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2015年1月25日 (日)

「直木賞からは、売りたい本が選ばれない。」…『広告』平成16年/2004年5月号「全国の書店員が投票中 一番売りたい本はこの本です」浜本茂、杉江由次、取材・文:嶋浩一郎

■今週の文献

『広告』平成16年/2004年5月号

「全国の書店員が投票中
一番売りたい本はこの本です」

浜本茂、杉江由次、取材・文:嶋浩一郎

 毎年4月になると、直木賞が盛り上がります。

 今年の4月も、きっと盛り上がるでしょう。そのとき、うちのブログも尻馬に乗れるかどうか、いまの段階ではわかりませんので、覚えているうちに今年も書いておきます。4月という、いわゆる「直木賞ニュースの閑散期」に、毎年欠かさず、直木賞をオモテ舞台に引き上げてくれる功労者……本屋大賞サマのことを。

 うちのブログは「直木賞」専門ブログです。直木賞といえば、いまでは「本屋大賞サマのコバンザメ」と言われ、失墜、凋落といった言葉が最もよく似合う文学賞として広く知られています。当然、当ブログでも以下のように、2度ほど取り上げたことがありました。いま、こうしてワタクシがブログを書き続けていられるのも、本屋大賞サマのおかげ、と言っても過言ではない、と思ったり思わなかったりします。

 それで、本屋大賞サマといえば、創設前から現在にいたるまで、口の減らないおしゃべり出しゃばり文学賞としての姿勢を堅持。そのため、どうしてこの賞が創設されたかも、いろんな媒体で触れまわられ、いまでは日本中に知れ渡っているわけです。

 とりあえず、創設された一年目、まだ大賞発表前に『本の雑誌』浜本茂・杉江由次両氏に行われたインタビュー記事を挙げておきます。取材・文もまた、この賞の創設に携わったデキる広告屋こと嶋浩一郎さん。ええ、直木賞のことが出てきます。

「――賞を作ったきっかけは?

杉江:僕は書店を回って「本の雑誌」の営業をしているわけですが、書店員さんの間では5、6年前から自分達が売りたい本に賞をあげたいという声がありました。出版社が選ぶ賞と、実際売り場で一押しの本に微妙に差があるんですよね。特に若い書店員との感覚にズレが。彼らは目をつけるのが早い!

浜本:そうそう、宮部みゆきは『火車』で直木賞を取るべきだったみたいな話ですよ。今回ノミネートされた伊坂幸太郎とか面白い作家を見つけてくる書店員のアンテナはすごく早い。(『広告』平成16年/2004年5月号「全国の書店員が投票中 一番売りたい本はこの本です」より)

 「出版社が選ぶ賞」の代表格、それが直木賞だ! ってわけです。要するに、本屋大賞サマは、その存在の一部が「直木賞批判」で構成されていると。

 まあ、目をつける早さ、アンテナの感度から見たら、誰が考えたってそれをまず本にした出版社サイドのほうが勝っているじゃん、と思うんですけど、そういう正論は世間にはウケません。

 第1回の授賞式で、浜本茂さんが「打倒直木賞!」の名言を吐き、このキーワードがマスコミ、ひいてはその情報を受け取る多くの人たちに大いにウケて、当時もいろいろ取り上げられたし、ずーっと語り継がれている、ってことは前にこのブログでも紹介したとおりです。

 ワタクシは改めて思います。「売りたい本が直木賞に選ばれない」とか「直木賞に追いつき追い越せ」とか、あんたら、どんだけ直木賞(と文学賞)が好きなんだ!と。ワタクシも直木賞好きを自負するものではありますが、この人たちの好きっぷりにはまったくかないません。直木賞をきっかけに文学賞ひとつつくっちゃうんですから。

 しかも、直木賞史的に、本屋大賞サマって素晴らしいとワタクシの思う最大の理由があります。これが創設され、継続していることで、この賞を介して直木賞を批判する外野の第三者たちが、後から後から湧いて出ることです。もう今年は言う奴はいないだろ、さすがにもう言われることはないだろ、と思ってもかならず湧いて出てきます。毎年、絶対に。

 ちょっと時間をさかのぼってみます。

 第1回目(平成16年/2004年)、小川洋子さんの『博士の愛した数式』が大賞に選ばれました。受賞前9万4000部だったものが、受賞後40万部の売上に。そう、この状況を見て、日本人なら誰もが口にしたくてウズウズするアノ台詞が、2年目にして早くも登場することになりました。

「その受賞効果の大きさはすでに直木賞を上回ったともいえる。」(『日経エンタテインメント!』平成17年/2005年6月号「書店員が選ぶ一番売りたい本「本屋大賞」のスゴイ受賞効果」より)

 この記事を書いた無署名子はいいます。直木賞受賞作の増刷の目安は10万部といわれている、それに比べて『博士の愛した数式』40万部の大ヒット。もう1回目にして直木賞を超えちゃったじゃん、というわけです。

 売れ行きだけじゃありません。第2回、恩田陸さんの『夜のピクニック』を選んだ平成17年/2005年、その授賞式を取材する報道陣の量は、他の並みいる(直木賞・芥川賞以外の)何百とある文学賞を一気にゴボウ抜きして、

「発表会に集まるテレビ局、新聞各社などマスコミの数も“直木賞級”に。受賞発表はニュースとして報じられ、知名度はアップしている。」(同)

 となったわけですから、こんなもの、第1回、第2回で「本屋大賞サマは直木賞を抜いた」と見るのが妥当に決まっています。

 しかし、世の中には直木賞好きがホント多いらしいのです。どう見ても本屋大賞サマのほうが直木賞より上になっているのに、それからもグズグズと、毎年毎年、「直木賞より上回りつつある」とか「これで完全に直木賞を超えた」とか、うれしそうに言い募る言説が、繰り返し繰り返し、現われつづけています。

 何なんでしょう。「直木賞はそう簡単に他の賞に抜かされるほどのカスじゃない」っつう深層心理があるのか(……そんなもの、ないですか)、やたら直木賞を過大に見積もってくれている人がこんなに残っていたのか、と驚くほかありません。

 いや。単に、直木賞にも本屋大賞サマにも、べつに大した興味はなくて、大きく取り上げられている(と自分が感じた)ものに、その場で思いついたことを根拠なく、ただ口にしているだけの人が、たくさんいる、ってだけなのかもしれませんね。そして、一度か二度、文句を言った人は、そもそも文学賞に固執するほどの特異な性質は持ち合わせていないので、よそに行ってしまう。また新しい人が、前の人と同じような文句をいう。よそに行ってしまう。……この繰り返しなんでしょうか。

 それはそれで、文学賞に対する正統でまっとうな付き合いかたです。それでいいと思います。

 そういった「正統でまっとうな」人たちは昔からいました。直木賞などは、そのときの彼らの感覚的な感想(だけ)でアレやコレやと文句を言われつづけ、80年も馬齢をかさねてきました。本屋大賞サマは、言うまでもなく、そんな直木賞をハナっから大きく超えた存在です。直木賞以上に(?)、いつもいつも、「いつか誰かがそんなこと言っていたな」という、ある意味聞き飽きた感のある文句を、一身に受けつづけながら、いまに至っています。

 それでは、ほんの少しで恐縮ですが、「本屋大賞批判あるある」、ご堪能ください。

「『東京タワー』(引用者注:第3回2006年受賞の『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』)は受賞前の段階で120万部。売れ行きはよくないが質のいい、力のある本に光を当てる賞だったのに、大きく変質したという批判は免れない。」(『AERA』平成18年/2006年4月17日号「創設の思いとメジャー化のはざまで 東京タワーでいいの?」より ―署名:編集部 片桐圭子)

 むふ。受賞前9万部強(『博士の愛した数式』)とか、受賞前8万7000部(『夜のピクニック』)を、「売れ行きはよくない」と見なす感覚が、もう何といいますか。ちょっとズレてない?

「大賞受賞作としては、第1回の『博士の愛した数式』(小川洋子)、第4回の『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子)、第7回の『天地明察』(冲方丁)など、「知る人ぞ知る」作品を選出。ヒット連発の実績は、文学賞としての地位を確立させ、「現場をよく知る書店員だから発掘できる良作」の期待も高めていった。

 しかし他方で、第3回の『東京タワー』、第6回の『告白』、昨年(引用者注:第8回2011年)の『謎解きはディナーのあとで』など、受賞前に何十万部も売れたベストセラーが選ばれることに対する批判も受ける。(引用者中略)

 最終候補に残った作品には、発売前に出版社が書店員に見本を配った作品も少なくない。本屋大賞には、「書店員が選びやすい本の中から好みの作家を薦める」賞に偏りつつあるのだ。」(『日経エンタテインメント!』平成24年/2012年6月号「“本好きの代弁者”から変容 本屋大賞はどこへ向かうのか?」より ―署名:土田みき)

 出ました。文学賞オタクのツボをくすぐらせたら、いま日本でトップクラスを争う土田みきさん。最初に挙げている例を「「知る人ぞ知る」作品」とくくる、この強引さ。牽強付会のお手本のような解説。たまりませんね。

 で、今年です。第12回2015年。1月21日にノミネート作が発表されて以降、日本中がみな本屋大賞サマに夢中になり、電車に乗っていても「こんどの本屋大賞、だれがとるのかな」と多くの人が話題にしているこの状況。やはり今年もワタクシは、いつかどっかで聞いたような「いまや本屋大賞は直木賞を超えた」と得意げに語っている声を、何度も耳にしました。何ほども刺激的でない、穏やかな日々。心地よいです。

 合わせて「本屋大賞批判」のほうも活発に飛び交っているご様子。とくに今年もいつものように、直木賞の候補作やら受賞作やらをノミネートしてくれたおかげで、いっそう直木賞にからめた本屋大賞サマのお姿が、映え際立っています。

 ちまたの人びとに言わせると、「直木賞候補になって世に知られている本を、わざわざノミネートするとか、意味なし」「直木賞受賞作がノミネートするなんて、もう本屋大賞も価値がなくなった」だそうですけど、でも本屋大賞サマって、第1回のときから、直木賞とはことさら好みの似たトコ、ありましたもんね。これまで、直木賞候補作がノミネートされたのは第1回の『重力ピエロ』からかぞえて14作(今回で16作)、直木賞受賞作だって第1回の『4TEEN フォーティーン』から過去5作(今回で6作)もある。

 どうぞ本屋大賞サマには、そのまま「売りたい本」を選んでいただきたいです。そして直木賞のほうは、懲りずに売れない本を選びつづける。それで天下の書店員サマがたからそっぽを向かれる。……ね、ほんとカワユいですね、直木賞。

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