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2014年7月の5件の記事

2014年7月27日 (日)

「発表されたすべての小説のなかから選んでいるわけじゃないし、大騒ぎするほどの賞じゃない。」…『現代の眼』昭和54年/1979年5月号「芥川賞に群らがる若者たちの「老醜」」柳田邦夫×板坂剛

■今週の文献

『現代の眼』昭和54年/1979年5月号

「芥川賞に群らがる若者たちの「老醜」」

柳田邦夫×板坂剛(対談)

 直木賞に対する批判が、いろいろな方面で花開いたのは、およそ昭和50年代(1970年代後半)、と言われています。

 いや、言われちゃいません。でも、どうしたって、そう見えますよね。たとえば昭和50年/1975年1月に決まった第72回(昭和49年/1974年・下半期)の授賞者が、半村良さんと井出孫六さん。半村さんはSF文壇界隈ににぎわい(と、直木賞に対する猛反感)をもたらし、井出さんは井出さんで、当時の三木内閣の官房長官・井出一太郎の実弟だった! ってことから、家柄やら何やらで記事にされる……、ということもあったんですが、その程度の(いまいちパッとしない)取り上げられ方はいつものことです。直木賞批判が花開いたきっかけは、当然そんなことではありません。

 きっかけは、常に芥川賞のほうからやってきます。いっつもそうです。

 直木賞にしてみれば、おこぼれです。あるいは、とばっちりです。直木賞に向けられた批判、というよりも、「文学賞」制度を批判したい人たちが、まず真っ先に思いつく存在(のひとつ)だったため、ついつい名前が挙げられちゃう、という。何といっても、かたわれの芥川賞のほうが、昭和50年/1975年ごろから、そりゃもう、世間のみなさま方から、もてあそばれ、ツッつかれ、どんなに批判しても一向に減る心配のないウサ晴らしに最適なサンドバッグと化していましたんで、その影響から、直木賞もなぜか「権威=どんどん叩いても平気な攻撃対象」として(のみ)、ああだこうだ言われることになりました。

 今日取り上げる対談も、この例に洩れません。基本的には芥川賞をあらゆる側面から批判する、って内容なはずなのに、端ばしで「直木賞」の名称が出てくるのでした。

 のっけから、柳田邦夫さん(当時47歳頃)、こう切り出します。

柳田 ぼくらからすると、若い人が、芥川賞とか直木賞とかというものは意味がない、ということを主張するというのは面白いわけですよ。われわれの感覚だと、ああいうものはあっても、べつにどうということない、というのが率直なところだと思うんです。なれてしまっているしね。

 ただ、ぼくはここ二、三年前からちょっと感じていたのは、芥川賞とか直木賞をとるというのは、昔風に言えば、文壇の登竜門というか「中央文壇」に入る一種の免許証を得たという形じゃなくて、とることが自己目的化していることです。結果じゃなくて、何か目的になってきたような気がするね。」(「芥川賞に群らがる若者たちの「老醜」」より)

 「ここ二、三年前」というと、直木賞では、第74回佐木隆三、第75回なし、第76回三好京三、第77回なし、第78回なし、第79回色川武大・津本陽、第80回宮尾登美子・有明夏夫、って流れでした。とることが自己目的化、の権化といってもいい三好京三さんの受賞を見て(しかも、受賞作『子育てごっこ』はけっこう売れたし)、そう感じちゃったのかもしれません。

 のっけから、と言いました。じつは、のっけどころの騒ぎじゃありません。この対談中、柳田さんは終始、ことあるごとに「芥川賞や直木賞」と、この二つを同一のものとして議論の俎上に乗せようとするのです。

 いっぽう対談相手の板坂剛さん(当時31歳頃)はどうか、というと、柳田さんとは好対照をなしていて、ほとんど芥川賞のことしか語りません(直木賞なんて、文学の話題ですらないと無視していたんでしょうか)。芥川賞の問題点とか、芥川賞を頂点と見なして有名になりがたる or カネを稼ぎたがる連中の、心根の醜さとか。柳田さんと板坂さん、この二人の目に見えているものの違い、が、当対談の最大の読みどころかもしれません。

 たとえば、以下は柳田さんの、芥川賞直木賞セット語録です。

(引用者注:昭和初年ごろ)だいたい作家なんていうのは人間のクズだ、といわれる時期(引用者中略)そんな時に、芥川賞とか直木賞なんてもらって、なんかほめられたそうだよあの変わり者が――という形で、賞金も入ったりすれば大助かりだった。尾崎一雄は代表みたいなもんだ。」(同)

 ……ええと、戦前の直木賞では、たぶん、すでに文筆で稼いでいた派(川口松太郎、海音寺潮五郎、木々高太郎、橘外男などなど)と、貧乏派(鷲尾雨工、井伏鱒二、河内仙介などなど)は、数として拮抗していたと思います。柳田さんのイメージって、おそらく芥川賞を想定したものじゃないんですか。

「ぼくの尊敬する小松伸六先生が書いておられましたけど、地方在住の文学者というのは非常に優秀な人がいるんで、この人たちは芥川賞とか直木賞というのは相手にしないそうですね。」(同)

 ……たしかに。ただ、直木賞は「賞」だから相手にされていなかったんでしょうか。「大衆相手に売る気まんまんの、文学の名を借りた読み物」ジャンルの行事だから相手にされていなかった、のじゃないかと思いますが。芥川賞と違って。

「たとえばいま現実に芥川賞とか直木賞を選考する人たちは、それこそ極端にいうと、関係者は二〇人ぐらいじゃないかな。だからカバーできるはずがないわけですよ。」(同)

 ……まったくです。カバーできるはずがありません。すべてをカバーできる機構なりシステムが実現できてしまう、夢のような社会は、たぶんあと2000年ぐらいすれば到来するんでしょう。

 などなど。

 これに対する板坂さん。マジで、芥川賞の話題しか繰り広げていません。うちのブログで取り上げる筋合いのことはお話しされていませんので、ザクッと割愛いたします。芥川賞好きな方に、そっくりお預けしたいと思います。

 お預けしたいんですが、先の柳田さんの発言、――直木賞も芥川賞もけっきょく選考関係者が少なく、極めて狭い範囲の賞にすぎない、――つうハナシに関連して、板坂さんが芥川賞を解説している箇所がありました。一般的な「直木賞に対する批判」にも通ずる、たいへんよくできた箇所なので、たまらず引用させてもらいます。

板坂 芥川賞自体は三つか四つの雑誌のお手盛りの賞に過ぎないわけなのに、一応自費出版に至るまであらゆる新人の作品を候補の対象として受けつけているようなタテマエをとってるんですね。これはペテンですよ。実際には大手出版社の文芸誌に掲載されたものという資格を必要としているわけだから。しかしそれらの雑誌も別に大した部数が出ているわけではないし、一般的にそれほど関心を持たれているわけでもない。だから大騒ぎすることは何にもないんですよ。芥川賞なんて。」(同)

 どうですか。昭和54年/1979年、つまり35年前になされた指摘です。板坂さん、正しいことを言っていると思います。芥川賞の選考委員のなかにも、川端康成さんや遠藤周作さんなど、芥川賞は大騒ぎするほどのものではない、と何度も選評を使って訴えていた人がいました。

 要するに、誰がどこで、正しいことを言っても、何ら賞そのものの是正につながることなく、いつまで経っても、芥川賞で騒ぐ人は後を絶たないという、なにか徒労感にも似た現実。いまもワタクシたちはその現実のなかで生きています。

 直木賞もまた、その点では芥川賞と同じです。直木賞と芥川賞はちがうものなのだから、いっしょくたで語らないでくれ、といくら言ったって、絶対に、両賞を同一視する人はなくなりません。絶対に。この賞にまつわるギャップと勘違いは減少するどころか、ますます増幅していっていると感じます。

 そんななかで、毎週ブログで直木賞のことを取り上げる、この無力感。……これが、直木賞のことを飽きずに見続けられる最大の魅力、と言ってもいいでしょう(←って、これもまた、共感する人は皆無でしょうけども)。

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2014年7月20日 (日)

「昔の文学賞受賞作に比べると、最近の劣化は甚だしい」…『WiLL』平成24年/2012年6月号「芥川賞の退廃きわまれり」深田祐介

■今週の文献

『WiLL』平成24年/2012年6月号

「総力大特集 昏迷日本の処方箋
芥川賞の退廃きわまれり」

深田祐介

 第151回(平成26年/2014年上半期)、黒川博行さん、よかったね、『破門』が受賞とは(遅すぎだけど)嬉しいぞ、直木賞ありがとう、……などとホンワカしていたところに、突然もうひとつ、直木賞の話題が入り込んできたのでびっくりしました。黒川さんと同じく6度目の候補で受賞にいたった「もらいそこねた末の受賞」の先輩、深田祐介さんの訃報です。

 いま、うちのブログでは「過去、直木賞に対して投げかけられてきた批判」をテーマにやっています。せっかくの機会なので深田さん関連で何かないかと探しつつ、さすがに深田さんが直木賞を批判していた、ってことはないだろう。と、思っていたんですが、深田さん、ごく最近に、かたわれの芥川賞に対して、もう口を極めて罵詈雑言、その勢いで「昨今の文学賞」にケチをつけていました。

 ということで、その放言ぶりを偲びつつ、取り上げさせてもらいます。

 ほんの2年前のことです。第146回(平成23年/2011年下半期)の芥川賞を、円城塔「道化師の蝶」と田中慎弥「共喰い」が同時受賞しました。よーく覚えていますよね。その直後に、何をやっても目立つ男、こと石原慎太郎さんが選考委員を辞任しました。忘れられませんよね。このとき、深田さんは石原さんの姿勢をもれなく擁護しながら、受賞2作品を猛烈に批判、そして両作に賞を与えた芥川賞にガップリ噛みつきました。

 ちなみに深田さんは昭和6年/1931年生まれですので、老害・オブ・ザ・老害といわれた(いまもいわれている)石原慎太郎さんよりさらに1歳年をくっています。

「先般、芥川賞の候補作の「劣化」に愛想づかしをして、石原慎太郎氏が選考委員を辞任するという事件が話題となり、私も実に久方ぶりに芥川受賞作品を通読し、各委員の選考評を読み、まったく石原氏の指摘が正しく、氏の辞任が当然と思われた。他の委員が辞任しないのが奇異に思われた。(引用者中略)

 私は終戦前後に「日本プロレタリア文学全集」を通読し、その稚拙さと品格の欠如に一驚したが、受賞作二作品はこの点においていい勝負だろう。」(深田祐介「芥川賞の退廃きわまれり」より)

 飛ばしております。憤っております。

 芥川賞(の受賞作)に対する深田さんの嫌悪感はゆるむところを知らず、円城塔さんに対して、遠いむかしに文學界新人賞を受賞した深田さんならではの表現で、思いっきし毒づいております。

「『道化師の蝶』は、昔なら同人雑誌にも載らない作品と思う。これも石原氏の指摘どおり、言葉の綾取りみたいな出来の悪い「ゲーム」、「付き合わされる読者は気の毒」という読後感だ。第七回文学新人賞(引用ママ)受賞の私としては、こんな後輩の出たことを恥に思う。」(同)

 恥……。っつうか深田さん、文學界新人賞の受賞をそんなに誇りにしていたのか! 知りませんでした。

 ともかく、こんな程度のものしか候補にならず、こんな程度のものしか受賞しない、日本社会はもう劣化の一途をたどっている、……っていうのが深田さんの論調です。自分が直木賞を受賞した頃を思い出しては、こう胸を張ったりしています。

「私自身には直木賞の候補から受賞まで、二十三年を要した過去がある。この長きがゆえに尊からざる文才の欠如を恥じこそすれひけらかす気は毛頭ないが、東西文明論、人生観提示への強い意思は維持していたと思う。少なくとも、日本社会からの逃亡と奴隷的地位に執着する発想とは無縁であった、という自負はある。」(同)

 そうですかそうですか。それは素晴らしいことでした。深田さんが直木賞をとった昭和57年/1982年前後、「直木賞・芥川賞は商業主義に流れすぎて、文学の本質を見失っている」などと言う文章がちまたに出ていたような気がするのは、あれはワタクシの記憶違いでしたか。ええ、そうでしょうとも。

 昔の両賞はエラい。いまの両賞は駄目。

 ……ほんとかよ、の極致のような直木賞・芥川賞観ですね。でも、テッパン中のテッパンといいますか、たいていどの時代の、どの立場の人も抱けてしまう、安心・安全な感覚、とも言えましょう。淡い思い出とかイメージしか残っていない同世代には「もしかしたら、そうかも」と思ってもらえて、共感し合えるでしょうし、ほんとうに劣化しているのか誰も検証しない(←じっさい、昔の文学賞のことに興味をもつ人など、ほぼいない)わけですから、はっきり間違いだと指摘されることもありません。いつどこで語ってもだいじょうぶ、無味無臭の直木賞・芥川賞観です。そこまで深く知らない人と、どうしても直木賞の話をしなきゃならないときなどに、おすすめです(そんな場面ないか)。

 深田さんは、いまの日本は劣化している、というおハナシをどんどんと繰り出していきます。後半ではなぜだか、いま老人たちは文学ではなく女子サッカー(なでしこ)に熱狂する、とかいうエピソードを持ってきて、文学賞受賞作の「劣化」を論じてみせます。こういうハナシを読んでいると、何だか、いまの直木賞・芥川賞ってずいぶん正常でまともになったのだな、と逆に思えてくるのが不思議です。

「私は月例の食事会に加わっていて、数人の旧き友人たちと会食を楽しんでいるが、ここでの話題の盛り上がりは終始一貫、女子サッカーであり、要するに「なでしこ」メンバー讃歌である。文学など話題になったこともない。(引用者中略)

 ひたすらサッカー、サッカーひとすじに熱中する「なでしこ」の選手たちを、老人たちがわが青春時代への郷愁のあまり、熱狂的に応援するのだろう。ジイさんたちがリキムのは、自分たちの人生を顧みて、頷くところが多いからなのだ。(引用者中略)

 女子サッカーと文学賞受賞作のどちらが社会に資しているか、といえば、言うも愚かであろう。」(同)

 ええ、まったくです。直木賞や芥川賞のような、視野のせまい局地的な文学賞の受賞作が、何か社会に資すような状況、気色わるくて、ワタクシにはたえられませんよ。昔そんな時代があったのだとしたら(って、ほんとにあったんですかね……)、生まれていなくて、ああ心底よかった、と安堵しています。

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2014年7月18日 (金)

第151回直木賞(平成26年/2014年上半期)決定の夜に

 今回は首尾よく、ボンクラと言われつづける直木賞が、大ベテラン作家の貫禄にねじ伏せられたかっこうとなって、なんとも爽快な気分です。んなこと言い出したら、直木賞がねじ伏せられなきゃならない作家など、あと何十人もいるような気がしますけど、基本、日本の文学に対してほとんど影響を及ぼさない賞ですので、どうか世間の声など気にせず、好き勝手にやっていってほしいと思います。

 で、とりあえず受賞の話題はわきに置いておきましょうよ。直木賞といえば、何といっても、よりどりみどりで読みごたえのある魅力的な候補作群が主役でしょ、この80年を考えても。そう思うとき、やっぱり毎度のことながら、うちのブログでは、選ばれなかった5つの作品に、感謝と拍手、そして賞讃を送りたくなるのです。

 今回も、真面目で誠実な思いがページからあふれんばかりの貫井徳郎さんの小説に、クラクラしちゃいました。貫井さんは、直木賞などまったく必要としていない方だと思いますし、これからもずっとずっと走り続けてくれることでしょう。多彩な顔をもつ貫井さんのよさが、直木賞みたいなチッポケな賞ではとらえきれないことが、歯がゆいですが、もし次に機会がありましたら、また直木賞と付き合ってやってください。

 『男ともだち』はすごく売れているそうですが、「売れる小説では、直木賞はとれない」のジンクスが、千早茜さんの身にまで降りかかるとは。360度どこから見ても、直木賞の風合い、千早さんはもう「直木賞受賞(予定)作家」を名乗ってもいいんじゃないか、と思っています(いいわけないか)。どんどんと羽根をひろげて、直木賞の枠から飛び出していってしまうその背中を見るのは、直木賞ファンとしては寂しく感じますが、「機を逸する」ことを得意技にする直木賞ですもの。笑ってやってください。

 直木賞の枠から(すでに)飛び出ている、といえば、米澤穂信さんでしょう、何といっても。熱い読者、熱いファンに囲まれて、その熱風を、こんなくだらない古びた文壇行事に持ち込める人は、そうそうはいません。米澤さんのお仕事ぶりのほとんどは、ワタクシまだ読んでいない不勉強者ですが、『満願』、面白かった。これを、少なくとも直木賞を受賞したのと同じくらいの熱で、もっと売らなきゃ駄目じゃないですか、新潮文芸振興会=新潮社は。

 『ミッドナイト・バス』のように、いろいろと小ネタを仕込んで、読み手に楽しんでもらおうとする伊吹有喜さんの思いが嬉しいです。作品のアラや欠点を探しまわることで成立する直木賞(やその界隈)のことなど、たぶん伊吹さんも気にしちゃいないでしょうが、変に小難しい「文芸」に寄っていかず、逆に直木賞で落とされるような小説を、ぐんぐん書き続けていってほしいです。直木賞(とか山周賞)をとる作品が、正解でも何でもないわけですから。

 多くの方が驚嘆しているとおり、あの題名、あの装幀で、こんな直木賞にしか興味のない気狂いのおっさんを、楽しませるとは、柚木麻子、いったいあなたは何者なんだ!? こういう逸材を取り逃がしたり、他の賞に先を越されたりする、哀れな直木賞の姿をずっと見続けてしまったおっさんには、柚木さんの才と未来が、ただただまぶしいです。その光を、少しでもダークな直木賞に恵んでもらえると有難いなあ。

          ○

 受賞作家、黒川博行さん、受賞作『破門』。言うことありません。何の因果か創設以来「功労賞」の役目も担ってしまった直木賞、そのファンでよかった、黒川さんの受賞をこれほどまで喜べるのだもの。『破門』は、「直木賞受賞」などという「あんまり面白くない小説」に押される代表的な烙印がついてまわることになってしまいましたが、むちゃくちゃ面白いですよ! こういう作品が受賞作リストに加わることになって、ワタクシは大満足です。

 しかし、黒川さんはいいんですけど、6度目の候補で受賞(しかも文学賞は平成8年/1996年の日本推理作家協会賞以来)ってね。脱力しませんか。過去5度の直木賞、それと他社の「直木賞マネッコ文学賞」たちは、いったい何をやっていたのか、とそのふがいなさが悲しくなってきます。悲しい。心の芯から喜べない、という直木賞オタクの悲しさを噛みしめながら、半年後の第152回(平成26年/2014年下半期)まで生きていきたいと思います。

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2014年7月13日 (日)

第151回直木賞(平成26年/2014年上半期)は果たしてどこまで行くのか

 直木賞はよく「内弁慶」だと言われます。「井の中の蛙」とたとえる人もいます。「ウサギ小屋」だとか、「公園の砂場」だとか、口さがない人たちは、そうやって直木賞が狭い領域しか相手にしない限定的な賞であることを揶揄してきました。正直どれも、だいたい当たっていると思います。

 「世界は広い。しかし直木賞は狭い」という名言を残したのは、ええと、誰でしたっけ。司馬遼太郎さんか城山三郎さんあたりだった記憶が、おぼろげながらありますが、いまパッと思い出せません。適宜ググってみてください。誰でも一度は耳にしたことがある有名な言葉だと思いますので、くわしくは割愛します。

 ……ここであえて補足しますと、上に書いたことは冗談です。すみません。

 さていよいよ、最新の直木賞が近づいてきました。これは冗談ではありません(直木賞の存在自体が冗談みたいなもの、という説もある)。第151回(平成26年/2014年上半期)の選考会は、7月17日(木)です。今回の直木賞は(も)、いちばん注目されているのは、果たして直木賞は広くなったのか、いや通常どおり窮屈な世界のなかで決まるのか……、といったところのようで、よその直木賞予想を見ていても、まず作品の「距離」を計測するところから始める方が多いようです。

 ですよね。うちのブログの特徴は、いつも、王道とは縁遠い直木賞バナシばかり展開するところにあるんですが、今回は世間並みに歩調を合わせ、手垢のついたやり方で、候補作品を紹介したいと思います。

 こんな感じです(まずは、とりあえずの暫定の移動距離です)。

151

 見るも明らか、読むも明らか。新潟←→東京の長距離間を(クドいくらいに)せっせと往復するお話としておなじみ、『ミッドナイト・バス』が、ぶっちぎりでトップ! うん、順当な結果でしょう。

 そもそもが、ひんぱんな(そして長距離の)往復運動に、読み手がどこまで耐えられるか。と、こちら側を試しているなかなか挑戦的な候補作だと思います。ちなみに、山周賞の選考委員たちは、みんな途中で酔って気持ちわるくなったとか何とか。あくまでウワサですが。

 安定感、といって今回注目のマトになっている2作品。『破門』は大阪中心、『男ともだち』は京都中心を根城として、安定感を醸し出しています。

 しかし、それだけじゃないのが両作の特徴で、『破門』は、二宮くんに車を遠距離運転させる無茶な桑原、のお得意のエピソードを惜しげもなくそそぎ込み、京都、奈良、兵庫、あるいは今治と動きまわって距離を稼ぎました。いっぽう『男ともだち』のほうは、九州出身で福岡に実家があるけどいまは富山に勤務、っちゅう〈男ともだち〉を設定して、こちらも、京都市内にとどまることなく、読み手を旅行に連れ出す工夫が盛り込まれているわけです。

 『私に似た人』と『満願』は、「地方都市」だったり、「国道60号線」前の交番だったり、実在の場所を特定させないような手法を採り入れた作品です。ただ、完全にはボカしていません。しっかり東京の街を描いてみせたり、栃木の八溝、伊豆半島、などなど具体的にイメージできる地名を出してくる。ええ、なにしろ直木賞はリアリティ重視の賞ですから、架空すぎると選考委員の人たちは混乱して、辛い点をつけたりします(直木賞あるある)。その辺は、巧みに回避することができそうな2作品です。

 そして、最も動きの少ないのが『本屋さんのダイアナ』。半年前を思い出しますね。『伊藤くんA to E』は、東京のなかでしか話が進まなかったせいで、あまりにも領域が狭すぎると選考会でブーブー言われてしまい、さほど評価が上がりませんでした。そこで(?)今回は、わざわざ鎌倉・江ノ島あたりにまで繰り出す、というナイス・アクション! 柚木作品が行動派の一面をもっていることを垣間見せてくれています。

 直木賞では、場所が一か所に止まっていると不利、というのが定説です。いまさら言うまでもありません。たとえば、『昭和の犬』や『恋歌』が受賞できたのは、物語中盤に、滋賀から東京へ、あるいは東京(江戸)から水戸へ、場所を移したからだ、『ホテルローヤル』の評判があれほど選考会で高かったのは、道東のラブホテルのハナシだっていっているのに、なぜか途中、函館のエピソードが入っていたからだ、……などなど、そんな指摘を一度ならずとも耳にしたことがありますよね? ええ、いまや直木賞の常識です。

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2014年7月 6日 (日)

「文学賞は嫌われ続けている。なぜなら多くの悪癖があるから」…『新人作家はなぜ認められない―作家の不遇時代考―』昭和52年/1977年12月・村松書館刊 長野祐二

■今週の文献

『新人作家はなぜ認められない―作家の不遇時代考―』昭和52年/1977年12月・村松書館刊

(とくに)「第七章 文学賞は是か非か?
――私の投稿体験――」

長野祐二

 文学賞批評界における隠れた逸材、長野祐二さんという方は、昭和19年/1944年鹿児島市生まれ、「文芸評論家」「文芸コラムニスト」っつう肩書きがつくこともあるようですが、自分でも創作を志すひとりとして同人誌を運営したりしていた「作家(志望者)」でもあります。本書の略歴によると、こうです。

「昭和19年、鹿児島市に生まれる。九州大学法学部卒後、種々の仕事をへて、同45年から48年まで夕刊フジ報道部勤務。その間、主に文芸面の報道に従事。現在、フリーランサー。これまで小説の習作「教室」「オフィス」を同人誌「新鋭文学」に発表。」(『新人作家はなぜ認められない―作家の不遇時代考―』より)

 島崎藤村ぐらいの時代までさかのぼり、結果的に作家として大成した「文豪」から「コモノ」まで含め、彼らが世に出るまでにいかなる「不遇」を味わったのか、なぜ不遇だったのか、ほんとうにいまのような、新人作家を世に送り出すシステムとして優れているとはとうてい言えない「懸賞・公募型文学賞」偏重の文学界のままでいいのか、といったようなことを、不遇の渦中にある本人の経験を交えて綴った評論書になっています。

 ただ、長野さんは基本、文学に対して真剣な方なので、直木賞などという、文学の本流から遠く外れた「ナンチャッテ文学」のことには、深くは触れられていません。そういった意味で、残念な本です。

 残念なんですが、ご想像のとおり、芥川賞のことには、ずいぶんと筆が割かれています。プラス、他の懸賞、公募型文学賞も合わせて(むろん、ほとんどが「純文芸」系のもの)、「文学賞」として一つにくくって、批評の対象にしまっています。要するに、こと文学賞に関する考察は、直木賞+芥川賞を日本の文学賞の代表と見立ててしまっているために、「直木賞と芥川賞をセットにして物をいう」ときに滲み出るおかしみが、長野さんの本にも宿っているのです。

 しかも、さすがは長野さん、趣向を凝らして読み手に笑いを誘う手管に長けています。

 まず、「第四章 現役作家たち」のなかで、こんな前フリをしてみせます。

「中間、大衆作家を取り上げるには異論があるだろう。あんなのは文学ではない、彼等は作家ではないという意見もあるだろう。が、よく見渡すと、〈エ ンタテーメント〉(娯楽性)という作品評価における絶対の物差しがあるはずのこの世界でも、評価の錯誤による作家の不遇の現象がよく見られるということ だ。彼等の健闘ぶりを知るのも、無意味ではないのである。」(同書より)

 ええ、だれがどう考えたって、エンターテインメント(娯楽性)、と一口に言っても、ひとりひとり感覚にはブレがあります。ある人にとっては娯楽性、違う人にとって は糞面白くもない、なんてことは日常茶飯事です。長野さんは『夕刊フジ』で記者をされていた方ですから(いや、何十年も文学やってきた方ですから)当然そ んなこと、ご存じでしょう。なのに、あえて「絶対の物差し」と暴言を吐く。そして読み手からのツッコミを誘発する。すばらしい。 

 さらに長野さんが、笑いの定石をきっちりおさえた人なんだなあ、と思わされたのは、これを直木賞とリンクさせているところ。

 自費出版本『終身未決囚』が、あれよあれよという間に直木賞受賞にまで行きついた有馬頼義さんのことを、こんなふうに言っているんです。

「何のことはない。有馬の受賞も運そのものであったことがわかる。作品評価に、エンタテーメントという絶対的価値基準がある直木賞にしてこうである。」(同書より)

 ワタクシは吹き出し、膝を叩いて笑ってしまいました。絶対的価値基準がある直木賞? またまたー。真顔でそういうギャグを繰り出すから、思わず笑っちゃったじゃないですか。ナイスボケ。

 おそらく長野さんは、長年の文学人生のなかで、直木賞とは「中間・大衆小説」とイコールでは結べない、ぐらいの基本中の基本はわかっているはずです。しかしここでは、そういう知識を一切オモテに出さず、全力でボケてみせる姿勢。名役者よのう。

 このあと、長野さんは、文学青年たちに極度に毛嫌いされてきた(いまもされている)文学賞という存在、について、いったいどこが嫌われるのかを解説していきます。

「諸々の文学賞の存在は一般に文学青年の間で不人気である。このことは重要なことに思われる。一体、世間で悪くいわれる人間に善人がいたためしがないというあの伝である。多くの悪癖を身につけているから、文学賞は嫌われるのである。」(同書より)

 ということで、その「悪癖」とは一に、運に左右されすぎること。二に、文藝春秋=日本文学振興会のやっている予選段階の選考過程が不明瞭。三に、誰が受賞するのかといった競馬まがいの賞レースに世間の熱気が集中して、肝心の候補(受賞)作品についてが、なおざりにされてしまうこと。

 そして最大の悪癖は、

「文学賞というのが古くからあり、散々、悪口を浴びせられて来たにもかかわらず、ずっと存在し続けて来たということである。(引用者中略)おそらくこう考えるのが正解ではなかろうか。それは作家が原稿用紙の枡目を埋めるのが仕事であるように、出版社にとっては文学賞を主宰し続けることが仕事、つまり営業活動の一部なのだということである。そうした出版社にとって、極言すれば作品の質はどうでもよく、ともかく何はともあれ、「受賞作品」を作り出すこと、受賞作家を生み続けることが重要なのだ。」(同書より)

 とおっしゃっています。

 いちいち、こういう洒落の中身を解説するのは野暮ですし、長野さんにも申し訳ないとは思うのですが、やはりここは長野さんのギャグセンスの高さを讃えたいです。

 「文学賞」全般のことを語っているかと思わせておいて、じつは、直木賞・芥川賞、たった二つの賞にしか当てはまらないエピソードを持ってきて、「文学賞の悪癖だ」と極言するスタイル。二つの賞ができた昭和9年/1934年以後、文学賞を主宰してきたのは出版社だけじゃなく、新聞社、文学団体、公共団体、作家集団、一般企業、あるいは同人誌、などなどバラエティに富んでいるし、消滅した文学賞も何百とあるのに、そういうことに一切触れず、ただ出版社が文学賞を続ける理由だけを取り上げて、「文学賞の悪癖だ」と極言するスタイル。

 文学賞がなくならない理由は、営業活動と結びついているから、かもしれません。だけど、営業活動っつったって人間のやっていることですから、「ただ金儲けしたい」みたいな単純な動機に集約されるわけじゃありません。自明のことです。それこそ長野さんが信奉する「文学」が、人間の営みから生まれるのと似たようなものじゃないんですか。

 でも、そんな複雑なハナシに足を踏み込むほど、長野さんは愚かではありません。とにかく、あえて極論をもって文学賞を断じてみせる姿勢に終始します。きっと文学賞に関する膨大な知識があるはずなのに、それを微塵も感じさせず、ナイスボケを連発するカッコよさ。文学賞批評界の逸材、という表現以外に見つかる言葉がありません。

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