「みなさん驚くべきことに直木賞は新人賞ではないことが明らかになりました」…『日経エンタテインメント!』平成17年/2005年9月号「「となり町戦争」を落とした直木賞選考委員の内部事情」無署名
■今週の文献
『日経エンタテインメント!』平成17年/2005年9月号
「「となり町戦争」を落とした
直木賞選考委員の内部事情」
無署名
直木賞にまつわる「ウラ事情」を解説している文章は、たいがいイカガワしく、腐臭が漂っていて不快です。うちのブログなんか、自分ではそんな気はなくても、いかにも得意げにウラ事情を語っているふうにとられることしばしばなんですが、我が身に強烈な腐臭がしみつくのはワタクシだってイヤですから、それを理由に直木賞ファンをやめたくなるほどです(でも、やめられませんよ、直木賞、楽しいですもん)。
直木賞の(キモさ満点の)解説といえば、昔はたとえば『噂』とか、それから『噂の真相』、『ダ・カーポ』あたりが得意としていました。いまでは『サイゾー』が頑張っています。そのキモさ頂上決戦に、一時期、参戦したのが、今日取り上げる『日経エンタテインメント!』です。
同誌の件では、以前、第128回(平成14年/2002年・下半期)の『半落ち』を代表とする全候補落選で「芥川賞・直木賞のカラクリがわかった」と気炎を上げた記事とか、第143回(平成22年/2010年・上半期)の中島京子さん受賞のときに、林真理子さんが出版界の低調ぶりを憂う発言をしたことを、本屋大賞とからめて切り取った(よく見かける視点の)記事、こういうものをうちのブログでも紹介しました。
あと、第126回(平成13年/2001年・下半期)の山本一力『あかね空』&唯川恵『肩ごしの恋人』が、直木賞受賞作としては近年になく好調な売れ行きを示していることを、後付けの理由らしきものを並べて解説した印象ぶかい記事もあります。いつか取り上げる日がくるかもしれません。
今日のおハナシは、第133回(平成17年/2005年・上半期)。斎藤美奈子さんが「直木賞ってじつはKYな賞だったのか!」といまさらながらに驚いてみせた、という例の回のことです。
デビュー後ほやほや、三崎亜記をはじめ、絲山秋子・恩田陸・古川日出男・三浦しをん・森絵都と、華やかさor若々しさor話題性等々を備えた一群と、ノスタルジックなファンタジー短篇集を書いた42歳男性、朱川湊人の対決。軍配は朱川さんのほうに上がり、受賞後の盛り上がりはそこそこ、さして爆発的な売上に結びつくこともなく、平常の直木賞の姿を見せてくれました。
『日経エンタ』の無署名記者が注目したのは朱川さん、ではなく、恩田陸さんと三崎亜記さんです。まず恩田さんについて。
「今年、吉川英治文学新人賞と本屋大賞を受賞し、勢いにのる作家・恩田陸は3冠なるかと注目を集めたが、(引用者後略)」(『日経エンタテインメント!』平成17年/2005年9月号「「となり町戦争」を落とした直木賞選考委員の内部事情」より)
と書いて、「勢い」と直木賞には何の関係もないことを、(たぶん)意識的に伝えようとしました。
さらに無署名さん、気分が高揚していきます。三崎さん『となり町戦争』が候補作にあったからです。いや、この作品が直木賞をとれなかったからです。ついにここで論理的な思考も、行儀のいい経過報告もぶちこわれ、この記事は、イカガワしい直木賞解説の領域へと足を踏み出してしまったのでした。
「デビュー作『となり町戦争』がベストセラーとなった三崎亜記は、下馬評では高い支持を受けていた。文壇で絶賛され、一般読者にも人気の作品だったが、決選投票で朱川に敗れた。」(同)
と、まずは前フリ。何だよ、文壇で絶賛され、一般読者にも人気の作品なら、賞をあげなくても報われているんだから直木賞の選択は正しいわけじゃん、と感じるのが自然だと思うんですが、どうやら無署名さんの関心はそんなところにはないらしいのです。落選の原因を別のところに見出そうとします。
「今回出席した直木賞の選考委員のうち、半数の4人(阿刀田高、五木寛之、井上ひさし、北方(引用者注:北方謙三))が、『となり町戦争』に「小説すばる新人賞」を与えた選考委員でもあった。そのことが逆に、直木賞の選考では「もう1作みるべき」と三崎に不利に働いた。
作品は高い評価を受けている三崎亜記が直木賞を受賞できなかったことで、同賞は事実上、無名、新人の受賞は難しいことが明らかになった。そして一部のベテラン作家が、多くの新人賞の選考委員を兼任していることの問題も浮き彫りになったといえる。」(同)
えっ。と意味がとれず、何度も読み返してしまいました。
この文章の少し前には、わざわざ小見出しで「直木賞は新人賞ではない?」と太ゴシックで強調されてもいます。まさか、「みなさん直木賞って新人賞だと思っていませんか、でもじつは……」みたいな一般的な前提がある状況のなかでバシッと指摘してやったぜ、っていうことなのかもしれません。
いまどき、「直木賞=新人賞」っつう見立てから出発している、なかなか感動的な文章ではあります。ただ、ワタクシの見ている(見てきた)直木賞とは別次元のことが語られているためか、ついていけません。
だって、無名・新人の受賞が難しいことを、三崎亜記さんの落選を見て(はじめて)感じたのですか? ほんとですか? だとしたら、そうとう幸せな人です。たぶん、そういう人は過去の歴史を含めた直木賞というものに、まったく興味がない健全な人なのでしょう。今度また、鮮烈デビューした人の処女作が落選しても、同じようなことを言って、常に驚きで気持ちを高ぶらせることができるのだと思います。
そして、「問題も浮き彫りになったといえる」と……。直木賞に興味もないのに、よくそういうことが平気で言えるなあ、とほとほと感心させられる紋切型表現。
いや、そうでしょう。どう浮き彫りになったというんですか。そもそも何を問題視しているんでしょう。文壇絶賛、売れ行き好調の新人作家の作品が、直木賞をとれなかった、それの何が問題なのよ。
直木賞は、一作目の小説ではなかなかとれず、多少は作家として仕事をした人じゃないと受賞できない(ことが多い)こと。いろんな賞(公募の新人賞を含め)の選考委員が、カブっていること。そこから、「直木賞選考委員の内部事情」と題する、いかにも仰々しく、何か問題点があってそれを世間に訴えるテイの文章になってしまう、このイカガワしさ。
無署名さんのせいというより、やっぱり人にそういう汚らわしい記事を書かせてしまう、強烈なマイナス因子をもった直木賞のせい、なんでしょう。……そりゃ直木賞ファンなんて少ないわけだ。
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