「候補者を公表して騒ぎ立てることが、文学振興を阻害しているのではないか。」…『来者のこえ―続・ハンセン病療養所からのメッセージ』昭和63年/1988年9月・社会評論社刊所収「文学賞について」島比呂志
■今週の文献
『来者のこえ―続・ハンセン病療養所からのメッセージ』昭和63年/1988年9月・社会評論社刊
「文学賞について」
島比呂志
直木賞フリークはそうでもないでしょうけど、芥川賞フリークなら、『火山地帯』という誌名、たぶん耳にしたことがあるんじゃないかと思います。昭和33年/1958年、鹿児島県鹿屋市でこの同人誌の立ち上げに加わり、以来、平成10年/1998年の第116号まで編集発行人を務めたのが島比呂志さんです。文学賞への興味でいろいろな文献をあさる身にとっては、思わず自分自身が恥ずかしくなってしまうような、困難な状況に囲まれながら難テーマに挑み、毅然として重厚な生きざまを示した方です。
その島さんが、文学賞という……いや、芥川賞(+直木賞)という、妙ちくりんで傲慢でイヤーなにおいをまき散らす汚物に対し、はっきりと異論を投げかけるにいたったのは、『火山地帯』23号[昭和39年/1964年9月]の「編集後記」において、でした(すみません、ワタクシはその文章、未見です)。
このとき島さんが表明した訴えは、『火山地帯』に所属していた一人の同人の姿を、まじかで見ていた経験に由来していて、その後も長く島さんの心のなかにずっと残りつづけたために、こういうかたちで島さんのエッセイに登場します。
「新人を発掘し、文学を奨励しようという主旨は解るが、芥川・直木賞などの選考はいささか騒ぎ過ぎの感がしてならない。わたしはかつて、候補作家の発表を廃止して決定だけを発表するようにしてはどうかと、わたしが主宰する同人雑誌『火山地帯』の後記で提言したことがある。これを引用して、ある中央の雑誌が拡大提言してくれたが、日本文学振興会はいまなお改めようとはしない。
(引用者中略)わが『火山地帯』同人にも二度芥川賞候補になりながら受賞できず、以来創作の筆を折った人がいるのである。受賞も決まらぬうちから、「受賞の御感想は?」などとVTRを撮られたり、新聞記者に追いまわされたり、その揚句の落選では、平常心を失うのも当然である。受賞した一人は奮起させるかも知れないが、他の数人の候補者の傷心を顧みない日本文学振興会のやり方は、果たして真に文学振興を考えているのだろうと疑われてならない。」(昭和60年/1985年9月・社会評論社刊 島比呂志・著『片居からの解放―ハンセン病療養所からのメッセージ』所収「書くということ」より ―初出『南日本新聞』昭和55年/1980年2月20日)
「ある中央の雑誌」とは『小説現代』のことだそうです。日本文学振興会がこういう正面きった提言に耳を傾けないのは、いつものことです。そして、筆を折った『火山地帯』同人。……小牧永典さんのことですね。小牧さんのことはワタクシもよく知らないんですが、同人に加わったときの『火山地帯』9号には、彼が厚生事務官で、小谷剛さんの『作家』にも関係し、すでに時代小説を数篇書いているうんぬん、といった紹介記事があります。
「候補」の名をダシにして大々的に見せもの扱いされ、しかも選ばれず、居たたまれない状況に追い込まれる候補者。それが嫌で小説書くのをやめちゃう人までいる、というのだから何が日本「文学振興」会だ、といった憤りを島さんは、少し抑えぎみに表明しているわけです。
この憤りは、『来者のこえ―続・ハンセン病療養所からのメッセージ』所収の「文学賞について」のほうでは、さらに率直に綴られています。
こちらのエッセイは、島さんが第14回南日本文学賞(←公募ではない)を受賞する前後の、自分の経験談から書き起こされ、このとき島さんは、かなり頑強に受賞辞退したと言います。というのも島さんが、先に引用した小牧さんの一件に端を発して、芥川賞(+直木賞)の傍若無人な、人をコケにするような数々の悪行を見続けてきたという、長年の「文学と文学賞へのこだわり」(もしくは疑い)を持っているからだ、と。その思いが噴き出しています。
まずは、小牧さんの一件ですが、先に引用した「書くということ」に比べて、かなり強い調子で文学賞批判に及んでいます。
「文学賞の目的が文学振興にあるというのは、多くの贈賞側の言い分だが、果たして一人の受賞者を出すことで、真に文学の振興になるのであろうか。私は昭和三十九年九月一日発行の『火山地帯』23号の「編集後記」に、日本文学振興会への提言を書いて以来、その疑問を持ちつづけている。そのときは、二度目の芥川賞候補の通知を受け、今度こそ受賞すると意気込んでいた同人の一人が、落選と知って一ヵ月以上も勤めを休んでいたのだ。
(引用者中略)しかし、日本文学振興会は、今なお候補者の事前発表を改めず、背後では出版社の工作がエスカレートしているという。そして一人の受賞者が誕生するたびに、失望し、挫折する人たちのいることは、見落とされている。私には二度の候補以来、筆を折ったままの同人のことが忘れられない。そして、これが文学振興なのか、と叫びたいのである。」(昭和63年/1988年9月・社会評論社刊 島比呂志・著『来者のこえ―続・ハンセン病療養所からのメッセージ』所収「文学賞について」より ―初出『南日本新聞』昭和61年/1986年3月7日~3月12日)
こういうのを読んで、みんなの憧れ・芥川賞と、まじめに「文学」しようとコツコツ励む無名同人誌作家の、何ともイタい接触事故ですよねー、などと笑って見過ごせないのが、直木賞ファンの苦しいところです。直木賞も「多くの人に読んでもらってワイワイ言われること」前提の職業作家だけ相手にしてやっていればよかったのに、一時期、へたに同人誌に色目を使ってしまったために、似たような印象を持たれてしまい、職業作家までが「勝手に候補にするな、候補発表するな」と甘えたことを言い始め、一気に悪者扱いされた過去があるのですから。ほんと、芥川賞の真似するとロクな展開にはなりません。
島さんは「南日本文学賞」の例も紹介してくれています。こういった、ごくごく地域限定の賞でさえ、自分の知らないうちに候補に挙げられ、紙面で紹介されたりすると、知り合いに「きみ、文学賞、残念だったね、来年はひとつ頑張って……」などといきなり言われたりする、そういうのがいやで、書くのをやめた人とか、対象になっている県内同人誌から抜けて県外の雑誌を物色する人とかがいるらしい、と。
「これでは、文学を振興するはずの文学賞が、逆に文学活動を衰退させることになりはしないか。
そこで、単刀直入に言うが、爾後、「選考経過」の紙上公表はやめてもらいたい。」(同)
と言いたくなるのも、わかる気がします。
その「候補公表」「選考経過公表」の代表格にあたるのが、日本では直木賞と芥川賞のふたつです。公表されると当事者のみならず、まわりに群がる人たち(ワタクシのような連中)が、興味本位であれこれ言い始め、当人にとっては雑音となって文学活動の障害になる、とこういうおハナシです。
「芥川・直木賞のように候補者を公表して騒ぎ立てたり、本人はまったく知らないのに「選考経過」の中に名前を出されたりすると、様々な問題が起こる。作品批評を掲載すると、文学賞を選考する密室での語り合いを公表することとは、そこに金銭や栄誉がからむことによって、その影響するところが大きく変わってくる。作品批評などには無関心な人々も、文学賞の選考経過となると、選挙の当落か競馬のレースでも見るような関心を示し、そこに知人友人の名前でも出ていようものなら、たちまち噂の餌食にしてしまうのだ。」(同)
そうですか。個人的に考えさせられる指摘ではあります。自分のことを言われているようでビクッとしたりします。
……ひとつ言い訳させてください。芥川賞とか「文学振興」とか、そういうことは興味がないので措いておくとして、ワタクシも、直木賞のことを「文学活動」そのものとは遠く離れた、人を不快にさせることもしばしばある、卑しさを兼ね備えた事業だと理解しています。もっと多くの人がそのことを知り、受賞者・受賞作よりも、落選者・落選作のほうに、読んで面白い小説がたくさんある、ってことが広まって、直木賞なんて別に大層なものではないんだよ、もっとイジってその存在(や、文学賞というだけで噂を語ったりする社会の人びとのこと)を笑い合おう、みたいな状況を心地よく思います。その点、島さんが長年奮闘されてきた時代とは、いまはかなり違う状況になってきています(よね?)。よかったなと思っています。
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