「いまの芥川賞と直木賞はもう、フェスティバル、お祭り」…『文藝春秋』昭和54年/1979年11月号「鼎談書評 『回想の芥川・直木賞』」紀田順一郎、渡部昇一、小田島雄志
■今週の文献
『文藝春秋』昭和54年/1979年11月号
「鼎談書評
『回想の芥川・直木賞』永井龍男」
紀田順一郎、渡部昇一、小田島雄志
永井龍男さんの『回想の芥川・直木賞』は、読んだ方も多いと思います。直木賞に関心があるなら、これを読まなきゃ始まらない、と断言する人がいてもおかしくないほどの、基礎中の基礎テキストです。
なにしろ永井さんは、創設されるまえの準備段階から直木賞・芥川賞に関係していた、っつうだけで、このテの回想録を書く権利やら責任やらが十分あります。
加えて、第17回まで両賞の事務作業をほぼひとりでこなしたうえ、戦後には日比谷出版社の(名目上の)トップになって、日本文学振興会の理事として直木賞選考会に顔を見せ、さして売れっ子重鎮大衆作家でもないのに第27回から直木賞の選考委員を拝命。第38回まで務めたのちに、第39回からは芥川賞委員に鞍替えして第77回まで、その座にすわり、委員を辞任するときには悶着まぎれの騒動まで起こしたという、ほとんど直木賞・芥川賞のために生まれた人物でした(←かなり言いすぎ)。
それで、こういう人の書いた直木賞・芥川賞の文献ですから、運営に携わったことのない外部の人間が、まさか批判や文句を言うはずがないですよね。……と思うと、まったくそんなことはありません。誰がどんな立場で書いたって、かならずケチをつける野郎の湧き出てくるのが、直木賞と芥川賞の周辺世界。期待どおり、この『回想の芥川・直木賞』に対しても(この本をネタにしながら直木賞・芥川賞に対して)物申す人はおりました。
渡部昇一さんなどは、永井本に、かなり批判的です。
「渡部 永井龍男という人は、どうなんですか、かなり年配の方じゃないんですか。これだけの材料がありながら、話があっちへ飛び、こっちに飛び、年代的にのべれば楽なのにね。だから時代の流れがあんまり伝わってこないんですよ。(引用者中略)ぼくは年齢的なものというか、記憶の飛躍を感じたな。(笑)昔の記憶がはっきりしているのに、近い記憶が飛び飛びというのはどうも困るんで……。(引用者中略)
小田島 (引用者中略)渡部さんのいう通り、もっと精密にという注文はあるけどね。
渡部 なまじっかの引用より、印象だけもよかったですね。」(『文藝春秋』昭和54年/1979年11月号「鼎談書評 『回想の芥川・直木賞』」より)
印象に残った回や作品を、印象に残ったところだけ言っている、だから両賞の位置づけを時代ごとに追うための資料としては不十分なものになっている、というわけです。
ないものねだり、が強すぎて、非常に困ってしまいます。
永井さんにあれだけ書いてもらえれば、ひとまず十分でしょ、どう見ても。とくに直木賞部分。芥川賞については、永井さんがことさら言い残さなくても、外部の方がたのアツーい芥川賞愛のおかげで、その歴史をつなぎ合わせることはできるでしょう(これは、べつにワタクシが直木賞偏愛者だから感じるわけじゃありませんよ。冷静に見たら、誰でもそう考えるはずです)。
でも直木賞はどうですか。大衆文壇史の大家、大村彦次郎さんが、その直木賞に関する箇所では、多くを永井さんの記述をもとにしていることからわかるように、永井龍男なくして直木賞史なし! とワタクシは自信をもって言い切れます。永井さんに精密さを求めたって、逆に混乱を生むだけです。
と、直木賞・芥川賞をめぐる話しあいになると、すぐに「芥川賞」に偏るのが世のならいです。じつはこの鼎談も、あやうくその弊害に陥りぎみなのでした。そらそうです。良識ある方々が、文学賞の話題で、率先して直木賞を語るわけがありません。
しかしです。素晴らしいことに、この鼎談書評、その陥穽から微妙に逃れることができています。ひとえに、メンバーに紀田順一郎さんがいたからです。
「紀田 しかし、昔の直木賞の選評なんかは、ずいぶんハッキリと人格に関わるようなことをいってますね。
渡部 第一回の川口松太郎さん……。
紀田 「加ふるに、人間的修養に多分な薄ッぺらさへも僕は君に正直に感じる」なんていわれちゃうと、貰わないほうがよかったみたいな感じになりますね。(笑)
(引用者中略)
やはりこういうのがおもしろいんで、切り結ぶ感じで、忌憚なくいう。近ごろのは少し優等生的じゃないかという感じもしましたけれども。」(同)
などと、他の二人、渡部・小田島両氏に増して直木賞・芥川賞にくわしいからか、紀田さんはすすんで、直木賞の例も俎上に出してくれます。これが、ガリガリの「文芸評論家」みたいな人だったら、そうはいきません。サンプルは全部、芥川賞のこと、それで「芥川賞・直木賞」を語ろうとする手合いが、昔の文献にはゴロゴロいましたもの。ご承知のとおり。
たとえば紀田さんは、『回想の芥川・直木賞』のなかで、選考委員たちの個々の発言、に注目するときに、この人の話題を持ち出してくれるのです。マジでえらい。
「紀田 (引用者中略)委員の個々の発言を取ると、やはり問題がありますけれども、たとえば木々高太郎の発言なんか、どうもなにかわけがわからない。(笑)著者(引用者注:永井龍男)は、木々さんをあまり好きじゃないらしくて、とくにお米を食べると頭がバカになるという本を書いてベストセラーになった、と書いている。永井さんは、そういう本がお気に召さない……。
木々さんは私の恩師なんで、いろいろつき合いがあったんですけど、ものすごい悪筆で、石原慎太郎さんといい勝負じゃないですか。だから、おそらくこの文章の意味が通らないところは、読めなかったんじゃないかと思うんです。まだ、そんなおとしじゃないころですから。」(同)
と、「永井 in 直木賞」の最大の山場(?)であった第36回今東光授賞のところでの、木々高太郎の意味不明なアノ選評に言及。あれは木々さんが悪筆だったから、と紀田さんならではの見解を表明しました。
アノ選評、といっても不案内な方のために、以下、一応ご紹介しておきます。
「(引用者注:以下、木々高太郎の選評引用)よく聞いてみると、文壇の誰彼と喧嘩して、快く思つてゐない人が多いといふ。私にはそんなことも問題ではない。とに角、大衆文学に一新生命を拓いてゐるとみるのは、推理や考証の結果、そのテーマがきまり、歴史上の疑問をはらんでゐる作品が、大衆文学となるとは思つてゐなかつたので、私は、さうみるのである。
(引用者中略、以下、永井龍男の地の文)
そこ(引用者注:「私にはそんなことも問題ではない。」)から入る同氏の大衆文学論は何のことか解読出来ない。余計な私の発言のために、同氏の選評の文章が混乱したとすれば気の毒である。」(永井龍男・著『回想の芥川・直木賞』より)
いまでも宮城谷昌光さんあたりは、毎回このような選評を書いている気がしますが……。いずれにせよ、木々さんの手書き原稿がいずれ精査されて解読されることを、ワタクシはただ祈るばかりです(いまさら、そんな機会が訪れるはずない、という不安を抱えつつ)。
さて、この鼎談は、お三方が『回想の芥川・直木賞』をどう読んだかが主軸になっています。鼎談「書評」ですから当然です。同書に対する渡部さんの不満も、先にちょこっと触れました。しかし三人の話しぶりからわかることは、同書についてというよりも、それぞれが直木賞・芥川賞をどういうものとして見ているか、だったりします。じっさい、それが同鼎談のキモにちがいありません。
要するに、直木賞・芥川賞といわれて(外部の人間が)感じる最大の特徴は何なのか? ってハナシですね。
満場一致で、これです。
「小田島 フェスティバルというか、お祭りというか、そういった高まりの中に、いや応なしに両賞が置かれているっていう感じがします。
(引用者中略)
渡部 最近、評判になった、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」とか、池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」なんかにも、少し触れてもよかったんじゃないかな。
紀田 (引用者中略)たしかにあってもよかったですね。
結局、(引用者注:『回想の芥川・直木賞』ではあまり大きく触れられていない)「太陽の季節」が剥落しちゃったことでコンポジションが狂ってしまったわけですね。もうちょっとシャープに書くんだったら、「太陽の季節」はどうしても逃せなかったことだと思うんです。
渡部 全く同感です。ああいう節が、ハッキリ浮かび上がってこないというのは、素人からいうと大不満で、ここはゴシックでお願いします。(笑)」(同)
有名になった(つまり、うちのかあちゃんでも知っている)マスコミ大フィーバー回。イコール、それが芥川賞(+オマケの直木賞)じゃないのかよ、と。それを抜かして何が芥川賞・直木賞だ。じじいに、てめえの思い出バナシだけ書かれたところで、ハァ? って感じだぜ。
……と言っているんでしょうか。そこまで吠えてはいないかもしれませんが、でも結局、マスコミに取り上げられてみんなに知れわたっている存在。その(文学賞としては極めて特異な)ことを語らないと、直木賞・芥川賞を語ったことにならない、と思われているわけです。
逆にいえば、ニュースで話題になること以外のところでは、さして両賞には、多くの人を惹きつけるような魅力も特徴もない、ってことでもあります。ええ、ほんとにそう思います。
直木賞・芥川賞ってさ。『回想の芥川・直木賞』みたいな辛気くさいもの出されても、どうもピンとこないんだよ。だって、これって世間一般がキャーキャー持てはやし、ワーワー人の群がる、派手できらびやかなものじゃん。……と、そういうふうに見られる両賞がイヤで、永井さんは委員を退任したはずですけど、その後も二つの賞は、お三方が指摘するとおり(というか、大半の人が言っていたとおり)、刹那刹那の盛り上がりを、えんえんと続けました。永井さんとしては、やめといて正解だったよなあと心から思います。
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