけだから超絶に危険。となれば、ってことで、読者でもあり、出版社の立場も兼ねることができ、作家の味方にもなれる〈批評家〉が、どうしても求められるのだと、大宅さんは言うのでした。
「今の文壇に一番欠けているのは、この種の批評家が存在しないことである。存在していても、現実にそういった役割を果していないから、存在しないと同然である。
今日の文壇には、主権が行方不明でどこにあるのかわからないというものも、実はそこからきているのである。」(同)
直木賞の立場からすると、もうほとんど対岸の火事というか、よその国のハナシをされているようで、ポカーンと口をあけるしかありません。
大衆文藝の場合、生産者である作家に対峙する消費者として、〈読者〉が想定されることが自然です。要するに「読者に支持されるやつがいちばんエラい」みたいな風潮が、ずっとありました。いまもあります。そして読者人気はたいていミズ物ですから、作家が死ねば急激にしぼむのが当たり前、そのほとんどがのちの世に残ったりはしません。御大・直木三十五さんの、生前の人気ぶりと没後の忘れられっぷりなど、直木賞をとりまく世界では、ぎゃあぎゃあ騒ぐようなことでもありません。普通のことです。
直木賞は、選考委員といえば、ひとり残らず作家だけでやってきました。仮に、選考委員に尾崎秀樹さんのような大衆文壇にくいこんだ評論家が加わっていたら。はたまた、一般読者とか、読者の声を代弁してくれる書店員とかが混ざっていたら、どうなるのか。……〈徒弟〉から〈親分〉に格上げさせてもらった選考委員の面々が、「これは文学性がある」と認める賞になるか、それとも、そのうち衰退していくに決まっている〈読者人気〉とやらで一喜一憂、5年後10年後のことなどシリマセン、っつう賞になるか。
どう転んだって、けっきょくむなしいものでしかない、という。直木賞というのは、つくづく哀しい存在だよなあと、思わず胸にせまるものがあります。……ありますよね? そして、そのむなしさこそが、直木賞の魅力のひとつなんだと、ワタクシは声を大にして言いたいです。
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