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2014年10月の4件の記事

2014年10月26日 (日)

「じっくり書きこむタイプの作家は、とらないほうがいいかも。」…『外語文学』8号[昭和46年/1971年3月]「候補にたかった話」(S・K)

■今週の文献

『外語文学』8号[昭和46年/1971年3月]

「候補にたかった話」

(S・K)

 何年か前に、うちのブログで三樹青生さんのことを取り上げたことがありました。資料をあさっていたら、そのときの断片が少し出てきたので、(『直木賞物語』では触れられなかったことだし)今日はそれで行きます。

 多くの人間は生まれてから、書店で売っている文芸誌・小説誌など、一度も読まずに死んでいきます。「多くの」と言うか、たぶんほとんどの人が、そうかもしれません。基本ああいうものは、面白い人にとっては面白いけど、つまらない人にとってはつまらない、という当たり前すぎるシロモノですから、別にそれでいいわけですが、そんな状況のなかで、売ってもいない(いなかった)文芸同人誌になりますと、こんなものを読んだことがあるのは、もう好事家も好事家、ちょっと精神のイカれた人ばかりと言ってもよく、ふだん社会生活を営んでいても、同人誌の話題でいっしょに盛り上がれる人など、まず絶対に出会いませんし、「変わった人」扱いされます。

 昭和40年/1965年当時……大阪外国語大学の同窓生たちが集まって『外語文学』をつくった(復刊した)当時は、どうだったのか。世間の空気感はよく知らないんですが、創刊号の編集後記では、こう描かれました。

「「ほほう、同人雑誌ですか」

「ええ、年がいもなくね」

「よほど、専門的なモノですな」

「いや、ただの文学雑誌でしてね」

 あいては、こちらの頭のあたりに眼をとめながら、感にたえつついった。

「ほほう、同人雑誌をですかね…………」

 まさに、「ほほう……」と感嘆を誘いつつ、ともかくも創刊号が生れ出た。」(『外語文学』1号[昭和40年/1965年6月]「編集後記」より ―署名:(い))

 このとき掲げられた「外語文学会」同人の面々は24名プラス1名でした。

 原田統吉(M11)、秦正流(R12)、法橋和彦(大R4)、稲田定雄(R10)、伊藤正弘(C12)、喜田説治(R12)、児玉啓吾(R9)、久保満(C15)、丸毛忍(R10)、三樹精吉(F13)、宮本源七郎(E10)、中田都史男(大F1)、岡謙次(E7)、岡本和夫(F2)、大川鉱三(E7)、清水治一(A25)、庄司栄吉(F14)、高木敏夫(F16)、田辺保(F27)、田中四郎(A19)、豊田啓之助(E7)、鷲谷善教(R11)、八木浩(D23)、吉田利八(C15)、以上ABC順と、教官だった吉田孝次郎。各アルファベットは専攻言語の頭文字、のようです。

 まあ、ワタクシにはこのうち、三樹さんと吉田利八さん(筆名・小山史夫)しか馴染みがなく、他の方々のご活躍ぶりは調べてもいないんですけど、とりあえずみな、いい年こいたオッサン連中だったことは確かです。そしてふつう、いい年こけば、「文学賞」の醜さ、異臭、馬鹿バカしさぐらいわかっていますから、文学賞に対してイタい批判をしてみせたりはしません。その点、なりふり構わず「商業的な文学賞」に楯突く文芸同人誌にありがちな稚気が薄くて、ややさみしくはあります。

 第2号の「編集後記」で、次のように、「最近の著名な文学賞」にチクッと横槍を入れる程度ですから、まあエレガントな方々です。

「二番煎じに感動はない。あるはずがない。われわれが志向するのは、作品における感動であり、言いかえればオリジナリティである。スマートな、腰の軽いうまい作品より独創性を賭けた壮烈な失敗作をわれわれはむしろ尊敬したい。

(引用者中略)

オリジナリティの問題ははなはだ重要である。それなくして、何が試みられうるであろうか。最近の著名な文学賞の多くが二本立てであるのはオリジナリティの欠除を示唆するものではないか。われわれが目標とするのは常に一本立てであり、ノックダウンである。最もコマーシャルな作品は最も非コマーシャルな作品でなければならぬ。」(『外語文学』2号[昭和41年/1966年5月]「編集後記」より ―署名:(T))

 「最近の著名な文学賞の多くが二本立て」という指摘の意味が、いまいちわかりにくいんですが、その志向の、言うのは簡単・やるのは困難な感じはよくわかります。「スマートな、腰の軽いうまい作品より独創性を賭けた壮烈な失敗作を」とか、おまえはどこの新人賞選考委員だ! って感じの、よく見かける理念・志向なわけですが、よく見かける、ってことはつまり、そうは簡単に実現できないものだからですもんね。

 それで今日の主たる文献「候補にたかった話」に行きます。署名は(S・K)、イニシャルからすると喜田説治さんでしょうか、前掲の「編集後記」にも漂っていたオジサン感、というか、われわれはいろんなことがわかっているのだよ、オッホン感が、ハンパなく浮き出たものになっています。

 冒頭で、うちの同人誌は、ちまたにあまたある(あせり切った文学青年たちの)同人誌とはね、違うんだよ、とふんぞり返りながら(?)解説。

「文学賞をねらうことを目的とする同人雑誌がかなりあるそうで、そうしたものの中には仲間の誰かが受賞すると、その受賞者はその同人誌に冷淡になり、同人誌は解散、そして残った連中で新しく組織づくり、といったことをやるのもあると聞いた、文学で世に出る――つまりジャーナリズムの世界で作品が売れるようになることは、それなりに結構なことなので、そんないき方も一概にどうこう言えるものではなかろうが、「外語文学」同人の多くはジャーナリズムの酸いも甘いも噛み尽した連中が多く、どこかの出版会社の雑誌に印刷されるということだけで目の色を変えるようなのはいない。」(『外語文学』8号[昭和46年/1971年3月]「候補にたかった話」より  ―署名:(S・K))

 いいですねえ、余裕をぶっこくオジサンの姿。だから俺たちゃ、うわさに聞くように、候補者(=三樹青生)が直木賞をとれるか落ちるか電話をドキドキ待ちながら結果を待つなんちゅうぶざまな待ち会はせず、「よし候補にたかって飲もう、ということになった」程度の軽い乗りで、みんな集まったのさ、クールだろ(……とは言っていませんけど)と、そんな感じで、三樹さんはじめ集まったみな、直木賞なんて詳しいことはよく知らないからテキトーなこと言いながら盛り上がろうぜ、とやんややんや、うまい酒を飲んだ、と。

「直木賞というのは芥川賞とちがって、今後ながくプロ作家としてつづける力量があるか否かが重大な目安の一つになるそうで、したがってこれまでに商業雑誌に作品を発表しているものが選考の上で有利になるのだそうな。そうなると三樹は不利だな、などと話が出たが、当の候補はケロリとしている。オレにくるはずがあるもんか、と思いこんでいるらしい。三樹などじっくり書きこむ方だから受賞して原稿注文に追っかけられるよりは候補にとどまる方が身のため、作品のためだと本気でいうのもいたし、結構こなすよというのもいた。なかには、日本文学振興会のためにも受賞しない方がいいというのまでいた。受賞しないのが文学振興会のためになぜいいのか、そんな会のことを考えてやる必要がそもそもあるのか、そこの所は言わなかった。」(同)

 何か、基本的に直木賞をバカに(はしていないのかな)している感じが漂っています。直木賞は酒のサカナにちょうどよい、別にそれ以上に崇め奉る存在でもないでしょ、という同人たちの共通認識が、しみじみ読み取れます。なので、じっさいこの第64回(昭和45年/1970年・下半期)は、結局、豊田穣さんという、それこそジャーナリズムの酸いも甘いも噛み尽したような新聞記者で、かつ、商業雑誌にさほど作品発表の経験のない、同人誌作家の代表みたいな人が受賞しちゃって、すぐに「直木賞を授賞しやすい傾向」とかを言いたがる心根とか、「直木賞=原稿注文におっかけられる=作品が荒れる」みたいな、外語文学同人らしからぬ凡庸な直木賞観を披露してしまった誰かの面目丸つぶれ、になったわけですね。

 ……いや、丸つぶれ、といいますか。言った本人にしてみれば、たぶん(自分の仲間の)三樹さんがとれなかった段階で思考は停止し、豊田穣さんがとろうがその後どうなろうが、何の感想もわかなかったことでしょう。別に直木賞なんか気にもせず人生を送ったもの、と想像します。だって、腐っても外語文学同人ですもの。きっと推察するに、いいオトナ。趣味で文芸同人誌に関わるくらいならまだしも、直木賞に興味をもって毎回直木賞の結果を気にする、だとか、そんな変人中の変人であるわけがありません。

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2014年10月19日 (日)

「東京の出版社が主導する直木賞では拾えないような作品を。」…『北國新聞』昭和48年/1973年10月31日「鮮明な賞の性格~第一回泉鏡花文学賞選考経過から~」奥野健男

■今週の文献

『北國新聞』昭和48年/1973年10月31日

「鮮明な賞の性格
~第一回泉鏡花文学賞選考経過から~」

奥野健男

 直木賞は、とくに何も悪いことをしていないのに、ただそこにある、というだけで攻撃対象になることがあります。

 文芸関係の記者、報道関係者、その他ジャーナリストを気取る人々が、抑えきれない文学賞に対する情熱をもって、直木賞のまわりに群がり、いろんなところで取り上げる。こういう「何かが派手に取り上げられている」状態が気に食わない人びとって、どの時代、どの地方にも一定数いるものですが、そういう人たちの頭の構造は少し特殊らしく、「取り上げている」報道機関を叩くのはもちろんのこと、「取り上げられている」だけの対象(=直木賞ですね)までも、全身全霊、嫌悪の対象としてクソミソに責め立てたりするわけです。たいした受賞作・受賞者を選んでいない、とか言って、悪魔を退治しようとしてるがごとく直木賞をけなしたりします。

 昭和48年/1973年から始まった泉鏡花文学賞も、創設時から直木賞をクソミソに誹謗してきた賞……なわけはないんですけど、少なくとも直木賞(と芥川賞)への対抗心をむき出しにして、そのスタートを切ったことは確かです。心の底には、常にいちばん注目を浴びる先発の賞、直木賞・芥川賞とは違うことをやって、これらに伍すぐらいの注目度を得たい、ということも、あったんじゃないかとは思います。

 鏡花賞の第1回目。最終選考会では、当然この賞をどのような性格のものにしていくかが話し合われ、「泉鏡花の文学の世界に通ずるロマンの薫り高い作品」を選んでいこう、という今も公式で謳われている通りの話になりました。……なりはしたんですが、じっさいのところ、それが第一義だったわけではなく、当時の選考委員たちが、もっと他に大切にしていきたいこととして申し合わせたことがあったんです。

 選考委員のひとり、奥野健男さん、意気軒昂に語り上げます。

「はじめての試みとして賞の性格、特徴をどこに置くか、ぼくら選考委員はこの春以来、慎重に検討した。そして全国的規模ではあるが、中央(東京)の出版社、新聞社をバックとする文学賞では授賞の機会が少い作品、目が行きとゞかない作品で、真にすぐれた文学的可能性を含む作品を選びたいという意見に一致した。それに加味して泉鏡花の小説、芝居、随筆に及ぶ多面的な活躍、ロマンや伝奇の傾向が少い明治以後の日本文学に、近世から近代へとロマンと妖美の伝統を橋渡しした泉鏡花にふさわしい作品が見つかれば、最上だという気持であった。」」(『北國新聞』昭和48年/1973年10月31日 奥野健男「鮮明な賞の性格~第一回泉鏡花文学賞選考経過から~」より)

 「泉鏡花」の名前は二の次にして(というと語弊もありましょうが)、まずは、東京の出版系文学賞では選び出せないようなものに授賞する。そのことを重要視してきましょう、と。

 では、なぜ東京の文学賞が選ばないようなものを優先するのか。みたいなことは、ツッコんでは解説されていません。だけど、「地方自治体が主催する初めての賞」という気負い(いや、プライドというか自負)が、ここにあっただろうことは言うまでもありません。

 東京の文学賞、というのを噛み砕いて言いますと、文学賞スゴロク、文学賞レールのようなものが想定されていたのかと思います。直木賞のほうはまだその先のステップが整備されていないときでしたが、芥川賞のほうは徐々に路線が敷かれ始めていた頃で、芥川賞をとったら、次は少し頑張って谷崎潤一郎賞→日本文学大賞(元は新潮社文学賞)→読売文学賞→野間文芸賞→芸術院賞(これは出版社系ではないけど)と進む。その後、東京の文学賞は数々できましたが、主催側も委任された選考委員も、どうしても、上記の路線のなかのどこに自分の賞を置くか、を気にするようになるらしく、まずこのルートを荒らすような位置づけで賞がつくられたりはしません。

 それは直木賞・芥川賞そのものの罪じゃなく、人間どものしがないサガのせい、なのでしょうけども、上記に挙げた賞の名前など広く知られていないのは、昔もいまも事情は同じです。こういった「東京の文学賞(レール)」全般への対抗、といったときに、「直木賞・芥川賞」では拾えなかったものを選ぶ、という表現になるのは自然なことでした。

「選考委員会のあと記者会見した井上靖、奥野健男、尾崎秀樹、五木寛之らの各氏は次のように語った。

 泉鏡花の持っている多様性を、この賞に盛り込みたいと考えて選考に当たった。その意味で責任は重かったが、芥川賞や直木賞で拾えない傑作が選ばれたと思う。」(『北國新聞』昭和48年/1973年10月25日「傑作が選ばれた 選考委員の話」より)

 現に、受賞した半村良さんや森内俊雄さんをはじめ、候補に挙がった塚本邦雄さん、荒巻義雄さん、津島佑子さん、唐十郎さん、ひとりとして直木賞・芥川賞の受賞者は含まれていませんでした(半村さんは直木賞に1度、森内さんは芥川賞に5度、津島さんは2度、落とされていました)。

 奥野さんの「選考経過」には、はっきりこんなことも書かれています。直木賞からはハナシはズレますが、重要な箇所なので引いておきます。

「この作者(引用者注:森内俊雄)は何度も芥川賞候補になっていてその実力は広く認められているが、現在の芥川賞委員の構成ではそのよさが公認されないのではないか。今までの氏の作品にくらべ特にすぐれてないにしろ鏡花賞は、伝奇性、神秘性もあるこういう作家に与えるのが意義あることではないかという意見が強かった。」(前掲「鮮明な賞の性格」より)

 『翔ぶ影』に、というより完全に、芥川賞候補に何度もなっては落とされてきた森内さん、という作家に対して与えられた賞だったわけですね。ちなみに半村さんは、第69回直木賞で『黄金伝説』が落選してから3か月後の授賞でした。

 以後、第5回鏡花賞の色川武大さん、第9回筒井康隆さん、第12回赤江瀑さん、第13回宮脇俊三さん、第16回泡坂妻夫さん、第25回京極夏彦さん……といったような人たちがみな、それまでの直木賞では拾えなかった作家・作品を、鏡花賞がすくい上げた例として残っています。

 東京の文学賞とは違った賞になりそうだ、といった展開に、奥野さん気をよくしたか(?)、選考経過の最後ではこんなことも付け加えてくれました。

「なお選考委員会の行われた場所の控え室に、受賞の結果を待ちかまえている各新聞社、報道関係者の数は、芥川・直木賞なみに多く、泉鏡花文学賞への全国的な関心の強さをひしひしと感じさせられた。」(同)

 いま読むと、たいへんせつない気持ちになる記事ではありますが、どんな人・どんな作品を選ぼうがかならず視線を集める直木賞・芥川賞に比べ、うちの賞はこういった傑作を選び出して、同じくらい(ほんとか?)の注目が集まったのだ、と。奥野さんはそんな意地汚い感想は述べていません、念のため。だけど、それならきっと、全国にいる「報道機関に取り上げられている」状態が嫌いな人たちも、文句を挟まないでしょう。おそらくは。

 ただ、ご存じのとおり、泉鏡花文学賞はその後、方針を転換して(したんですよね?)、創設当初に掲げた「東京の文学賞レールとは別の道を行く」という第一目標を捨てて、他の賞でも取り上げそうな作品、あるいは現に取り上げられてきた作家たちにも続々と与えられる賞に様変わりました。

 いまも選考会の当日は、直木賞・芥川賞と同じくらいの数の記者が待機している、のかどうかは知らないのですが、少なくとも、ただ注目されるだけの直木賞(と芥川賞)とは、別の姿でありつづけているとは思います。そこに存在するだけで罵倒されるような賞よりは、そっちのほうが平穏ですもんね。

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2014年10月12日 (日)

「受賞して当然の候補者たちが何人もいる。(でも、落とされる。)」…『PLAYBOY』平成19年/2007年1月号「最も直木賞に近いミステリー作家はだれだ?」大森望

■今週の文献

『PLAYBOY』平成19年/2007年1月号

「最も直木賞に近いミステリー作家はだれだ?」

大森望

 いまでは「直木賞」と聞くとたいていの日本人が思い浮かべる人物になった(というのは言いすぎ?)、大森望さん。「メッタ斬り!」という企画の名前が強烈すぎて、何となく大森さんは直木賞を容赦なく斬ってきた、と思われがちですが、現況の分析・解説が主なので、大森さんの語りはそこまで刺激的ではありません(……って、こっちが「メッタ斬り!」に慣れすぎたからかもしれませんが)。

 なので「直木賞批判の系譜」に含めるのは、ちょっと馴染まない気もします。気もしますが、大森さんが残してきた(いまも継続中)無数に近い「直木賞解説」のなかから、そんなに知られていないものをひとつ取り上げて、秋の夜長を安らかな気持ちで過ごしたい。という意味不明な衝動に駆られて、今日は「大森望が直木賞予備軍を斬る」と副題の付いた、こちらの記事を楽しみたいと思います。

 何といっても、「直木賞批判」が強い一群といえば、SF界隈、そしてミステリー(探偵・推理)界隈と相場が決まっています。人気の時代小説家がとれなくても(ずーっと、とり逃がしつづけても)汚い言葉を吐いて直木賞をののしるファンは、あまりいませんが、ミステリーやSF作家が、ほんの一度二度(いや、五度六度……)とれないだけで、もう直木賞を親のカタキのごとく怨み、罵倒する敏感な人たちは、そこかしこで見受けられます。盛り上がってナンボ、の文学賞事業を、常に側面から支援し、いまのいままで直木賞を存続させてきた功績といった意味で、おそらく、(直木賞を批判する)ミステリーファンの右に出る者はいません。ほんとうに飽きもせず、いつも直木賞をイジってくれて、ありがとうございます。

 それで、『PLAYBOY』平成19年/2007年1月号では「ミステリー徹夜本をさがせ!」という、何番煎じかわからない、よく見かける定番の特集記事が組まれまして、北上次郎×大森望×豊崎由美鼎談「この10年で最も面白いミステリー・ベスト100」とか、古川日出男・宮部みゆき・京極夏彦・香納諒一各氏が自作を語ったりとか、爆笑問題・太田光さん、中江有里さん、和希沙也さんなど、タレントとして顔の売れている読書家たちが好きなミステリーをおすすめしたりとか、ミステリー愛に満ちあふれた構成になっているんですが、なぜか(ほんとに、なぜか)ここに、ミステリーと直木賞をからませた大森さんの記事が差し挟まれている、という。直木賞ファンのワタクシにとっては、砂漠のなかでオアシスに出会ったかのような、心の底から嬉しい記事ですが、おおかたの『PLAYBOY』読者にしてみれば、何でここに直木賞が出てくるんだ、目ざわりだ、あっち行け、と(たぶん)言いたくなったのではないかと想像します。

「東野圭吾『容疑者Xの献身』が前々回(134回)の直木賞を受賞したことについて、「近年、推理小説の直木賞へのバリアが低くなりつつあることの、一つの証左といえなくもない」(選評より)と看破したのは、ご存じ渡辺淳一先生。ただし、あらためて歴代受賞作を眺めてみると、先生の言う“近年”とは、ざっと20年前まで遡ることが判明する。」(『PLAYBOY』平成19年/2007年1月号、大森望「最も直木賞に近いミステリー作家はだれだ?」より)

 と書き出し、20年を「近年」と言っちゃう渡辺淳一さんの老人感をさらっと指摘したうえで、逢坂剛さんの受賞(第96回 昭和61年/1986年下半期)から徐々に「バリアが下がりはじめ」、原リョウさん(第102回 平成1年/1989年下半期)を経て、高村薫さん(第109回 平成5年/1993年上半期)、大沢在昌さん(第110回 平成5年/1993年下半期)、藤原伊織さん(第114回 平成7年/1995年下半期)、乃南アサさん(第115回 平成8年/1996年上半期)、宮部みゆきさん(第120回 平成10年/1998年下半期)、桐野夏生さん(第121回 平成11年/1999年上半期)、船戸与一さん(第123回 平成12年/2000年上半期)の名を上げ、「バリアが一番低かったのは、たぶんこの時期、なかでもとくに90年代中盤だろう」と、「ミステリーにあらずんば小説にあらず」とまで言われた(言われたっけ?)、異常なほどミステリーの看板がチヤホヤされたあの時代を総括。そして大森さんは、こう言うわけです。

「90年代の実績から考えると、今後5年間にミステリー畑から3、4人の受賞者が出てもおかしくない。というか、受賞して当然の候補者が何人も待機している。」(同)

 こういう記事は、じっさいに5年を経過したあとで読むのがいちばん楽しい、ってことは言わずもがなですね。第137回(平成19年/2007年・上半期)~第146回(平成23年/2011年・下半期)の5年・10回で、さあどれだけのミステリー(畑からの)作家が受賞したのか。大森さんが当時「直木賞予備軍」として挙げた人たちは、どうなったのか。……考えるだけで口のなかに唾液がたまり、腹がグーグー鳴ること請け合いです。

 まずは、この期間で直木賞に選ばれたミステリー(出身)作家を挙げてみます。たぶん、こうなります。

 北村薫(第141回 平成21年/2009年・上半期)。佐々木譲(第142回 平成21年/2009年・下半期)。道尾秀介(第144回 平成22年/2010年・下半期)。池井戸潤(第145回 平成23年/2011年・上半期)。推理作家協会受賞者の桜庭一樹さんとか、「このミス」1位になった称号をもつ天童荒太さんをここに含めるかどうかは、微妙なところですが、たしかに3、4人は受賞しました。

 ただ、やったぜ大森さん大正解だ!と心の底から叫ぶことのできないのも事実なんです。というのも、当記事の中心である「最も直木賞に近いミステリー作家」として大森さんが名を挙げた面々が、何と言いますか、直木賞の盛り上がりに欠かせない存在になった面々だからです。

「その(引用者注:受賞して当然の候補者の)筆頭は、直木賞候補歴5回の伊坂幸太郎。(引用者中略、候補回数では)最近10年の受賞者では、宮部みゆき、東野圭吾の6回が最多。次のチャンスで伊坂幸太郎が受賞する確率はかなり高い。」(同)

 と、まもなく、この記事が書かれた年の夏に、6度目の機会を伊坂さんみずからが遠ざけて(周囲が)てんやわんやとなった苦い思い出がよみがえるのを始め、「大森さんが名前を挙げると直木賞がとれない」伝説(というか、じっさいはデマでしょうが)が立てつづけに連射されていきます。

「いまや国民的ベストセラー作家にのしあがった恩田陸も、受賞は時間の問題だろう。(引用者中略)今後2年以内の直木賞獲得はほぼ確実。」

「まだとっていないのが不思議なベテラン組では、真保裕一が候補歴4回。」

「同じく候補歴4回の馳星周も、やはりここ5回、直木賞候補から遠ざかっている。(引用者中略)およそ直木賞向きの作風とは言いがたいので、狙ってとりにいかないかぎり難しいかも。」

「冒険小説系の人気作家、福井晴敏と垣根涼介も有力候補。」

「『七月七日』『遮断』で候補になった古処誠二は、もはやミステリー作家というより戦記文学作家。」

「古川日出男は、『別冊文藝春秋』連載中の『サマーバケーションEP』が単行本化されれば有力候補。」

「ミステリーらしいミステリーで受賞する可能性が高いのは、『愚行録』で前回初めて候補になった貫井徳郎。新本格系の作家ではいちばん直木賞に近そうだ。」(同)

 以上、大森さんがこの記事で見せた連射でした。このすさまじさ。たじろぐばかりですね。

 たしかに直木賞をとって何もおかしくない顔ぶれをずらりと並べ、5年後、その誰ひとりとして直木賞は賞をあげなかった、という未来を予見し、こっそりと「こういう人たちを全部落とす直木賞って、まったくひどいなあ」と思わせるように仕組んだ大森さん、さすがの予想力だ! ……というのは、どう考えても、うがった見方すぎるわけですが、純真でけなげな(?)直木賞を、場違いなミステリー特集にまで駆り出しておいて、そして赤っ恥をかかせる(あるいは、直木賞に対する不信感をミステリーファンたちのあいだで増幅させる)なんてなあ。大森さんは、ほんと悪い人です。

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2014年10月 5日 (日)

「ちまたで人気のある候補者を落とす、世間知らずの選考委員たち」…『サンデー毎日』昭和55年/1980年2月3日号「有名人直木賞候補 三者三振」青野丕雄

■今週の文献

『サンデー毎日』昭和55年/1980年2月3日号

「有名人直木賞候補 三者三振」

青野丕雄

 週刊誌の記事はストーリー(とタイトル)が命です。

 命というか、もうほとんど、それだけで成立するとさえ言いたいです。どれほど取材が足りなくとも、情報が間違っていても、そんなこと別にどうってことはありません。どれだけ楽しく、わくわくドキドキするストーリーに仕立て上げられるか(だけ)が重要です。

 昭和54年/1979年下半期の第82回直木賞。別に、候補作のなかに日本の文学史(!)を塗り替えるような問題作があったわけでもないし、結果は「受賞者なし」なので、直木賞の受賞者一覧だけを眺めて満足しちゃう向きには、とくべつ興味を抱くような要素もないはずです。だけど、どう考えてもこの回は、直木賞史のなかでも超重要(といか超有名)な回なので、うちのブログでもこれまで何度か取り上げてきました。

 阿久悠さん(初候補)、つかこうへいさん(初候補)、中山千夏さん(候補2度目)。この3人が候補になって落選するという、大変絵になる結果が生まれたので、まわりがガーガー騒ぎ立て、直木賞としては珍しく盛り上がった回だからです。

 それで『サンデー毎日』も、たまらずに直木賞騒ぎに参戦。ここでどのようなストーリーを組み立てたのか、と言いますと、「直木賞→大家・権威→偉いんだろうけど世間を知らない」の世界がいっぽうであり、他方で「3候補→人気者→ぼくら大衆の民意」の世界をこしらえます。両方を対峙させ、前者をバカ扱いすることで、大衆たる読者たちの溜飲を下げさせる、という作戦に出たわけです。……まあ、そういったことでは、近年ひじょうに好まれる図式「本屋大賞ラブ・直木賞クソ」の感じとあまり変わりませんね。

 記事では、結果を待つ記者連中が期待を高めていたのに、授賞なしの結果が出てしまい、選考経過の会見に出てきた松本清張が、偉そうに講評を垂れた、っていう前段がまずあります。それを経て、担当ライターの青野丕雄さん、こう怒り(?)をあらわにしてみせました。

「大激論の末の結論ではあろう。が、果たして阿久悠や中山千夏がいかなる人物かをご存じなのだろうか。発表を聞いた限りでは、どうも心もとない感じがする。ま、知らなくても文学とは関係ないから構わないわけですが……

 でも、しかし、作家の商品価値が、ある程度問われるのが直木賞じゃないんだろうか。こんな意見もあるのだ。」(『サンデー毎日』昭和55年/1980年2月3日号「有名人直木賞候補 三者三振」より ―署名:本誌・青野丕雄)

 と、つづけて小田切秀雄さんの口を借りながら、「作家の商品価値」(って、そんなことを持ち出す青野さんこそ、ムチャクチャだと思うんですが)を踏まえた授賞をしたほうがいいのではないか、と暗に匂わせるのです。

 ただ、おかしいのは、記事で紹介されている小田切さんのコメントを読んでも、全然「作家の商品価値がどうたら」とは述べられていません。単に、

「最近は、芥川賞の人より、直木賞ふうの人に、優れた人が多いですねえ。(引用者中略)大衆文学とか中間小説として、というのではなく、文学そのものとして優れている。田中小実昌が、直木賞のあと、谷崎賞をとったことをみてもわかります。」(同)

 と指摘しているだけのこと。そのコメントを、「どうして授賞なしにしちゃったんだ!選考委員たちの目は節穴だ!」と文句を言いたい青野さん自身の思いを補強するために持ってきているという。意味がわかりません。組み立てられたストーリー優先の週刊誌記事では、ハナシの噛み合わない部分が、こうやって出てきちゃうわけですね。

 まあ、偉そうなものを見て、論拠もなく「バカだ!愚かだ!(偉そうにしやがって)」と言い立てたくなる気分は、人間の生理現象なのかもしれません。ワタクシもわかります。たしかに(とくにこの当時の)直木賞選考委員たちは、理想が高すぎて、ないものねだり、がひどすぎました。彼らを見て、現実をわかっていないと言いたくなるのは理解できます。

 清張さん、こんなこと言っているし。

「「議論が分かれるということは(作品に)欠点があると言わざるをえない。賞を渡すことで、その人に将来性をつけるという意味もあるが、やはり直木賞の伝統性、権威ということからみて、完成した作品でないといけない。そういうことに落ち着きました」(松本氏)」(同)

 直木賞の伝統性・権威を鑑みて授賞作を決める、とかもう本末転倒もいいところでしょう。完全に直木賞から腐臭が漂っています。腐臭は腐臭として(ワタクシのような)マニアにはたまらないものですが、「アンチ権威=ぼくは庶民の味方」をストーリーに埋め込みたい青野さんにとっても、もってこいの状況でした。

「なんとなく三人が落ちたのも納得できるような……。だって、伝統やら権威やらとは、縁のない、というよりむしろ彼岸にいるのが、彼らである、といってよいだろう。」(同)

 と言い、3候補の人気ぶりを(青野さんの手柄でもないのに)とくとくと語って、彼らを落とした直木賞選考会をバカにしてみせるのでした。

 つかこうへい=「パロディー精神あふれるその演劇は若者に圧倒的な人気を持つ」。

 中山千夏=「“外界”では、スーパー才女の呼び声高い千夏ちゃん」「女優、司会者、歌手、作詞家、そして革自連代表」。

 阿久悠=「“怪物”」「十一年間に約三千三百曲を書いた作詞家ナンバーワン。」「その作品をひとつも知らないという人がいたら、まず相当な世捨て人といえる」。

 ひとりの授賞者も選ばなかった回ですら、こんなふうに3ページにもわたって記事、書いてもらえるのですからね。直木賞の(権威とかから生まれる)「腐臭」の威力、さすがとか言いようがありません。青野さんも、絶対にその臭みに惹きつけられたのだと思います。おお、同志よ。

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