「受賞して当然の候補者たちが何人もいる。(でも、落とされる。)」…『PLAYBOY』平成19年/2007年1月号「最も直木賞に近いミステリー作家はだれだ?」大森望
■今週の文献
『PLAYBOY』平成19年/2007年1月号「最も直木賞に近いミステリー作家はだれだ?」
大森望いまでは「直木賞」と聞くとたいていの日本人が思い浮かべる人物になった(というのは言いすぎ?)、大森望さん。「メッタ斬り!」という企画の名前が強烈すぎて、何となく大森さんは直木賞を容赦なく斬ってきた、と思われがちですが、現況の分析・解説が主なので、大森さんの語りはそこまで刺激的ではありません(……って、こっちが「メッタ斬り!」に慣れすぎたからかもしれませんが)。
なので「直木賞批判の系譜」に含めるのは、ちょっと馴染まない気もします。気もしますが、大森さんが残してきた(いまも継続中)無数に近い「直木賞解説」のなかから、そんなに知られていないものをひとつ取り上げて、秋の夜長を安らかな気持ちで過ごしたい。という意味不明な衝動に駆られて、今日は「大森望が直木賞予備軍を斬る」と副題の付いた、こちらの記事を楽しみたいと思います。
何といっても、「直木賞批判」が強い一群といえば、SF界隈、そしてミステリー(探偵・推理)界隈と相場が決まっています。人気の時代小説家がとれなくても(ずーっと、とり逃がしつづけても)汚い言葉を吐いて直木賞をののしるファンは、あまりいませんが、ミステリーやSF作家が、ほんの一度二度(いや、五度六度……)とれないだけで、もう直木賞を親のカタキのごとく怨み、罵倒する敏感な人たちは、そこかしこで見受けられます。盛り上がってナンボ、の文学賞事業を、常に側面から支援し、いまのいままで直木賞を存続させてきた功績といった意味で、おそらく、(直木賞を批判する)ミステリーファンの右に出る者はいません。ほんとうに飽きもせず、いつも直木賞をイジってくれて、ありがとうございます。
それで、『PLAYBOY』平成19年/2007年1月号では「ミステリー徹夜本をさがせ!」という、何番煎じかわからない、よく見かける定番の特集記事が組まれまして、北上次郎×大森望×豊崎由美鼎談「この10年で最も面白いミステリー・ベスト100」とか、古川日出男・宮部みゆき・京極夏彦・香納諒一各氏が自作を語ったりとか、爆笑問題・太田光さん、中江有里さん、和希沙也さんなど、タレントとして顔の売れている読書家たちが好きなミステリーをおすすめしたりとか、ミステリー愛に満ちあふれた構成になっているんですが、なぜか(ほんとに、なぜか)ここに、ミステリーと直木賞をからませた大森さんの記事が差し挟まれている、という。直木賞ファンのワタクシにとっては、砂漠のなかでオアシスに出会ったかのような、心の底から嬉しい記事ですが、おおかたの『PLAYBOY』読者にしてみれば、何でここに直木賞が出てくるんだ、目ざわりだ、あっち行け、と(たぶん)言いたくなったのではないかと想像します。
「東野圭吾『容疑者Xの献身』が前々回(134回)の直木賞を受賞したことについて、「近年、推理小説の直木賞へのバリアが低くなりつつあることの、一つの証左といえなくもない」(選評より)と看破したのは、ご存じ渡辺淳一先生。ただし、あらためて歴代受賞作を眺めてみると、先生の言う“近年”とは、ざっと20年前まで遡ることが判明する。」(『PLAYBOY』平成19年/2007年1月号、大森望「最も直木賞に近いミステリー作家はだれだ?」より)
と書き出し、20年を「近年」と言っちゃう渡辺淳一さんの老人感をさらっと指摘したうえで、逢坂剛さんの受賞(第96回 昭和61年/1986年下半期)から徐々に「バリアが下がりはじめ」、原リョウさん(第102回 平成1年/1989年下半期)を経て、高村薫さん(第109回 平成5年/1993年上半期)、大沢在昌さん(第110回 平成5年/1993年下半期)、藤原伊織さん(第114回 平成7年/1995年下半期)、乃南アサさん(第115回 平成8年/1996年上半期)、宮部みゆきさん(第120回 平成10年/1998年下半期)、桐野夏生さん(第121回 平成11年/1999年上半期)、船戸与一さん(第123回 平成12年/2000年上半期)の名を上げ、「バリアが一番低かったのは、たぶんこの時期、なかでもとくに90年代中盤だろう」と、「ミステリーにあらずんば小説にあらず」とまで言われた(言われたっけ?)、異常なほどミステリーの看板がチヤホヤされたあの時代を総括。そして大森さんは、こう言うわけです。
「90年代の実績から考えると、今後5年間にミステリー畑から3、4人の受賞者が出てもおかしくない。というか、受賞して当然の候補者が何人も待機している。」(同)
こういう記事は、じっさいに5年を経過したあとで読むのがいちばん楽しい、ってことは言わずもがなですね。第137回(平成19年/2007年・上半期)~第146回(平成23年/2011年・下半期)の5年・10回で、さあどれだけのミステリー(畑からの)作家が受賞したのか。大森さんが当時「直木賞予備軍」として挙げた人たちは、どうなったのか。……考えるだけで口のなかに唾液がたまり、腹がグーグー鳴ること請け合いです。
まずは、この期間で直木賞に選ばれたミステリー(出身)作家を挙げてみます。たぶん、こうなります。
北村薫(第141回 平成21年/2009年・上半期)。佐々木譲(第142回 平成21年/2009年・下半期)。道尾秀介(第144回 平成22年/2010年・下半期)。池井戸潤(第145回 平成23年/2011年・上半期)。推理作家協会受賞者の桜庭一樹さんとか、「このミス」1位になった称号をもつ天童荒太さんをここに含めるかどうかは、微妙なところですが、たしかに3、4人は受賞しました。
ただ、やったぜ大森さん大正解だ!と心の底から叫ぶことのできないのも事実なんです。というのも、当記事の中心である「最も直木賞に近いミステリー作家」として大森さんが名を挙げた面々が、何と言いますか、直木賞の盛り上がりに欠かせない存在になった面々だからです。
「その(引用者注:受賞して当然の候補者の)筆頭は、直木賞候補歴5回の伊坂幸太郎。(引用者中略、候補回数では)最近10年の受賞者では、宮部みゆき、東野圭吾の6回が最多。次のチャンスで伊坂幸太郎が受賞する確率はかなり高い。」(同)
と、まもなく、この記事が書かれた年の夏に、6度目の機会を伊坂さんみずからが遠ざけて(周囲が)てんやわんやとなった苦い思い出がよみがえるのを始め、「大森さんが名前を挙げると直木賞がとれない」伝説(というか、じっさいはデマでしょうが)が立てつづけに連射されていきます。
「いまや国民的ベストセラー作家にのしあがった恩田陸も、受賞は時間の問題だろう。(引用者中略)今後2年以内の直木賞獲得はほぼ確実。」
「まだとっていないのが不思議なベテラン組では、真保裕一が候補歴4回。」
「同じく候補歴4回の馳星周も、やはりここ5回、直木賞候補から遠ざかっている。(引用者中略)およそ直木賞向きの作風とは言いがたいので、狙ってとりにいかないかぎり難しいかも。」
「冒険小説系の人気作家、福井晴敏と垣根涼介も有力候補。」
「『七月七日』『遮断』で候補になった古処誠二は、もはやミステリー作家というより戦記文学作家。」
「古川日出男は、『別冊文藝春秋』連載中の『サマーバケーションEP』が単行本化されれば有力候補。」
「ミステリーらしいミステリーで受賞する可能性が高いのは、『愚行録』で前回初めて候補になった貫井徳郎。新本格系の作家ではいちばん直木賞に近そうだ。」(同)
以上、大森さんがこの記事で見せた連射でした。このすさまじさ。たじろぐばかりですね。
たしかに直木賞をとって何もおかしくない顔ぶれをずらりと並べ、5年後、その誰ひとりとして直木賞は賞をあげなかった、という未来を予見し、こっそりと「こういう人たちを全部落とす直木賞って、まったくひどいなあ」と思わせるように仕組んだ大森さん、さすがの予想力だ! ……というのは、どう考えても、うがった見方すぎるわけですが、純真でけなげな(?)直木賞を、場違いなミステリー特集にまで駆り出しておいて、そして赤っ恥をかかせる(あるいは、直木賞に対する不信感をミステリーファンたちのあいだで増幅させる)なんてなあ。大森さんは、ほんと悪い人です。
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