「文学賞は嫌われ続けている。なぜなら多くの悪癖があるから」…『新人作家はなぜ認められない―作家の不遇時代考―』昭和52年/1977年12月・村松書館刊 長野祐二
■今週の文献
『新人作家はなぜ認められない―作家の不遇時代考―』昭和52年/1977年12月・村松書館刊
(とくに)「第七章 文学賞は是か非か?
――私の投稿体験――」
長野祐二
文学賞批評界における隠れた逸材、長野祐二さんという方は、昭和19年/1944年鹿児島市生まれ、「文芸評論家」「文芸コラムニスト」っつう肩書きがつくこともあるようですが、自分でも創作を志すひとりとして同人誌を運営したりしていた「作家(志望者)」でもあります。本書の略歴によると、こうです。
「昭和19年、鹿児島市に生まれる。九州大学法学部卒後、種々の仕事をへて、同45年から48年まで夕刊フジ報道部勤務。その間、主に文芸面の報道に従事。現在、フリーランサー。これまで小説の習作「教室」「オフィス」を同人誌「新鋭文学」に発表。」(『新人作家はなぜ認められない―作家の不遇時代考―』より)
島崎藤村ぐらいの時代までさかのぼり、結果的に作家として大成した「文豪」から「コモノ」まで含め、彼らが世に出るまでにいかなる「不遇」を味わったのか、なぜ不遇だったのか、ほんとうにいまのような、新人作家を世に送り出すシステムとして優れているとはとうてい言えない「懸賞・公募型文学賞」偏重の文学界のままでいいのか、といったようなことを、不遇の渦中にある本人の経験を交えて綴った評論書になっています。
ただ、長野さんは基本、文学に対して真剣な方なので、直木賞などという、文学の本流から遠く外れた「ナンチャッテ文学」のことには、深くは触れられていません。そういった意味で、残念な本です。
残念なんですが、ご想像のとおり、芥川賞のことには、ずいぶんと筆が割かれています。プラス、他の懸賞、公募型文学賞も合わせて(むろん、ほとんどが「純文芸」系のもの)、「文学賞」として一つにくくって、批評の対象にしまっています。要するに、こと文学賞に関する考察は、直木賞+芥川賞を日本の文学賞の代表と見立ててしまっているために、「直木賞と芥川賞をセットにして物をいう」ときに滲み出るおかしみが、長野さんの本にも宿っているのです。
しかも、さすがは長野さん、趣向を凝らして読み手に笑いを誘う手管に長けています。
まず、「第四章 現役作家たち」のなかで、こんな前フリをしてみせます。
「中間、大衆作家を取り上げるには異論があるだろう。あんなのは文学ではない、彼等は作家ではないという意見もあるだろう。が、よく見渡すと、〈エ ンタテーメント〉(娯楽性)という作品評価における絶対の物差しがあるはずのこの世界でも、評価の錯誤による作家の不遇の現象がよく見られるということ だ。彼等の健闘ぶりを知るのも、無意味ではないのである。」(同書より)
ええ、だれがどう考えたって、エンターテインメント(娯楽性)、と一口に言っても、ひとりひとり感覚にはブレがあります。ある人にとっては娯楽性、違う人にとって は糞面白くもない、なんてことは日常茶飯事です。長野さんは『夕刊フジ』で記者をされていた方ですから(いや、何十年も文学やってきた方ですから)当然そ んなこと、ご存じでしょう。なのに、あえて「絶対の物差し」と暴言を吐く。そして読み手からのツッコミを誘発する。すばらしい。
さらに長野さんが、笑いの定石をきっちりおさえた人なんだなあ、と思わされたのは、これを直木賞とリンクさせているところ。
自費出版本『終身未決囚』が、あれよあれよという間に直木賞受賞にまで行きついた有馬頼義さんのことを、こんなふうに言っているんです。
「何のことはない。有馬の受賞も運そのものであったことがわかる。作品評価に、エンタテーメントという絶対的価値基準がある直木賞にしてこうである。」(同書より)
ワタクシは吹き出し、膝を叩いて笑ってしまいました。絶対的価値基準がある直木賞? またまたー。真顔でそういうギャグを繰り出すから、思わず笑っちゃったじゃないですか。ナイスボケ。
おそらく長野さんは、長年の文学人生のなかで、直木賞とは「中間・大衆小説」とイコールでは結べない、ぐらいの基本中の基本はわかっているはずです。しかしここでは、そういう知識を一切オモテに出さず、全力でボケてみせる姿勢。名役者よのう。
このあと、長野さんは、文学青年たちに極度に毛嫌いされてきた(いまもされている)文学賞という存在、について、いったいどこが嫌われるのかを解説していきます。
「諸々の文学賞の存在は一般に文学青年の間で不人気である。このことは重要なことに思われる。一体、世間で悪くいわれる人間に善人がいたためしがないというあの伝である。多くの悪癖を身につけているから、文学賞は嫌われるのである。」(同書より)
ということで、その「悪癖」とは一に、運に左右されすぎること。二に、文藝春秋=日本文学振興会のやっている予選段階の選考過程が不明瞭。三に、誰が受賞するのかといった競馬まがいの賞レースに世間の熱気が集中して、肝心の候補(受賞)作品についてが、なおざりにされてしまうこと。
そして最大の悪癖は、
「文学賞というのが古くからあり、散々、悪口を浴びせられて来たにもかかわらず、ずっと存在し続けて来たということである。(引用者中略)おそらくこう考えるのが正解ではなかろうか。それは作家が原稿用紙の枡目を埋めるのが仕事であるように、出版社にとっては文学賞を主宰し続けることが仕事、つまり営業活動の一部なのだということである。そうした出版社にとって、極言すれば作品の質はどうでもよく、ともかく何はともあれ、「受賞作品」を作り出すこと、受賞作家を生み続けることが重要なのだ。」(同書より)
とおっしゃっています。
いちいち、こういう洒落の中身を解説するのは野暮ですし、長野さんにも申し訳ないとは思うのですが、やはりここは長野さんのギャグセンスの高さを讃えたいです。
「文学賞」全般のことを語っているかと思わせておいて、じつは、直木賞・芥川賞、たった二つの賞にしか当てはまらないエピソードを持ってきて、「文学賞の悪癖だ」と極言するスタイル。二つの賞ができた昭和9年/1934年以後、文学賞を主宰してきたのは出版社だけじゃなく、新聞社、文学団体、公共団体、作家集団、一般企業、あるいは同人誌、などなどバラエティに富んでいるし、消滅した文学賞も何百とあるのに、そういうことに一切触れず、ただ出版社が文学賞を続ける理由だけを取り上げて、「文学賞の悪癖だ」と極言するスタイル。
文学賞がなくならない理由は、営業活動と結びついているから、かもしれません。だけど、営業活動っつったって人間のやっていることですから、「ただ金儲けしたい」みたいな単純な動機に集約されるわけじゃありません。自明のことです。それこそ長野さんが信奉する「文学」が、人間の営みから生まれるのと似たようなものじゃないんですか。
でも、そんな複雑なハナシに足を踏み込むほど、長野さんは愚かではありません。とにかく、あえて極論をもって文学賞を断じてみせる姿勢に終始します。きっと文学賞に関する膨大な知識があるはずなのに、それを微塵も感じさせず、ナイスボケを連発するカッコよさ。文学賞批評界の逸材、という表現以外に見つかる言葉がありません。
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