「いっそ〈文春賞〉にしたほうがいい。」…『噂』昭和47年/1972年3月号「大陥没期を迎えた直木賞」匿名編集者たち
■今週の文献
『噂』昭和47年/1972年3月号
「編集者匿名座談会
大陥没期を迎えた直木賞」
A・B・C・D・E
梶山季之責任編集、月刊『噂』。いったい、こんな(文芸)業界ネタ満載の雑誌を、その界隈で生計を立てている人間以外、誰が好んで購読するのだ、といまから読んでもハラハラする、つまりは直木賞ファンにとってはたまらない好雑誌です。
1970年代の直木賞周辺を見つめるうえで、まず外すことのできない企画を、定期的に掲載したことでも、よく知られています。中間小説誌の編集者たちが匿名で、直木賞の選考事情について語り合う「編集者匿名座談会」です。
だいたい、戦後以降の直木賞は、作家たち以上に、編集者たちのハートをつかんだことが、成功の鍵でした。自分の目をつけた若手作家が、陽の目を浴びることができるかどうか、の興奮をもたらし、えらい先生方のゴシップ、悪口、噂バナシで盛り上がり、その賞の動向が自分の仕事にも直結するので、作家たちをはるかに超えた情熱をもって、賞一回ごとの当落を真剣に考える。……ええ、ほとんど直木賞は、この人たちのために存在し、いまも営々と続けられている、と言っても過言じゃありません。
寿命わずか2年半の『噂』誌史上に燦然と輝く名物企画(……と、勝手にワタクシが思っているだけの)、匿名編集者たちによる直木賞に関するだべりと検証座談会は、以下5回行われました。
- 昭和46年/1971年9月号「直木賞、受賞作なしの内幕」(第65回 昭和46年/1971年上半期について)
- 昭和47年/1972年3月号「大陥没期を迎えた直木賞」(第66回 昭和46年/1971年下半期について)
- 昭和47年/1972年9月号「三度目の正直で生まれた受賞作」(第67回 昭和47年/1972年上半期について)
- 昭和48年/1973年3月号「いまや直木賞は遠くにありて」(第68回 昭和47年/1972年下半期について)
- 昭和48年/1973年9月号「直木賞は運・不運で決まる?」(第69回 昭和48年/1973年上半期について)
このうち、2回目にあたる昭和47年/1972年3月号分に、今回注目します。第66回(昭和46年/1971年・下半期)の直木賞、前期につづいて該当者なし、の回でした。2期連続で受賞者が出ない、っていう事態は、いまでもそうでしょうけど、直木賞を取り上げたい人たちにとっては恰好のごちそうです。『噂』誌上の匿名編集者たちも、当然、ヨダレをたらし、鼻息荒く、頭から湯気ふきながら、せっせと直木賞論議に明け暮れるのでした。いいぞ、やれやれ。
まずは座談会の冒頭で、結果をおさらいしています。記者会見に出てきた選考委員は、広瀬正ラブでおなじみの、司馬遼太郎さんだったそうです。会見でも「個人的には(広瀬正『エロス』のような)ああいう作品に与えたい」と言いつつ、一回目の投票では田中小実昌『自動巻時計の一日』に、司馬さん以外の9委員全員(!)の票が集まったものの、最終決選では、田中4票、木野工「襤褸」4票、岡本好古「空母プロメテウス」2票、と割れて、該当者なしに決着したのだとか何とか。
「E 二回連続なしということになった最大の問題点を考えてみると、やはり、候補作が全般的に地味というか小粒なところは、たしかだと思いますね。しかし、それだけなのかどうか。中間小説全体が低調だとはいえませんか?」
「D それ以前に、選考委員のところに何篇か残る以前のプロセスの問題があるんじゃないですかね。つまり、候補作に選ばれていない作品のなかで、めぼしいものはあるわけですよ。」
「E 毎号どの雑誌にも登場している人気作家で、直木賞をとっていない人はたくさんいますね。梶山季之、戸川昌子、佐野洋、川上宗薫、笹沢左保、藤本義一、山田風太郎。これだけ並べたら、雑誌は売れますよ。直木賞作家がいなくてもね(笑い)。」(『噂』昭和47年/1972年3月号「大陥没期を迎えた直木賞」より)
中間小説誌のパワーが減退している、いや、そもそも文藝春秋のやり方がマズいんじゃないか、っていう指摘です。
当たり前のことですが、候補作が全般的に地味・小粒、というのは候補作品そのもののせいじゃなくて、責任の100%は、そういうのばっかり並べる文藝春秋にあるわけですからね。(でもしかし、広瀬正の『エロス』を含めて地味だ小粒だと言ってしまうこの感覚が、おそろしい)
ということで、21世紀になってもなお言われ続けている、伝統の直木賞批判、やっぱり40年前のこの頃にも、ご登場です。それではDさん、お願いします。
「D あれだけの権威をもった賞なんだから、もう少し選考の方法は考えるべきですね。それができないのなら、いっそ、他の賞と並列した形で、文春賞かなんかにすればいい。そのほうが、すっきりするような気もする。だいたい編集者にしても、作家にしても、直木賞なんかに一喜一憂することないじゃないかという人もいるわけですよ。」(同)
出ました。いかにも賢そうなことを言っているようで、ボケっぷり炸裂の直木賞批判。
Dさんは、あたかもヒトゴトのように「文春賞かなにかにすればいい」とかご意見されているんですけど、直木賞は何十年もまえから実態として、単なる文春賞ですよ。繰り返します。単なる文春賞ですよ。それを、何か権威があるかのように別枠だととらえて、わざわざ一喜一憂の座談会に出席しちゃう人がいるから、いつまで経っても変わらないのです。
そして、何十年たっても、いまだに、直木賞なんて文春一社の賞にすぎないんだから大騒ぎするな、と同じようなことを言う人が後を絶たない状況を目の当たりにして、ああ、直木賞をとりまくおもしろさ、安泰だな、とワタクシは胸をなでおろしているところです。
さて、ここにご出席の編集者のみなさんですが、そうとう、中間小説(誌)の将来を憂いています。直木賞2期連続なしで、暗ーいムードになってしまう、という直木賞中毒に見舞われたカワユい方々です。
いまは中間小説が好調だなんだと浮かれているが、若い書き手も、若い読者も取り込めておらず、今後生き残っていけるか、このままじゃ、年くった読者だけが残り、先細りしていくだけじゃないか、と心配されています。おお、まさに将来を見抜いた慧眼だ、と思わされるんですが、けっきょくその凋落をとどめることができず中間小説誌を減退させた編集者とは、他の誰でもない、当時その中間小説誌をつくっていた彼ら自身のことだった、とも言えるわけで、いま読むと非常にものがなしい座談会となっています。
「C いちばん困るのは、若い読者の参加がないまま、読者がどんどん年とっていって、作家もいっしょに年とっていく。中間小説というせっかくの新しい意味を持ったジャンルが、昔の倶楽部雑誌みたいになってしまうのが、いちばん困るわけでしょう。」(同)
「中間小説」のラベルが古くさくなっていき、各誌ともこぞって、その看板を出さないように苦慮しながらやり続けましたが、読者数は減るいっぽうで、いよいよ部数では、純文芸誌のラインまであと少し、っつうところまで落ちてきました。ものがなしいです。直木賞のことを、あれこれ話し合っている場合じゃありません。
「C これからの時代というのは、多様化してくるし、直木賞とったから、当たるかどうか判定はむずかしくなってくると思いますよ。そのへんの迷いというのは、選考委員にもあると思う。
A だから、そこを思い切って出していかないと、直木賞の存在意義が薄れてくるような気がする。」(同)
ええと、何と声をかけたらいいのでしょうか。直木賞なる幻影に、「当たるかどうかの判定基準」やら「存在意義」やらが存在する、と錯覚させられた小説誌編集者たちの、ものがなしさ、と言いましょうか。
そんなものを直木賞に求めて、どうするんですか。基本、直木賞は、運営しているほうも選考に当たる人たちも、いったい何のためにやっているのか、はっきりしたことの言えない賞ですし、要するにテキトーな立ち位置にあるまま、存続してきました。万が一、各社の(むかし中間小説誌と名乗ってブイブイいわせていた)読み物誌がこれから軒並み廃刊したとしても、直木賞は続けられていくでしょう。
中間小説誌の編集者たちは、直木賞を心から愛してくれました。でも直木賞は彼らに、さして光のある未来を授けられませんでした。それでも直木賞は、いまだに涼しい顔をしています。まったく、ニクいヤツです。
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