「大衆文芸の賞なんだから、売れている本にあげるのが道理。」…『週刊ポスト』昭和60年/1985年9月6日号「ビートたけしの続毒針巷談52」ビートたけし
■今週の文献
『週刊ポスト』昭和60年/1985年9月6日号
「ビートたけしの続毒針巷談52
『オイラが直木賞をとったら、文壇の権威も崩れるだろうな』」
ビートたけし
ことさら説明する必要もないほどの天下の人気者、ビートたけしさんが、「小説に初挑戦」と銘打たれた『あのひと』を刊行したのは、昭和60年/1985年9月のことでした。
版元は飛鳥新社、っていうこともあって、直木賞が手を出す範疇ではありません。なにせ直木賞本体は文壇内のせせこましい行事にすぎませんから、何の波風も立たなかったんですが、直木賞は、文壇に巣食う人たちだけ(がハシャぐため)のものではない、ってことは、ネットの住人たるみなさんならご存じのとおりです。
『あのひと』は、たけしさんと交流のあった中上健次さんが褒め、あるいは、「この作品集は直木賞候補に値する」、などと言う人もいたらしいです。その表現がすでに、小説を褒めるときにはつい直木賞を引き合いに出してしまう、っつう直木賞病に特有の症例ですので、キモくて仕方ないわけですが、そういうことがあったおかげで、直木賞単独では絶対に生み出すことのできない、「直木賞の話題を世間一般に広くばらまく」役割を、ビートたけしさんという、マスに対する発言機会が膨大にある人物が担うことになってくれました。昭和60年/1985年ごろから、30年近くたった現在でもなお、たけしさんは、チラチラと直木賞のことをネタにしてくれています。ありがたいことです。
たけしさんの言う直木賞像は、基本、直木賞に過大な期待を持ちすぎる一般人のそれと、さして変わりません。いや、直木賞をイコール権威と定め、だから攻撃もするし、バカにもする、という類いの、権威に対する反抗、といった路線を堅守していてブレていません。なので、直木賞が持っている他の局面はたいてい省略され、とにかく直木賞は「文学はエラいんだぞとふんぞり返る連中」の姿とひもづけて語られたりします。
こんな感じです。
「大衆文芸なんてのは考えてみりゃ、講談や人情噺がその出発点なんだからさ、古典落語を書いたりつくったりしたやつはみんな直木賞ぐらいもらえる価値があるんだよ。(引用者中略)それが、なんでか知らないけど“文学”って名前がついただけで、途端に権威がついちゃってね。急に先生ヅラして、エラそうになるんだよな。「作家先生は、文学をやっているタイヘンな先生なんだ。おまえらお笑いなんかといっしょにするな」とかなんとかいって、ふんぞり返ってさ。」(『週刊ポスト』昭和60年/1985年9月6日号「ビートたけしの続毒針巷談52」より)
これと似たような毒づきは、後年にも表われます。『新潮45』の連載をまとめた『だから私は嫌われる』が刊行されたのは平成3年/1991年6月ですが、そこでも、「エラそうにしている直木賞受賞者」が攻撃されているんです。
「直木賞を取ったぐらいで、すぐに大きな顔して批評家気取りのやつもいるしね。たかが一冊の小説が脚光あびた程度であらゆる文化に一言いったりする。絶対にわからないだろうと思うところまで口をだしているから笑われるんだよ。」(新潮社刊『だから私は嫌われる』「たけしのカルチャーセンター」より)
直木賞受賞者がいきなり大きな顔をする……という見方は、「直木賞受賞者」って肩書きのついた人が、突如ものを言い始める姿を見た受け手が、「あのひと、大きな顔をしている」と感じる、その心根の問題のほうが大きいと思います。要するに、たけしさんのハナシは、たいてい、「直木賞」そのものではなく、それを取り巻き、崇めようとする周辺の人たちに、違和感を表明しているわけですね。
だって直木賞は、直木賞それだけでは、しがない文壇行事にすぎません。たけしさんの言うように、文学ズレした大して面白くもない、売れもしない作品を俎上に乗せて、ちょびっと光を当てる、ほんと、それだけの力しかないんですから。それを膨れ上がらせているのは、ほぼすべて、直木賞を見ているまわりの人間たちのしわざです。
そう考えると、たとえば、たけしさんのこんな指摘も、直木賞に対する注文ではなくて、直木賞のなかにある「権威性」と商売的な利用価値とをゴッチャにしてものを考えている、まわりの人たちへの揶揄、だと取ってもいいかもしれません。
「あの直木賞ってやつにしてもさ、どうも選考の基準や仕方がおかしいんじゃねェかっての。だって、純文学ってのなら、一応は芸術というものを目指してるんだから、本が売れる売れないということは関係ねェんだろうけど、こと直木賞の大衆文学ってのは、多くの大衆に本を読んでもらうための賞なんだろ。だったら、どう考えても、読者に支持されて売れてる本に賞をやるのが道理なんじゃねェか。」(同)
違います。……と、わざわざここで反論するのは、完全にたけしさんの術中にハマっているんでしょうが、やはり直木賞に対する勘違いを広めるのは気分がよくないので、あえて言います。「直木賞の大衆文学」は、多くの大衆に本を読んでもらうための賞、じゃありませんよ。
売れる小説とか、大衆の心をつかむ小説など、直木賞ができる前にも、直木賞がずーっと続いてきたあいだにも、ゴマンとありました。だけど、「直木賞の大衆文学」が要求してきたのは、純文学にほど近い文学性というか芸術性です。「すでに売れている」という人気度合いは二の次です。もちろん、単に作家として活躍してきたという実績のみを重視した授賞も、たびたびありましたが、それは直木賞の至らなさゆえです。「多くの大衆に本を読んでもらう」ことを、賞の目的の第一義に掲げた時代など、なかったはずです。
もし、直木賞とは売れる本にあげる賞(のはず)だ、そうでなければならない、と考えるのだとしたら、それは直木賞の問題ではありません。直木賞は、芥川賞への高い注目度のおかげで後天的に「世間へのインパクト」を持ってしまいましたが、別に世間一般の「大衆文学」観どおりに授賞しなきゃならない道理などありません。
昔のことを言うなよ、直木賞はもはや社会的な影響力があるのだから、それに応じて変わるべきだ、……とか思いますか?
でもね。こと受賞作や受賞者(の系譜)を見てごらんなさいよ。これが、売るために書かれた日本の小説界の本流を築いてきた、と言えますか。全然そんなことないじゃないですか。たしかに、ニュースネタとしての単発的なマスコミへの影響力は(文学賞のなかでは)あるかもしれませんし、「直木賞」と付けば、パッと見、ひとの目を引くぐらいの力はあるんでしょうけど、直木賞以上に社会的な影響力のある事柄など、いくらでもあるでしょ。直木賞なんて、ぜーんぜん、ですよ。あれで「社会的な影響」などといったら、社会的な影響が悲しみます。
対して、たけしさんです。どう考えたって、直木賞ファン(小説ファン、と言い換えてもいい)よりも、ビートたけし=北野武ファンのほうが絶対的に多かったこの約30年。
処女小説を出して少し「直木賞の可能性が」という声を聞いただけで、パパッとそれをネタにする。本気で直木賞を狙っている、と言って出した『漫才病棟』(平成5年/1993年5月・文藝春秋)が、賞の力など借りなくてもババーッと10万部超えの売上。今度は小説で直木賞をとって、それを原作に映画をとるんだ、と言っていたのが、つい先ごろの平成23年/2011年『Discover Japan』4月号。
シャレでも本気でも、そんなことはどっちでもいいことです。こうしてチョクチョク、たけしさんにハナシのなかに出してもらって、直木賞のほうがお礼を言わなければなりません。だって、「権威性」なんて、しょせんまわりがつくり上げた幻想のハリボテにすぎないわけで、売れっ子がじっさいに発する言葉の訴求力には、かないませんもん。
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