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2014年9月の4件の記事

2014年9月28日 (日)

「みなさん驚くべきことに直木賞は新人賞ではないことが明らかになりました」…『日経エンタテインメント!』平成17年/2005年9月号「「となり町戦争」を落とした直木賞選考委員の内部事情」無署名

■今週の文献

『日経エンタテインメント!』平成17年/2005年9月号

「「となり町戦争」を落とした
直木賞選考委員の内部事情」

無署名

 直木賞にまつわる「ウラ事情」を解説している文章は、たいがいイカガワしく、腐臭が漂っていて不快です。うちのブログなんか、自分ではそんな気はなくても、いかにも得意げにウラ事情を語っているふうにとられることしばしばなんですが、我が身に強烈な腐臭がしみつくのはワタクシだってイヤですから、それを理由に直木賞ファンをやめたくなるほどです(でも、やめられませんよ、直木賞、楽しいですもん)。

 直木賞の(キモさ満点の)解説といえば、昔はたとえば『噂』とか、それから『噂の真相』、『ダ・カーポ』あたりが得意としていました。いまでは『サイゾー』が頑張っています。そのキモさ頂上決戦に、一時期、参戦したのが、今日取り上げる『日経エンタテインメント!』です。

 同誌の件では、以前、第128回(平成14年/2002年・下半期)の『半落ち』を代表とする全候補落選で「芥川賞・直木賞のカラクリがわかった」と気炎を上げた記事とか、第143回(平成22年/2010年・上半期)の中島京子さん受賞のときに、林真理子さんが出版界の低調ぶりを憂う発言をしたことを、本屋大賞とからめて切り取った(よく見かける視点の)記事、こういうものをうちのブログでも紹介しました。

 あと、第126回(平成13年/2001年・下半期)の山本一力『あかね空』&唯川恵『肩ごしの恋人』が、直木賞受賞作としては近年になく好調な売れ行きを示していることを、後付けの理由らしきものを並べて解説した印象ぶかい記事もあります。いつか取り上げる日がくるかもしれません。

 今日のおハナシは、第133回(平成17年/2005年・上半期)。斎藤美奈子さんが「直木賞ってじつはKYな賞だったのか!」といまさらながらに驚いてみせた、という例の回のことです。

 デビュー後ほやほや、三崎亜記をはじめ、絲山秋子・恩田陸・古川日出男・三浦しをん・森絵都と、華やかさor若々しさor話題性等々を備えた一群と、ノスタルジックなファンタジー短篇集を書いた42歳男性、朱川湊人の対決。軍配は朱川さんのほうに上がり、受賞後の盛り上がりはそこそこ、さして爆発的な売上に結びつくこともなく、平常の直木賞の姿を見せてくれました。

 『日経エンタ』の無署名記者が注目したのは朱川さん、ではなく、恩田陸さんと三崎亜記さんです。まず恩田さんについて。

「今年、吉川英治文学新人賞と本屋大賞を受賞し、勢いにのる作家・恩田陸は3冠なるかと注目を集めたが、(引用者後略)(『日経エンタテインメント!』平成17年/2005年9月号「「となり町戦争」を落とした直木賞選考委員の内部事情」より)

 と書いて、「勢い」と直木賞には何の関係もないことを、(たぶん)意識的に伝えようとしました。

 さらに無署名さん、気分が高揚していきます。三崎さん『となり町戦争』が候補作にあったからです。いや、この作品が直木賞をとれなかったからです。ついにここで論理的な思考も、行儀のいい経過報告もぶちこわれ、この記事は、イカガワしい直木賞解説の領域へと足を踏み出してしまったのでした。

「デビュー作『となり町戦争』がベストセラーとなった三崎亜記は、下馬評では高い支持を受けていた。文壇で絶賛され、一般読者にも人気の作品だったが、決選投票で朱川に敗れた。」(同)

 と、まずは前フリ。何だよ、文壇で絶賛され、一般読者にも人気の作品なら、賞をあげなくても報われているんだから直木賞の選択は正しいわけじゃん、と感じるのが自然だと思うんですが、どうやら無署名さんの関心はそんなところにはないらしいのです。落選の原因を別のところに見出そうとします。

「今回出席した直木賞の選考委員のうち、半数の4人(阿刀田高、五木寛之、井上ひさし、北方(引用者注:北方謙三))が、『となり町戦争』に「小説すばる新人賞」を与えた選考委員でもあった。そのことが逆に、直木賞の選考では「もう1作みるべき」と三崎に不利に働いた。

 作品は高い評価を受けている三崎亜記が直木賞を受賞できなかったことで、同賞は事実上、無名、新人の受賞は難しいことが明らかになった。そして一部のベテラン作家が、多くの新人賞の選考委員を兼任していることの問題も浮き彫りになったといえる。」(同)

 えっ。と意味がとれず、何度も読み返してしまいました。

 この文章の少し前には、わざわざ小見出しで「直木賞は新人賞ではない?」と太ゴシックで強調されてもいます。まさか、「みなさん直木賞って新人賞だと思っていませんか、でもじつは……」みたいな一般的な前提がある状況のなかでバシッと指摘してやったぜ、っていうことなのかもしれません。

 いまどき、「直木賞=新人賞」っつう見立てから出発している、なかなか感動的な文章ではあります。ただ、ワタクシの見ている(見てきた)直木賞とは別次元のことが語られているためか、ついていけません。

 だって、無名・新人の受賞が難しいことを、三崎亜記さんの落選を見て(はじめて)感じたのですか? ほんとですか? だとしたら、そうとう幸せな人です。たぶん、そういう人は過去の歴史を含めた直木賞というものに、まったく興味がない健全な人なのでしょう。今度また、鮮烈デビューした人の処女作が落選しても、同じようなことを言って、常に驚きで気持ちを高ぶらせることができるのだと思います。

 そして、「問題も浮き彫りになったといえる」と……。直木賞に興味もないのに、よくそういうことが平気で言えるなあ、とほとほと感心させられる紋切型表現。

 いや、そうでしょう。どう浮き彫りになったというんですか。そもそも何を問題視しているんでしょう。文壇絶賛、売れ行き好調の新人作家の作品が、直木賞をとれなかった、それの何が問題なのよ。

 直木賞は、一作目の小説ではなかなかとれず、多少は作家として仕事をした人じゃないと受賞できない(ことが多い)こと。いろんな賞(公募の新人賞を含め)の選考委員が、カブっていること。そこから、「直木賞選考委員の内部事情」と題する、いかにも仰々しく、何か問題点があってそれを世間に訴えるテイの文章になってしまう、このイカガワしさ。

 無署名さんのせいというより、やっぱり人にそういう汚らわしい記事を書かせてしまう、強烈なマイナス因子をもった直木賞のせい、なんでしょう。……そりゃ直木賞ファンなんて少ないわけだ。

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2014年9月21日 (日)

「大衆文藝の大家と言われる直木賞委員、じっさいは後進に対して無関心で冷淡。」…『文学建設』昭和14年/1939年11月号「文学建設」無署名

■今週の文献

『文学建設』昭和14年/1939年11月号

「文学建設」

無署名

 戦前の直木賞って、まわりの人たちからどのように見られていたんだろう。……そんなことを考えはじめると、たちまち頭が痛くなります。何つっても、当時、大衆文芸についてならともかく、直木賞について全身全霊で注目し、その感想なり意見なりを書き残してくれているような文献が、まじで少ないからです。

 たとえば純文芸にしか興味のない連中は、湧き腐るほどいましたが、直木賞のことは芥川賞の一部局みたいにとらえ、「はじまったころは話題にもならなかった」とか言って涼しい顔していますでしょ。頼りになるはずの、発表媒体の『オール讀物』は、受賞者や直木賞のことを手放しで持ち上げ、デキレースの雰囲気をぷんぷん醸し出すことに終始していて、とうてい当時の一般の声を反映しているとは思えない。同人誌なんか見ても、彼らが相手にしているのは芥川賞とか新潮社文芸賞第一部ばっかり。視野狭窄はなはだしいことを露呈するだけ露呈して、直木賞のお話なんか、まず出てきません。

 しかし、われら直木賞ファンにとっての希望の光、心強い味方がいなかったわけじゃありません。中野重治さんが「まじめに文芸を志す者で、大衆文芸の道に進もうと思うやつなんか、いるわけない」と(視野狭窄をぞんぶんにかまして)言っていたその昭和10年代に、まじめに大衆文芸の道を歩もうと、模索・研鑽・糾合・離散をしながら自前で雑誌を出していた『文学建設』のお仲間たちです。

 しかも、この人たち、ことあるごとに直木賞にハッパをかける、という、「まじめな」人なら尻込みするほどの文学賞熱をお持ちなのですから、異常です。スゴすぎます。

 『文学建設』が創刊されたのは昭和14年/1939年1月号。そのころ直木賞は、第9回(昭和14年/1939年・上半期)、第10回(昭和14年/1939年・下半期)と、はじめて2期連続の該当者なし、なんちゅう泥沼にズッポリと足をとられ、困ったあげくに、まじめな芥川賞選考委員たちに助けを求めて、「こうなったら直木賞の選考は次から、直木賞委員+芥川賞委員でやろうじゃないか」と、チャレンジ精神あふれる(いや、誰もが唖然とするような)決断をくだしたころでした。

 『文学建設』同人は、創刊2号目からさっそく、口を挟もうとしています。

「新潮賞、直木賞の大衆文学賞を有意義なものにしようと思うなら先ず一度白紙に帰って熟考して貰いたい。新潮賞を「日の出」から出したいとか、直木賞はなるべく「オール讀物」の掲載作に与えたいとか、そういう小さな党派心や商業意識を忘れてしまうことは勿論だが、銓衡の対象を娯楽雑誌の所謂大衆小説にのみ求めないで、もっと広く、純文学や特殊雑誌や新聞小説からも「大衆文学賞」に値するものを拾い上げる必要がある。」(『文学建設』昭和14年/1939年2月号「告知板」より ―署名:(無党生))

 ええ、さすがにこれは文句のひとつも言いたくなるでしょう。外から見たら、『オール讀物』+文藝春秋社偏重の授賞者選びは明らかですからね。直木賞が始まってから現在まで、いつもいつも。

 と、これは「あるある」批評の一例でしたが、当時ならではの直木賞批判に、こういうのもあります。「候補者の名前を明示・明記せよ」、ってやつです。

「芥川賞にはいつも候補者の氏名、作品が列記され、そのために当選しなくとも浮き上った人が可なりある。直木賞も是非候補者の氏名、作品を明記すべきだ。

 それに依って、委員の大体の意向を知ることもできる。敢てそれに追随するわけではないが。」(『文学建設』昭和14年/1939年4月号「文学建設」より ―無署名)

 このあたりの意見が文春や選考委員の耳にも届いた……かどうかはわからないんですが、その次の第9回(昭和14年/1939年・上半期)ごろから、最終候補やその前段階の候補者の名前・作品名も、ちょくちょく選評に書かれるようになり、第11回では『文学建設』掲載作のうち戸川静子「若き日の頁」と戸伏太兵の戯曲「天ノ川辻」「十津川秋雨の譜」「遊撃四番隊」も、選考対象に入っていたことが明らかになります。それで、戸川さんや戸伏さんが浮き上がった、っていうわけでもないので、芥川賞で効果的でも直木賞ではそうとは限らない、っつう両者の(主に注目度の)違いがはっきりしたりしました。

 そして直木賞史上、問題中の問題施策、と言われる例の一件が勃発します。

 芥川賞委員全員にも、直木賞の選考をお願いする、という大ナタふるいの大(?)改革です。いまそんなことやったら、きっとヤンヤヤンヤと「それはないだろ」と、ワタクシのような外野の連中による騒音がやかましく鳴り響き、騒がしい状況が生まれるはずですが、当時はいたって静かなこと、静かなこと。この一件に関して、さほど外野が熱くなったふしは見当りません。

 例外だったのは、『文学建設』同人です。さすがです。まともな文学史ではまず取り上げられることもない(でも直木賞史のなかでは重要な)事象を目の前に、すかさずツッコみを入れてくれたのでした。

「文春九月号で、直木賞銓衡について、佐々木茂索が、次回より、直木賞銓衡にあたって従来の直木賞銓衡委員だけではなく、芥川賞銓衡委員をもこれに加えしめる旨発表している。これは大衆文藝の大家と称せられる直木賞委員が、いかに大衆文藝に対し、且つ後進に対し、無関心で冷淡であるかを暴露したものである。地下の直木、あの鋭い眼をキラリと光らして、「ちえッ、直木賞なんてやめちめえ!」と啖呵を切っていることであろう。直木て存命ならば、むろん直木賞もなかった代り、かりにもかゝる銓衡問題の時、ムザムザと純文藝の陣営に降る醜態はさらさなかった筈だ。」(『文学建設』昭和14年/1939年11月号「文学建設」より ―無署名)

 同意。はげしく同意です。

 だって、従来の直木賞(専任)委員……大佛次郎、白井喬二、吉川英治、三上於菟吉の4人のうち、大佛さんはそれでも大衆文藝の審査員として、あれこれ提言したり提案したり、熱心なところを見せてくれていましたが、他の「怠惰三銃士」たるや。久米正雄さんには「直木賞委員会は(芥川賞に比べて)のんびりとしている」とか「道楽的」とかイヤミを言われ、小島政二郎さんは、そのやる気のなさにあきれる始末。こんな賞に貴重な時間を割くなんて馬鹿バカしいね、と人間としては健全で真っ当な生きかたを選んだ3人でした。

 まあ、真っ当ではあるんですけど、『文学建設』で身銭をきって(?)大衆文藝の向上を目指している同人にとっちゃあ、もう怒りの対象でしかありません。

 怒っています。

「「新人よ出でよ」と彼等は言う。どこに新人の出る余地があるのだ。あらゆる雑誌、新聞のスペースは彼等の粗製濫造品に充満しているではないか。

(引用者中略)

 大池唯雄(引用者注:第8回直木賞受賞者)は期待に反した。芥川賞の半田義之も長谷健もあまり思わしくないという声がある。これは天才主義の幻滅だ。文学賞の目標を天才に置くからだ。

     ×

 こゝらで、作品狙撃ちの天才主義から、各新人を全体的に観察して、将来有望な新人に、激励の意味で授賞するようにしては如何。」(同)

 要するに「恵まれない環境でも努力を惜しまない(ぼくたちみたいな)者に賞を与えろよ」と。そう言いたいのかもしれません。

 それはそれで、戦前から戦後までさまざまな同人誌を彩ってきた六号記事、あるいは時代がくだってブログや掲示板、Twitterあたりで、作家志望者が恥ずかしげもなく吠えている姿と大して変わらない気もしますが、いまも昔も、文学賞に興味ないふりしてじつは文学賞にとらわれる人はたくさんいて、しかも当時から、(芥川賞だけじゃなく)直木賞だってきちんとその対象になり得ていたのだなあ、と知れる貴重な資料です。非常にうれしく、ほっとします。

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2014年9月14日 (日)

「SF作家が直木賞を逸するのは、選考委員の頭が古いせい。」…『SFマガジン』昭和50年/1975年4月号「てれぽーと」投稿文 酒井秀晴

■今週の文献

『SFマガジン』昭和50年/1975年4月号

「てれぽーと」投稿文

酒井秀晴

 以前、小谷野敦さんがブログで、半村良直木賞落選(そして受賞)のころに触れつつ、「SFは「新しい」のか?」というエントリーを挙げていました。今日の文献も、そのころに書かれたものです。

 そのころ、というのは、半村良さんが「不可触領域」で第71回(昭和49年/1974年・上半期)の候補になって、落選したあたりです。SF文壇(やSFファン)の方々の、直木賞に対する反感は、もう肥大化に次ぐ肥大化。そんなに直木賞をアホ呼ばわりするなら、完全無視して、自分たちだけ先鋭を走っているっつう自負に甘えて気持ちよくなっていればいいのに、それでは心がおさまらない乙女ゴコロ。……じゃなくてSFファンゴコロ。とにかく、世間一般に認知されていない、われらグループは常に軽蔑され、低く扱われ、まっとうに評価してもらえていない! という被害者意識、もとい強烈なSF信仰があることに加え、さらにSF界隈というのは、時代小説ファンや中間小説ファンに比べて「文学賞」好きが圧倒的に多い、ときています(ですよね?)。そのため、直木賞なんちゅうクダラぬ文壇行事にまで、ついいろいろと物申す文献が残されました。いまにいたってもまだ、その状況は衰えを知りません。

 SF(とかSF作家の書くもの)のよさが理解できない奴は頭が古い、っていうのは、ほんともう、直木賞周辺ではおなじみの、直木賞批判です。半村さんよりちょい前に、直木賞っつう騒音に見舞われた筒井康隆さんは、第67回(昭和47年/1972年・上半期)『家族八景』で3度目の候補に挙がり、そして落選し、まわりの人たちがギャーギャー騒ぐ、っつう展開を経験しましたが、このとき石川喬司さんが書いた(いま読むとおなじみ感のにじむ)直木賞批判が、これです。

「筒井康隆が『家族八景』(新潮社)で三たび直木賞候補になり、光栄にも受賞を逸した。光栄にも、というのは反語ではない。要するに審査員諸氏の大半は筒井の新らしさを理解できないのだ。過去の文学史にもそういう例はいくつかあった。筒井はそのことを誇りに思い、ひたすらわが道を行くべきである。いまさら賞など必要はないだろう。」(『SFマガジン』昭和47年/1972年10月号 石川喬司「SFでてくたあ」より)

 直木賞が「新しさ」を理解して賞を与えたことなんて、それまでそんなにたくさんあったでしょうか? おそらく石川さんは、生身の直木賞ではなく、「幻想としての直木賞像」を念頭において、お話ししているのかと思います。「過去の文学史」とかを引き合いに出していますしね。直木賞が、いまの(当時の、と言い換えてもいいです)文学史の一端を築いているかのような表現ですが、もちろん、そんなことまったくありませんもん。

 それで半村さんの、問題の落選。「不可触領域」が選ばれなかったときの、『SFマガジン』巻頭言、by長島良三さんです。

「■半村良氏がまたもや直木賞を逸しました。SF作家が直木賞候補になったのはこれで何度目でしょうか。小松左京氏、星新一氏、筒井康隆氏――そのたびにSF陣営は無念の涙を呑んできたわけですが、これは作品よりも直木賞銓衡委員のオジイさま、オジさま方に問題があるのではないでしょうか?

■もちろんこれらのオジイさま、オジさま方は「SFマガジン」を手にとったこともないでしょうし、SFの何たるかもご存知ないでしょう。人間、歳をとるとどうしても保守的になるものですから、SFなどという〈新しい文学〉に理解を示そうとはしたくないものです。いまさら六十の手習でもない気持はわかりますが、時代は、若い読者は新しい文学を要求しているのです。わからないからといってそっぽを向くことは卑怯です。時代小説や人情話ばかりに直木賞をあたえていては笑われますよ。」(『SFマガジン』昭和49年/1974年10月号巻頭言より ―署名:(R・N))

 どれだけ直木賞に、期待をかけているんだ! だいじょうぶかR・N! あんな、騒ぎだけ大きくって中カラッポ、みたいな行事に本気で相手してやることないだろ。と声をかけてあげたいです。

 だいたい、『SFマガジン』みたいな希望に燃えた(?)雑誌とちがって、直木賞は、若い読者の要求に沿おうという思いを、優先するような手合いじゃありません。それと、歳をとりますと、人から笑われるなんて全然気にならなくものだと思いますので、「笑われますよ」と話しかけたところで、それこそ笑われることを恐怖に感じる若い読者にとっては、そういう文章は痛快に感じるかもしれませんが、当の選考委員たちの心には、まず響かないかと。

 「SFは新しい」「それをわからないやつは古い」、というお念仏を支えに生きている人は、当然、『SFマガジン』読者にもたくさんいたらしく、今日の文献は、そのうちのひとりからの投稿文。昭和50年/1975年1月16日、ラジオのNHK最後のニュースで、アナウンサーがかように読み上げた、という紹介から始まります。

「『今日、芥川賞と直木賞の受賞者が決まりました。芥川賞はダレソレが受賞――(僕も今まで何度もいわれたように、SF作家が直木賞を逸すのは、銓衡委員の頭が古いせいでそんな賞は、SF作家には必要ない! と思っていましたので、ここまで聞いて、ア、またくだらないことやってやがんナと思ったのです)――そして、直木賞は、ハンムラリョウサンノ、「アマヤドリ」に決まりました』」(『SFマガジン』昭和50年/1975年4月号「てれぽーと」酒井秀晴の投稿文より)

 SF作家がどうのこうの、というのを除けば、ごく正常な感覚だと思います。直木賞と芥川賞の発表か、あ、またくだらないことやってるな、とそりゃあ思うでしょう。ワタクシですら、思います。

 しかし酒井さんは、こう続けてしまうのです。

「「半村良さん」と聞いてドキッとしました。そして、本当に受賞したのだということがのみこめると、急にいてもたってもいられないほど嬉しくなり、直木賞にもっていた反感はどこかにいってしまい、思わずバンザイと叫んでしまいました。(引用者中略)

 また、他のSF作家がたもまけずに頑張って下さい。何だか僕も、今年高校に合格しそうな気がしてきました。ウレシイナ。まだ感激の震えがおさまりません。(と思ったのですが、本当はストーブが消えて寒くて震えていたのです)」(同)

 えーっ。半村良さんひとりが、非SF小説で受賞したくらいで、ただ「SF作家が直木賞を受賞した」っつうニュース報道のみで、直木賞にもっていた反感がけし飛んでしまう、ですと!?

 そもそもアナウンサーが、同時受賞の井出孫六さんの名を出さないはずがなく、つまり自分の都合のいいように事実を改変して、直木賞受賞を喜んでいるこの姿。ほんとうにこのような若者が背負って立つ日本の未来はだいじょうぶだろうか、と……そんな心配は沸いてはきませんが(約40年も前のおハナシですし)、直木賞に抱いていた反感なんてその程度のものだったのかと、逆に直木賞ファンとしては悲しくなる投稿ではあります。

 違うよ酒井さん。自分のお気に入りの作家が全然選ばれないから「くだらない」んじゃないんだ。半村さんが選ばれようとも、誰が選ばれようとも、直木賞っていうのは、くだらないんだ。そのくだらなさこそが、楽しさの源泉なんだ。新しさが理解できない(はずの)選考委員のメンバーは誰ひとり変わっていないのに、半村さんがとっただけでバンザイまでしてしまう、その酒井さん自身(とか、賞の動向を遠巻きに見ているワタクシたち)の、感情の動きの、くだらないほどの軽さ。それが面白いんですよ、直木賞ってのは。

 これをきっかけに酒井さんが、大人になって歳をとっていって、直木賞のたのしさの虜になってくれていたらいいんだけど。……って、そんなわけないか。

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2014年9月 7日 (日)

「もはや直木賞と芥川賞は、制定し直すべきではないか。」…『知られざる文豪 直木三十五』平成26年/2014年7月・ミネルヴァ書房刊 山崎國紀

■今週の文献

『知られざる文豪 直木三十五』平成26年/2014年7月・ミネルヴァ書房刊

(とくに)「序章 「知られざる文豪」への架橋」

山崎國紀

 つい最近、新刊で直木三十五の評伝が出ました。山崎國紀さんの『知られざる文豪 直木三十五――病魔・借金・女性に苦しんだ「畸人」』です。

 本全体の内容そのものは、直木三十五という、名前だけは有名だけどその作品や人となりはほとんどの人が知らない、と常にいろんな人に言われ続け、関連書もぽつりぽつりと刊行されてきたのに(←ひょっとすると、直木三十五に関する本のほうが、直木賞のそれより多いかもよ?)、それなのに、直木三十五は知られていないッ直木三十五は知られていないッ、と得意げに語る人が後を絶たない、ほんとうに稀有な存在である作家の生涯と作品について、いままた登場した読みごたえ十分の評伝となっています。

 それで山崎さんは、当然まともな方ですから(たぶん)、この本の導入部には、「直木賞は知られているが直木三十五は知られていない」っつう、大多数のまともな人が容易にたどりつく視点が軸として据えてられてます。何つうんですか、直木三十五→直木賞→ときたら、まずこう来るだろうという、お約束の、定番の、平凡な、標準的導入といいますか。なんだか見慣れた景色で、ホッとします。

「直木賞の場合、多くの人が、その名前の由来を知らない。しかし、メディアで発表されると、その由来を知らないまま、知ったつもりで何の疑問ももたず聞き流している。知らないからといって何も他から責められる筋合のものではないが、なんだか考えてみると奇妙な現象ではある。

 そこでまず、直木賞の由来を述べることから始めたいと思う。直木賞の正式な名称は「直木三十五賞」である。つまり、芥川賞の「芥川龍之介」に該当する人名は、「直木三十五」という作家なのである。名前もさることながら、この作家の実態は、現在の日本では、ほとんど知られていないのが実情である。」(山崎國紀・著『知られざる文豪 直木三十五』より)

 安定感たっぷりの直木賞観。どうですか。もう何十年も前から耳にしてきた、直木三十五を紹介するときにかならず聞かされるおハナシを、21世紀に入ってもなお、こうやって聞かされるという。

 そもそも、大多数の日本人は、「直木賞」の名前は知っていますけど、直木賞が何たるかなど知らないし、そんな些末な、自分の生活に関係のないことには興味ないです。直木賞と芥川賞のことは一緒くただし、直木賞は大衆文芸賞の最高峰だ、みたいな誤りも平然と跋扈しているぐらいですから、基本、多くの人は直木賞に興味ないんだと思います。そこら辺の事実認識を間違え、「直木賞はみんな知っている」と思い込んでしまうと、たいてい、山崎さんのような、直木三十五の紹介のしかたをしちゃうんでしょうね。

 ええ、おそらく山崎さんご自身も、直木賞には興味がないのでしょう。なにしろ、まともな感覚をお持ちな方ですから。

 ああ、まともな方だなあ、とさらに思わされたのは、この「序章」の最後で、直木賞そのものへの注文、というか提言をするくだりに差しかかったとき、芥川賞のハナシから始めているからでした。

「世の人は、芥川賞を純文学の中で最も優れた者に与えられる最高の賞と認識している人が多いのであるが、果してそうであるのか。

 不機嫌記者会見で話題となった芥川賞第一四六回の受賞者である田中慎弥氏は、受賞に際し次のように述べている」(同)

 ……と、田中さんが、芥川賞はもともと新人の作品に与えられるもの、これは別に最高の賞ではない、と発言したことなどを紹介し、それから(なぜか)西村賢太さんの作品の面白さを紹介。純文学(=芥川賞)、大衆文芸・エンターテインメント(=直木賞)の垣根など昔からなかったようなものだし、もうこの二つのジャンルに線を引くのはやめるべきだ、と吠え立てているのです。

 純粋すぎるぞ、山崎さん。二つの文学賞が互いに(曖昧な)ジャンル区分をもっていたからといって、それをここまで問題視できる感覚が、純粋すぎます。

 だいたい、山崎さん自身も指摘しているとおり、直木賞どころか芥川賞でさえ、その実態を知ろうとしない多くの人が、これだけたくさんいるんですよ。要するに、「世の人」は文学賞がどうなっているこうなっている、など、そういうクダラないことに関心はないんです。賞のジャンル分けがどうのこうの、とそこを攻撃したって、意味なくないですか。

 そして山崎さんの、直木賞(と芥川賞両方)改革案の結論が、これです。

「芥川賞が直木賞より高尚であるとか、文学として優れているとか、といったもはや根拠のない決めつけはやめて、芥川賞と直木賞は「性格の違い」として制定し直すべきではあるまいか。すなわち、芥川賞は優れた若手作家を発掘するという新人賞の性格を賦与する。そして直木賞は、作家としてすでに経験を積み、その力量も認められ、そして、この賞を得ることにより、さらに飛躍が期待できる人に与えるということである。」(同)

 制定し直す「べき」? えーっ、なんで。そういうふうに制定し直したとして、何がどう改善するのか、どう変わるのか。し直すことの理由も効果も、全然わかりません。

 直木賞と芥川賞は、当初の規定ではうんぬん、それが実際はうんぬん、とそういう指摘ならわかるんですけど。仮に、はじめに賞の担っていた(期待されていた)ことが「実情に合っていない」とか「現状どおりではない」のだとして、どうして、それに合わせて制定し直さなきゃならないのでしょう。文学賞ごときに、いったい何を求めているというんでしょうか。

 ただ、山崎さんのようなまともな方まで、つい、何か口を挟みたくなるほど、この二つの賞は目ざわりで、そしてキュートな存在なのですね。直木三十五その人と同じくらい(かそれ以上に)、世の人にその実態が知られていない直木賞のこと、これからも気にかけてやってください。

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