「じっくり書きこむタイプの作家は、とらないほうがいいかも。」…『外語文学』8号[昭和46年/1971年3月]「候補にたかった話」(S・K)
■今週の文献
『外語文学』8号[昭和46年/1971年3月]
「候補にたかった話」
(S・K)
何年か前に、うちのブログで三樹青生さんのことを取り上げたことがありました。資料をあさっていたら、そのときの断片が少し出てきたので、(『直木賞物語』では触れられなかったことだし)今日はそれで行きます。
多くの人間は生まれてから、書店で売っている文芸誌・小説誌など、一度も読まずに死んでいきます。「多くの」と言うか、たぶんほとんどの人が、そうかもしれません。基本ああいうものは、面白い人にとっては面白いけど、つまらない人にとってはつまらない、という当たり前すぎるシロモノですから、別にそれでいいわけですが、そんな状況のなかで、売ってもいない(いなかった)文芸同人誌になりますと、こんなものを読んだことがあるのは、もう好事家も好事家、ちょっと精神のイカれた人ばかりと言ってもよく、ふだん社会生活を営んでいても、同人誌の話題でいっしょに盛り上がれる人など、まず絶対に出会いませんし、「変わった人」扱いされます。
昭和40年/1965年当時……大阪外国語大学の同窓生たちが集まって『外語文学』をつくった(復刊した)当時は、どうだったのか。世間の空気感はよく知らないんですが、創刊号の編集後記では、こう描かれました。
「「ほほう、同人雑誌ですか」
「ええ、年がいもなくね」
「よほど、専門的なモノですな」
「いや、ただの文学雑誌でしてね」
あいては、こちらの頭のあたりに眼をとめながら、感にたえつついった。
「ほほう、同人雑誌をですかね…………」
まさに、「ほほう……」と感嘆を誘いつつ、ともかくも創刊号が生れ出た。」(『外語文学』1号[昭和40年/1965年6月]「編集後記」より ―署名:(い))
このとき掲げられた「外語文学会」同人の面々は24名プラス1名でした。
原田統吉(M11)、秦正流(R12)、法橋和彦(大R4)、稲田定雄(R10)、伊藤正弘(C12)、喜田説治(R12)、児玉啓吾(R9)、久保満(C15)、丸毛忍(R10)、三樹精吉(F13)、宮本源七郎(E10)、中田都史男(大F1)、岡謙次(E7)、岡本和夫(F2)、大川鉱三(E7)、清水治一(A25)、庄司栄吉(F14)、高木敏夫(F16)、田辺保(F27)、田中四郎(A19)、豊田啓之助(E7)、鷲谷善教(R11)、八木浩(D23)、吉田利八(C15)、以上ABC順と、教官だった吉田孝次郎。各アルファベットは専攻言語の頭文字、のようです。
まあ、ワタクシにはこのうち、三樹さんと吉田利八さん(筆名・小山史夫)しか馴染みがなく、他の方々のご活躍ぶりは調べてもいないんですけど、とりあえずみな、いい年こいたオッサン連中だったことは確かです。そしてふつう、いい年こけば、「文学賞」の醜さ、異臭、馬鹿バカしさぐらいわかっていますから、文学賞に対してイタい批判をしてみせたりはしません。その点、なりふり構わず「商業的な文学賞」に楯突く文芸同人誌にありがちな稚気が薄くて、ややさみしくはあります。
第2号の「編集後記」で、次のように、「最近の著名な文学賞」にチクッと横槍を入れる程度ですから、まあエレガントな方々です。
「二番煎じに感動はない。あるはずがない。われわれが志向するのは、作品における感動であり、言いかえればオリジナリティである。スマートな、腰の軽いうまい作品より独創性を賭けた壮烈な失敗作をわれわれはむしろ尊敬したい。
(引用者中略)
オリジナリティの問題ははなはだ重要である。それなくして、何が試みられうるであろうか。最近の著名な文学賞の多くが二本立てであるのはオリジナリティの欠除を示唆するものではないか。われわれが目標とするのは常に一本立てであり、ノックダウンである。最もコマーシャルな作品は最も非コマーシャルな作品でなければならぬ。」(『外語文学』2号[昭和41年/1966年5月]「編集後記」より ―署名:(T))
「最近の著名な文学賞の多くが二本立て」という指摘の意味が、いまいちわかりにくいんですが、その志向の、言うのは簡単・やるのは困難な感じはよくわかります。「スマートな、腰の軽いうまい作品より独創性を賭けた壮烈な失敗作を」とか、おまえはどこの新人賞選考委員だ! って感じの、よく見かける理念・志向なわけですが、よく見かける、ってことはつまり、そうは簡単に実現できないものだからですもんね。
それで今日の主たる文献「候補にたかった話」に行きます。署名は(S・K)、イニシャルからすると喜田説治さんでしょうか、前掲の「編集後記」にも漂っていたオジサン感、というか、われわれはいろんなことがわかっているのだよ、オッホン感が、ハンパなく浮き出たものになっています。
冒頭で、うちの同人誌は、ちまたにあまたある(あせり切った文学青年たちの)同人誌とはね、違うんだよ、とふんぞり返りながら(?)解説。
「文学賞をねらうことを目的とする同人雑誌がかなりあるそうで、そうしたものの中には仲間の誰かが受賞すると、その受賞者はその同人誌に冷淡になり、同人誌は解散、そして残った連中で新しく組織づくり、といったことをやるのもあると聞いた、文学で世に出る――つまりジャーナリズムの世界で作品が売れるようになることは、それなりに結構なことなので、そんないき方も一概にどうこう言えるものではなかろうが、「外語文学」同人の多くはジャーナリズムの酸いも甘いも噛み尽した連中が多く、どこかの出版会社の雑誌に印刷されるということだけで目の色を変えるようなのはいない。」(『外語文学』8号[昭和46年/1971年3月]「候補にたかった話」より ―署名:(S・K))
いいですねえ、余裕をぶっこくオジサンの姿。だから俺たちゃ、うわさに聞くように、候補者(=三樹青生)が直木賞をとれるか落ちるか電話をドキドキ待ちながら結果を待つなんちゅうぶざまな待ち会はせず、「よし候補にたかって飲もう、ということになった」程度の軽い乗りで、みんな集まったのさ、クールだろ(……とは言っていませんけど)と、そんな感じで、三樹さんはじめ集まったみな、直木賞なんて詳しいことはよく知らないからテキトーなこと言いながら盛り上がろうぜ、とやんややんや、うまい酒を飲んだ、と。
「直木賞というのは芥川賞とちがって、今後ながくプロ作家としてつづける力量があるか否かが重大な目安の一つになるそうで、したがってこれまでに商業雑誌に作品を発表しているものが選考の上で有利になるのだそうな。そうなると三樹は不利だな、などと話が出たが、当の候補はケロリとしている。オレにくるはずがあるもんか、と思いこんでいるらしい。三樹などじっくり書きこむ方だから受賞して原稿注文に追っかけられるよりは候補にとどまる方が身のため、作品のためだと本気でいうのもいたし、結構こなすよというのもいた。なかには、日本文学振興会のためにも受賞しない方がいいというのまでいた。受賞しないのが文学振興会のためになぜいいのか、そんな会のことを考えてやる必要がそもそもあるのか、そこの所は言わなかった。」(同)
何か、基本的に直木賞をバカに(はしていないのかな)している感じが漂っています。直木賞は酒のサカナにちょうどよい、別にそれ以上に崇め奉る存在でもないでしょ、という同人たちの共通認識が、しみじみ読み取れます。なので、じっさいこの第64回(昭和45年/1970年・下半期)は、結局、豊田穣さんという、それこそジャーナリズムの酸いも甘いも噛み尽したような新聞記者で、かつ、商業雑誌にさほど作品発表の経験のない、同人誌作家の代表みたいな人が受賞しちゃって、すぐに「直木賞を授賞しやすい傾向」とかを言いたがる心根とか、「直木賞=原稿注文におっかけられる=作品が荒れる」みたいな、外語文学同人らしからぬ凡庸な直木賞観を披露してしまった誰かの面目丸つぶれ、になったわけですね。
……いや、丸つぶれ、といいますか。言った本人にしてみれば、たぶん(自分の仲間の)三樹さんがとれなかった段階で思考は停止し、豊田穣さんがとろうがその後どうなろうが、何の感想もわかなかったことでしょう。別に直木賞なんか気にもせず人生を送ったもの、と想像します。だって、腐っても外語文学同人ですもの。きっと推察するに、いいオトナ。趣味で文芸同人誌に関わるくらいならまだしも、直木賞に興味をもって毎回直木賞の結果を気にする、だとか、そんな変人中の変人であるわけがありません。
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